6月13日は「いいみょうがの日」。1年を通じて栽培が盛んな「高知県産のみょうが」をより広くPRするために、ミョウガの全国1位の産地である高知県の高知県園芸農業協同組合連合会が制定し、日本記念日協会が認定した。
日付は、「いい1みょうが3」という語呂合わせから、6月13日とした。
ミョウガを食べると「物忘れがする」「バカになる」・・・とか。
これは全くの迷信。
どうして、そんなことを言われるようになったのか?
それは、お釈迦様の弟子の周梨槃特(しゅりはんとく)という人物に由来している。
この周梨槃特は、双子で、摩訶槃特(まかはんとく)という兄がいた。
兄の摩訶槃特は、とても賢く、お釈迦差様の教えをすぐに理解できた。
しかし、弟の周梨槃特は、自分の名前も忘れてしまうほどの愚かな者だった。
こんな弟に兄は、お釈迦様の弟子にはなれないのだから、家に帰るようにすすめる。
ところが、弟は、お釈迦様のそばにいたかったのです。
弟は、お釈迦様に愚かな自分のことをすべて話した。
すると、お釈迦様は、1本のホウキを渡して…
「塵をはらい、垢をのぞかん…この言葉を思いながら一生懸命に掃除を続けなさい。」とだけ教えた。
それから、雨の日も風の強い日も毎日毎日一生懸命に掃除を続けた。
いつしか周梨槃特は、『自分の心の塵をはらってみがいていくこと。そうすれば自分の心にたまった欲という垢をとりのぞけるのだ。それが大切なことなのだ…』と気づく。
お釈迦様は、「たとえ愚かであっても自分が愚かであると知ることは、自分のことを賢いと思いこんでいる愚かな人より、本当の賢い人なのだ」と言って、周梨槃特(しゅりはんとく)の心をほめた。
周梨槃特は、お釈迦様の教えがわかる本当の賢い人となった。
人は誰でも、「愚か」と思われるより「賢い」と思われたいものである。
学校の成績が良くなりたいと思うし、社会に出て出世したいとも思う。損をするよりは、得をして暮らしたいと願う。
そのために努力することは大切だと思う。確かに欲なのかも知れない。
ただ、自分以外の「何か」や「誰か」と比べることの愚かさや、他人を否定することはあってはならないだろう。
これが茗荷の逸話であり、周梨槃特(しゅりはんとく)は、のちに茗荷和尚と呼ばれるようになった。
夏の暑い時期にそうめんの薬味としての茗荷は格別である。脇役として存在感がある。
亡くなった周梨槃特の墓にいくと、見慣れない草が生えていた・・・それが今に伝わる茗荷である。
hiroのお部屋さんんから引用
今朝のテレビ朝日『グッド!モーニング』の『林先生のことば検定』での情報。
愚か者の自分、これからの生き方の参考になった。
脇役でもチョットした存在感があること、
ひとつのことに一生懸命に生きること(^O^)/
道の駅遠山郷、そこにある温泉「かぐらの湯」に着いたのがお昼。
そこで温泉につかり、ビールを飲み、休憩室で仮眠して、遠山郷を16時に出発するバスに乗って帰ろうと思っていたが、
15時には目が覚めたので、平岡の駅まで10㎞歩き走りをしようと、遠山を後にした。
平岡駅に着いたのが14時半。
平岡駅にはふれあいステーション「龍泉閣」がありその施設の中に温泉「龍泉の湯」がある。
月曜日の夕方、16時半。
二回目の温泉。
誰も入っていないかと思っていたら、先客が一人、居た。
お風呂セット持参の先客なので、地元の人ではないかと尋ねてみた。
私:「地元の人ですか」
先客:「地元ではない、工事の仕事で来ている」
私:「県道1号線、天竜川沿いの道路かな」
先客:「そう、その仕事も終わり次は静岡市に行く」
私:「その道路、県道1号線の道路、開通予定は」
先客:「詳しくは分らないが、今年中には片側通行出来るようにしたいみたいだ」
私:「そか~」・・・来年のリバーサイドは迂回路ではなくなるゾ~。
先客:「あんたは何処から」
私:「佐久間町から走ってきた。約52㎞」
先客:「・・・、何歳」
私:「57歳」
先客:「健康的でイイネ~」
私:「あんたの齢は」
先客:「41歳」
私:「家族は」
先客:「独身」
高知県出身だという、その彼は、今の仕事につき色々なところの現場をまわて今、ココ平岡の現場にいる。
静かで、こういうところの方が落ち着いていい場所だと言っていた。
温泉があるから最高だ。
とも言っていた。
兄貴が結婚して、孫を親に見せた時、親が本当にうれしそうな顔をしていた。
とも、言っていた。
先客:「お孫さんは、いますか」
私:「いるにはいるが、たまにしか会うことができない」
高知県出身だという、その先客は。
言葉数の少ない二枚目のいい男。偶然に温泉で出会った。
そして少しの会話をした。
二人の老人が浴槽に入ってきた。
