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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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土曜日、たつやま凸凹(春)試走が終わり、やすらぎの湯でマッタリと湯船につかっていたら、温泉の窓から見える斜面集落に見惚れていた自分がいた。
一緒に風呂に入っていた人が「夏秋」(なつあき)の人でお喋り。
窓から見える斜面集落は「大嶺」(おおみね)という斜面集落だ、そうだ。
今、国道152号線は崖崩れで秋葉ダムから通行止めだ。チャンス。。。
秋葉ダム横の狭いトンネルを走るチャンス。
今しかない、何時もは狭いトンネルにトラックが走り、すれちがいでヒヤヒヤする、今はトラックは通らない。
が、しかし

ウダウダと考えていたけど。
行ったことが無い所には行ってみたい。と思い、電子国土Webでコースを見てみた。
行こう
コース
やすらぎの湯→秋葉ダム→大嶺→夏秋→ハサカ山(横)→下里→不動滝→寺尾→ドラゴンママ(昼食)→瀬尻橋→下平山→やすらぎの湯
地図を片手に、スマホのマップ、これがあればなんとか行けるだろう。
朝、7時に出発、やすらぎの湯に8時着き、出発した。

トンネル

初めての「大峯」

夏秋で思わぬ出逢い。

見落としそうになった林道

不安になった林道を抜けた。

なんとか無事にゴールであるやすらぎの湯に着いた。
大変疲れた。

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な、なななんと。
崖崩れのタメ、国道152号線通行止め。
そのタメ、秋葉ダム東線が迂回路になってしまった。
03/12ブログ

最初、今年はやめよう、と思った。
が、こんな時だからこそやろう。と、思ってきた。
どんなもんか、本日 試走に行ってきた。

家を朝7時20分ごろ出発。
大輪の所を真っ直ぐに、上平山に上り下平山、渡辺バリケードの前を通てヘヤピンの所を真っ直ぐに行き戸倉に出る。
8時09分、やすらぎの湯から走り出した。
荘川桜は まだ蕾
モクレンは咲き始めていた。

秋葉ダムさくらマラソンのコースを北上して直ぐ、車が迂回で並んでいた。
車の横をすり抜け、警備員に挨拶をして、走り出す。
しばらくして直ぐ、下りの車がやってきた、兼松のトラックも、大型のトラックの運ちゃんはカリカリしていると思うので行き過ぎるのを立ち止まって待っていた。
せめてもの配所。

峰の沢橋を渡り、青谷ポケットパークでジャンバーを脱ぐ。
国道152号を北上、すぐのところを青谷の集落に上る。
不動滝に9時30分
滝を見て、しばし休憩。

寺尾の集落に10時。
たつやま凸凹(冬)の、ときにお邪魔した家は留守だった。
一番上の家まで行き、一気に瀬尻まで下る。
途中の河津サクラは満開だった。
瀬尻橋が見えてくる。
ドラゴンママでウドン。

渋滞を横目に、瀬尻橋を渡り、警備員の人に「左に行きます」と声をかけ、天竜川東岸を北上した。
7㎞くらいのところで上平山に登り始める。
ここからわウォーク。
茶園の綺麗な野牧さん
 
椎茸も収穫中だった。
下平山、渡辺バリケード横を歩き、下平山農村公園で休憩、峰の沢鉱山跡を見て、戸倉に下り、やすらぎの湯に14時30分に到着。。。


オマケ
下平山 峰の沢鉱山のアパート

なんか、すごいナ~っと感じた。

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国道152号線、またや通行止め。
 
写真は切開の時のです。

浜松市ホッとメール
国道152号線(天竜区龍山町瀬尻地内)におきまして、土砂崩落による全面通行止めを実地しております。
・通行止め区間
 雲名橋から瀬尻橋まで(約10㎞)
現時点において復旧の予定は未定です。
ご迷惑をおかけしますが、ご理解いただきますようお願いします。

