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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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静岡県境に暮らす、しんしんです。

浜松市は太平洋から長野県境にまで大きくなった政令指定都市です。

12市町村が合併して新浜松市になった時に、南信州「遠山郷」は飯田市になった、そしてその時に
チャレンジマラニックin遠山郷
が始まったのです。

そのマラニックの後夜祭のときに、その「信濃の国」を長野県のランナーみんなが歌った。

肩を組んで誇らしげに。

唖然。。。。

長野県・・・恐るべし( ゚Д゚)

本日、職場で地域創生のための総合情報誌「地域人」を読んでいる時、そんな雑誌に
土地と人を元気にする。
「地域の歌」
があり。
長野県県歌「信濃の国」のことが書いてあった。

長野県民なら誰もが歌えるというのが、県歌「信濃の国」だ。現在、全国では53の都道府県の歌が制定されているが、この「信濃の国」ほど県民に知られて歌われている歌わない。
調査では約8割の人が「全て歌える」または「一番は歌える」という結果が出たという。
県外でも長野県人が集まると歌うことがある。そうだ。
そんな県歌「信濃の国」とは
1948年(昭和23年)長野県議会で県の南部と北部の議員が対立し、本会議で二つに分ける分県案が審議された。その本会議場は怒号に包まれていたが、傍聴席や建物の外から「信濃の国」の大合唱が沸き起こり、場の雰囲気は一変して審議は未了に。分権案は不成立になった。

『信濃の国』は作詞の浅井冽も、作曲の北村季晴も長野県師範学校の教諭でした。当時の師範学校の女生徒たちが運動会でこの曲を歌い踊り、その生徒たちがやがて教員になり、県内の学校でそれを教えることによって広まっていったのです」

1968年2月の白馬国体では、参加都道府県の旗が掲揚されるときに「信濃の国」が演奏された。すると自然と観客の長野県民が立ち上がり「信濃の国」を合唱しはじめたという出来事があった。そうです。

長野県内のカラオケでは曲目リストに必ず「信濃の国」がある。
長野県内の宴会も良く歌われている。
他県での長野県人会の集まりの時には必ずといっていいほど歌われる。
高速道路のサービスエリアにも「信濃の国」の歌詞が掲げられている。
北陸新幹線長野駅ホームの発車メロディーは「信濃の国」
ホームの柱には「信州人のメドディ―=『信濃の国』という説明書きもある。
また、県内のJ2リーグのプロサッカークラブ「松本山雅FC」ではアウェイでの試合前等に観客席で「信濃の国」が合唱される。
長野県庁では仕事始め、仕事納め、年度初めの式の時に二番まで歌っているという。

1番から6番まである「信濃の国」は全部歌うと6分ほどかかり、かなり長い。一般的には一番のみ、または二番まで演奏されることが多い。そうだ。

ここまで広がり親しまれてきたのは、長野県の県歌でありながら曲名も誌も「長野の国」ではなく、「信濃の国」だったからではないか。

長野県は、過去からの歴史から南北に感情的な対立があった。


しかし、「信濃の国」という曲名にも歌詞にも、それを匂わせる物は感じない。


1900年に完成し100年以上、歌い継がれてきた「信濃の国」長野県をまとめてきた、この歌を聞いたください。

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日曜日に豊橋から岡崎まで旧東海道を走り旅(マラニック)していた時のことです。
桜並木の川沿いに差し掛かり、まだ咲かぬソメイヨシノに見慣れぬ植物を発見したのです。何だろうと一緒に走った仲間に尋ねた。
「知らない、何だろうネ」
道行く地元の人に聞いても気にはなっていたみたいだけど分らない。素振りだった。

スマホを出し様子を写し。
この木、なんの木、気になる木~♪
と、FBに投稿。
そしたら
「鳥の巣?」
「やどり木ですね」
「寄生虫だかのせいだと思います」

自然観察指導員の方からの投稿もあった。
また
「ヤドリギですかネ、何故か時々雑木林に・・・。」
という説明も

帰って来てネットで調べたら。
やはり「ヤドリギ」だった。
https://horti.jp/29712?fbclid=IwAR03ecm5mpG6eEikbHlirYOFpgHXil1j_NnJoIutHPvOyKtRCH4FqZtziCc
しかし、寄生する植物、宿り木、なぜか悪い印象があるみたいだけど、実は真冬でも枯れない縁起がよい植物と言われているのです。
さらに、簡単に取れない希少性も持ち合わせる、珍しい植物でもあります。
花言葉は『困難に打ち克つ』『克服』『忍耐』『キスしてください』
クリスマスの季節に、ヤドリギの下にいる若い女性はキスを拒むことができない、という言い伝えもあるそうです。

