facebookの友達に森弘(モリヒロム)さんがいる。
和歌山市出身で川崎市在住で、39歳。
約10年ホテルの店舗開発を担い、地域住民や自治体の担当者と意見を交わすうちに「地域興しにつながる起業がしたい」と思うようになり。
ランニングが趣味の森さんは「地域振興のヒントを探す」をテーマにゆっくり走って日本縦断されているそうだ。
佐久間町が合併したとき、長野県の南信州(遠山郷)で「チャレンジマラニックin遠山郷」が始まった。
飯田市に合併した遠山郷は、山奥の里だ。
そこに、渓流釣りを趣味にしている都会の人来て、村人とふれあい、ここを何とかしたいと。
と始まった「チャレンジマラニックin遠山郷」
その、マラニックの仕掛け人の一人に最勝寺さんがいた。
彼が書いた雑誌の一ページに、マラニックで地域活性ができないか、そんな思いが書いてあった。
森弘さんとfacebookで知り合い。
その森さんが、鹿児島で、最勝寺さんと出会い、地域活性のことを語り合っている。
私は、
「チャレンジマラニックin遠山郷」
を走り、自分の住んでいる「ほくえん」でもマラニックをと、数年前から企画するようになった。
地域活性・マラニック。
走ることで、これからの地域のあり方が分かってくるのかもしれない。
今年1月15日から放送の「明日、ママがいない」のドラマにたいして「預けられた子どもを傷つけ、精神的な虐待、人権侵害になる」と批判した。
養護施設の描写にも「職員が子どもに暴言を吐き、泣くことを強要するなど現実と懸け離れたシーンが多すぎ、誤解や偏見、差別を与える」と指摘した。
事の騒動は、下の動画で解るかと思う。
色々な立場、その他での意見がある。
テレビ関係者では、こんなので放送中止なら何もできない・・・とか。
第2話(22日)は13・5%と微減。その後もスポンサー離れが進み、番組提供スポンサー全8社がCMを見合わせる異常事態で放送された。
私は、そのドラマを観なかったが、CMが日本広告機構のばかりだったそうだ。
色々賛否両論があるこのドラマ「明日、ママがいない」これからどの様な展開になっていくのだろうか?
家に帰ると、天龍村教育委員会からの茶封筒がポストに入っていた。
中には
第46回天龍村梅花駅伝の御案内と大会運営への徹底についてと書いてあり。
A4の用紙が6枚入っていた。
佐久間駅伝と比べ、大変厳しい規則になっている。
その内容を一部抜粋する。
★選手変更は2月12日(水)正午までとし、以後は欠員した区間に補欠が充当されるのみとする。
★当日受付で新たな選手の登録及び変更は一切受け付けません。
★毎年、チーム応援と思われる車両が駅伝中に通行しますが、監視を厳しく行い、ポイントを数カ所設け、車両ナンバー確認し、再度そのナンバーの車両が大会中に通行した場合は運転手から事情を聞き、チーム関係者等だった場合は、そのチームは棄権扱いとし、来年以降も参加は認めません。
★輸送バスの乗車については必ず時間に所定のバスに乗るようにチームで責任を持ってお願いします。乗り遅れや乗り間違い等があっても主催者側では一切責任終えません。
こんな、感じだ。
・・・・・キビシ~。
選手名簿は天龍村のホームページに記載。
↓このようにネットで確認できる。
http://www.vill-tenryu.jp/image/46entry26.01.27%20.pdf
佐久間駅伝に参考になることが沢山詰まった梅花駅伝なのである。
天龍村ホームページ
http://www.vill-tenryu.jp/
1月24日(金)に佐久間駅伝でのボランティアでの仕事の打ち合わせ会があり、駅伝の当日の役割分担の話し合いをした。
今回、選手移動バスでの添乗係が変わったので、その係りの人への説明が大変だったみたいだ。
それと、・・・・・トン汁を廃止した件で、話し合いがあった。
私たち佐久間体育協会の人には何も知らせがなく、地域の人に言われ始めて分かった状態だったことを話した。
NPOの女性活動委員会でも「予算がないのならNPOの方でやろうか」との話し合いもあったことも。
昔、私が勤めていた職場でビジネスマナーの「ホウレンソウ」のことを上司が言っていた。
「報告」「連絡」「相談」のことだ。
をただ伝えるだけでなく、相手に理解してもらうことが肝心です。とも。
しかし、もう時は遅し、、、このように進めるしかない(トン汁が無いまま)
そして迎えた、1月26日(日)第41回天竜区佐久間駅伝大会。
「ただいまから、第41回天竜区佐久間駅伝大会の開会式を始めます。参加チームの皆さん、並び大会関係者は駐車場へお集まりください」
<会式のことば><部長あいさつ><来賓紹介>と続き、