先週の金曜日の午後、152号線通行止めの話が舞い込んだ。
土曜日に浜松に行く予定があると言うのに、なんてこったい。

土曜日、8時50分出発、瀬尻に着くと3台の車が警備員の指示で止まっていた。
しばらくすると、若い浜松市の職員が回って来た。土木課の職員だろうか?
「浜松市です。土砂崩れのタメ30分くらい、お待ちください」
わたしたちの車の窓ごしで立膝を突き、いかにもすまなそうに説明してくれた。
わたしは何も言わなかった。
ホッとメールで事情は分かっていたし、文句言ってもしょうがないし。

土砂崩れが、大雨の度に起きるもの大変だが、龍山は、迂回路がある。
合併前の龍山村の時代に村道をつくっていたのだ、瀬尻の村々に家々に道が付いている。
今思うと、助かっている。

国の道と書いて国道。
そんな国道が土砂崩れ。
県の道と書いて県道
国道が土砂崩れなので、県道を迂回路に使わせてもらう。
また、龍山村だったころ誘致した村の道を使わせてもらう。

なんてこったい。
そう思うけど、龍山村だった時代の道を利用させてもらうと考えたなら、ありがたく思う。

また、浜松市の土木課も丁寧に説明も大切だが、国道の維持管理を徹底してほしい、と、、、思った。

 

 

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目的は、とら兄の墓前に手を合わせること。

西浦田楽、長い長い伝統を受け継ぎ、別当での使命を果たした男。

そんな人に、私の人生の中で、少し出会うことができた、、、こと。

時代は変わっても、変わってはいけないこと変わらないようにしなければいけない事もある。

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人間の寿命がいつ尽きるかは、老若にかかわりなく、老人が先に死に、若者が後から死ぬとは限らないこと。人の生死は予測できないものだということ。▽人生の無常をいう仏教語。「不定」は一定しないこと、決まった法則や規則がないこと。「少」は若い意。
goo辞書から引用
 
先の勉強会で下さんが言っていた言葉「老少不定」若いからと長く生きるのではなく、年寄りだから老い先短い事はありません。
そんな下さんは、オリバー先生の父親と同い年だと言う。
  

「命のアサガオ永遠に」
光佑くんは小学校一年生でこの世を去った。

今の世を生きている人は、どの様に生きていくのか。
最高の人生
2016年3月、に書いたブログ。
三月になり、佐久間にも春の訪れが朝のランニングで感じられた。

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命のアサガオ永遠に
このような本に10年前に出会た。
それは、佐久間町がまだ、浜松市に吸収合併していなく単独で佐久間町という行政区だったころ。
静岡県市町村駅伝大会が行われていたとき、佐久間町は、その駅伝大会に参加していた。
それが、佐久間町が浜松市に合併すると決め、最後、静岡県市町村駅伝大会に参加できる年、佐久間町は静岡県市町村駅伝大会には参加しないと決めていた。
 
その年、他の北遠(佐久間町・龍山村・水窪町)も同じように静岡県市町村駅伝大会には参加しないと決めたいた。
佐久間町の役場でやらないなら、と。
そんなとき・・・・。
有志、が集まり、佐久間町で最後の静岡県市町村駅伝大会に参加しようと話が出て。話が進んで。ボランティアでの参加が決まった。
まずは資金集めから始まった。
町内の郵便局、農協の窓口に青竹で作った貯金箱を設置した。
その有志とは「佐久間町体育協会のメンバー」だった。
 
佐久間町最後の静岡県市町村駅伝大会が終わり。
その大会に参加したメンバーで「さくまRC」は結成された。
駅伝大会、マラソン大会に参加した。
10年前の春、早朝、いつものようにジョギングをしていたら、「さくまRC」のメンバーのひとりと出会い、こんな話を聴いた。
「○木さんが白血病になった」
その人はその年に浜名湖クオーターマラソンを走った人だ。
何故
 
