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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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昨日は水窪のNPO山に生きる会の活動だった。
暑い中休憩の時に、水窪の昔の話に花が咲いた。
水窪には”もったいない”そんな文化がある。
炊いたご飯を食べるとき一粒残さずに食べるのが水窪の流儀だと。
ご飯を食べ終わって最後、茶碗をネブルとか。

そんなとき長老の、ある人が。
「爪で拾って箕(み)でこぼす。」
だわいや。
と。

コッパイして育た子供も帰っちゃ来ない。

昔は病気しても神主を呼んで村中で、その人の病気が治るように拝んだ過去がある。
また、そんな祈りが効いて治ったこともある。

クダショウと言う話もある。
私の母親は、本物のクダショウを見たと真顔で言ったときがあった。

そんなこと迷信だと片付けないでほしい。

そんな過去があり、今の世の中へと時代は繋がっているのだから。

爪で拾って箕(み)でこぼす。

そんなもったいないことやると罰が当たるゾ

私たちの親たちはみな

爪で拾って箕(み)でこぼす。

そんな気持ちで子供達を育て上げたのだと思う。

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12市町村が合併して新浜松市が誕生し、私の暮らす佐久間町ではNPO法人ができた。
がんばらまいか佐久間」だ。
九年間、その活動に参加したが疑問な事がいくつかあった。
①元役場の職員の人が一人もいない?
②元佐久間町会議員の人は女性の議員一人だったこと。
(その人も家庭の都合で佐久間を去った)
③理事・委員会の人には活動報酬があるけど町人の人は無報酬。
数えたらきにが無い。


 やめまいか・・・佐久間。

野田から活動に参加している女性の方が、その活動に見切りをつけ水窪に出来たNPOに参加すると言った。
私も、その人に着いていった、というわけだ。
がんばらまいか佐久間も、今活動に参加している山に生きる会も、如何して参加しているのか考えるときがある。

ボランティア活動
誰もが人間らしく豊かに暮らせる社会になるよう、身近なところでできることを自らすすんで行う活動です。金銭的な報酬を期待せずに行う活動であり、お金では得られない出会いや発見、感動が得られます。

お金ではなく人の出逢いでデッカク生きろ。
人との出会いが、多くの人に出会い様々な考え方に触れられるのがイイのだと思う。
今日は佐久間町という山奥からの水窪町の山奥の地域に活動に行く。
早くコロナが終息し、都会からも多くの参加をしてくれるようにと期待している。

山間部は少子高齢化で大変な状態なのだから。
山に生きる会
活動
お金では得られない出会いや発見、感動が得られます。

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第36講 一日の意味
第37講  ぺスタロッチ―

 

一日の意味
一日は一生と思い、今日やるべきことはやって締めくくるのである。眠りにつくのである。
人生の最後も、やるだけのことをやって死を迎えれば、それでいいのだと。
そんなことが書いてある。
人それぞれ同じ内容の書物を読んでも感じ方は様々だ。
自分も考えた。
自分の一日の最後、汗をかいて作業をして家に帰ってビール飲んで次に酎ハイかハイボール。知らないうちにZZZzzz

 ぺスタロッチ―
スイスの教育家。ルソーの影響を受け、孤児教育や児童教育に一生を捧げた。人間の諸能力の調和的発展を教育の目的とする理念や実践は、近代西欧の教育界に大きな影響を与えた。
デジタル大辞泉の解説から

一日一生
今日は暑い中、外での作業、自分なりに頑張った。
いつものように夕ご飯前にビール、早く寝たのでこんな時間にブログ、自分の一日の時間を使った。
明日は、水窪のNPO山に生きる会で登山道の整備のボランティア活動。
一日一生
人は生まれ、やがて死んでいく、それが人生だ。
一日は人生の縮図だという。
第36講 一日の意味。
人それぞれ同じ内容の書物を読んでも感じ方は様々だ。
大切なことは、どう感じただけでなく、そんな考えを知ったこと。

今日は残りの人生の最初の一日
今日の仕事は草取りだった。
明日は登山道の整備(^O^)/

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昭和天皇論を読んだ。
昭和という日は、1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和 64年)1月7日まで続いた。
私は1960年(昭和35年)に生まれた。

