夜中、NHKの放送で・・・・・。
その番組は若者と中高年の対談形式のかたちでの内容だった。
バブルがはじけて、これからの日本どうなる!!!
そんな内容だったと思う。
今思うと、その若者と中高年は(団塊世代と団塊ジュニア世代)での討論だったのではないだろうかと思う。
私は、この団塊世代と団塊ジュニア世代の真ん中ぐらいの世代である。
こんな内容の放送は好んで観る。
若い世代は、就職難 フリーターやニートなどの問題がある。自分の将来のことに悩んでいる若者の意見があった。
こらからどうなるのだろう。と自分も思った。
番組も最後の方になり。
今の中高年の定年退職している人のあるシーンがテレビで放映された。
それは豪華客船で世界一周の旅にでる日本の中高年の姿である。
夜はダンスパーティー、昼はクルーズ、世界の主要な港にいくゴウジャスな旅のビデオだった。
そのビデオが終わり、其々の立場から意見が出て、最後に団塊世代の女性の言葉が、私の脳裏から離れない。
「わたしたちは戦後 苦労をしてきて今まで働いてきた。自分御金で旅に行って何が悪い」
これからの自分の生き方、自分の自由になるお金の使い方を考えている。
自分の自由に使えるお金の範囲で走りを楽しんでいこうと思っている。
自分の為だけでなく、走る仲間が楽しんでくれて自分も楽しもうと考えている。
夜中、NHKの放送で・・・・・。
その番組は若者と中高年の対談形式のかたちでの内容だった。
団塊世代と団塊ジュニア世代の討論会という形だった。
―カラ元気、男の介護体験記 八ッ塚実―
を読んだ。
どうしてこの本に辿りついたかは、萩田氏が進めてくれた本
詠み書きマラソン
のP31「八ツ塚先生より教えれてる」があったからだ。
休み済み 何やらむなし この晩夏
家内より薦められて、八ッ塚先生の著書を読ませてもらった。そして感想を書いて便りをだしたのがきっかけである。ここ二年間で先生より戴いた年賀状の文章に只々感動して「さわやかな思い」にしたったものだ。まだ八ツ塚先生にお目にかかったことはないが、すっかり先生の『意見』『考え方』に共鳴した。現場での教育についてこれほど「強烈に」鋭く描かれているのも数少ないと思う。
実はこの八月、二度目の「八ツ塚先生」と出会ったことになる。一つは八月の初めに全くの偶然、深夜放送(NHK午前四時心の時代)で先生の話を伺った。眠りそうな時間帯にもかかわらず、『現代の教育課題』について語られているのをウトウトしながら聞き及んだ。「いじめ問題」「登校拒否」「笑いについて」「教室の顔」「共感教育」その他「人間教育」について話されていた。
原文まま
そこで
「一生一度の学び」を紹介していた。
中学校の教員生活30年、母親が脳梗塞で倒れ、夫婦で相談し夫である自分が母親の介護に専念する話である。
現役の頃、荒れていた生徒と心から接し天職として行っていた仕事だった。
教員生活最後、体育館での挨拶で「人間、生涯に一度くらいは、自分の一番やりたいことを、やめなくてはならないこともある」静かに話したという。
―老いを支えるのは女だけか―
やがて必ず年老いる私たちは、今の生き方こそが自分の老いた日々をかたち作っているのだと言う自覚をもたなくてはならない。
●これからの男はどう生きるべきか
●夫婦とは、夫婦の協力とは
●家族の在り方、「家族えらびの功罪」について
●教育・子育てに欠いてはならないものとは
●「老い」とは、ほんとうの福祉社会とは
排除の思想を底流に持つ社会は、必ず老人を切り捨てる。充実した施設が、老人の捨て場所になっては、めざす福祉国家が泣く。
原文まま
こんなこと書いている私も、実は母親を施設に委ねている。
詠み書きマラソンの著者、玉井さんが書いてあるとおり先生の介護体験記を読むと何だか自分が小さく、惨めになってくる。
最後に
八ツ塚実先生
こんなブログが見つかりました。
良き先生が増えることを祈っています。
3月9日金曜日
浜松市天竜区龍山町瀬尻で山の斜面が崩落して国道152号が通行止めになった。