その先客は「お先に」と出ていった。
高知県出身の先客、その後ろ姿に、私は坂本竜馬の生まれかわりと出会ったように感じた。
55㎞地点、西渡(にしど)八丁坂から
90㎞地点、遠山郷までを試走してみた。
八丁坂のところが草で道が分らない状態。路も掃除していなくランゴクナイ状態。。。
青崩峠、信州側は塩の道ウォーキングの影響だろうか整備が進んでいた。
遠山郷に入って、いろりの宿「島畑」に寄ってみた。
が、あいにく主人は居なかった。
ポストに参加名簿を入れ、6月24日(土)
宜しくお願いします。と書いて投函してきた。
遠山郷の商店街に入るところのトンネル、今日行ったら開通していた。
遠山郷は訪れるたびに新しい道ができていると感じた。
家から西渡まで
7㎞
西渡から遠山郷まで
35㎞
遠山郷から平岡駅まで
10㎞
本日の走行距離
52㎞
今回
第三回目になりました。
今宵もはじまりました(^O^)/~~~in佐久間
そんな飲み会は
去年より2名増え、今回は9名の参加。
女子が居なかったのがチョット寂しい。。。
写真は去年の
もっと残念だったのが、デジカメを持っていくのを忘れた事。。。
ダモンデ、今年は集合写真が無い。
参加者の中に水窪の人がいた。
FBでは繋がりがありコメント送ったり返したりの仲だった。
今回、酒飲んで話すのは初めて、毒舌の話は新鮮だった。
昨日は酒飲んで、かなりヘベレケだったけど、そんな仲間の話した内容が衝撃だったから、思い出しながらここに残しておこうと思う。
「佐久間の奴はバカだワイヤ!」
「中高一貫なんて調子のよい言葉にだまされて」
「みてみ~。分校になって今に廃校になって県立の高校が無くなったら、どうするダイヤ!」
「中学生はどこ行くダ~」
「浜松市が、こんなでっかい建物、買わすかいや」
「佐久間は子供たちの落としどころを考えっこないやってるでダメだゾ~」
まさに目から鱗だった。
たしかにその通り。
私も当時を振り返り。中高一貫なんてことは対症療法でしかないと思っていた。
頭が痛いのに、その原因を見つけづに痛み止めだけで治療した、そんなもんだ。
そんな根本の治療を起こったって患者(町)は、やがて死が迫って来るのだ。
ガビ~ン( ノД`)
龍山の浜松市立の中小学校も、ネットや他の人の話では浜松市から廃校を進めたのではないという。
保護者の方と市側が話し合いを重ね、苦渋の選択で廃校になったと聞く。
地域住民は「学校が無くなると地域が無くなる」と反対しても、保護者は「少ない人数での教育は子供の将来のために」と廃校への道に進む。
城西小学校も同じだと聞く。
「出てった人に帰ってきてもらうか?」そんな意見も出たという。
第1回 今宵もはじまりました(^-^)/~~~ni佐久間
第2回 今宵もはじまりました(^-^)/~~~ni佐久間
第3回 今宵もはじまりました(^-^)/~~~ni佐久間
観音寺が全国に起こした小さなブーム
今宵もはじまりました(^-^)/~~~
佐久間町は今、スナックも昼間ご飯を食べるところも何にも無い所になりました。
浦川キャンプ場では二次会に行ける場所があるけど佐久間には無い。
それでも空には満天の星空が輝いている。
来年も再来年も続けていこうと思っています。
この企画。
毎年この場所で、この日にまた、お会いしましょう。。。
宜しくネ~(^O^)/~~~
コース
西渡バス停→平和登山口→竜頭山頂→山住神社→向市場→水窪→城西→切開・横吹・立原・間庄・瀬戸・西渡→西渡バス停
約40㎞。
写真作成日時:2017年5月28日、7:17:18
天気は快晴、多くの仲間と共に今年も竜頭山(1351m)に向けて出発した。
登り始めて沢に掛かる橋を渡り、ダラダラとした上りがつづく。
スギ林の中をモクモクと歩く。
中間地点
青なぎにやっと着く
やれやれ。
写真作成日時:2017年5月28日、8:01:55
休憩もそこそこに上り始める。
途中
分岐あり。
杣小屋→頂上(少し急坂中級コース)左折がコースだが、kzukawaさんは遊歩道→頂上コースを選択した。
私たちは、杣小屋を通る沢を越えるコースで頂上を目指す。
ここまで来ると、杉山も終わり広葉樹の新緑の中の道となる。
遠く向こうに山頂の展望台も見えてくる。
山頂近くの展望台に到着
写真作成日時:2017年5月28日、9:26:12
富士山は見えなかったけど、なかなかの景色だった。
南側は浜松市街や浜名湖も一望できた。
素晴らしい景色だった。
少しの休憩を終え、山頂三角点に
そこで写真を撮り、ほうずき平に行く、が誰も居ない。
中央駐車場にいるのでなないかと、中央駐車場に移動。
エイド車発見!!
