6月29日(土)
母親がお世話になっている老人ホームで草刈りのボランティアがあり、終わった後に家族会での懇親会があった。
夕方、用事がある私は今回はノンアルコールビール貰って飲んだ。
コップに注いでもらうと、色・匂い・泡の出具合から・・・・ホントのビールみたいだと思った。
何杯か飲んでいるうちに・・・・・変な気分。
酔っているようだ。
こんな事がありました。
これは自分の脳がビールを飲んで酔っ払った事を覚えていて脳がビールだと勘違いして酔った気分になった状態のようです。
プラシーボ効果と言うそうだとか。
「思い込み」が身体に影響を及ぼすこと、薬理効果のない薬を投与して実際に病気が治ったとか。
プラシーボは別名「偽薬効果」と言われるように、薬でないものを薬だと思って飲むと体調が良くなってしまうケースです。
プラシーボ効果・・・・恐るべし。
自分の脳が・・・勝手にそう思ってしまう。
今は巷で騒いでいる「おれおれ詐欺」「かあさん助けて詐欺」も、この効果を利用しての詐欺なのか。
私の趣味、マラソンも。
42.195kmを走った後の、あの何とも言えない爽快感を脳が覚えていて、年を重ねた今もなお走り続けているのだろうか。
当日のマラニックが終わり、宿泊先である旅館での慰労会の時に出たSさんからの意見
「90km地点以降ゴールまでのコース(特に自衛隊東富士演習場の大野原を横切る区間)が危険なので、これを避けるコースを検討してはどうか」
これについての、変更コースが記載されていた。
私なりにルートラボでコースを作ってみた。
どちらが良いか比べてみてほしい。
私としては、ここ大野原を横切るコースR469は、富士山が大きく見えて気持ちがいいコースだと思った。 確かに自衛隊のトラックは巨大で途中立ち止まることが多かったが、私たちは遊び、自衛隊はお仕事、そんな気持ちで道を譲ってゴールを目指したのだった。
変更コースだが、仁杉から下って街中に入り富士山も見えなくなりコースも8km長くなり、最後の最後に上り坂があるコース、せっかく考えてくれたのだが・・・・私はやっぱり「ぐるっと富士山一周ウルトラマラニック」は100km丁度のコースが良いと思う。
その他、下見を走っての色々な意見が出たみたいだ。
歩道の無い道路はやっぱり危険がいっぱい、山道の登り坂で歩道の無いと走っている私たちも車にビクビクしながら走っているが、車を運転している人も突然の歩行者にビックリしているのではないだろうか。
今回のコース県道71号線40km~50kmまでは丁度夜明けのころ、車を運転している方としては迷惑な話かもしれない。
危険だらけの道路を走るのですから、危険は付きもの
絶対に事故が起きないように気をつけてもらうしかありません。
メールから引用
そう、一人一人が自己責任でこのコースを走ればいいと思う。
呼びかけ人は、そんな仲間を集めてくれる。
慰労会の時、Sさんの意見を聞いていた私の隣の女性の人が呟いた
「北海道を走った時は・・・・・こんなもんじゃなかったョ」
と言っていたのが気になった。
人それぞれ感じ方は違うのだ(^^)
2004年にアメリカ合衆国の学生向けにサービスを開始したfacebookは、当初は学生のみに限定していたが、2006年9月26日以降は一般にも開放された。
日本語版は2008年に公開。13歳以上であれば無料で参加できる。実名登録制となっており、個人情報の登録も必要となっている。
公開後、急速にユーザー数を増やし、2010年にサイトのアクセス数がGoogleを抜き話題になる。2011年9月、世界中に8億人のユーザーを持つ世界最大のSNSになった。2012年10月に、10億人を突破。
ウィキメディアから。
mixiやJogNoteなどと違い、facebookは世界中の人と繋がる事が出来るツールだ。
mixiはmixiの中の承認された友達間の交流の場だ。
JogNoteは走る中もの交流の場。
facebookは現実でのやり取りをそっくりそのままネットに移したものなので、実名での登録がルールなのです。
現実の世界も、ネットの世界も、考えてみれば同じ人間の交流の場だ。
良い話を耳にしたら誰かに伝えよう。
これからも誰かに伝えたい話がfacebookのウォールに記載される事があったら。
シェアしよう(*^^)/。・:*:・゚★,。・:*:・゚☆感動シェア!