「武士道」を書いた新渡戸稲造は1862年9月1日(文久2年8月8日) - 1933年(昭和8年)10月15日)まで生きた。
念ずれば花開くの坂村真民は
1909(明治42年)年1月6日 - 2006年(平成18年)12月11日、97歳で永眠。
坂村真民の詩は小学生から財界人にまで愛され、その詩碑は全国、さらに外国にまで建てられている。森信三が早くからその才覚を見抜き後世まで残る逸材と評した。

その森信三先生は
森 信三(もり のぶぞう、1896年(明治29年)9月23日 - 1992年(平成4年)11月21日)は、日本の哲学者・教育者。通称、しんぞう。
★人生二度なし
★真理は現実のただ中にあり
また、徳永康起遺文集にも記載されている通り、以下の文章を精力的に広めることを推奨していた。
人間の一生(読み人知らず)職業に上下もなければ貴賤もない。世のため人のために役立つことなら、何をしようと自由である。しかし、どうせやるなら覚悟を決めて十年やる。すると二十からでも三十までには一仕事できるものである。それから十年本気でやる。すると四十までに頭をあげるものだが、それでいい気にならずにまた十年頑張る。すると、五十までには群を抜く。しかし五十の声をきいた時には、大抵のものが息を抜くが、それがいけない。「これからが仕上げだ」と、新しい気持ちでまた十年頑張る。すると六十ともなれば、もう相当に実を結ぶだろう。だが、月並みの人間はこの辺で楽隠居がしたくなるが、それから十年頑張る。すると、七十の祝いは盛んにやってもらえるだろう。しかし、それからまた、十年頑張る。するとこのコースが一生で一番面白い。
ウィキペディアから

私の知り合いで、今古希を過ぎ、こらからの10年を夢見ている人がいる。

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「武士道」新渡戸稲造 現代日本語訳:夏川賀央
国境のない日本で「善悪」の観念を授けた宗教以外のもの、それは「武士道」
我が国の封建制度と武士道が理解されない限り、現在日本の道徳観念は、封をした本と同様なのだ。
1900年(明治33年)英語で出版された『武士道』は、全世界の人たちに日本人の精神性を知ってもらうきっかけになった。

第1章 
武士道とは、生きるための道である
第2章
武士道の源流
第3章
「義」あるいは「正義」
第4章
勇、すなわち勇敢で我慢強い精神
第5章
仁、すなわち哀れみの感情
第6章

第7章

第8章
名誉
第9章
忠義
第10章
サムライの教育と訓練
第11章
自制(克己、セルフコントロール)
第12章
「切腹」と「仇討ち」の制度
第13章
刀、侍の魂
第14章
女性の教育と地位
第15章
武士道の影響
第16章
武士道まだ生きていけるか?
第17章
武士道の未来
解説
いま私たちに必要な日本人の「心の書」

最後、解説で
「何年もの年が流れ、武士道の習慣が葬りさられ、その名さえ忘れられる日がきても、その香りは空中を漂っています。『路辺に立ちて眺めやれば』私たちははるか遠くの見えない丘から漂ってくる、その爽やかな香りを、いつでもかぐことが出来るのです」
この香りがピンチになると、いつでも空中を漂ってくること。
それが日本という国の一番の強みではないか?・・・・・そんなふうに私は思うのです。
原文ママ

日本という国は、多くの偉人たちにより育て上げられた。
現代を生きる私たちは、こらから如何して生きて行けばいいのか。


「武士道」マンガで読破 kindle版
も読んだョ~(^O^)/

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NHKアナウンサー鈴木健二さんの著書「気くばりのすすめ」そんな本が遠い過去に流行っていた。
そんなことは知っていたが、その本は読んだことはなかった。
そんな私が
最終版「気くばりのすすめ」を読んだ。

鈴木 健二(すずき けんじ、1929年1月23日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元NHKアナウンサー。
『歴史への招待』や『クイズ面白ゼミナール』などの司会者として高視聴率を叩き出したことで知られる。 著作も多く、『気くばりのすすめ』はベストセラーになった。
NHKのエグゼクティブアナウンサー(理事待遇)になり、1988年にNHKを定年退職した後、熊本県立劇場の館長に就任し、伝承芸能の復元などにつとめ、1998年には青森県立図書館および青森近代文学館の館長に就任した。
ウィキペディアから

