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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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佐久間の拠点「協働センター」 浜松市が移転検討
2015年11月11日
静岡新聞アットエスの記事だ。

如何して移転しなければならないのか?
記事では
市は協働センターの位置が地域の医療・福祉関連施設と離れていることを踏まえ、窓口のワンストップ化による利便性向上を狙って移転の検討に着手した。
と書いてある。
窓口にワンストップ化(行政サービスを一 つの窓口で受け付け提供する)

本当に行政サービスの効率だけだろうか?

地域で囁かれている噂では
旧佐久間町時代の、あまりにも巨大な庁舎。
当時100人以上の職員が居た。
今、合併で職員は減り、巨大すぎ光熱費の効率が悪すぎることからの移転だと言われている。
いわゆるもったいないから。

佐久間地域は佐久間・中部・半場とある。
私が半場に越したころ
佐久間には中学校
半場には小学校
中部には高校
があった。

平成の合併があり。
佐久間にあった中学校が閉校になり。
今年いっぱいで佐久間にあった協働センターが中部に移動するという。
過疎の町には大きすぎる建物、光熱費がもったいないから。
 
残った建物に
遠州中央農協佐久間支店がある。
農協は民間企業だ。

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佐久間中学校時代の同級生が、オーストラリアのメルボルンに暮している。
そんな彼女から、今日お菓子が届いた(^O^)

ありがたいことです。

その同級生は
佐久間中学校時代、接点は少ない人でした。
彼女は成績上位で、背も高く、遠い存在でした。

私が横吹(斜面集落)から今暮している半場に越してきて、
隣の家が、彼女の実家でした。

何も知らない私は
近所のうわさで、その家の娘はオーストラリアで暮らしていると聞いていました。
流石、佐久間は違う、横吹と全く違う、そう思った。
町だナ~っと。


私が半場に越して次の年、その隣の家の奥さん突然、亡くなり
近所の人が集まって葬儀の話の時に

オーストラリアから急遽帰ってきた、オーストラリアに住んでいるという、その娘さんが電話で流暢な英語で話していました。
横吹では聴いたことのない言葉、佐久間中学校での英語の先生が発音するのとはゼンゼン違いました(^0_0^)

そんな女の人が、近所の人に挨拶をするため、集まった人たちの前に顔を出した時
あっ~。
同級生だとビックリした、そんな思い出があります。

彼女は成績上位で、背も高く、遠い存在でした。
そんな人でしたが
バカで成績下位の私の事を覚えていてくれ、嬉しかった(^0_0^)

彼女との思い出は
私のブログ
電子メール
メルボルン在住の同級生
で保存してある。

佐久間町が浜松市になり、これから益々佐久間町は過疎になる。
だから5年に一回くらいは佐久間町で楽しく同窓会を行おうと始まった
佐久間中学校同窓会
そんな、同窓会も55歳からは浜松市内での開催になった。
そんな淋しさから。
去年から勝手に同窓会「今宵もはじまりました(^.^)/~~~in佐久間」を浦川キャンプ場でやり始めた。

今宵もはじまりました(^.^)/~~~in佐久間(昔のワル)

その時に、このお菓子持っていこうと思っている。
いつか、浦川キャンプ場で飲もうゼ。
オーストラリア メルボルンの仁美ちゃん(*^^)v
byしんしん

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今年の
佐久間しし鍋マラニック
走り終わって、走る仲間でしし鍋を囲んで懇親会。
その次の日、湯谷温泉のゆ~ゆアリーナ駐車場に集合し
三河地方をマラニックしようとの計画だった。

静岡市方面から来た走る仲間が飯田線で帰るというので
お見送りに一緒に湯谷温泉駅まで行くと
朝市をやっていた。

その朝市の人から聞き
今回のダモンデトレイルを知ったのだった。

場所は愛知県民の森

最初
3時間耐久?三時間も同じところを走って、何が面白いの?
そんな風に感じたが、
何事も経験。
RUNNETから【ソロ】5,500円を入金した。

昨日は、その初めての三時間耐久レースに参加、FBの友達との待ち合わせの場所に行った。
大会の様子は動画を見てね↓


新城市スポーツツーリズム推進実行委員会
新城市長篠1-12鳳来開発センター
                     〔後援〕新城市・新城市教育委員会・新城市観光協会
〔協力〕愛知県民の森・湯谷温泉発展会
参加名簿の背表紙に書いたあった。

鳳来町は平成の合併で、新城市になった。

湯谷温泉も昔のような活気は無くなった。

ダモンデ、今は何をすればいいのか?

