第一部修身教授
第一講・第二講・第三講・第四講 ~~ 第四十講
第二部修身教授
第一講・第二講・第三講・第四講 ~~ 第三十九講
先日第二部「修身教授録」
第二十六講
二種の苦労人
第二十七講
世の中は正直
を読んだ。
後半が見えてきた。
マラソンで言えば、35㎞あたりか。
残り
第二十八講
平常心是道
第二十九講
人生興味津々
と続いていく。
「修身教授録」
今という日を生きている人が、先の世を生きた人の本を、読んで感想を語り合う。
読書会
百聞は一見にしかず
百見は一考にしかず
百考は一行にしかず
百行は一果にしかず
「修身教授録」
読んだだけではなく、この森信三先生の生き方を学ばなければならない。
その本の存在を聞いて、実際に読書会に参加して、自分なりに考え、今の自分の生き方を考える。
「修身教授録」
最後まで読み終わったら、なにが変わるのだろうか?
一月の勉強会のブログが残っていない?
何故、考える。
そうだ、ブログを借りているWebサービスがパンクしたのだった。
それで、ブログに残すことができていないのだった。
「ほくえんの風」は忍者ツールズから借りている(タダで)ホームページは有料だ。
何故、いろいろ訳がある、それを知らない人もいる。それでイイのかも知れない。
森信三先生話「二種の苦労人」がいると言っている。
苦労したからによって、思いやりが育つ人がいる。
また、おもいやりが育たない人もいると、そんな感じだろうと私は読んだ。
「世の中の正直」一部抜粋
p449
私は世の中が不公平であるというのは、その人の見方が社会の表面だけを見て判断したり、あるいは短い期間だけ見て、判断したりするせいだと思うのです。
つまり、自分の我欲を基準として判断するからであって、もし裏を見、表を見て、ずっと永い年月を通して、その人の歩みを見、また、自分の欲を離れてみたならば、案外この世の中は公平であって、結局はその人の真価通りのものかと思うのです。
原文まま
森信三先生は世の中は公平だという。凡人の私はそうかナ~と思う。
私より長く生きた人は、やはりそうだと思う。そんな人が多かった・・・。
集まった人の中で一月にインドに旅行した人がいるので聞いてみた。
インドは未だカースト制度があり、乞食が大勢いたという。沢木耕太郎の「深夜特急3」インド・ネパールで、少しはインドを知っていると感じた、が。
そんなとき、インドに行った人のレポートが私の所に廻ってきた。
ある女性のレポートが貧富の差が無い平等な世の中を願っていた。
池ちゃんの講演のとき山口香苗先生の話もあり
男と女の違い
男→現実・結果
女→理想・過程
女→ミラーニューロン→自分=他人
男→メタライジング→ 自分≒他人
ミラーニューロン→経験値が育てる
メタライジング →冷静な判断の元
そんな、事を話していた。
男性の人たちは、貧富の差は
「しょうがない」と言い。
女性の人たちは
「かわいそう」と思う。
日本は戦争を起こした国だ。
理由はあるにせよ、宣戦布告した。
それはメタライジング優位の男性社会だからという話もある。
戦争を経験した母親に
「おまえは苦労知らずだ」
と言われたことがある。
苦労知らずの私が、戦前、森信三先生が遺した講義の記録「修身教授録」を読む、読書会に参加するようになった。
ある人が、人生とは?すなわち時間である、と話した。
それは
今、ここ、この時を大切にすることである、と。
年代の違う、様々な人と触れ合う事、大切です。
「おもいやり」という言葉がある。
他人の気持ちになり、考えること。同情。
そんな意味だ。
池谷直士さんの本に出合った。
そして、池谷さんの講演をラン友と聞きに行った。
人は見方によって、不幸にもなるし、幸せにもなる。
そんな、池谷さんの話しだった。
「自分は何て幸せなんだろう」
と思えば、幸せなんだ。
人は、大きな脳を持っている。
その脳に、様々な記憶が蓄積されていく。
そして、自分の経験したことで、自分の行動を考えていく。
「おもいやり」
遠くから思うこと。想像。推量。
思いめぐらすこと。思慮。考え。
人は、様々な経験をする。良いこともあれば、大変なこともある。
大変なことを経験し「おもいやり」の心いっぱいの人がいる。
そんな友達に囲まれて、私は幸せだ。
123・123・123・・・・・・・
右足・左足・右足・左足・右足・左足・右足・左足・右足
走るときに、ワルツのリズムで走ると良いのだそうだ。
123・123・123・・・・・・・
と、3歩目で少し蹴りを強くする、と良いという考えだ。
ワルツのリズム、三拍子だと、丁度右足と左足が交互に強く蹴りだす足になる。
ミッキーさんは、こんな走りで故障知らずだそうだ。
自己啓発の源流「アドラー」の教え。
「嫌われる勇気」「好かれる勇気」で、生きるということを、山登りで例えていることを否定して、アドラーは踊るように生きるのだと言っていた。
人生のパートナーを見つけ、二人で踊るように生きるのだと。
夢中で踊っていて、知らぬ間に辿り着いた今という世界、そんな感じだ、と。
昨日の夜ラン
123・123・123・・・・・・・
右足・左足・右足・左足・右足・左足・右足・左足・右足
私も、ワルツのリズムで走ったが、座骨神経痛なのか?