第一章 生きるということ
第二章 母と父の気くばり
第三章 人間の未来、光の子どもたち
第四章 人間不在の非気くばり社会
第五章 最高にして至善のたしなみ
第六章 感動なしに人生はありえない
終章  人間の原点とは

第一章、その内容は、書き留めた原稿を郵便局に持ていったら日曜日だった。そんな話から始まった。
そんな人が大切にしている言葉は
「人は母と生まれ故郷を大切にして生きて行けばよいのだ」
そして昭和20年、東京下町で育った著者の思い出が書かれていた。
戦争、知り合いの学校の友だちの命が、無残に死んでしまった東京大空襲の話し。

終章
人間の原点とは
アポロ11号、月に人間が初めて到達した日のこと。
船長ニール・アームストロングさんは
「 一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類 にとっては大きな 第一歩だ」
と明言を残した。
本の中で、その船長は鈴木健二さんより年齢は一歳年下で8年前に82歳で亡くなったと書かれていた。
そして、そのご子息との対談で
「父はいつも私達 子どもに『 決してごう慢 になってはいけない。人間は常に謙虚でなくてはいけない』と言っていました」
と書いてありました。
親から子へ繋がっている。
鈴木健二さんの「気くばりのすすめ」
今現在、21世紀。日本は令和の時代、必要な心のありようの大切な一つが、謙虚である。
最後に、世界のリーダーに、その謙虚さを持つように求めた。
そして戦争への不安が消えるのを希望した。

人は誰も必ず、この地球から放射される日が来る。
それは何時の日か分からない。

最終版「気くばりのすすめ」を読んだ。
YouTube
鈴木健二「説得力」
クイズ面白ゼミナール
今回鈴木健二さんの本を読んだ。91歳になるという。昔と変わらなくポッチャリとしている。
人生の先輩の本は私の心に残った。

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私の知り合いには「憲法9条を守らなければいけない」と声高に唱える人がいる。
また
毎年正月には東京へ天皇陛下の新年一般参賀に向かっている人もいる。

今回、わたしは、そんなその人に
漫画家小林よしのりの書いた「昭和天皇論」と言う本を渡され、読んでみた。
五年前の八月、終戦から70年
日本のいちばん長い日
そんな映画があった。わたしはその映画を見た。そしてブログも書いている。
日本のいちばん長い日 映画を観た。。。

あれから5年が経ち、今回、この本を読んだ。
この国は、縄文時代、人々は争いのない国だった。
それが弥生時代になり、米を作るようになり争いが始まった。
その時代のことは分からない。中国の『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』中国の歴史書での知るところとなった。

 

争い。その原因はお金だったり人間関係だったりする。
左翼系と右翼系との論争、自分の主張は正しい、それを前提に議論している。
学者の話し合いに終わりはない。平行線が絶え間なく続く。

 

天皇陛下は戦後、日本の象徴となった。
日本の神道の元である。
天皇陛下は祈っている。
「我が国と世界の幸せ」を。

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2015年8月
森町三倉での勉強会は始まった。
月に一回、森先生の講義文を二講読み、みんなで話し合った。
そんなことを5年間続けて来た。
「修身教授録」森信三、読書会
そんな教授録も後二回
第36講 一日の意味
第37講  ぺスタロッチ―
第38講 置き土産
第39講 わかれの言葉
で終わろうとしている。

2015年から続いた森町三倉での読書会だが、2020年の春にコロナ対策のため政府から不要不急の外出を控えるように要請があった。
わたしは4月から、森町三倉に行くことはやめた。
一人自宅で、戦前の森信三先生の講義録を読み考えた。
そして
森町三倉「勉強会」のLINEグループで自分の意見を述べた。

「人生二度ないし」
                    これ人生における
                             最大の心理なり。

「万物流転」
この世にあるあらゆるものは、絶え間なく変化してやまないということ。

始まりがあれば終わりがある。
           スタートがあればゴールがある。

2020年7月
毎月の決まりとして修身教授録を読んだ。
第34講 ねばり
第35講 批判的態度と言うもの
坂村真民は、本を自費出版していた時に苦悩していた時があった。
そんなとき森信三先生の元を訪ねた。そして自分の行くべき道を歩き出した。
坂村真民の詩は、多くの人に愛され、その人たちによって詩の碑が日本だけではなく世界中に建立され広がっている。
その一つが、遠山郷の龍淵寺にあるという。
坂村真民の歌に「念ずれば花開く」がある。
何事も一生懸命に祈るように努力をすれば、自ずから道は開ける、夢や目標がかなう、と。