そんなとき書いたブログ
なんてこったい
そんな、国道152号線にトラックが走らなくなったとき、その国道を自分の足で走った。
そのとき、旧龍山中学校から南へ数キロの所に「鎮魂」の石碑があった。
今回の「たつやま凸凹」(春)でドラゴンママに行ったとき、玉ちゃんに聴いたら、学校の先生が被害にあたところではなかったかという話だった。
たつやま凸凹(春)2018
今回は迂回道路のタメ、また「みどりや」で塩大福を買うタメ、家を早めに出た。
7時20分
やすらぎの湯に
8時20分
到着、10分、20分経ってくると知り合いが集まってきた。
9時00分
予定だった10名が集まり、いつものとおり荘川桜の孫の前で写真を撮ってからスタートした。
今年の桜は早く、千本桜は満開で桜吹雪の中のジョギング、迂回路の警備員に丁寧に挨拶をして宮の沢の吊り橋を目指した。
9時30分
青谷ポケットパークに到着
10時25分
不動の滝に到着
10時57分
そこに後から走ってきた池ちゃんが追いついてきた。
寺尾集落に到着
少し早いが、ここで昼食。眼下に天竜川が目の前に竜頭山がそびえている。
「いいところだネ~」
景色は良いが、住むには暮らすには大変なところ。
新聞では過疎の山間部にドローンで宅配をやろうと実証実験!!そんな記事があった。
それは、中央に暮らす人が、立場の上位な人が、過疎地を”どうにかしよう”そこから始まっている。
そんな人の中には、その過疎の地を故郷に持つ者もいる。
いや、そんな人ばかりではないだろうか?
過疎地に暮らしていると何時の日か、食べ物 その他生活物資をドローンの来るのを待つ人になるのだろうか?
浜松市で中央で、過疎地がお荷物 そんな話をよく聞く。
12時13分
ドラゴンママ「よらんかね」に到着。柏餅を購入。
瀬尻橋を渡り、秋葉ダム湖東岸を北上、上平山入口、上平山へ。
14時20分
下平山 農村公園、岩下かっちゃんがいた、地域の人も散歩をしていた。
15時12分
やすらぎの湯に到着。
お風呂に入って、汗を流し身体を癒し窓からの大嶺の斜面集落に目を向ける。
風呂から出て、血圧を測定 上120下75 いつも高目の血圧だが走ると低くなる。
休憩所いくと、な、なななんと。君チャンが居た。ビールとワインの差し入れをいただいた。
今回一緒に走った仲間が集い様々な話をした、数時間たって
16時40分
やすらぎの湯を後にして、車で佐久間に帰る。迂回路で15分待ち時間があった。
家に帰り、仏壇にドラゴンママで買った柏餅を供えた。
過去の出来事が、今に繋がっている。
先祖がいて、今の自分がいる。
国道152号線では、いままで崩落事故が多くあった。被害者も出た。
死んでいったものは何もできない。
だから今生きている人が拝む。
今日も ありがとう。
私の走り書き人生
まえがき
人間にとって「思い出せない一日はなかったに等しい空白の一日」であると言われる。考えてみれば、「その空白」に近い毎日の積み重ねが人生ともいえる。
原文まま
先日の勉強会、萩田氏に「読んでみなさい」と手渡された一冊。
詠み書きマラソン(玉井宰氏著)
波乱万丈の人生のなか仕事やマラソンで、様々な出来事、様々な人に出会った事でのご縁を、歌に託して書いている本、自身の心にしみわたった一冊だった。
最後に
『長生きではなく、中味の濃さに人生の意義がある』
『人の心は言葉と態度と行動によって測定できる』
平成九年七月十二日(土)
原文まま
著者は山一證券に勤めていた人である、1997年(平成9年)11月2日その証券会社は経営破綻で廃業した。
この本を書き終えてからの失業したことになる。
さいごの最後に、
この事件を後の評論家がどのように扱うかは、別にしても一万人近い者が職を失ったことは事実である。筆者自身、11月23日が「勤労感謝の日」であったことを全く失念していた。皮肉なことに実質的な失業者になったのである。今だまだ再就職の意欲も目途も立っていない。この間多くの方々より『励まし』の声援、便りを戴き感激している。この場を借りて厚くお礼申し上げるとともに、ご心配かけ、お気遣いしてもらい、身にあまる光栄である。