宿り木の実は、粘り気があり。自然界では大切で、鳥がこの実を食べ、排泄時に粘り気があることで樹木に種が張り付き寄生して生息する。
寄生と聞いて悪いイメージがあるかもしれないが、古くから神聖なパワーをもつ縁起のよい植物と言われている。

たしかに、自分も始めて見たときに、なにか神秘的なものを感じた。

宿ると言えば
新しい生命が宿る
とか。
健全な精神は健全な肉体に宿る
とか。

その意味は
宿をとる。その場所にとどまる。虫・植物が寄生する。など

人間も、自分も一人で生きているようで、何かに誰かに支えられて生きている。

今回の豊橋駅から旧東海道を岡崎公園までの走り旅(マラニック)付き合ってくれた人にも感謝だし。

旅の途中で出会った人にも、ご縁を感じた。

宿り木という珍しい植物を知ったこと、にも。

宿り木の着いた桜並木

また訪ねてみたい、幻想的な風景だった。

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生まれつき身体に大きなアザがある首藤雄三さんの講演が岡崎市図書館交流プラザで行われることを知ったのは去年の暮れのことであった。
首藤雄三さんを知ったのは、FBでアザのある身体を見たからだ。
コメントには母親と雄三さんの会話があった。
母親:「どうして相撲やスイミングとアザを見せることばかりやるのだ」
雄三:「このアザを見せるのは私の使命だ」
母親:「そう」
そんな会話だと思った。

何気ない親子の会話
首藤さんは
「楽しい人権講話ナビゲーター」として日本全国をまわりアザと難病と障がい者とひとり親世帯の理解を深めてもらう講演をしている。
せっかく近くに来るのだ、会うしかない。
そう思い昨日は岡崎市に向かったのである。

飯田線で中部天竜駅~豊橋駅
 

そこからは旧東海道を自分の足で走って岡崎市を目指した。
豊橋駅7時30分岡崎公園に着いたのは13時30分だった。

岡崎公園で着替えをし、講演をする岡崎市図書館交流プラザに行く。
大きな建物だ、受付で会場を聞き、そこに顔を出して受付をすまし、小腹がすいたので館内のコンビニにて食事をした。

アルコールも少し注入。

ほろ酔い身分で、会場に行き、遅れ気味の首藤さんを待つ。

現れたのは、覆面レスラー姿ではなかった(笑)

講師を近くに感じ、講演は和やかに進んだ。

首藤さんの生い立ち、考え方、etc

小学校の時代は、身体にあるアザを同級生から揶揄された経験を話してくれた。

また、人からは言われるが、自分自身はアザについて、卑屈には思っていなかった。とも。

少年時代から体格は大柄でスポーツも中学(柔道部)高校・大学と(相撲部)だったそうだ。

あるエピソードの話があった。
小学生四年の頃、初任で学級担任になった先生での話し。
先生の自宅に生徒全員が招待されて、お風呂に入った話し。
雄三少年は担任の先生と二人で入ったそうだ。
そのお風呂の中で、お互いに背中を流し最後に先生が
「雄三、ハンデキャップがあるが負けずに生きろ」
そう言われたそうだ。

私は、その先生の気持ちになって雄三少年の気持ちになって、ウルっときた(涙)

ところが、とうの本人、首藤雄三さんは違っていた。

小学校四年生、雄三少年はハンデキャップという言葉を知らなかった。

また、大人の会話でハンデキャップを知り愕然としたという。

ハンデいキャップ=実力差が大きい場合の設定

自分では、そんなこと感じていないのに、大人がそうみる。こと。

世の中、普通こうだから、そんなことがアタリマエに囁かれる。

今回、首藤さんの話を聞いて、そんな自分も自分の考えで同じように世の中のアタリマエを自分で作り出しているのではないかと考えた。

最後に首藤さんから質問は無いかと問いかけられ、聞いて見た。

私:「これだけ体格がいいので、不良になったことは無いですか?」

バカな質問かも知れないが、わたしと同じ世代の首藤さん。
自分の少年時代、そんな人が多かったので聞いて見た。

答えは、首藤さんは不良にはならなかった。そうだ。
逆に、ケンカをしている人を止めたと言っていた。

ここでも思う。

自分の時代はアタリマエだと思っていたこと。
大人なんか、と悪の道。。。

自分をしっかり持てば、たとえ環境が如何であろうと、自分の道を誠実に歩く。

そう思った。


首藤さんの事を知りたい人はユーチューブを

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埼玉県人を強烈にディスする映画
『翔んで埼玉』
2019年2月22日(金)より全国ロードショー。
http://www.tondesaitama.com/