「修身教授録」森信三
この分厚い本も、読み続けていて最後に近づいている。
コロナというウイルスも、いつか必ず対策が進み明るい未来がやってくる。
念ずれば、きっと花は開くのである

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走る仲間とのマラニック、竜頭山山頂でドローンを使い空撮したいと思っていた。
天竜川の河川敷を走っていると、ドローンをやっている人がいた。
朝、大輪まで走っている途中、横浜から来たという人がドローンをやっていた。
「都会では飛ばすところ皆無、田舎はイイですネ~」
ほしいナ~、と思っていたドローン。
五月の連休の終わり頃、ノジマのオンラインでポチした。
そして田舎のイイとこ探して回った。

ある朝、空撮のときに、電池の残量が少ないとの警告が、自動帰還をするも空高く上がり帰還できなくなり
突如。
緊急着陸・緊急着陸・緊急着陸・・・・・。

現場に走ったが、機体は見失った。
グーグルマップで探した。
柳の木が生い茂るジャングルの中に、、、、矢印の位置が。
画面では、ここら辺り。
高い柳の木を見上げて、わたしは途方に暮れた。

時間は過ぎ、考えた。
二か月間、一緒に空撮をしたが、今はもうドローンは無い。
ドローンの仲間にメッセして、アドバイスをしてもらおうとしたが、返信は来ない。
もう一度、グーグルマップで探した。
拡大して、みると、さきほどの位置からずれていた。ここ等に大きな柳の木がある。
見上げて、脚立とロープ、ノコギリを持って上った。
脚立を広げて、中腹まで上り、見上げ、この上だろうか?と途方に暮れていると、隣りの木の上に、そのドローンがあった。

まさに
地獄で仏、捨てる神あれば拾う神あり。

木登りの途中、途方に暮れた。
ふと見た隣の木に、それはあった。
浜名湖半周忘年ラン2018no1
浜名湖半周忘年ラン2018no2
浜名湖半周忘年ラン2018no3
浜名湖半周忘年ラン2018no4
この時、見つけた財布のことを思い出したのだった。

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金・ビジネス・人生の哲学
当たり前のことが出来れば、仕事も人生も絶対に成功する。志村けんが本気になって語った「ビジネスと人生」の極意
生き残るためには、「常識」で攻めろ!
志村けん五十歳代に出した本「マガジンハウス」
コメディアン志村けん、ドリフターズの付き人時代を経て絶頂期を迎えた時の本である。
最初に自分の人生を24時間一日としたならば今は何時だろうと考えて話をすすめている。
100歳の人生ならば、50歳は昼間の12時
80歳の人生ならば、40歳が昼間になる。
わたし60歳、もし80歳まで生きるならば、私の人生を一日でみると、夕方の6時、夕暮れ時だ。

だいじょうぶだぁ・変なおじさん・ひとみばあさん
お茶の間の人気者志村けん、素顔は真面目な人のようだ。

様々なギャグが、志村流に計算された笑い、大人から子供までが笑えるようにと考えていた。

非常識な行動が、実は常識的な人間のアイデアから生まれてきた。

真面目だからこそ、不真面目な志村けんを演じていた。


「人は生れ、やがて死んでいく、それが人生だ」
今回、志村けんの本を二冊読んだ。
テレビでは志村けんの追悼番組を流している。
21世紀、人の死が見えなくなっている、そんな気がする。
肉体は消えてもバーチャルで生きている。

それは、芸能人でなくても、少し前まで一緒に走った仲間もFBの画面に現れ話しかけてくれる。

それは良いのか悪いのか分からない。

やがて自分も。

「人は生れ、やがて死んでいく、それが人生だ」
この言葉は映画「最高の人生の見つけ方」での俳優モーガン・フリーマンのセリフだ。

時代は21世紀になり、様々な事が変わってきた。
しかし、肉体は何時かは滅び、新しい人々は次の時代を生きて行く。
今、私たちはどう生きるのか?
過去に感謝し、未来に何を残すのか、考えるときだ。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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