この小雑誌でも、ところどころに書いたように『明るく』『前向きに』そして『悔いのない』歩にしていきたい。ピンチこそチャンスであることを信じて飛躍につなげていきたい。
最後に皆様方のご健康とが繁栄を祈念します。
原文まま
読み書きソロバン
基本的な教育内容、日本では幕末から明治にかけ,計算は主としてそろばんで行ったので,これを〈読み書きそろばん〉といってきた。
詠み書きマラソン
基本的な教育内容に走ることを重ねた言葉。
読むことも書くことも未熟な私、走る方は何とか月の目標である300㎞を今月は今朝達成できた。
わたしも著者があとがきに書いてある
『明るく』『前向きに』そして『悔いのない』歩にしていきたいと思っている。
たつやま凸凹(春)
色んなことがあったマラニックだったけど、ピンチこそチャンスであることを信じて多くの人に北遠の現状を伝えて北遠の飛躍につなげていけるようにしたい(^O^)/
浜松に佐久間から走って行ってきた。
帰りは浜松駅から豊橋、豊橋駅から飯田線で中部天竜まで行くことになる。
同じ浜松市なのに、いったん愛知県に出て飯田線に乗り静岡県の浜松市に行くことになる。
なんと不便なところでしょう(笑)
もう笑うしかない(泣)
毎回言っているが、、、、、。
浜松駅~中部天竜駅 1940円
浜松駅~豊橋駅 670円
豊橋駅~中部天竜駅 1140円 計1810円
もったいないので分けて買った。
1940円-1810円=130円儲けた。
浜松でミリオネア(百万長者。大金持ち)の講演を聴いたのだけど、いや聴いたからこそ130円分ケチった(笑)
今回の貯蓄口座(わくわく未来のために)は講師に登坂 一幸さんを呼んでの講座だった。
登坂GrowRichホールディングス株式会社 代表取締役
ファイナンシャルプランナー
経営コンサルタント
現在、貯蓄アドバイザー・セミナー講師として教育委員会、行政(県や市)や企業からの講演依頼を受け、講演活動で全国各地でひっぱりだこ。
ご自身もゼロから億の富を築いた資産形成の天才!
そのノウハウもおしみなく大公開。
見るからに「えびす顔」の先生です!
そんなパンフレットで紹介され行くようになった。
ラジオ番組でも、若い時お金のことで大変苦労した人だったみたいだったので興味があった。
講演で言っていたことを簡単に説明すると、コツコツと貯蓄しなさい。
一攫千金を夢見ない事。お金を貯めるには世界でのお金の動きに関心を持ち今あるお金を減らさないように考える。
自分でわからなければ相談に乗りますョ。
そんな感じだった。
左腕にはめていた金の時計が気になった。
億という金を持っていて、外車も数台持っていて、すごい人だが、お話の中で浜松はガソリンが安いという話が面白かった。
浜松市に来たらハイオクが148円。長野ではハイオクが170円と言っていた。
また、昔郵便局の利息がいい話をして、今は0.01パーセントと安いそれに税金が着く。
今は郵便局に預けば良いとそんなゆ~ちょなことを言っていられない。
と軽いジョークまで飛ばしてくれた(笑)
とっても面白い、また役に立つ講演だった。
興味のある方は↓
夢を叶えるライフプラン
クリック
話しは本題に
缶ビールを二本買って17時57分の水窪行の飯田線に乗り込んだ。
中部天竜駅まで約二時間の長旅だ。
しばらくすると海外の方が同じ席に来たので酔った勢いで話しかけた。
私「どこまで行きますか」
彼「東新町」
私「お国は?」
彼「ペルー」
と、東新町駅までは、その彼と話、暇をつぶせた。
年齢は21歳。小学校一年生の時日本に来たと言っていた。
ちかじか故郷ペルーに帰り、レストランを開くと夢を語ってくれた。
写真撮っていいですか?
OK
と、答えてくれたのでパチリ。
わたしは何歳に見えますか?
そんな質問に、
さてここで問題です。
そのペルーの彼は、このオッサンを何歳と答えたでしょうか?