その年、自分は、骨髄バンクを知り。
静岡県骨髄バンクを推進する会を知って。
そこの襷をかけてマラソン大会を走る骨髄バンクの広報をするボランティアを知った。
 
そして、先に書いた「命のアサガオ永遠に」を知って、丹後まみこさんの講演を聴いて、骨髄バンクをもっと世の中に知ってもらう活動に思いを馳せた。
賽の河原の石積み
昔、若くして、まだ小児で、亡くなる人が多かった。現在、医療は発達し助かる命がある。
今を生きるプレミアム世代。
プレミアム→オマケ
そのプレミアム世代が、オマケの時代をどう生きるかを、後を追いかけていく世代が見つめている。

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死んだ子供が行く所といわれる冥途(めいど)の三途(さんず)の川、賽の河原。ここで子供は父母の供養のために小石を積み上げて塔を作ろうとするが、絶えず鬼にくずされる。
そんな話からか、やっても意味のないこと、という感じで使われることがある。賽の河原の石積み。
やっても意味のないことの例えとして使われる言葉になった。と言う。
「ひとつ積んでは父ののタメ。ふたつ積んでは母のタメ。」

この話には、つづきがある。
最後に、地蔵菩薩が現れて,今日より後はわれを冥途の親と思え,と抱きあげて救うようすがうたわれている。 そうだ。

いっけん意味の無いようなことが、続けて行っていると、人々の心を引き寄せる。

今日の夕方、いつものように、佐久間ダムまでランニング。
電力館に行ってダムカード。
 
走るという行為、フルマラソンを走りたく、走り込みをする。
目標があり、その目標を達成するために走り込む。
最初、フルマラソンを走りたくて走っていた自分が、いつも走ることによて走ることがライフラークになってくる。
 

走ることを続ける。賽の河原の石積み のように。
いっけん意味のないことのように思うことも、続けることによって何かを得ることができる。

走ることによって、得た者は、ラン友。。。

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佐久間しし鍋マラニック
だった。

10年くらい前かナ。
知り合いから
「佐久間に豊川の走る仲間が家を買ったので、そこで何かやろう。ログハウスもあるよ」
といわれて始まった。このマラニック。


去年までは、
中部天竜駅→西渡(八丁坂)→横吹→切開→城西→野田→ホウジ峠(昼飯)→中部天竜駅
だったが、今年は
城西から水窪に行き向市場の粒食いしもとで昼飯とすることにした。


10名の走る仲間が日曜朝10時に、中部天竜駅横の浜松市営駐車場に集まった。
 
遠くは横浜から。もっと遠くはアメリカから。


中部天竜~水窪まで21㎞


何を感じ走るのか。
それはひとそれぞれ感じるものは違う。

わたしは八丁坂から登って峠を越え瀬戸から見える景色が好きだ。
竜頭山が見え、鮎釣や和泉の村が見える。

そして、そこから塩の道を進むと、間庄・立原と続く。次の村が「横吹」わたしの故郷だ。
小学校の当時、20軒いじょうあった家が今は4軒。


島の村から国道に出て、その国道を北上、城西小学校は今年度で廃校になった。


ゴールは水窪向市場の粒食いしもと、過疎で寂しい気持ちもあるが、心に太陽を持って進んで行こう。

最後に坂村真民の詩
後から来る者のために

 『 あとから来る者のために

 田畑を耕し 種を用意しておくのだ

 山を 川を 海を きれいにしておくのだ

 ああ あとから来るの者のために

 苦労をし 我慢をし みなそれぞれの力を傾けるのだ

 あとからあとから続いてくる あの可愛い者たちのために

 みなそれぞれ自分にできる なにかをしてゆくのだ 』

後から来る者のために

みなそれぞれが同じように思ったなら、地域は変わる。

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山草人さんの
ローな気分で 生きてたら
を読んだ。
 
萩田さんと出会い。萩田さんのマラニックに参加する様になり。多くの人に出会った。
景気の良い時代が終わり、平成の合併があり、中山間地の町からは人が出ていくようになった。
 
