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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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ウルグアイのムヒカ大統領(75)がリオ会議でスピーチした内容が衝撃的である。

ウルグアイとは南米の小さな国だ、大統領の月収は日本円で約97万円、同国の平均月収は約6万円。

しかし彼はそのほとんどを寄付し、同国の平均年収しか手元の残さない、理由は、自分が得たお金を貧しい人と企業家のために役立ててもらいたいから。

その大統領のリオ会議でのスピーチの全文が・・・これだ。

ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ: (訳:打村明)

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会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。

ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。

しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

 私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクロス、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。

私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。

幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。

ありがとうございました。

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打村明さんHPから引用

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昨日、町内の人に言われた。
今年は、駅伝にトン汁が出ないそうだネ
私は「知らない」と言ったら。
役員の人が知らないなら・・・ただの噂かな

その後、佐久間中学校の先生と話す機会があり。
生徒の間で今年から駅伝でトン汁がでなくなったとの噂がある
と話していた。
先生は協働センターに電話して確認したそうだ。
やっぱり今年は出ないそうだ

毎年、佐久間駅伝では 電源開発株式会社からの寄付でトン汁の食材を買い、佐久間のNPO”がんばらまいか佐久間”の活動会員がトン汁を作り、走り終わった駅伝の選手に振舞っていたのだが。
今年は・・・そのトン汁がなくなったのかな~?

前にも、このブログで書いたのだが、私たちの住んでいる北遠は駅伝が四か所で行われている。
以前書いたブログ↓
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E4%BD%93%E8%82%B2%E5%8D%94%E8%AD%B0%E4%BC%9A/

佐久間駅伝は、四か所の中でも最も予算が掛かっている駅伝大会だ。

昔は、役場職員も多くいて、駅伝大会では総出で手伝いをしていた。
タイムもストップウォッチ計測、駅伝の閉会式が終わった後に記録用紙が出来上がるようにみんなが協力してやっていた佐久間駅伝だった。

それが、佐久間町が浜松市に合併し、役場の職員も減り、佐久間駅伝のボランティア減っていった。

そして、浜松市として、天竜区だけで四か所の駅伝での予算を渋るようになってきた。

その影響なのか・・・・今年の佐久間駅伝でのトン汁の出ないのは。


去年のゆるきゃらグランプリで関連予算に約1700万円を計上したという。

佐久間駅伝では、ボランティアで駅伝の関係の仕事をしている。
NPOのメンバーは七十歳代の人たちが一生懸命に町のためにと頑張っている。
ゆるきゃらの予算と天竜区の駅伝とでは、予算の出所が違うかもしれない、、、、でも、
あまりにも理不尽 いや、それが合併の現実
 


そんなこそを思う、佐久間町の山の中に住む、浜松市住民の一人であった。。。。

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今年のは
「たつやま凸凹マラニック」(冬)
「たつやま凸凹マラニック」(春)
「竜頭山スーパーマラニック」
「夢街道100㎞」
「浜松縦断マラニック」
「リレー・フォー・ライフ静岡」
「峠の綱引きマラニック」
「チャレンジ三瀬明神」
だ。

その申込書を昨日、少し手直しをして作り直した。
それが・・・・↓

 

いろいろ考えた末に、、、、これに決めた。

今回、カラーで印刷した。
注目してもらいたいところは、色を付けた。
(スーパーマラニックのスタート・ゴールの場所が変更)など

最後の
以上、"ほくえん旅ラン"の趣旨を理解し、感謝と謙虚さを持った紳士・淑女のランナーのみなさんの参加をお待ちしています。

参加者と親しい方の 署名            印


去年までは、本人署名・・・・としていた。
今年は、親しい方・・・・・・とした。

それには意味がある。
一昨年の「夢街道100㎞」の時である。
熱中症で倒れた人がいた、奥さんに電話したら、夫の今日のマラニック参加を知らない状態だった。

私たちが、このようなマラニックをできるのは、親しい人の理解があるからだ・・・。
たとえば、親・夫・妻・子供・友達。。。
誰でもいい。自分を思ってくれる親しい人に・・・・署名をお願いし、、、、何かを感じてほしい・・・・と思っている。

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昨日今日を使って、私の企画しているマラニック「ほくえん旅ラン」の要項・申込書を作っていた。
全部で100通。