朝、5時22分自宅を出発した。
まだ薄暗いので懐中電灯で足元を照らしながら走りはじめた。
あ、ここも浜松市なので正確には浜松市の和地山にある友達の店舗に行ってきたってのが正解だ。
大輪に6時半、ここから国道を離れまっすぐに走る。瀬尻橋のバリケードの所には7時少し前、警備員が打合せの最中だった。
これからの道路は迂回路となっているので下平山に行こうと思っていたが、人力での浜松行 体力がそんなには無いのでまっすぐ行くことにした。
しばらくすると浜松方面から上って来る車に出会う。
対岸に崖崩れの現場が見える。
下の沢の吊り橋を渡り国道に行く。
せっかく国道が崩れ、いつもはトラックの往来で人や自転車が走るのは危険な国道、こんなチャンスは無いそう思い152号線を走ることにした。
国道152号線(青谷ポケットパーク)から秋葉ダムまでのコースは初体験だ。
旧龍山中学校前を走り、寺田さんのCreek Soundの前を走る。今話営業していないBooの前を走る。秋葉ダム湖の風を受け無人のブランコが揺れていた。
鎮魂と書かれた石碑があった。道路山側の斜面には工事の跡がある。過去斜面の崩落での犠牲者の碑ではなかろうか。
ここ、秋葉ダム西岸、瀬尻側、山が崩れやすいと下平山に行ったとき地元の人が言っていた。
自分が記憶にあるだけでも何回道路が寸断されたことか。愛知県のように立派な国道を造るようにしてもらいたいものだ。
愛知県は新たに道路を造る場合、歩道を整備しなければならない条例があるそうだ。
佐久間では新原田橋を造るときの話で、歩道を造る造らないの論争が役所側と地元住人との間であったそうだ。
せまいトンネルを抜け、八部咲の桜の花見をしながらのジョグ。しばらく行くと大嶺集落の登り口、ここからは先週走った道だ。
秋葉ダムのトンネルに入り、トンネル内の交差点を左折し西川の商店街を走った。
秋葉トンネルを抜け。横山トンネルを抜けた。
横山小学校の校庭の桜が満開だった。
船明ダム湖ではボートの高校総体が開催されていた。
道の駅花桃の里から夢の吊り橋を渡り船明ダムへ。
ローソンで朝ヌードル。
遠鉄の西鹿島駅に到着、11時の赤電で助信まで行く。電車は便利だ。
助信(スケノブ)スケベのノブさんが居たのでこのような地名になたのか?
検索してみた。
助信と言う名前の刀鍛冶や武士がこの周辺に土着したからと言う人名説がある。
だ、そうだ。
助信駅から友人の店舗がある和地山まで走る。店舗に着いたのが12時ちょうど。
6時間38分の長い旅だった。
すべて物事というものは、形を成さないことには、十分にその効果が現れない。同時にまた、仮に一応なりとも形をまとめておけば、よしそれがどんなにつまらぬと思われるようなものでも、それ相応の効用はあるものです。
第24講 質問
第25講 仕事の処理
第26講 成形の功徳
読書が終わり。自分の身の回りの乱雑さを脳裏に浮かべガックリした。
5Sがなっていない。
萩田氏に5Sの意味について質問された。
「5Sとは、整理・整頓・清掃・清潔・躾」
読書の最後にある人が。
片付けについて「余分なものがあるから、必要と思うものを残しておく」との話が合った。
とう言えば、先日YouTubeで観た、「坂の上の雲」で秋山好古が弟の秋山真之を東京に呼んで下宿先での会話を思い出した。
余分なものはいらん。
そうは言っても
今現在、自分の身の回り。余分なものだらけかな~?
片付けか~。
勉強会の昼休み、
第16回富士山頂往復マラニックの”公開抽選”をした。
貴重な経験をした。
車を飛ばし、佐久間に帰って来て、今度は半場親睦会第二回定期総会。
やることが多くある。
人間学を学ぶ月刊誌「到知」3月号、P126~
日本史は他人の物語ではない
中村学園大学教授 占部賢志氏
を読んで、最後に紹介された本が、この
日本史に学ぶ軍縮
鉄砲をすてた日本人
だった。
時には外からの目で日本史を見よう
占部 それからもう一つ、私が推奨したいのは時には外からの目で日本史を見ようということです。
教師A 外からの目?