あくまでも自分が・・・・・ググっと来た話を(^O^)
超やばいぞ。感動話にいいね!や
シェアしたら、悪徳業者に個人情報行かれますよ。
先日私宛に届いた一通のメールからfacebook・ネットの世界のことについて考えてみた。
私が初めてネットの世界に興味を持ったのはウインドーズ98が発売になると話題になった頃、今までの3.1より色々な面で使いやすくなり誰でもパソコンの操作が出来るとのうたい文句だった。
そして、私が初めて買ったNECのパソコン(キャンビー)のOSはウインドーズ98が入っていた。
誰でも簡単に使えるといっても初めて買ったパソコン、分からないことだらけ・・・・・。
佐久間町のパソコン友を探だし、話を聴いたり分からないことを教えてもらったりした。
そして自分のホームページ「RUN2homepage」を作った。
「RUN2homepage」は自分の趣味(ランニング)の事を書いた、このHPが縁で友達もできた。
私の記録を見て自分と同じくらいだとメールをもらい、お互いの住む地域のマラソン大会に行ったりもした。
あれから十数年たち、ネットの世界はSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が広がり、誰でも気軽に自分の意見を投稿できる場になってきた。
しかし、匿名での投稿・・・・・に嫌気が指してきた。
そこにfacebookが、
Facebookとは、ネット上でも友達とやりとりするためのサイト、Facebookは現実でのやり取りをそっくりそのままネットに移したものなので、実名での登録がルールなのです。
自分としては、このFacebookの考え方が好きだ。
ネットの世界でも、現実の社会でも、自分の身分を明らかにしてから意見を言うのが筋と言うものだと思う。
そこで、先に書いたメールの話。
facebook危険で検索し、私のシェアした”みんなやさしくなあれ”を調べた。
ページ管理者.やまと まき
いいね! 105,748人 · 話題にしている人25,138人
管理者が
やさしいニュースや画像、また話題を見た人が友達や恋人や同僚や家族に話題をシェアする みんなが やさしい気持ちになればきっと世界も変わるはず。
との思いで作っているfacebookだ。
私も、ここの管理者.やまと まきさんに同感だ。
みんながやさしい気持ちになればいいと思う。
自分のfacebookもヤッパリいい話があれば、みんなに伝えたいことがあれば・・・・・これからもシェアしていきたいと思う。
わたしは"みんなやさしくなあれ"の感動の話が好きだ。
この"みんなやさしくなあれ"のfacebookは
やさしいニュースや画像、また話題を見た人が友達や恋人や同僚や家族に話題をシェアする みんなが やさしい気持ちになればきっと世界も変わるはず。
【Imagine】
Imagine all the people living life in peace.
静かに人生を送っているすべての人々を想像してください。
との説明がある。
ある感動の話をシェアしたら、職場の若者から一通のメールが来た。
超やばいぞ。感動話にいいね!や
シェアしたら、悪徳業者に個人情報行かれますよ。
facebook危険で検索!
またか・・・・とは思ったが、facebook危険 で検索してみた。
ヒットしたのが↓
http://news.mynavi.jp/c_cobs/news/wooris/2013/05/facebook-5.html
感動話の投稿はFacebookの広告機能を悪用!?、知らないうちに怪しい商品を友達にオススメしてしまう事態になってしまうかもと言うわけだ。
せっかくの御指摘、私は今まではfacebookを誰でも見れるようにしていたところを、友達だけしか見れないようにした。
そして感動話のシェアを取り消した。
しかし、まだ若いというのにリスクばかりを気にしてチャレンジしない若者。
一抹の寂しさを感じた(TT)
静岡朝日テレビで 「世界遺産直前スペシャル 富士山」をやっていた。
「日本の心 Mt.Fuji」
私の心の富士山は、18歳のころ初めて上った富士山。
登山中は景色も変わらず苦しい思い出しかないのだが、山頂での御来光が神秘的で感動したのを覚えている。
それから月日は流れ、20歳後半になり、ジョギングを始め、フルマラソンを走るようになり、ジョギング仲間も増えてきた。
そのジョギング仲間から、「富士登山競争」の話を聞いた。
「富士登山競争」
http://www.fujimountainrace.jp/forms/top/top.aspx
そんな登山競争に私は平成20年7月25日初めて挑戦した。
ゴールタイム 4時間25分31秒
初めての挑戦で完走できたことはとてもラッキーだった。
次の年は悪天のため五合目までとなった。
五合目ゴール 2時間12分47秒
そして次の年は山頂まで行けず八合目で終わっている。
八合目 4時間01分43秒
私 しんしんの、50歳の夏が終わった。平成22年の夏の話。
そして平成24年の夏、次への富士山への挑戦は、「富士山頂往復マラニック」になった。
このマラニックは、静岡県の田子の浦港の白灯台から富士山頂までの往復を24時間以内に走るマラニックだ。
私は45分オバーでゴールした。
そのマラニックの時のブログ
no1