その一つが
ダモンデトレイル
なのだろうな~。

佐久間町は平成の合併で浜松市になった。
浜松市も過疎の山奥の公共施設を少なくしていくばかりだ。
観光トイレもいくつつぶしたことだろう。
3年前、佐久間町に当時29歳の応援隊がやって来たときも
「自分の息子も帰ってこんっていうに、よくこんなところに来たな~」
そんな言葉が、平気で出るところとなった。

去年の春
私が暮らす半場を越していく人の最後の言葉
「佐久間はいずれ無くなる、東栄町も今は頑張っているが無くなっていく」
よく言ったな~。
本当の事かもしれない・・・けど。

12市町村が合併して新浜松市になって
超長距離走(ウルトラマラソン)を走る人と知り合って
北遠(佐久間・水窪・龍山)でも走るイベントできないかな~。
そう思い走り続けた平成の大合併から10年。

そんな時
新城市に合併した鳳来町の走るイベント
ダモンデトレイルを知った。走った。

ダモンデとはだからの事
三河地方や遠州の人たちも良く使う言葉だ。
関東などに暮らすようになった遠州人がダモンデと言葉の端端に出るのを指摘され
ダモンデ君とあだ名をつけられたひともいるという。

今回
ダモンデトレイルを知り
鳳来町の若い人たちの地域おこしを頑張る姿を見た。
過疎だから頑張らなければいけない。
浜松市の山奥(北遠)は鳳来町以上に過疎だ。
しかし、少ないけど若い人は居る
ダモンデ北遠でも

ダモンデトレイル

やりたい。
そう思った。
byしんしん

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今日は父親の
七回忌の法要だった。

佐久間・水窪スーパーマラニックの頃
父親は一回サポートとして竜頭山に来てくれて、山住神社で、私たち走る仲間と写真に入ったことがある。
 
今は良い思い出。

この世に生を受けて、今までの出来事が思い出となって過ぎ去って行く。
辛いことも楽しいことも。
今は良い思い出。

佐久間町が浜松市になって、父親が
「今度引っ越すなら浜北だゾ~」
そんなことを言った。

佐久間町は平成の合併で浜松市になり
浜松市の中の佐久間町での考え方になった。
そして、私の父親ほどの年齢の人が佐久間町を去るのが当たり前のような考え方になっていった。

時代は変わった、人の心さえも変わった。

自分の心も揺れている。

揺れながら10年ん後も20年後も、ここで走っているのだろうナ~。


佐久間・水窪スーパーマラニック

竜頭山スーパーマラニック
になり、距離も12km短くなった。

過去の思いでを振り返った
父親の七回忌の法要の一日だった。
byしんしん

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昨日、仕事が終わってからジョグ
佐久間協働センター付近を走っていると
農協で働いている人が二人歩いていた。
その中の一人の女性から声をかけられた。
たしか、この人は浦川の人だと思ったのだが・・・・・・?
もしかしたら佐久間の人
コープで買い物?

私はバカな質問をした。
「如何して歩いているの」
女性
「電車」

そうか~。
外で作業しているとき、同報無線で何回も放送していたっけナ~
 浜松市防災ホッとメール
でも何回も受信していた。
午後1時から佐久間ダムの放流が開始される見込みのため、河川内仮設道路を午前11時から通行
止めとしました。

今回、通行止めの時刻が錯綜し、たいへんご迷惑をお掛けしました。

なお、仮設道路の通行再開予定は現在未定です。
 

そうだったんだ~。
本当にバカなことを聞いてしまった。

新しい原田橋
着工は2016年10月を予定している。
4年で完成すると市からの説明があったような気がする。
同じ佐久間町に暮していても
原田橋を通勤の道として利用していた人たちは、佐久間ダムの放水のため仮設道路の通行止めを気にしながらの生活をしているのだ。

