第5講「一つの目標」
氏曰く
諸君が将来真に力強く生きていくには、一つの目標を考えるのが良いかと思います。
試験を受けて、より上級に進む目標でなく、ほんとうの志す物を。
人として、この世に生れ、今師範学校で教育者になる道を歩んでいる人に。
そこで先生は提案した。
40歳になったら一冊の本を書いてみるのはどうか?
今日からこの目標を心に秘めて歩んだら、自分の歩んだ道が必ずしも間違いではなかったと感じるようになりましょう。
不惑の齢に達するときに一冊の本を。と言ったのであった。
第6講「意地と凝り性」
氏曰く
ひとかどの人物になる人は、小さいころからの特性がある。
意地とか凝り性というのもその一つ、そのように思う。
その意地とか凝り性の特性を純化する。
自身が持っている醜いもの人間の欲望などを純化することが大切。
生涯をかけて生き抜こう、という決心が生まれてくるんでなければ、真の修養とは言えないのです。
否、一つの目標を目指して、生涯を生き貫くというにとどまらず、さらには願わくば、この肉体が朽ち果てた後も、その人の歩みが後に来る人々の目標になる生きかたが、真に生き甲斐があると言えないでしょうか。
氏曰く(しのたまわく)
ココでの氏は森信三先生
森信三先生は おっしゃいました。
と。
戦前に大阪の天王寺師範学校の講師として勤めた頃の森信三先生の講義録。
修身教授録
なんの御縁か、わたしも読むようになった。
修身教授録を読み終わり、仲間で意見を交わす。
勉強&読書の仲間は職業や年齢は様々な人がいる。
そんな話しの中で心に残った言葉がある。
氏曰く
100年先のことを考え生きていくことが肝要である。
この場合
氏は山草人先生、と。
山草人先生は、おっしゃいました。と。
その人の歩みが後に来る人々のためになる生きかたが、真に生き甲斐があるといえないでしょうか。
自分の生き甲斐、他の人にとっても生きる糧になる。。。
頑張れと言えば、ガンバレ~っと帰って来る。
そんな生き方(*‘∀‘)
わたしの知り合いのブログで
「すべては1つである」という意識に基づき、「自分が原因になる生き方」つまり、よい影響力を与えることでみんなで良い結果を出していく生き方を意識的にしていくことが大事だと思います。
とあった。
全ては1つである。
個人コジンは別の人体かも知れないが、みんな繋がりを持って生きている。
「田舎が合併しただって」「そんなの関係ない。そんなの関係ない」オパピ~。
そんなギャグを飛ばした小島よしお の母親は沖縄県の久米島町 でオオ・ハッピーという食堂をやっている。
自分が原因になる生き方
よい影響力を与えることのできる人になるように努力する。こと。
自分は自分、他人は他人とは、自分かってとの話ではない。
人の話しに流されない。
自分の主張を簡単には曲げない生き方だと思う。
「自分が原因になる生き方」つまり、よい影響力を与えることでみんなで良い結果を出していく生き方を意識的にしていくことが大事だと思います。
全ては1つである。
みんなつながっている。
走ることも、自分一人の力ではない。
駕籠に乗る人担ぐ人そのまた草鞋を作る人
世の中は、様々な境遇の人が持ちつ持たれつして成り立っているのだ。
自分の仕事を一所懸命に。。。
テレビの時代劇、寺子屋の場面で、子どもたちが孔子の論語を素読している場面がある。
子曰く、学びて時に之(これ)を習ふ。
亦(また)説(よろこ)ばしからずや。
朋(とも)有り、遠方より来たる。亦楽(えきらく)しからずや。
人知らずして慍(うら)みず、亦君子(またくんし)ならずや
通訳
孔子は言った。
物事を学んで、後になって復習する。
なんて悦ばしい事だろう。
遠くから友達が自分に合いに訪ねてくる。
なんて嬉しい事だろう。
他人が自分をわかってくれないからって
恨みに思う事なんてまるでない。
それでこそ君子というものだ。
君子→最も好ましい人物のこと。
子曰く、巧言令色、鮮(すく)なし仁。
通訳
孔子は言った。口先が上手で
顔つきをころころ変える人間が、
仁者であることはめったにない。
仁者→ 情け深い人。儒教の説く仁徳を備えた人
子曰く、人の己を知らざるを患(うれ)えず、
人を知らざるを患うるなり。
通訳
孔子は言った。
他人が自分を分かってくれない事よりも、
自分が他者の価値を
認めようとしない事の方を心配しなさい。
昔の寺子屋では
「し、のたまわく」
で始まった。
「子曰く」しいわくではなくのたまわくと。
対等な関係の人や目下の人が言った場合には「いわく」
先生や年長者など目上の人が言った場合には「のたまわく」
だそうだ。
昔の日本の教育は、幼少の頃から、論語を孔子の言葉を素読で撤退的に叩き込んだ。
人間とはどう生きるべきか。と。
