とき:平成31年3月31日
(男性:504名 女性:160名 計664名)
浜松市民の参加は394名(男性303名女性91名)
遠隔地
東:千葉県
西:滋賀県
最高齢者
男性:83歳
女性:77歳
私は、知り合いと、こんな格好で参加した。
秋葉ダム桜マラソンは、1991年のとき31歳のときに水窪のフジユニバンスの先輩ランナー(ユキ兄)と走ったところだ。
わたしの初マラソンだった。
my記録
あれから28年後。
私は、その桜マラソンを走るために集まった集団の中にいた。
わたし達三人のタスキを見て、ある人が声をかけた。
「浜松市の献血センターで働き始めたのですが、、、、どのような団体?」
「静岡県骨髄バンクを推進する会の者です。」
と丁寧に答えた。
その他、様々な人と話した。
年配ランナーは、昔の手書き時代の記録表を懐かしく語った。
そうこうしているうちにスタートだったのか、664名のランナーが移動し始めた。
ユックリゆっくり進んだ。すきまを見つけて前を急いだ。
同じタスキの人が、前を行く。追いかけた。
ボランティアの人が沿道から私に声をかけてくれた。
高野さんだ。
膝の調子が悪く走っていないみたいだけど、ボランティア活動で秋葉ダム桜マラソンに携ったのだ。
彼の分まで頑張ろう。自分なりに。
ココのコースは、秋葉ダム湖畔を往復するコースだ、しばらくすると速いランナーが帰って来る。
激を飛ばすが、自分は自分のペースを守る。
あの人が、こんなに前を走っている。自分にとってのライバルが。
折り返しを過ぎ、頑張ってスピードをと思うのだが、今は無理はできない。
自分のペースを守って走る。
あと3㎞、若いランナーと並走する。
初マラソンだという。
知り合いが、袋井メロンマラソンを走ったので、自分も走ろうと考えていると言っていた。
「35㎞の壁があるペースを守っていけば大丈夫」
「頑張れ。」
「今は、ココを頑張りまいか」
と、お互い激を飛ばしあった。
すると、彼のペースがあがった。
若さだナ~。
あと2㎞
あと1㎞
桜の花が満開の桜並木の下を必死に走る。
1991年、わたし31歳の時にも必死になって走った道だ。
無事にゴールできた。
48分50秒
ゴールタイム。順位。
もちろん大切な記録だけど。
それ以上の大切な経験をさせていただいた
秋葉ダム桜マラソン
ラン友、ボランティアの人たち。
ありがとうございました。
しんしん
今日は浜松市の山奥、龍山町で
秋葉ダム桜マラソン10㎞
ダム湖畔の駐車場に着き、スマホを見たら。
知り合いからラインがあった。
受付会場のテントの崩壊写真とともに
「秋葉ダム。まさかの雨!嵐!アタシ、とことん、雨女か?」
とコメント。
は~。
受付会場に行き龍山協働センターの所長に出会い、大変だった話を聞く。
今日の平成最後の秋葉ダム桜マラソン、風が強く吹いていた。
『風が強く吹いている。。。』しんしん
おわり。
昨日、龍山の白倉川沿いに上り白倉峡に行ってきた。
走る仲間と一緒に。
そこには村があり、意外に家が多いと感じた。
走る仲間は私を入れて四人。
ソレゾレ感じ方は違うのだろう。
水窪の旅館に宿泊したことがある。
城小の同窓会で、フジユ二バンスの飲み会で、走る仲間と一緒だったり。
あるとき、そこの女将さんと話し。
「出たたもんが勝ち組で、残ったもんが負け組みたいで、かなんゾ~」
と聞いたことがある。
水窪での駅伝「北遠駅伝」での輸送バスで、水窪のランナーだろうか?
こんな話を耳にした。
「ニューギ 祀ってきたか~」
「おら~そんなのヤランクしたゾ~」
「オジ~がうるさすぎて」
「めんどくさったいゾ・・・・・」
残ったもんんが貧乏クジ引いたじゃ~ダメだぞ!!