半世紀前、佐久間ダムができ、多くの人が佐久間にやってきた。
佐久間ダムができた佐久間村に城西村・山香村そして浦川町が合併して佐久間町ができた。
昭和の大合併だ。
そして平成の大合併、12市町村が合併して佐久間町は浜松市になった。
 

そんなことを考えながら峠道を走って行った。
羽ヶ庄のビューポイントから見える景色に癒された。
byしんしん

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この本は、フロイト、ユングと並ぶ「心理学の三大巨頭」アルフレッド・アドラー(アドラー心理学)を「青年と哲人対話編」という物語形式にまとめた一冊
「どうすれば人は幸せに生きることができるのか」という哲学的な問いに、きわめてシンプルかつ具体的な”答え”を掲示します。
この世界にひとつの真理とも言うべき、アドラーの思想を知って、あなたのこれからの人生はどう変わるのか?もしくは、何も変わらないのか・・・・・。
さ、青年と共に「扉」の先へと進みましょう。
第一夜
トラウマを否定せよ
第二夜
全ての悩みは対人関係
第三夜
他者の課題を切り捨てる
第四夜
世界の中心はどこにあるか
第五夜
「いま、ここを」真剣に生きる
 

今まだ、第二夜を読んでいる途中

人は皆、それぞれ大なり小なり悩みを持っている。
また、大したことのない悩みも、その人によっては考え方によっては重大の悩みと捉えてしまう。
ソクラテスもプラトンもみんな悩んで大きくなった。
悩んで悩んで、次のステップに踏み出そう。

読書は心の栄養だ。
ひとが肉体を養うために食物を食べるのと同じように
読書をして心に栄養補給をしなさい、と。

今日も寝る前に、少しでも読んでから寝るようにしなければ。

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手本は二宮金次郎~

手本は二宮金次郎~
手本は二宮金次郎~

戦前日本は、義務教育で二宮金次郎の唄をあたりまえのように唄っていた。


一 柴刈り繩なひ草鞋(わらぢ)をつくり、
    親の手を助(す)け弟(おとと)を世話し、
  兄弟仲よく孝行つくす、
    手本は二宮金次郎。

二 骨身を惜(をし)まず仕事をはげみ、
    夜なべ済まして手習(てならひ)読書、
  せはしい中にも撓(たゆ)まず学ぶ、
    手本は二宮金次郎。

三 家業大事に費(つひえ)をはぶき、
    少しの物をも粗末にせずに、
  遂には身を立て人をもすくふ、
    手本は二宮金次郎。
                                                   文部省唱歌から。

戦争に負け
GHQの戦後処理で、もう唄われなくなった。

詩を見ると、人として当たり前の内容だと思う。
が、今の日本人の考え方は変わった。

経済成長を成し遂げて、先進国の頂点に登りつめた日本人は変わり果てたような気がする。

そんな日本人の戦前の教育の一部、二宮尊徳の教えを少し考え、今回の萩田氏勉強会は始まった。

終身教授録
第9講「読書」

読書は心の栄養だ。
ひとが肉体を養うために食物を食べるのと同じように
読書をして心に栄養補給をしなさい、と。

また
人生の経験というものも心の食物といっていい
しかし、日々の経験は読書によって真の深さを容易に気づかせてくれる。

読書とは、それほど大切なものだ。

先日
青森の家内の実家近くの本屋で
 
われる
 勇気
という本を買った。
テレビの宣伝で
女性が他の女友達の誘いを断る。
そんな場面があり、この本の紹介があった。
私も同じ場面が多くある。
人に進められると断ることができない性格(八方美人)
限られた時間、多くの事は出来ない。
その様に思い、この本を買ったのだが。
内容はアドラーの心理学の話だ。
難しい。

アレフレッドアドラー名言集
http://matome.naver.jp/odai/2140490619738050701

その一つ
もっとも重要な問いは「どこから」ではなくて「どこへ」である
人生にはバックギヤは無い。前進あるのみ。
自分はこれから何処行くのだろう。
このまま不便きわまる佐久間でず~っと暮らしていくのだろうか?
つまらない。
それは自分がつまらなくしている。
楽しい人生。
 
