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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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暑い中、約15㎞の
石巻山登山マラソン
毎年恒例になっている。
スタートは石巻山の麓、ゴールは石巻山ナツメ別館の前

スタート前の集合写真

9時30分スタート
石巻山の麓から、登山マラソン前にフラットな道路を走る。
折り返しから帰って来る俊足ランナー
ま、競争ではなく共走だからとマイペース。。。。
スタート地点に戻って来て、さて、ここからが登山マラソン

エッチらオッチら登っていく。
給水所には金髪三つ編みの少女が一人ラッパを鳴らして応援していた。
そこからの激坂は躊躇なく歩いた。
ナツメ別館まえを走り登山客に挨拶をして石巻山の山道に、ゆるいアップ・ダウンを繰り返し、折り返し地点に到着

帰り、すぐ後ろを走っているランナーに出会う。
激を飛ばして走り続ける。
ナツメ別館の前を走り、急坂を走り気持ちよく下っていくと、お腹が痛くなってきた。
暑い中の登山マラソンで汗でびっしょり。
ウエストポーチに汗がたまりお腹を冷やしたのだろうか。

麓の折り返し地点では最悪の状態

最後の登りでは腹痛との戦い。
気持ちも悪くなる。
脱水だろうか。熱中症だろうか。ガードレールにもたれる。
給水所にて自分が飲んだ空のペットボトルを持って、ゴールであるナツメ別館の前を目指す。
毎年恒例だった、石巻登山マラソン後の石巻山山頂へのダウンを兼ねた登山も、今回は遠慮した。

急いで旅館のトイレに向かった。
トイレ前で、シューズを脱ごうと思った瞬間、左足が攣った。
ふくらはぎを揉みながらのトイレ
何とか落ち着いた。
休憩室に向かって着替えを持って、お風呂、冬の湖西連峰トレイルランのときより人が少なくユックリ入れる。
さっき攣ったふくらはぎをマッサージして、汗びっしょりになった身体を労わった。
12時30分からは宴会が始まる。
誰かが変態の集まりだと言っていた。
真夏の登山マラソン
変態かもしれない(≧▽≦)

最後に変態がそろって記念写真

ナツメ別館のマイクロバスで、豊橋駅前まで移動、
「二次会に行こう!!」
そんな話で二次会会場に向かった。
カラオケ?
居酒屋?
向かった先は、居酒屋、刺身あり焼き肉あり、スタッフのナナちゃんは顔が小さい。
みんなの意見がまとまりアルコールは飲み放題。

ナナちゃんの後ろ姿

年寄りだから、しょうがない
より
年寄りだけど、すごいナ~
そんな人に出会える萩田企画でした(^O^)/

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人間学を学ぶ月刊誌「到知」7月号P32「社会に花を咲かせるSHIEN学という科学のすすめ」舘岡康雄
そんな記事が気になった。
しえん【支援】
他人を支えたすけること。援助。後援。 「友人の事業を-する」 「 -の手をさしのべる」 〔類義の語に「応援」があるが、「応援」は人やチームを元気づけて精神的に助ける意を表す。それに対して「支援」は労力や金銭などの面で、その活動や事業を助ける意を表す〕
コトバンクから引用

12市町村が合併して浜松市の山間部は若い人が都市部に流れ過疎化が激しい。
「過疎の地方を支援する」
支援とは援助。後援。

SHIEN学は
「してもらったり、してあげたり」しながら、思わぬ解決策を立ち上げていく方法。
過疎の地方だけど、そんな所に暮らしている人ができる事。
自分ができる事。
 

SHIEN学は
人と人が互いに良さを引き出し合う
新しい考え方。


SHIENアカデミー本部
SHIENは優しいコミュニケーション

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私たちは地上の星

一人ひとりが輝いている。

其々の夢に向かって進んでいる。

一人では何も届かないかもしれない。

しかし

一人の小さな声が、波紋して大きくなり遠くにいる誰かに届くことを信じてきた。

この道が、昔のように多くの人が行き来する夢の街道になれば良いナ~。と。

 