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1%E9%A0%82%E5%BE%80%E5%BE%A9%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1%E9%A0%82%E5%BE%80%E5%BE%A9%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%20%E7%AC%AC10%E5%9B%9E%E8%A8%98%E5%BF%B5%E5%A4%A7%E4%BC%9A
no2
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1%E9%A0%82%E5%BE%80%E5%BE%A9%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1%E9%A0%82%E5%BE%80%E5%BE%A9%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%20%E7%AC%AC10%E5%9B%9E%E8%A8%98%E5%BF%B5%E5%A4%A7%E4%BC%9A%20%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%92
no3
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1%E9%A0%82%E5%BE%80%E5%BE%A9%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1%E9%A0%82%E5%BE%80%E5%BE%A9%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%20%E7%AC%AC10%E5%9B%9E%E8%A8%98%E5%BF%B5%E5%A4%A7%E4%BC%9A%20%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%93
そして今年、5月18日の「ぐるっと富士山一周ウルトラマラニック」
一日かけて富士山の裾野を一周した。
そのブログ
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF/20130519
私の心のMt.Fuji。
知り合いが特別養護老人ホーム「さくまの里」で働いている。
その人が「第12回さくまの里学会」があるので、その学会に来てくれそうな人はいなっかと私に相談があった。
ここの老人ホームは、私がNHK学園で社会福祉学科の勉強で最後の福祉実習でお世話になった老人ホームだ。
NHK学園を卒業し、NHK学園を卒業した人のボランェアの集いCSネットワークに参加するようになり、「CS磐田」のグループに入会し活動をするようになった。
(CSとはコミュニティースクールの略)
今回、CS磐田の仲間を知り合いの人に紹介した。
ところが、今日「第12回さくまの里学会」の時には用事が出来 参加することができないと電話が来た。
尾瀬に旅行に行く時と重なったそうだ。
「第12回さくまの里学会」は私、一度 見に行ったことがある。
母親がまだ、痴呆の症状が軽いときだった。(いわゆるマダラボケ)
さくまの里が3号館を新設し、グループホームを始め、今まで、何人かの部屋だったのが、個室になるとの説明だった。
施設で働いている人からは、これまで以上に大変な仕事になるのではと心配している、質問があったのを覚えている。
私は、母親が・・・この状態だから・・・・さくまの里への入所料が これまで以上に高額になるのではないかと心配した。
そんな話を、私の隣んで聞いていた母親が・・・急に泣き出し、私は・・・その話を聞くのをやめ、途中で泣き止まない母親を連れ家に帰ってきたのだった。
そんな母親も、家に帰ったら機嫌も直り、落ち着きを戻した。
今日、回覧板で回ってきた・・・・「第12回さくまの里学会」のチラシを見て、そんな昔の事を思い出したのだった。
今年はランナー9名、サポート1名でのマラニックとなる。
中部天竜駅で集合写真、午前7時にスタート。
今日は佐久間小学校の廃品回収の日、知り合いがボランティアで忙しくしているところを走るのは悪いかなっと思っていたがしょうがない。
平和竜頭山登山口に向かって走っていく。
登山口にはサポートの車が待っていてくれ、水分・エネルギーの補給、よいよ登山に、山に入っていく。
青なぎの分岐で休憩・水分補給。
そこから少し登ると、中級コースと初級コースの分岐点。
走る前に、中級コース(杣小屋コース)に行ってくださいと言っていた。
遠くで鳴くホトトギスの鳴き声を聞きながらの登山、大変だけど新緑の中、気持ちがいかった。
展望台に着くと、速い人たちが待っていてくれた。
ありがたいことです。
展望台から竜頭山山頂に行ってほうずき平らコースに行く予定だったけど、途中シャクナゲの綺麗な所があると聞いて寄り道、シロヤシオも咲いていて綺麗だった。
しろやしおの葉、ちょっと変わっているネ。
ほうずき平に行くと、来ているはずのサポートの車がない・・・・・携帯も圏外だ。
どうしたんだろう????