お尻の奥の方が痛い(涙)
チョットした意見の違いで、些細な口喧嘩がおこる場合がある。
バカにされたとか、バカにしたとか、笑い話で終わることもあれば、深く傷つくこともある。
山草人著の本「時が輝くとき」そんな本に、韓国の青年からスマホの画面を向けられた場面がある。
そこには
尊敬
と書いてあったそうだ。
自己啓発の源流「アドラー」の教え。
「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」で青年が中学校の教師になり学級での指導に苦慮している場面がある。
叱る教育 褒める教育
大声で叱っても良いのか? 生徒の好いところを褒めて伸ばす方が良いのか? と。
哲人は、アドラーの教えは、褒めてもダメ、叱ってもダメ。
お互いが「尊敬」し合うのが基本だと。
相手を「尊敬」しなければ、自分も「尊敬」されることは無い。と。
国家間の争い、戦争も同じだ。
上から目線で、他の国を批判しただけでは争いは尽きない。
中部天竜駅を始発の電車で名古屋に向かった。
中部天竜5時25分発、名古屋駅に8時01分に到着した。
待ち合わせ場所「金の時計」集合時間は9時15分、まだ大分時間がある。。。
ホームでウドン。酒も。
遅れてきたラン友と合流。
三人で名古屋のななチャンに会いに行く。
モード学園のビルも前でも写真。
田舎者、まる出し(笑)
9時前だけど、「金の時計」集合場所に、もう多くのラン友がいた。
コースは
金の時計~愚痴聞き地蔵~ノリタケの森~円頓寺商店街~名古屋城~名古屋市政資料館~文化のみち~建中寺公園(昼食)~建中寺~カトリック布池教会~へちま薬師~鶴舞公園~大須観音~山王温泉喜多の湯
思い思いの格好でジョギング。
ノリタケの森で自己紹介、私は夢街道の宣伝をかねておどけて見せた。
昼食のとき、ウッチャンに頂いたSuki pass を使おうと「すき家」を探した。
スマホのアプリで「すき家」を見つけ探し回った。
4人で牛丼(並)4杯、ビール二本計2030円也。
コスパ最高。。。
Suki passを使うことができた。ミッジョンクリア。
佐久間では使うことができない(涙)
大須観音で休憩、御土産にと青柳ウイロウを買う。
名古屋だからウイロウ、と思った。
大須観音だから、大須ウイロウがあることを、名古屋のラン友の話で知った。来年は大須ウイロウにしよう。と思った。
ゴール、山王温泉喜多の湯。
温泉に入って、そこの食堂で(酒)
飲んで食って、夜中の7時。
名古屋駅まで徒歩、ランナーは歩くことは苦にならない。
私は帰りの電車が心配、名古屋駅を20時25分の電車に乗り、中部天竜駅に23時45分に到着。
なんとかその日のうちに家に辿り着くことができた。
JR東海、お得なキップ「青空フリーパス」2650円
存分楽しむことができました。
私に希望を与えてくれた。浜北の池ちゃんの動画で「使命」についての話があった。
誰でも神様と約束をしてきて生まれてきた、と。
何かの本で読んだことがある、人に残っている記憶は、幼少の頃に記憶は残っていない。
忘れていく、のである。
人は命とは、誰でも母親のお腹の中で、「命」生命体は始まっている。
産まれたばかりの新生児の姿を覚えているだろうか?
まだ目が見えない時、笑うしぐさをするときがある。
「神様と話しているんだョ」
と、今は亡き母親に聞いたことがある。
人は人間とは、誰でも「使命」を持って生まれてきた。
今日は
名古屋いいとこマラニック
飯田線の始発で名古屋に向かう。
「使命」私にとっては何だろうか?
北遠駅伝とは?
15年前、合併して日本で二番目に大きくなった浜松市の北の果ての駅伝大会だ。
浜松市の南、広大な遠州、北遠とは北の遠州という意味ではないだろうか。
とにかく、その駅伝は68回目を迎えた。私の産まれた8年前に始まった大会だという。
1952年(昭和27年)北遠駅伝は始まった。
昭和・平成、そして令和の時代も北遠駅伝大会は続いている。
私は1988年(昭和63年)に北遠駅伝に初めて参加している。そして二区を走っている。西浦から池島まで、三遠南信「草木トンネル」の工事で水窪町は賑わっていた。
そして1992年(平成4年)のときも北遠駅伝に参加して、40回記念大会ということで参加賞として腕時計を頂いたことを記憶している。
時代という流れ。
北遠駅伝大会も、私が始めて走った時と比べ変わってきた。
が、今年も、その北遠駅伝で走ることができた。走る仲間の流れに加わることができた。
今回の北遠駅伝のメンバーに、北遠駅伝の始まった年が自分の誕生した年だという人がいた。
北遠駅伝を行った、北遠駅伝大会の重ねた回数が、自分の年齢だという人がいた。
時代は巡っている。世の中は変わっている。
が、しかし、変わらないように頑張っている人がいる。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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