願いはキット叶う。

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北遠地区(佐久間・水窪・龍山・春野・天竜)で開催されている体育協会連絡業議会。其々の地区で回り、今年は水窪の元緑茶屋での開催となった。
開催は6月9日(土)午後3時30分~
佐久間町から走って水窪まで行くことにした。
    
半場を11時に出発
ホウジ峠に向かって走り出す。
下平(シモッタイラ)の集落を走り、二本杉峠を越え、羽ヶ庄へ。
そこの道端にはグミの実が熟して生っていたいた。

ホウジ峠 12時17分
 伝承館にて蕎麦
少し休憩して城西に向かって下りだす。
野田のオジサンの家にて、またもや休憩。
水窪の「山に生きる会」交流所にてゴール。
14時00分
小畑の知り合いの家にTEL
その家に依って時間つぶし、多くの話をした。
その人は、二月に「水窪盆栽クラブ」の旅行で出会た人だ。
盆栽の展示会に行ってきた。 
 
3時00分
ブルブルブル
携帯に着信
佐久間体育協会の事務局の人からだ。
事務局:「少し早いけどみんな集まっているョ。始めるョ。どこにいるダイヤ」
 私 :「小畑、すぐ行くでネ」
挨拶もそこそこに、小畑を後にして元禄茶屋に向かった。

平成30年度
北遠地区体育協会連絡協議会
29年度の事業報告 決算報告
30年度の事業計画(案)予算計画(案)
第23回グランドゴルフ大会について
協議会が終わり懇親会
水窪町に春野から来てくれた人、天竜から来てくれた人、龍山から来てくれた人、多くの人と話した。
国道152号線の崖崩れで迂回になった道を始めて通った人、北遠地域の浜松市の隅っこに暮らす人々の大変な様子が解っただろうか?

帰りは水窪駅を18時の電車だ。
他のみなさんよりお先に宴会場を後にした。

多くの出逢いを大切にして
多くの人との繋がりを大切にして
自分なりの、よりよい人生になるようにココで暮らしていこう。

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たつやま凸凹マラニック
旧龍山村を走ろうとコースを考えた。龍山村にはラドン温泉がある、そこをスタート・ゴールにしよう。今から六年前の話。
やすらぎの湯→青谷ポケットパーク(トイレ)→不動の滝→寺尾地区(トイレ)→ドラゴンママ(トイレ)→上平山→下平山(トイレ)→やすらぎの湯(約37㎞)

第一回目、2012年の春には寺尾集落に観光トイレがあり使用できた。
ところが次の冬、観光トイレは使用できないようにカギをかけられていた。何故。
多くの人に聴いた、どうしてだろうか、と。

そのとき、北遠のアッチコッチを廻っていた自分は、観光トイレな無くなって行ったのを見てきた。
佐久間町平沢の観光トイレ
水窪町河内浦の観光トイレ
また、寺尾集落のように普段は使えないようにしているトイレ
佐久間町伝承館のトイレ
佐久間町城西茶の子のトイレ
お店が営業しているときは使用できるが休みの時は使用できないようにしている。

当時、浜松市の議員をしている人に相談してみて、寺尾集落の区長と元龍山村の村長に相談してみたら?との話で、そのお宅に訪問した。
区長の話だと
「今、そのトイレは区の管理であり自分の一存では決められない」
元村長の家を聴き、寺尾から走って下ってきて、そのお宅を訪問した。
清楚な奥さんが元村長である、その人に私が来たことを伝えた。
そして、その人と出会っての第一声が
「あの合併は間違いではなかった」
だった。

わたしは、そんな話をしに来たのではない。
観光トイレや やすらぎの湯の駐車場に植えた荘川桜の話を聴きたかった。
しかし、村長という立場で様々な格闘があっっただろう、頑として出てきた言葉
「あの合併は間違いではなかった」
だけを話していた。
 

今、龍山町は崖崩れが頻繁に起きている。旧龍山村での存続は無理だったのかもしれない。
「あの合併は間違いではなかった」
合併して、よかったのかもしれない。

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10年、偉大なり。
20年、恐るべし。
30年、歴史になる。
50年、神の如し。
 (中国の格言)
 