まあ、そのままスーパー林道を山住方面に走っていく。
途中、電波が届くところがあり、サポートの人に電話・・・連絡が着く・・・・・良かった(^^)
山住神社に到着。
今日は観光客もたくさんいて賑やかだった。
山住神社からはひたすら下りが続く、日本一美味しいと言われる湧水を飲み、ひたすら下る。
下りきると、布滝がある。
最近雨が降っていないので、絹糸のように流れている滝は枯れていた。
向市場に着き、橋を渡り、国道152号線を浜松方面に。
芋掘・城西と走っていき。
切開(きいなま)との所で旧国道152号線に。
蛇山の大カーブを曲がり、「小休戸(こやすんど)橋」の交差点を右折、水窪川の西側の山をあがっていく。
ここからは島、横吹・立原・間庄・瀬戸と行く。
八丁坂の下り付近に、白く大きな花が咲いていた・・・・・なんという花かな?????
八丁坂を下る。
西渡(にしど)から国道473号(朝走った道)を中部天竜駅に行く。
後7kmくらいかな。
中部天竜駅横の駐車場に着いたのが、午後の7時。
12時間かけての60kmだった。
ご苦労様でした。
ジャンジャン(^^)
昔、佐久間高校の野球部の部員が浜松方面から走ってきたことがある。
車で、その部員に出会ってビックリしたことがある。
「道路を走らせるなんて危険だ!」
町民の間ではそんな声が聞こえた。
山間部の国道は歩道もなくカーブが続き、車で走っていると左側の山影から人が突然出るとビックリ!
そんな国道を、佐久間ダムから砂を運ぶ大型トラックが走っている。
危険=そんなことやめた方が良い
しかし、道路は公共の物。
車だけの道路ではない。
何年前だろうか、国道で歩行者の事故があった時に「あんなところをフラフラ歩いているもんで」そんな声が聞こえた。
佐久間町が浜松市に合併し、役場の若い職員が次々と佐久間を出て行ったとの話を聞く。
佐久間では働くところが無くなるので今のうちに便利な所にこ行った方が・・・・・との考えだろう。
合併をして、佐久間町はますます過疎になっていくのだろうな~と思っていた。
そんな時から"五年に一度くらいは佐久間で同窓会"そんな思いで名簿作りから始めた佐久間中学校同窓会も一回目二回目は浦川の清流荘でやったのだが、
三回目の同窓会は浜松での開催となる。
合併をして、佐久間町はますます過疎になっていくのだろうな~と思っていた。
これからの佐久間(山間部)での生活はと憂いている時、家族で浜松に買い物に出かけようと車で国道152号線を走っていると・・・・・。
リックを背負って走っているランナーを見つけた。
次の日の新聞で「新浜松市誕生記念マラニック」の記事を見つけ、世の中にはこんな人もいるのだな~と思った。
そして自分でも・・・・・・・。
「遠い昔の事を思い悩んでいるより・・・今を楽しもう」そう感じるようになり自分なりのマラニックを始めた。
先日走った「ぐるっと富士山一周ウルトラマラニック」真夜中空を見上げると、始めは見えた星空が少しずつ見えなくなり途中から冷たいものが頬に・・・・・空は完全な曇り空。
富士五湖100㎞でも見れなかった富士山が今回も・・・・諦めていた。
ところが、鳴沢の道の駅で富士山は大きな姿を見せた。感動した。
後半の走りは辛かったが富士山が見え勇気づけられた。
ゴール後の懇親会で、コース上でトラックの通行が多い所があると、コースの変更を望む意見が出た。
乙武炎上
乙武さんが予約したレストランの店主と口論になり、頭に来た乙武さんは冷静さを失いツイッタ―に書き込んだ。
そして色々な意見が出ての炎上。
まだ国道が狭かったころ、水窪警察署の標語が「譲り合いありがとう」だったと思う。
合併し、今標語も「車は昼間もライトオン」になり、ライトを点けた車がスピードをだし急いで走り抜ける。
”車も人も自転車もオートバイもトラックも、町に住む人も田舎の人も、金持ちも貧乏人も、弱者も強者も、みんなこの地球に住む仲間、譲り合って行こうじゃないか。”
ヤッパリ標語は「譲り合いありがとう」がいいね(^^)
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
03 | 2025/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 |