占部 よく「灯台下暗し」というでしょ。それと同じで、日本史の美点についても意外と自分たちでは気づかないものなんですよ。そこで外国人が日本史をどう見ているかを参考にするということです。ここではノエル・ぺリンの『鉄砲を捨てた日本人』紹介しておきましょう・・・・・・・・・。
人類の出現以来、武器の発展は止まることを知りませんね。石器に始まって槍や刀剣、弓などが創られ、火薬が発明されると、鉄砲という飛び道具が全盛期を迎える。
二十世紀になると、原水爆が開発され今日に至っています。常に右肩上がりでしょう。
教師C そうですね。
占部 ところが、こうした見方が適用しない事例がただ一つある。それが我が国なんです。
到知から抜粋
そんな国、日本の歴史に興味を持った。
ぺリン
江戸時代になり鉄砲を捨てた、武器と言えば腰に差した刀。
刀は武士の命。
軍縮問題に関心を持ったぺリンが書き上げた、本。
鉄砲を捨てた日本人
それを、なんと今の静岡県知事「川勝平太氏」が日本に翻訳した。
平和はみんなの願い。
討幕を恐れて下剋上を恐れて、鉄砲をすてた。
結果的には長い戦争のない江戸時代があった。
現在、日本が戦争に負け、敗戦から立ち上がり戦争のない平成の時代が続いている。
これからの日本、どの様になっていくのか?
世界の識者が日本のこれからに関心を持っている。
土曜日、たつやま凸凹(春)試走が終わり、やすらぎの湯でマッタリと湯船につかっていたら、温泉の窓から見える斜面集落に見惚れていた自分がいた。
一緒に風呂に入っていた人が「夏秋」(なつあき)の人でお喋り。
窓から見える斜面集落は「大嶺」(おおみね)という斜面集落だ、そうだ。
今、国道152号線は崖崩れで秋葉ダムから通行止めだ。チャンス。。。
秋葉ダム横の狭いトンネルを走るチャンス。
今しかない、何時もは狭いトンネルにトラックが走り、すれちがいでヒヤヒヤする、今はトラックは通らない。
が、しかし
ウダウダと考えていたけど。
行ったことが無い所には行ってみたい。と思い、電子国土Webでコースを見てみた。
行こう
コース
やすらぎの湯→秋葉ダム→大嶺→夏秋→ハサカ山(横)→下里→不動滝→寺尾→ドラゴンママ(昼食)→瀬尻橋→下平山→やすらぎの湯
地図を片手に、スマホのマップ、これがあればなんとか行けるだろう。
朝、7時に出発、やすらぎの湯に8時着き、出発した。
トンネル
初めての「大峯」
夏秋で思わぬ出逢い。
見落としそうになった林道
不安になった林道を抜けた。
なんとか無事にゴールであるやすらぎの湯に着いた。
大変疲れた。
な、なななんと。
崖崩れのタメ、国道152号線通行止め。
そのタメ、秋葉ダム東線が迂回路になってしまった。
03/12ブログ
最初、今年はやめよう、と思った。
が、こんな時だからこそやろう。と、思ってきた。
どんなもんか、本日 試走に行ってきた。
家を朝7時20分ごろ出発。
大輪の所を真っ直ぐに、上平山に上り下平山、渡辺バリケードの前を通てヘヤピンの所を真っ直ぐに行き戸倉に出る。
8時09分、やすらぎの湯から走り出した。
荘川桜は まだ蕾
モクレンは咲き始めていた。
秋葉ダムさくらマラソンのコースを北上して直ぐ、車が迂回で並んでいた。
車の横をすり抜け、警備員に挨拶をして、走り出す。
しばらくして直ぐ、下りの車がやってきた、兼松のトラックも、大型のトラックの運ちゃんはカリカリしていると思うので行き過ぎるのを立ち止まって待っていた。
せめてもの配所。
峰の沢橋を渡り、青谷ポケットパークでジャンバーを脱ぐ。
国道152号を北上、すぐのところを青谷の集落に上る。
不動滝に9時30分
滝を見て、しばし休憩。
寺尾の集落に10時。
たつやま凸凹(冬)の、ときにお邪魔した家は留守だった。
一番上の家まで行き、一気に瀬尻まで下る。
途中の河津サクラは満開だった。
瀬尻橋が見えてくる。
ドラゴンママでウドン。
渋滞を横目に、瀬尻橋を渡り、警備員の人に「左に行きます」と声をかけ、天竜川東岸を北上した。
7㎞くらいのところで上平山に登り始める。
ここからわウォーク。
茶園の綺麗な野牧さん
椎茸も収穫中だった。
下平山、渡辺バリケード横を歩き、下平山農村公園で休憩、峰の沢鉱山跡を見て、戸倉に下り、やすらぎの湯に14時30分に到着。。。
オマケ
下平山 峰の沢鉱山のアパート
なんか、すごいナ~っと感じた。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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