次に前回大会優勝チーム「佐久間地域在住在勤の部」選手宣誓だ。
「宣誓、私たち選手は走ってり終わって楽しみにしているトン汁が無いこにもめげず頑張って走りきることを誓います」
そんな内容の宣誓だった。
心配だった天気も快晴に恵まれ、順調に駅伝大会は終わった。
そして閉会式。
そこでの天竜区駅伝大会等実行委員会佐久間地域支部会部長のあいさつが、心に響いた。
「ホウレンソウ」報告・連絡・相談。
大事なことだ。
この記事に関係するブログ
2014/01/08佐久間駅伝が・・・・危ない。
2014/01/15佐久間駅伝が・・・危ない(その2)
私の住んでいる地区では民生委員がいるが、隣の地区では・・・・今、民生委員が不在だそうだ。
ウィキペディアから。
民生委員
私の職場で、水窪から非常勤で働いている人がいる。そのひとから聞いた話。
鳥○:「来年度、地域の区長をやるようになるかもしれない、今の仕事も来年は続けられないかも」
齢を重ねてくると、田舎の付き合いで、様々な役をやるようになり、仕事どころではなくなってくる。
そこで、水窪の民生委員の話を聞いてみた。
鳥○さんの地域では、民生委員の人は、今○さんが名誉職として続けてきたそうだ。
しかしその今○さんは、病気になり、民生委員を続けていけなくなった時に、あとをやってくれる人を頼み亡くなっていったそうだ。
今○さんの病気は癌だったそうだ。
そんな、話を聴いた。
殺伐とした世の中だが 、田舎には水窪には、このような熱い人がまだまだいるのだと思った。
田舎のチョットいい話。
私の住む地域で言うと、100件近くの半場自治区がある。そこは12班ある。
区には区長、班には班長、私は班長をやったことがある。
私は10班、24軒。
年度の初めに、班費を集めたり、お祭りになると寄付を集めたり、月に幾度となく回覧板の世話、なかなか忙しかった。
それが、区長にもなると、、、その忙しさはもっともっと大変だろう。
何年前だっただろうか、○下さんが区長の当時、家に行ったことがある。
回覧板が班ごとにまとめてあって段ボール箱がたくさんあった。
母親がお世話になっている特別養護老親ホーム(さくまの里)、ここでは保護者会というのがあり副会長をやらしてもらっている。
三年前の新年会の時だったっけ会長さんに言われ、酔った勢いで受けたような気がする(^^)
体育協会の役員の話は、佐久間の協働センターの新○さんが、私の職場に来て、その話が合った。
佐久間町が合併する前、佐久間の体協が中心となって、有志の人たちで静岡県市町村駅伝に参加した時、お世話になった○泉さんが病気だからと、私に話が来た。
その人は肺癌で、今、抗がん剤治療をしていると聞いた。
浦川の方面に走りに行った帰り、その○泉さんが、家に帰ってきて孫を抱いているのを見た。
そして、私はその写真をスマホで撮影したのを覚えている。
○泉さんに出会ったのはそれが最後となった。
佐久間町時代、体協の役員の人と、みんなで静岡県の県庁に行き挑戦した静岡県市町村駅伝、、、私にとっては忘れられない思い出だ。
明日は、佐久間駅伝がある。
佐久間に住む人が41年前に、城西村・山香村・佐久間村・浦川町が合併してできた佐久間町をタスキで繋げようとした駅伝が。
今回、予算の関係でトン汁が出なくなった、その話が佐久間協働センターの担当の人との話の行き違いで体協にその話が伝わらなかった。
パソコンやネットでのSNS、人と直接会わなくてもコミュニケーションをとれる時代なのかもしれないが、田舎での人との付き合い。
大変と思うときもあるが・・・・・自分なりに楽しんでいる。
佐久間町が浜松市に合併して、今年で10年になる。
NPOがんばらまいか佐久間も・・・・もう10年たったことになる。
NPOを立ち上げた当時の理事(○平さん)は亡くなり、今の理事は(○田さん)になった。
NPOの広報を書いていた佐久間町時代の議員だった(○橋さん)は、私たちが広報委員の集まりに行ったときに、事務局の○村さんが
「○橋さんは、家庭の都合で今日からNPOに来なくなりました」
と・・・・・。
去年の11月14日に
書いたブログ
備忘録なう。
10年携わってきた、NPOを見ていて、、、、思う。
これから、どうなっていくのか?
先日、広報委員会で2月に発行するNPO広報誌の編集後記を読んだ。
東京から来た○村さんは、まだまだここ佐久間で頑張りたいとの思いがあるようだ。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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