来年も佐久間で
天竜川リバーサイドウルトラマラニック
ボラをやろうと思う。
byしんしん

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仕事に行く前に
昨日買ってきた野菜の苗を植えた。

ミニトマト二・大玉トマト・ピーマン・きゅうり・ナス・シシトウ。
今年は初めてミニカボチャ(坊ちゃん)も植えてみた。

だが
最近、野生のシカが群れを出して我が家の庭先に現れることがある。
せっかくの野菜を食われてしまいそうで心配だ。

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サポート(support )とは、支持(する)、支援(する)、援助(する)、補助(する)、扶養(する)、支持者、後援者、などの意味を持つ英単語。

ある製品のメーカーや販売店などが、その製品を購入した顧客に対して不具合の対応や使い方のアドバイスなどを行うことを「ユーザサポート」(user support)または「製品サポート」(product support)、あるいは単にサポートという。

ある製品が、特定の技術や機能、規格、仕様などに対応している(または、組み込まれている、利用できる)ことを「サポートする」「サポートしている」と表現することがある。また、他の特定の製品と組み合わせて利用できることを、その製品をサポートしている、ということがある。
IT用語辞典から。

サポートと言ってもパソコンのサポートではない。
天竜川の源流である諏訪湖から河口まで225㎞を自分の足で走ろうという
第一回天竜川リバーサイドウルトラ・マラニック
の、お手伝いをしたのだっだ。
コース上には自分が暮らしている佐久間町がある。
私は佐久間町生まれ佐久間町で育った。
(青春時代。湖西市で10年、新居町で3年暮らした)
この話を聞いたとき、多くのランナーが浜松市に合併した佐久間町という片隅の町にせっかく来てくれるのだから、オ・モ・テ・ナ・シをしようと思った。
 

色々考えた結果、
自分の暮らす半場近くでの場所に決定。
初めてのサポートで、多くの笑顔に出会うことができた(^O^)/
笑顔の動画、見てネ(^O^)/

諏訪湖からここまで160kmを走ってきた人の笑顔。
まさに地上の星

佐久間町は日本の高度成長時代に向かっていく電気をエネルギーにして豊かな社会を築くための源となった地域だ。
佐久間村だったころ
佐久間ダムができた。、
昭和の大合併で近くの町村(浦川町・城西村・山香村)がくっつき佐久間町となった歴史を持つ。

そして、その佐久間町は
平成の大合併で大きな行政区浜松市になったのだ。
その浜松市は政令指定都市になった、佐久間町は天竜区佐久間町になった。

いくら行政区が変わろうとも、私が暮らす佐久間町は天竜川の畔にある。
天竜川の源流「諏訪湖」から160㎞地点。
太平洋、天竜川の河口まで約65㎞地点。

今回、初めてのサポートということで、多くのランナーと言葉を交わした。
感動は人を変える。
いは人を潤す。
は人を豊かにする。
そして、感動し、笑い、
夢を抱くことができるのは
人間だけである。
人として、この世に生まれ。
今できることを行っていきたい、と。
思った。
感動い、多くのをもらった
天竜川リバーサイドウルトラ・マラニック
に、感謝の一日だった。
byしんしん

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3月の下旬。
アマゾンで注文したオカリナがやってきた。
YouTubeで本島さんの動画を見つけ感動した。
縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます~。

佐久間町は佐久間ダム建設で栄えた町だ。
そんな町は平成の大合併で、浜松市という大きな行政区に吸収された。
佐久間町で佐久間町という行政に携わっていた人、そんな人達が、合併を気により便利な都会へと出ていく。

私の嫁さんは六ケ所村で育った。
初めて六ケ所村に行ったときは、何もない寂しい村だった。
それが、原発を誘致してから村が変わった。
縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます~。

どんな所に暮らそうとも、それぞれその人が選んだ道なのだ。
自分の道を進んでいこう。

動画です

 

縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます~。

音痴な自分
上手にオカリナを吹く日が来るのだろうか(≧▽≦)
byしんしん

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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