何回も何回も読み直し、これでもかと思ってみてもヤッパおかしいところは・・・ある。

今日は、去年買ったプリンターが大活躍をした。

便利なプリンターやパソコン、そんな電気製品に助けられ、なんとか完成した。

今、封筒詰めをして、1月12日の湖西連邦トレイルランの時に持って行けるばかりした。

その要項の一部。

今年は、5年前から私のボランティア「静岡県骨髄バンクを推進する会」の活動の一つ「リレー・フォー・ライフ静岡」のときにいっしょに走らないか?
との連絡も入れた。

リレー・フォー・ライフ(ウィキペディア)↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95

がん協会が行うチャリティーイベント。

世の中には、様々な人がいる。
考え方もソレゾレだ。

今年も、自分に出来ることを自分なりに楽しく行っていこうと思っている。

自分のお小遣いの続く範囲で。

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この本を読み、次は映画を観に行こうと思う。

太平洋戦争、
たくさんのYouTbeでの動画を観た。

その中の一つ
特攻

悲しい過去がある。
この戦争で、多くの若い人が亡くなった。

多くの犠牲の中に、今の世がある。

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今日は、毎年恒例の初詣ラン。

新城運動公園から設楽町の田峰観音まで行く往復42KM だ。
 
田峰は三河山間部、寒狭川が蛇行する谷の中腹にある集落、
北設楽郡設楽町と新城市との境にある小さな集落です。
田峰城と田峰観音YouTube
 
新城運動公園を8時30分出発。

国道257号を北上していく。

一緒にサポートの車が着いてきてくれ、簡単な給水・給食がある。
ありがたいことだ。

日陰では寒いが、日が当たるところに出ると暖かなジョギング日和だ。

トンネルを抜け右折して、田峰に上る激坂がある。
この坂を上りきると、田峰の集落がある。
初詣に来た車なのか渋滞だ。

観音様にお参りをする。
今年一良い年でありますように。

甘酒をいただき、五平餅を買おうと思ていたら・・・・・もう売り切れみたい。

休憩が終わり、帰りになると、みんな一目散に帰っていくではないか。
帰りは、伊那街道(県道389号)長い暗いトンネルの中心細かった。

山びこの丘に着いたら、仲間が待っていた。

新城運動公園が近づくと皆のペースが速くなる。

公園内の遊具施設の激坂で、○川さんに抜かれ彼の背中を見ながらゴールした。
14時28分

ゴール後、振り返り頭を下げた、今走ってきた道に敬意を払うためだ。
大変で苦しかったけど・・・・・ありがとう。

今年、次のマラニックは「湖西連峰トレイルラン」だ。

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神風特攻隊、昔、私も父親から聞いていて知ってはいたが、、、、。

この話は、今を生きる若い姉弟が、自分のほんとうの祖父が特攻隊で戦争で亡くなったことを知り、その祖父のことを当時の戦友に聴きに行く、そして祖父の実像を調べ始めた。
そして、始その姉はジャーナリストとして、この話を基にライターとしての自分を磨きたいとの思いもあった。

その若い姉は、特攻隊のことを「テロリスト」と言った。
「彼らのしたことはニューヨークの貿易センタービルに突っ込んだ人たちと同じ」とも。

私は違う・・・と思った。
が、今の若者には、生まれたときから平和な便利な世の中しか知らない人にはそのように写るのかもしれないとも思った。

そして話は、戦友の話から太平洋戦争の話になっていく。

祖父の戦友から聴いた、祖父の当時26歳のころの話から解ってきた祖父の実像、若い姉弟の考え方が少しずつ変わっていく。

教科書には載っていない太平洋戦争の話。

53歳の私は、高度成長時代に生きた。
小学生のころは、年々便利な世の中なっていった。
そして、村を捨て、町に出てきて、もっともっと、と便利を追い続けてきた。

そんな時代を追いかけてきて、忘れた物があった。

「永遠の0」は太平洋戦争を生きた人の物語は、そんな今を生きる人々に忘れ物を思い出してくれる物語だった。

それは、親への感謝であり、妻への愛情であり、子供への孫への希望でもあった。

百田尚樹の「永遠の0」を読み終わったころ、時計を見たら、、もう時計は12時を過ぎていた。

感動することは、心のビタミンだ。
次は、サンストに映画を見に行こう。

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走ることで、ウルトラマラソンを参加することで、出会った人がいる。

そんな人とのつながりがfacebookで、今もつながっている。

今年、人間力を学ぶ雑誌「致知」に出合った。

人とのつながりを大切にして、今を生きる。

今日のfacebookで、中村文昭さんの言葉が紹介されていた。

10回失敗したほうがおもしれぇ
少々の失敗では傷つかない

この人の名前で検索した、YouTUbeの動画がヒットした。

お金ではなく、人のご縁ででっかく生きろ

やれない理由を並べるのではなく、できるように努力をしよう。

今年一年、色々な出会いがあった。

facebookで出会った言葉、走ることで出会った人たち。

来年も、色々なご縁を大事にして、楽しくい暮らしたいものだ。

ここ佐久間で。

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今年最後の忘年会は・・・・佐久間中学校を1975年に卒業した人の忘年会だった。

当時の佐久間中学校の同級生は3クラス120名くらいの同級生がいたのだが、今はそんな同級生も佐久間に住んでいる人は数少なくなってきた。

今回の同窓会、地元に住んでいる人、地元に親がいるので帰ってきた人、9名での忘年会。

場所は、地元で寿司屋を経営いる同級生の店「江戸芝」
会費は5千円

それにしても、同級生での飲み会は楽しいものだ。

同じ時代を生きてきた仲間の話に、自分の脳裏にもその時代の思い出が甦ってくる。


来年の夏、8月23日(土)には浜松のホテルコンコルドで同窓会がある。
浜松市で準備しているみなさん、宜しくお願いします。
たくさんの同級生が集まるといいですネ。

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今日は、佐久間中学校を1975年に卒業した人の忘年会だ。

本当は、今年のこの忘年会、たまたま職場に来たマキノと相談して・・・「今年は忙しいからやめよう!!」
と決まったのだが。

今日の宴会場である「江戸芝」の同級生 イチロウが。、
「今年の同窓会、リュウジが楽しみにしてる、・・・・だがや!」
とか言われ、
そのリュウジに電話して相談して、今日に決まったというわけだ。

そして、私のスマートフォンに登録してある同級生のメールアドレスに送信。
「早いもので今年も後わずか、そこで、、、。今年も、その同級生での忘年会をやらまいか、という連絡です。」

久しぶりに送信した同級生へのメール。

着信拒否やReturned mailなどもありましたが、今回、9名集まりました。

忘年会は18時から。
そろそろ江戸芝に行かなければ。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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