人は、発達した脳があり、様々な事を感じ、自分で判断する。
また、他の人の考え方を聞き、自分の考え方を修正する。
今回のマラニックやフェースブックでの発言から自分も。。。
駕籠に乗る人担ぐ人そのまた草鞋を作る人
世の中には様々な職業がある。地位も様々だ。
社長もいれば平社員もいる。
そんな立場の違う人でのマラニック。
最高に贅沢な大人の遊びだと思う。
毎年、コースは
やすらぎの湯~峰の沢橋~青谷ポケットパーク~青谷~大庭~不動滝~寺尾~瀬尻ドラゴンママ~瀬尻橋~上平山~下平山~やすらぎの湯
だったのが、今回はコース変更をしてみた。
やすらぎの湯~秋葉ダムの堰堤を渡り、大嶺の集落を訪ねた。大嶺の集落の頂上に、そこからの下りには岩明(ガンメイ)の集落がある。
岩明の集落を下りきって、
2018年3月のブログ
たつやま凸凹(春)スペシャルコース試走
この時には、夏秋の集落を目指したのだが、今回は下り白倉川まで行き、白倉川沿いを白倉峡を目指し走った。
昔、熊村方面から東海道自然歩道は龍山まで来たことがあるので、その分岐までは知っている。
そこから白倉までは初めての道だ。
初めて訪れた白倉の集落、意外と家の数が多かった。
60軒くらいあるだろうか?
富山村と似ている。富山村より急斜面ではない。
白倉川には白倉峡として遊歩道が整備されている。
白倉峡の遊歩道、入り口にも出口にも公衆トイレがある。
龍山村のときに整備したのだろう。
今、浜松市になり、様々な問題があることだろうと思う。
唯一働く場所だった村役場、そこで働く職員が浜松市の職員になることにより子も持つ世代の流失により人口減少。
白倉の集落から、二キロ先に行くと「龍山秘密村」に出る。
ココは国が進める故郷応援隊の人が経営しているという。
腹も減ったし、ココで持ってきた食べ物を出し合いお昼ご飯とした。
曇り空、雨が心配だったが、何とか降らないでいてくれた。
今回、参加してくれたメンバーの行いが良いのか、雨に見舞われることは無かった。
帰り
白倉峡の集落にピンクに咲き誇る桜の花に目が行った。
友さんが、サクラを見に行こうとの号令で、サクラ見物に行った。
その白倉の集落の真ん中に、大きなシダレ桜が満開だった。
昔、母親が佐久間の老人ホームに御世話になっているときに、白倉の人と話したことがある。
白倉に着たときには是非寄ってと言ってくれた。
農作業の人に聞いた、その家は留守だった。
(白倉のでは、ありません)
白倉の集落を後にして、ゴールである秋葉ダムに向かって走る。
西川の集落で秋葉ダム下流の吊り橋を渡り、秋葉ダムの千本桜を眺めながら、ゴールであるやすらぎの湯に着いた。
14時。
5時間ちょっとのマラニック、その後、やすらぎの湯での湯船で、朝登った大嶺の集落を眺め、ふとサクラ見物の人を見ると
マスクをかけた長身の人が、、、なんか見たことがあるような。
いろいろな出逢い、人も地域も景色も、そんなマラニック。
魅力を感じる。
2014年の動画↓
浜北プラザホテルの宴会場入り口(左側)には「日日是好日」という大きな額があった。
入口の右側には「一期一会」と書いてある大きな額がある。
日日是好日→「毎日毎日が素晴らしい」
一期一会 →「一生に一度だけの機会」
経営者の教えを、その二つの額で垣間見ることができる。
一期一会
茶道に由来する日本のことわざ・四字熟語。茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味する。茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と戒める言葉。
一生に一度だけの機会そのものを指す語としても用いられる。
ウィキペディアから。
今日は私の暮らす北遠(ほくえん)に3人の友が遊びに来る。
一期一会の考えで接しようと思う。
今日できる最高のおもてなしで、迎えよう。と。
話しは変わって、その三人とは、浜松市以外の人だ。
浜松市は今、浜松市市長選真っ盛りだ。
三人が立候補をして、選挙戦を争っている。
争点は浜松市の活性化、中心市街地を活性するには?
浜松市は元気がない。
中心市街地が衰退し、人口の転出超過が続く。
それは、人々が、より便利さを求めているから。
北遠(ほくえん)もそうだ。
便利→良い
不便→悪い
こうゆう図式が成り立っている。
人々はより便利な生活を求めている。そのことが問題ではなかろうか?