有難いことです。
山頂のオワシス(^O^)/
6月の夢街道90㎞
浜松駅から遠山郷までの90㎞
富士山一周100㎞のときにある人に
「どうして夢街道なのですか」
と聞かれたことがある。
この看板が原点。
7年前に、この看板を見て思った
そんな看板前で写真
山住神社までは11㎞
山住神社、恒例の鹿のモニュメント前で写真。
写真作成日時:2017年5月28日、12:19:33
山住神社を下ると、みさくぼ名水「山住の水」がある。
日本一おいしい水
眩しい新緑に囲まれてのマラニック。
途中。
トチノ木の大木があるという看板があり行くことにする。
山道を下っていく。
今まで20㎞ちかく走ってきた身体にはかなりシンドイ。
途中、その木だろうか大木があった。
よっぴー
その木の妖精になる(^O^)/
ウン。
立派な樹だ。
まだ路は下に続いている。
後ろから来たトモドウさんが
「まだ先だョ」
もう帰ろうとした仲間はシブシブ山道を下った。
沢だろうか水の流れる音が聞こえる。
そこに現れたのは、先ほどのトチノ木の2倍はあろうかと思えるほどのトチノ木の巨木が現れた。
幹回り 8.58m
樹 高 36.0m
推定樹齢 600年
下って来るのは大変だったけど、会えてよかった。
巨木のトチノ木。
下って来るのが大変だった坂道。
こんどは上り。
もっと大変。足が攣り始める。
水窪を目指し。
坂道を下る。
向市場についてアイスを買い、国道152号を城西方面に向かう。
切開(キイナマ)
から旧国道に、途中から島に地区に向かう村道に、横吹・立原・間庄・瀬戸と向かう。
私が、昔、暮らしていた集落。
横吹。
塩の道
を通て、八丁坂を下って
西渡バス停に到着。
朝、登った。
竜頭山(1351m)
を、西渡バス停からの橋の上から撮ってみた。
写真作成日:2017年5月28日、16:26:28
自然に囲まれた北遠(ほくえん)ココで生まれてここで暮らす。
ココで暮らせることに感謝し。
今回の
竜頭山スーパーマラニック2017
は幕を閉じた。
最後の集合写真。
水窪の山「黒法師岳」に登ってきたという仲間も加わっての写真となった。
走ること、マラニックをやることによって、多くの喜びも楽しみも知った。
多くの人に支えられてのマラニック、無事に終わることができホッとしている。
ありがとうございました。感謝。。。
今日は
毎月一回の修身教授録の読書会。
佐久間の街から
森町の三倉まで車で毎月通っている。
が、今日は佐久間で用事があったので、その読書会には参加できなかった。
その用事とは
特別雇用老人ホーム
さくまの里
の草刈り(庭木の手入れ)
今回は
修身教授録の読書会、
第19講「松陰先生の片鱗」
自分で一人で読んでみた。
吉田松陰(1830年~1859年)
江戸時代末期の志士、長州藩士、思想家、教育者、兵学者。明治維新の精神的指導者。
書では、森信三先生が山陰地方を回って萩に行き、遺跡を訪れ、多くの人に松陰先生の話を聴いたことが書かれていた。
松陰先生はたいへん優しい方だったと書いてあった。
吉田松陰
1830~59。長州藩出身。54年、下田沖の米・ペリー艦隊(黒船)に密航を企てて失敗し投獄された。出獄後は萩で松下村塾(しょうかそんじゅく)を開き、高杉晋作や伊藤博文、山県有朋ら維新の人材を多く育てた。日米修好通商条約に絡んで幕府を批判して再び投獄され、安政の大獄で死罪となった。
享年30歳(満29歳)
歴史があり今日の日本の繁栄がある。
ぐるっと富士山一周100㎞ウルトラ・マラニック
の40㎞付近に上九一色村はある。
いや、あった。
1995年 地下鉄サリン事件があり、オウム真理教が、サリン製造の拠点にと住んでいたところ、そこが上九一色村だった。
その上九一色村も
今は、写真にも書いてあるように、富士河口湖町になっている。
上九一色村
上九一色村(かみくいしきむら)は、山梨県西八代郡にあった村。2006年(平成18年)3月1日、北部の古関・梯地区が甲府市へ、南部の精進・本栖・富士ヶ嶺地区が南都留郡富士河口湖町にそれぞれ編入されるという、全国でも珍しい市町村合併を行った。後述のオウム真理教事件によって広く知られた村だった。