12市町村が合併し、浜松市という大きな市ができて12年たった。
当時、佐久間町の役場の職員が説明していたように
「大きな浜松市に合併するということは、静岡市に合併した井川地区のようになるでしょう」
その事が現実に感じてきた。
 12年前、始めたマラニック

その12年前に始まった。始めた。私のマラニック。
これから佐久間町、どうなっていくのだろう?
不安だったあの頃。
佐久間町に暮らし、北遠のこと知らない自分、初めて走った竜頭山頂~山住方面
こんな素晴らしいとこがある。きずいた。

12回目が無事済んだ、今回の動画

 ど根性ガエル
知っていますか?
その歌び中に、こんな部分がある。
「にくいよ!このオ ど根性ガエル!!」
ドッコイ生きてる シャツの中
という部分がある
「どんなに不便になろうとも」
どっこい生きてる過疎の中~♪
そんな気分だ(笑)
いや(泣)かな。

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サハラ砂漠を走る。
そんなレースがある。
知り合いが、そんなレースに参加してきたという、その報告会があったので行ってきた。
砂漠を走る?
わからない人にネットで探したYouTubeを見てほしい

如何して、砂漠を走るのか?
「小さいころの夢だった砂漠に行くこと」
如何して、また行きたいのか?
「出会った仲間と再会を誓った」

ある人は、自分の生まれ育った境遇に、そんな自分が今できる事を求めてやってきた砂漠
スタートしてゴールを目指す。
人は、それぞれの人生を生きる。

最後、集合写真
買い物を済まして家路にを急いだ。
今日は
竜頭山スーパーM
来週は
上島キャンプ場で(酒)

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2018/05/17
一人の道そんなブログを書いた。
フォークグループ ピンク・ピクルスのシングル曲、むかし昔まだ中学生だった頃友達の家で聴いたその曲は刺激的だった。

2018/05/20
ぐるっと富士山一周ウルトラ・マラニックを走ってきた(*^^)v
真夜中に走りはじめ、富士宮で夜明けを迎え山中湖で、御昼だった。

毎年、この時期に出会う人が居る。
疲れ切った身体に勇気を与えてくれる人、名前も知らない、ただ陽気な人だけと思っていた人、今回話す機会があった。
名前を聞くと円谷さんだった。

健康生きがいづくりアドバイザー
健康生きがい学会 会員
クマガイソウを育てている話も聞いた。

その後、私は籠坂峠を歩いて越え、ユックリだが走ってゴールである湯遊の郷 大野路を目指した。
  何のために 進むのか
痛い足を がまんして

そこにゴールがあるから。
この苦しさの向こうに楽しさがあると信じているから。

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今年で6回目の参加となった「ぐるっと富士山一周ウルトラ・マラニック」宿泊は
富士遊湯の郷 大野路

主催者の人が話していた。
三方良しの考え
「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三つの「良し」。売り手と買い手がともに満足し、また社会貢献もできるのがよい商売であるということ。近江商人の心得をいったもの。

マラニックで言えば
「主催者良し」「ランナー良し」「大野路良し」なのだろうか?

みんながよかれと思ってほしい。
主催差の考え。

一人のランナーとして
「ぐるっと富士山一周ウルトラ・マラニック」
本当に楽しかった。
 大野路さんのお食事も美味しかった。
その富士遊湯の郷 大野路の支配人に断って旅館内の写真を撮影し動画をつくった。

みんながよかれと思うマラニック。
夢街道もそうありたい。

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富士山の見えない静岡県西部地方の佐久間町からの参加
日本一の山、富士山を一周する大会、気が付けば6回目の参加になった。
 

ブログで振り返ってみた。

ぐるっと富士山一周ウルトラ・マラニック2013

ぐるっと富士山一周ウルトラ・マラニック2014

ぐるっと富士山一周ウルトラ・マラニック2015

ぐるっと富士山一周ウルトラ・マラニック2016

ぐるっと富士山一周ウルトラ・マラニック2017

ぐるっと富士山一周ウルトラ・マラニック2018

動画 ↓



大切な思い出
走ってよかった。参加してよかった。これからも宜しく。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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