「埼玉から東京に行くには通行手形がいる!」「埼玉県民はそこらへんの草でも食わせておけ!」「埼玉狩りだー!」などの徹底的な“埼玉ディス”過激な言葉、埼玉県民はどう感じているのだろうか?
気になる。。。

しかし埼玉県民は、逆に喜んでいる。映画も埼玉県民が楽しんで観ている感がある。
映画の公開前に埼玉県知事を表敬訪問したとき「悪名は無名に勝る。話題になること自体、悪くない」と上田知事は余裕の表情をみせた。と
https://www.sankei.com/entertainments/news/190208/ent1902080007-n1.html
ココに書いてあった。

我が北遠地域も同じではないか。
話題性をつくることが肝要だと考える。

北遠に暮らしている者は味噌でも食べておけ(爆)

浜北区から天竜区に入るときには通用手形がいる。

等々。

それにしても面白そう。
『翔んで埼玉』
北遠に住んでいて、水窪は田舎っぽいが。佐久間は田舎っぽさが感じない、と感じる。

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人権?
 人権を説明する前に
権力
 自分たちの暮らす社会には、様々な権力関係がある、警察と一般市民。会社の経営者と、被雇用者。学校の先生と生徒の間に力関係がある。
どのような社会においても、権力は生まれてくる。秩序をつくるために権力は必要だが、その権力を乱用することがある。
「権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対に腐敗する。」という格言もあります。
 何も策を講じなければ、弱い側は虐げられる一方になりかねません。そこで、権力関係の中でも人間の尊厳が守られるように、弱い側が「人権」という概念を生み出したのです。
人権
 人間が人間らしく生きるために必要な権利


新々原田橋の完成まで未だ一年必要だ。
未だ一年、後一年、速いのか遅いのか、有り難いのか、何をもたもたしているのかと怒るのか。

人権
 人間が人間らしく生きるために必要な権利
地元にとっての大切な大切なライフライン、国道、それが寸断されもう四年目が過ぎた。
迂回路は果てしなく遠回りだ。

権力におぼれている輩が、浜松市を牛耳ろうとしている。
誰もが自分さえ良ければ、自分の知人さえ良ければ、後は知らない。
そんな風が吹いている。

国が、政治を司る輩が、人権を考える。
そうゆう人たちが、格差社会の矛盾を真剣に考える。

格差のことを、貧富の差(経済格差)のことを、その中で富を持っている人が考える。
 底辺での生活者が考えるのが本当ではないか。
 

山間部の問題も、同じだ。
行政のトップがたまに来て、中山間地に地域ブランド、、、、?????

生きていくことは矛盾ばかり。
しかし、21世紀、その矛盾を下々の人たちが爆発できる世界に生きている。

人権
 人間が人間らしく生きるために必要な権利



日本の故郷が危ない。
ライフライン(命綱)
主にエネルギー施設、水供給施設、交通施設、情報施設などを指して、生活に必須なインフラ設備を表す語。

浜松市は水道事業を民営化にとの話が出ている。
ライフライ(命綱)
これこそが行政の仕事ではないだろうか?
アワビは仕事ではない。

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昨日のブログに拍手コメントが来た。


オラのおごりで行くのはイヤ。


さすが水窪の人、反応がイイ。。。


わたしの故郷は横吹だ。


最寄りの駅は


相月駅だった。


子どもの頃、こずかい握って水窪に遊びに行ったことがある。


水窪橋を渡った向市場の店の前にオレンジジュースの自動販売機があった。


懐かしい~。。。


向市場の駅はオバちゃんの駅員さんばかりだった。


横吹の先輩


エツジ君が


向市場の公衆便所でユルイ糞をした。


そこでエツジ君が一句


「柿食えば、黄色いものが、向市場」


ガキの頃、そんな冗談に腹を抱えて笑った。


コメントありがと~。。。


水窪のダイダイ先輩、ありがと~。。。


山に生きる会での忘年会で酒飲もうネ


追伸
面白かったよ~
ナオミちゃんからもコメントありがと~。。。

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仕事から帰って来て、畑の草取り。
夕飯前に晩酌。


テレビはほとんど見ずにパソコンの前に座って日記代わりのブログを書く。


21時には就寝。ZZZzzz


3月3日「富山村まで走って行った約21㎞ 」こんなことを書いた。


ブログのコメントは拍手コメント普通のコメント


拍手コメントは他人には書いた内容が見えない。


普通のコメントは書いた内容がブログに反映される。


どちらもスマホにお知らせメールが来る。


違うのは普通コメントはスマホで見える。


拍手コメントはパソコンでないと見えないようになっている。


先日いつものように、ブログを書いた。
袋井クラウンメロンマラソン2000 12th


さて寝るか。


パソコンをシャットダウンして、布団に入ると、スマホから。


「ピンポ~ン」


メールが来た。


拍手コメントだ。


まー、パソコンも切ったし、眠いし、明日にでも見よう。


そう思ったが、眠れない。


布団を取って、立ち上がり、パソコンを立ち上げた。


古いパソコン、起動までの時間が長い。。。


ようやく立ち上がり、侍ファクトリーのHPの管理ページに辿り着き、拍手コメントを見た。


3月3日に書いたブログの拍手コメントだった。


富山村の人も頑張っているね。70人くらいなのに(笑)

