明光寺峠を越え、城西の町で一休み、今 浜松市最北端の町 水窪町に入ろうとしている。
水窪の町は、9月の「水窪祭り」11月14日「みさくぼ夢街道」などが有る。
他に、ナニコレ珍百景で「水窪の祇園」や「峠の綱引き」などで良く知られている。
その、水窪の商店街道りを行く。
この「浜松縦断 夢街道」90km水窪の町に外れで67km地点、これからが一番の難所、青くずれ峠に向ってジリジリと登りが続いて行くのである。
西浦(にしうら)で、最後の、浜松市最北端の店「はくりや屋」が有る。
ココで何か買って行かないと、後は山道、食べるののは何もない。
池島(いけじま)では、草木トンネルが有る。
この道は三遠南進道路の計画の一つの道路で、自動車専用道路だったのが、今は歩道が出来、人も歩ける道路 トンネルとなっている。
(私、帰りは「兵越し峠」越えで帰ってきてこのトンネルを抜けてきたのだ)
浜松縦断 夢街道90kmは、「青くずれ峠」越え、草木トンネルは行かず、そのまま真っすぐ進んでいくのだ。
ココから、傾斜もきつくなる、足神様で霊験あらたかな湧水を飲み、サバ地蔵を拝み、青くずれ峠へ。
やっと着いた、青くずれ峠、信州から冷たい風が吹き寄せてきていた。
この、風の吹き上げる下の方へと、信州・遠山郷へと進んでいく。
昔 自民党政権時代 整備された、青くすれ峠の遊歩道も 手入れが行き届かず、ところどころ痛んでいるが、まぎれもない信州への道。
そこから又、九十九折りの道路を30分ほど走ると、崩落が、泥と水にまみれ、崩落後を越え、走って行く。
国道152号線に合流、ココからは残り5km、国道といえども道は狭く、カーブも多い、ドライバーもまさかこんな所で走っている人が居るとも思っていないので、くれぐれも注意が必要。
道の駅「遠山郷」に着いたのは、2010年11月6日午後4時、浜松駅を7日11時での出発なので17時間かけての夢街道だった。
遠山の観光協会「あんばまい館」に、報告に行き、今夜の宿「かぐら山荘」で、がぐらの湯の入浴券を貰い、○池さんと二人、かぐらの湯で疲れをいやした。
浜松市の山の奥佐久間に住む私は、遠山郷の事は、水窪の奥の村、そのくらいしか知らなかった。
それが、4年前「チャレンジマラニックin遠山郷」に参加し、走り終わって帰る道すがら遠山を後にした時、何時かこの遠山に、浜松から走って自分の脚で 自分の生まれた横吹(よこぶき)を通り、城西・水窪を走り、青くずれ峠を越えて、遠山郷に来てみたいと思った夢の道が今日 実現した。
八丁坂を登り、明光寺峠を越える。
ここからの塩の道、山の斜面に点在する村を通っている。
手前から「瀬戸(せと)」「間庄(ましょう)」「横吹(よこぶき)」「島(しま)」
私は「横吹」で生まれ、中学校卒業まで暮らしていた。
懐かしい景色の見ながら、二人は遠山郷を目指し進んでいく。
「島」の村を下っていくと、旧国道152号線に出てくる。
ここの交差点を、左折 水窪方面に行く。
水窪川に架かる橋は「こやすんど橋」と言う。この橋を渡っていくと、こやすんどと言う村が出てくるのだ。
水窪川を右に見て進んでいくと、左に道が曲がっている、ここは「蛇山」と子供のころ呼んでいたっけ。
「蛇山」を曲がると、国道152号線 相月バイパスのトンネルの上に出る、水窪川の切開堰堤が見えてくる。
上を見上げると、切開(きいなま)の村が見える。
切開で国道152号線に合流し少し行くと「茶の子」という茶屋があったのに、今は閉店している。
1kmほど先の、城西小学校下にある「清水商店」で何か体に補給することにする。
10時26分
アンパン、牛乳、野菜ジュース、もう限界、腰も脚も悲鳴を上げている。
20分くらいの休憩。
水窪の町の入り口まで、2kmくらいかな~。
城西の町を抜け、中瀬を走り、特別養護老人ホーム「みさくぼの里」の上のカーブを曲がると、水窪の町が見えてきた。