萩田さんのマラニックでは走り終わってから希望者で懇親会がある。
そんな時、出会った人に山草人さんが居た。
萩田さんの話では
「自費出版した人、自分で本を書いた人」
そんな感じで紹介してもらた。
 
本を読む習慣がなかった自分は
「ふ~ん」
と、だけしか感じなかった。
凄い人だとは思ったが、自分とはかけはなれた人だとだけ感じていた。
そんな10年前の思い出。
 
それが最近、本を読みだし、佐久間図書館にも行くようになり、10年前に聴いた「スローな気分で生きてみたら」という本を検索してもらったら、有った。
早々予約して取り寄せてもらって、読んでみた。
 
「スローな気分で生きてみたら」
団塊の世代の山草人さんはガツガツせかせかとひたすら走ってきた。それが、その時代のキーワード「スローライフ」に焦点を当て書き始めている。
①スローライフ
②時代の歩みを見つめる
③お茶の世界を垣間見る
④ビジネス農業への道

スローライフ、ゆったりとした暮らしを提案するもの。
山草人さんたちの世代、団塊の世代は、一クラス40人、ひしめき合って競争し合って切磋琢磨して生きてきた世代。
ゆったりとした暮らしを望んではいるが、性分が今までの生き方が、なかなかそうはしてくれ無いようだ。
 
山草人さん、次なる目標は砂漠を走る。
山草人のモノローグ
1960年生まれの私たちは、そんな先輩御ランナーの背中を追いかけていく。

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フェイスブックをやるようになり、誕生日の夜が慌ただしい。
59人の友達から誕生日のお祝いメッセージが来て、その返信をしていたのだ。
自分なりに、その相手とのであった時を思いめぐらし返信した。
名古屋いいとこで出会ったランナー。ゼロ富士で出会ったランナー。
多くの先輩ランナーからのお祝い励ましメッセージにも感動した。
平成の合併で飯田市になった遠山郷で始まった
チャレンジマラニックin遠山郷
で出会った神奈川の釣り人からも。
遠くシンガポールの友達からも。
地元、浜松市に合併しても、過疎になってもまだココにしがみ付いている仲間からも。
驚いたのは、奈々さんからのメッセージだ、奈々さんとは本人に出会ったわけでもない、それは数年前の「たつやま凸凹」(春)の時の話である。
参加した浜松のランナーからの紹介で友達申請をした。
たった一行
お誕生日おめでとうございます
だったけれど、最後についている絵文字が嬉しかった。

パソコンという器械の前で、自分の精一杯の思いを伝える。

自分がこの世に、58年前に誕生した。
それは、母親が、そのとき、自分という生命体をこの世に送り出そうと、生死をかけて戦った日だ。
丁度、その誕生日の前日、2月19日
到知出版社の女将さん便りが来た。
「天は自分という人間をこの世に生んだ、天が生んだ自分には必ず用、即ち役割、使命がある」
坂村新民先生の「後から来る者のために」という詩とともに。
http://www.chichi.co.jp/special/24/winter12/?utm_source=willmail&utm_medium=email&utm_campaign=okami_20180219
 
その19日に
自分の長女の子供二人が、我が家に来た。
長男3歳が、いきなり家に入ってきた。
「こんにちは」
というと、
「こんにちはではない シー」
と、小さな右手をポケットに突っ込んでこたえる。

太古の時代から綿々と続いている命のリレー
58回目の誕生日に思いを馳せる。

最後
塩山市民病院の医院長
多和田さんから
新間さん、お誕生日おめでとうございます。一日遅れですみません。今後も様々なレースでの雄姿を楽しみにしています。
そんなメッセージで今日になったことを知った。
おわり

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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