 

バカヤロー


富山村、一所懸命なんだョ。


ちなみに富山村、正確には現在60人とのこと。
左高生が一人いなくなるから4月からは59名(涙)


みんなで富山村に酒を飲みに行こうよ~。


ダムカレーをツマミに。


あんたのおごりで(笑)

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今から19年前、わたしが走った袋井クラウンメロンマラソン42,195㎞


参加賞のTシャツが今だ家にある。


当時のTシャツは綿製品で、下着代わりに着用している。


その時の記録をネットに保存している。
http://run2.ina-ka.com/kiroku.htm


記録
3時間35分39分
396位

メモには
朝6時に佐久間を出発、今日は曇り空。今世紀最後のフルはどうなるだろう。結果はちょっと残念だけど、今年無事に袋井を走りきれた。よかったよかった。
と書いてあった。


そんなTシャツを着てお風呂に入るとき、家内に
「そのシャツ前後ろ反対じゃない?」
と指摘された。


そんなことは無い。
ここのプリントは前になっている。
そう言って、タグで確認してみたが、そのダグな無い(汗)


表と裏の縫い目で確認したが、なんだか怪しい。


どうもプリントがある方が背中みたいだ。


今まで19年間、わたしは表と裏を反対に着ていたのだろうか???????


どうも思い込みが激しいオジーになったようだ(泣)

人生は楽しい。周りは迷惑、、、、カモ。

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『頑張る』の語源は『我を張る』つまり『無理をする』という意味だそうだ。


普段何気なく使っている『頑張る』『頑張ってネ❤』


マラソン大会なんかでボランティアが「がんばれ!」幼稚園の子供たちが「ガンバレ~~」と応援してくれる。

日本には古来から言霊という考え方がある。


言葉に霊的な力が宿ると信じられている、不思議な力があると。


いつも不平不満ばかりを口にしていると自らも不幸に足を踏み入れることになると。


『頑張れ~』も同じことだ、『頑張れ~』といった言葉が自分に帰って来る。


人を応援したつもりが、自分自身を応援している。


ウッチャン頑張ってネ。応援してるョ。

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富山村のレストランのオーナーからFBの友達リクエストが来た。


早々、承諾してメッセージで話した。


富山村の人口は70人前後だという。


そんな村は温泉がある。ダムカレーもやっている。


日曜日用事がない。


行こう。と計画していたが。


今日は、あいにくの雨。


そんなときに、知り合いが大阪を一人マラニックするとのLINE。


小雨ふるなか佐久間ダムを目指して走り出した。


エプソンGPSランニングウォッチをスイッチON


トンネルが多いため雨も気にならない、ラッキー。


クニャクニャ曲がった道が続く、ユルイ上りや下りもある。


夏焼の集落が見えた。富山村の集落が見えた。


富山村の集落の手前に、ゴールである湯の島温泉がある。


エプソンGPSランニングウォッチをスイッチOFF


な、なななんと159.2㎞


トンネルが多すぎて飛んじゃっている(涙)


湯の島温泉
http://www.vill.toyone.aichi.jp/cms/?p=1338
泉質 ナトリウムー炭酸水素塩・塩化物泉
少し濁っていてヌルヌルする。
とってもいい温泉だ。

ひとっ風呂浴びて、メインのダムカレー。


レストラン栃の木を探しながら歩いていくも。無い。そんなレストランが無い。


メッセンジャーで電話したら通り過ぎてしまった、とのこと。


店のオーナーがマイカーで迎えに来てくれ、無事にレストラン栃の木に辿り着くことができた。


早速、ビール。待ちに待ったダムカレーを注文


素晴らしい~。


横山のダムカレーとはチト違う。
ダムカレー&送別会 ラン約40㎞


帰りもオーナーが大嵐駅まで送ってくれた。


いろいろ、ありがとうございました。、


飯田線車内で栃の木で出会った浦川の人と祝杯。


佐久間にカンパイ。


様々な出会いが自分を成長させる。


身長ではないよ(笑)

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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