世の中が経済優先になって、お金があれば何でもできるのではと変わってきた。
今の大人たちにこそ、孔子の論語を読んで自分の生き方を考えるときだと思う。
子曰く、学びて時に之(これ)を習ふ。
名古屋から金沢まで桜で結ぼうと、桜を植えた人がいる。
その人は、名古屋から金沢を往復するバズの車掌だった、故佐藤良二さん。
桜の苗木を植え続けたが、志半ばで病魔に倒れ47歳で生涯をとじた。
その話はテレビドラマや本で紹介されている。
さくら道
JR東海バス株式会社の前にに句碑がある。
元国鉄バス車掌の佐藤良二氏が、太平洋と日本海を桜で結びたいと名金急行線の沿線に荘川桜の木を植え続けた話しのこと。
1966年に植えた一号桜とその碑が建てられています。
佐藤良二さんが病魔に倒れ病院で言った言葉が刻まれている。
この地球の上に
天の川のような
美しい花の星空を
つくりたい
花を見る心が一つになって
人々が仲良く暮らせるように
佐藤良二
2015年4月
そんな道を一人で走った。
4年前の春のこと。
さくら道国際ネイチャーラン266㎞
http://shirotori-gujo.com/sakuramichi/main.html
毎年春にそんなウルトラマラソンがある。
それは1960年(昭和35年)日本の高度成長の時期、岐阜県荘川村に御母衣ダム建設での荘川桜の移植作業から始まった荘川桜物語からだった。
荘川桜物語
http://www.sakura.jpower.co.jp/about/slide/
昨日、自分も一本桜の苗木を植えた。
人から何度も聞くより、一度実際に自分の目で見るほうが確かであり、よくわかる。
そんな意味だ。
今、沖縄は米軍の基地問題がある。
そんな沖縄に、私のラン友が数人、沖縄一周の旅ランをしている。
テレビや新聞、ネットなどで沖縄のことを聞いてはいるが、行って本当のところを見てみたいとナ~っと思っている。
「百聞は一見 に如かず」
この言葉には続きがある。
百見は一考に如かず
百考は一行に如かず
百行は一果(効)に如かず
百果(効)は一幸に如かず
百幸は一皇に如かず
だ。
意味は、こうだ。
百聞は一見 に如かず
聞くだけでなく、実際に見てみないとわからない
百見は一考に如かず
見るだけでなく、考えないと意味がない
百考は一行に如かず
考えるだけでなく、行動するべきである
百行は一果(効)に如かず
行動するだけでなく、成果を出さなければならない
百果(効)は一幸に如かず
成果をあげるだけでなく、それが幸せや喜びにつながらなければならない
百幸は一皇に如かず
自分だけだなく、みんなの幸せを考えることが大事
佐久間町が12市町村の合併を決めたその年、ウルトラマラソンを走る仲間と知り合いになり。
とんでもないと思っていた、ウルトラの世界を知った。
そして
百考は一行に如かず と100kmマラソンにチャレンジしてみた。
浜松市に合併をした山間部は衰退の一途だ。
そんな
浜松市を浜松駅から日本で二番目に大きくなった浜松市を突き抜け、長野県の「遠山郷」までの90㎞を8年前から走る仲間と走っている。
浜松市、全体のことを知ってほしい。と思い。
百幸は一皇に如かず
浜松の都市部だけではなく、浜松市全体の幸せを考えることが大事 。
ボロは着てても心の錦♪
どんな花より綺麗だゼ~♪
「何着ても美しうなる月見かな」
加賀千代女
「月見」という季語から季節は秋
中秋の名月のときに、女性たちは子供達と一緒に、お団子などを食べながら「お月見」を楽します。
月灯りに、普段着の女性・子供達が生き生きと美しく輝いて見えたと表している。
また「何着ても」とは、どんな身分の人であっても、あるいはどんな民族、身分、職業であっても、お月さまの下では、等しく平等である。
俳句は日本人の感性の賜物。
加賀千代女
江戸時代の女流俳人で、松尾芭蕉の『奥の細道』が刊行された翌年(元禄 16年=1703年)に生まれています。
最も親しまれている作品に
「朝顔に つるべ取られて もらい水」
が、あります。
ボロは着てても心の錦♪
どんな花より綺麗だゼ~♪
「何着ても美しうなる月見かな」
加賀千代女
の作品に
日本人女性の女性らしさ、凛とした生き方がうかがえる。
まさに
ボロは着てても心の錦♪
どんな花より綺麗だゼ~♪
だぜ~。。。
知り合いに、松尾芭蕉の『奥の細道』の行程を旅ランした女性がいる。
「蚤虱馬の尿する枕もと」
の句で有名な山形県に行った時が印象だったと話していた。
旧有路家住宅(封人の家)
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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