ウィキペディアから引用
富士山の裾野に広がる美しい上九一色村も、今はもう無くなってしまった。
甲府市と富士河口湖町になってしまった。
山梨県には、他にまだ新しい市が増えた。
珍市。。。
甲府市
甲斐市
中央市
山梨市
甲州市
なぞなぞと、我が市が一番と主張している市名が並ぶ。
おもしろいのが、南アルプス市・甲斐市・甲府市・中央市に囲まれた所にある昭和町。
小さな昭和町。そこにはパナソニックがあるという。
それぞれの地域が、平成の大合併時に知恵を絞って選択した結果の山梨県の合併後の地図なんだナ~。。。。
山梨県西八代郡上九一色村も住所は変わっても、雄大な富士山は直ぐそこにそびえている。
どんなに世相が変わっても、その山だけは昔のままで、あたたかく帰郷の人を迎えてくれる
。
どんなに世相が変わっても、信念を持って頑張っていこ~っと(^O^)/
しんしん
ウルトラ・マラニック
に参加してきた。
富士山は日本の山だ。
日本という小さな島国に独立峰としてそびえたつ。
綺麗な素晴らしい山、富士山。
そんな山を、静岡県裾野市須山にある游湯の郷「大野路」から時計回りにぐるっと一周100㎞するマラニックを企画している人がいる。
今年で五回目の参加。
一回目からその富士山は、このマラニックのときは顔を出してくれている。
有難いことです。
動画です(^^)/↓
車での帰り
マラニックで走りはじめた時、真っ暗で見えたかった。
富士こどもの国の入口からの写真
新東名・浜北インター・天竜と車で走って佐久間に帰ってきた。
来週は佐久間の山「竜頭山」に登る。
大切にしていきたい地元の・・・山
ゴールデンウィーク
天竜川リバーサイドウルトラマラニック
を走っているとき、一緒に走っている人と、何気ない話をしていると、
その人は東京の人だった。
5月14日(日)
東京 浅草へ遊びに行くと言うと
「浅草に行くのなら是非、蛇骨湯に行くといい」
「ちょっと変わった、おもしろい温泉ですョ」
と教えてくれた。
早速、行ってきた。
と言っても、お連れの方が3人いるので看板の前で写真を撮っただけなのだが。
妹の子供、姪がグーグルマップで案内をしてくれ辿り着いた。
下町情緒あふれるところの様だった。
妹親子と別れ
帰りは隅田川 沿いの遊歩道を歩いてアパホテルに帰った。
2017年5月13日(土)
嫁さんの実家、青森県でジョグ11㎞
久しぶりに裸足ラン
も、した。
400×2
2017年5月15日(月)
東京浅草のアパホテルに宿泊し、翌朝、隅田川沿いにある遊歩道を走る。
昨日は見えていたスカイツリーは上半分が雲の中。
2017年5月16日(火)
佐久間に帰ってきた。
何時ものコースを10㎞朝ラン
佐久間部品を一周して
Runtastic GPS ランニング&ウォーキング運動記録アプリ
をストップさせた。
思い起こせば
27年前、ここ佐久間に越してきた春。
会社の仲間に「佐久間駅伝を走らないか」と声をかけてもらい。
走り始めたのが佐久間部品の周り一周。
始があり終わりがある。
走り始めた自分があり。いま、走るということで今の自分の、生きている喜びを実感している。
次の日曜日は
ぐるっと富士山一周ウルトラマラニック
100㎞
今年はどんなふうに迎えてくれるのか、、、富士山。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
03 | 2025/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
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6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
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27 | 28 | 29 | 30 |