足るを知る。こと。
それが今の時代だからこそ大事ではないかと、便利なこと快適なこと、もちろん大切だけど、足るを知ること大切だと思う。
一期一会
今回、北遠に遊びにきてくれる三人を、おもてなしの心で迎えて、このような話をしようと思っている。
今日という日は二度とないのだから。
お会い出来て、ほんとうに良かった。
そう思えるように、こんな景色に出会えて良かった。
自分自身も、そう思えるように。
今日一日を楽しもう。と思う。
「日日是好日」は、表面上の文字通りには「毎日毎日が素晴らしい」という意味であ。
そこから、毎日が良い日となるよう努めるべきだと述べているとする解釈や、さらに進んで、そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり常に今この時が大切なのだ、あるいは、あるがままを良しとして受け入れるのだ、と述べているなどとする解釈がなされている。
ウィキペディアから。
この言葉は、昨日の送別会の会場である。
浜北プラザホテルの宴会場の入り口にあった額に書いてあった。
日々について良し悪しを考え一喜一憂するよりも、今この時を大切に生きる。こと。
今朝は五時から走った。桜が咲き始め、芽吹きの香り。の中を。
佐久間は佐久間ダムがあり。竣工のときに桜を植え、その桜が老木になってきた。
昭和31年竣工の佐久間ダム、もう63歳だ。
ソメイヨシノの寿命は60年、枝が枯れ、危ないとの話もある。
もう伐採された桜の木もある。
今に、桜の木も無くなるかもしれない佐久間町。
そんなことを憂うより、今を楽しく生きる。
日日是好日、かな。
何年前YouTubeだったか。
父親の植えた桜の木も写っている。
サクラ咲く佐久間
記憶に残っている。
2011年
統一地方選の政令指定市長選が27日、浜松市長選は、現職の鈴木康友氏以外に立候補の届け出がなく、無投票再選が決まった。政令指定市長選が無投票となったのは初めて。
とニュースでの報道があった。
2019年
今回は三人の立候補者が出る。
★鈴木康友氏 61歳
★野沢正司氏 69歳
★山本遼太郎氏 32歳
浜松市長選 立候補者の略歴、横顔とマニフェスト(公約集)
三氏の中で、特に注目なの山本遼太郎氏なのだと思う。
昨日YouTubeで街頭演説を聞いてみた。
32歳、子どもが生まれたばかりだという。後ろで奥さんが立っていた。
マニフェストに
▽中山間地域の道路整備と公共交通の安定継続
と、あった。
シルバー民主主義といわれている最近の日本の国、少子高齢化の進行で有権者に占める高齢者の割合が増し、高齢者層の政治への影響力が増大する現象。
多数派の高齢者層に有利な考えが横行している。
自分なりに考え、今回の選挙、投票所に行こうと思っている。
自分だけのことでなく、山間部のことだけではなくこらからの浜松市のためには誰がいいのかと考えながら。。。
アジアの歌姫、テレサ・テン
1953年1月29日~1995年5月8日
42年間を熱く生きた女だった。
10歳の時、ラジオ局主催の歌唱コンテストで優勝。天才少女として注目を集め、14歳の時にプロ歌手としてデビューする。
21歳の時に日本での歌手活動を開始、最初は思わしくなかったが、演歌歌謡曲路線に転向したところ、日本でのデビュー2作目となる「空港」が大ヒットする。
1989年
中華人民共和国の民主化支援コンサートに参加。約30万人の前で、平和を願う「我的家在山的那一邊」(私の家は山の向こう)を歌い、亡命した民主化活動家とも交流を持った。
ウィキペディアから。
民主化支援の、そのテレサ・テンのはちまきには「民主万歳」と書かれていた。
夢は叶わないのか?
中国語「民主万歳」→日本語「民主主義」
Google翻訳
日本は民主主義で自由で平和な国だ。
民主主義、人民が権力を所有し行使する政治形態。
日本のような国を望んだアジアの歌姫、テレサ・テン
この歌声に魅了する。
とくに「別れの予感」この歌にオジサンの心はキュンとする。。。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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S | M | T | W | T | F | S |
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