遠くまで来たな~。
初めてのナイトラン、私はライトを持ってこなかった。
街中といえど、ライトを持って走らなければ、走っている自分の存在を知らせるためにも。
特に、自転車なんかに注意しなければ。
○池さんの助言を聞き、コンビニにで、ライトを買った。
浜北区に入り、1時30分。
「新原のサークルK」で給食、いなり寿司をほおばった。
夜中の1時半、さすがに足を止めると寒くなる。
それでも、私は半袖で走ることにする。
浜北バイパスが終わり、左折すると歩道の無いところが出てくる。
ライトを買っていて、ほんとうに良かった。
第二東名の高架下を走り、遠州鉄道(赤電)の鉄橋下を走り。
天竜川にかかる「鹿島橋」横の歩行者専用の橋を渡る。
鳥羽山トンネルの横の歩行者専用のトンネルを抜け、次のコンビニ(ローソン)で、トイレ休憩。
いつもなら、ここから天竜林業高校の方へ向かうのだが、今日は真夜中 明かりのある、国道沿いに行くことにする。
二俣の街を夜散歩している夫婦とあいさ「こんばんは」「どこまで行くの?」「遠山郷まで」「え~!!!」
国道152号線 最後のコンビニ 山東のサークルK、ここで食料を買っていく、私はチョコを買う。
船明ダムの横を走り、トンネルを走る。
船明ダム湖 沿いを走る。
道の駅(花桃の里)でトイレタイム。
ここで50km地点。
4時10分。
ここで、上着を羽織る。さすがに寒さが身に染みてきた。
行きかう車も少ない、国道 北を目指し、二人は走っていく。
横山橋を走り、横山トンネルを抜け、秋葉トンネルを抜けると秋葉ダムが見えてきた。
秋葉ダム下の吊り橋を渡り、秋葉ダムの公園へ着くと時計は7時。
あたりは明るくなってきた、しかし寒い。
秋葉ダム湖岸は、毎年4月に行われる秋葉ダムさくらマラソンのコースになっている。
一キロ毎に距離表示もあり、車の心配も少なく走りやすい道だ。
大輪に着いたのが、8時45分ごろか、休憩もせずに追加した。
西渡に9時。
ここで、最初の峠(明光寺峠)に登る八丁坂になる。
この八丁坂は信州に続く「塩の道」となる、民家の軒先を通るため、山で暮らす人々の営みも垣間見ることができる。
中部天竜駅20時16分の飯田線で佐久間を出た。
豊橋には21時54分に着く。
この飯田線で仮眠を取ろうと思ってのだけれど、飯田線の直角の椅子では思うように眠りには就けなかった。
豊橋駅から22時26分発の東海道線に乗り換え浜松に向かう電車で、今日一緒に走るランナー○池さんと出会う。
浜松駅に着いたのが、13時00分。
浜松駅南口にに行き着替えをし、道行く人に写真を撮ってもらい11時15分にスタートした。
浜松駅南口から北口に向かい、ザザシティーの方に行き、国道152号線に出る。
この国道152号線沿いを北を目指して走る。
私、真夜中のランは初めて、まして90km何時間かかるだろうか、○池さんの後をついてユックリ浜松の町を走っていくのであった。
今朝の朝刊で、蒼井優の写真とともに、日本郵便(JP)の今年の年賀状の広告が載っていた。
「また、人が人を 思う季節がやってきた。年賀状は贈り物だと思う」
インターネット時代に入り、メールで気軽に要件をと伝えてる時代になって、ハガキ・手紙の利用率が減ってきたといわれる。
日本郵政(JP)も、年賀状の発売に必死だと思う。
私の家内も、近くの郵便局でアルバイトのお手伝いをするようになり、来年の年賀状予約販売の用紙を何枚か持ってきた。
私は、いつも友達の飲み会・マラソン大会などで、家内にはかなり心配をかけているので、その友達数人に声をかけてみたのだった。
11月に入リ、年賀状の季節になると、忙しく月日の経つのが早く感じられる。
平成22年も残すところ後二ヵ月。
一日一日を大切に、一日一生。
台風14号の接近で、大会開催も危ぶまれた、「第2回 しまだ大井川マラソン」開催前の一週間はどうなるのか私も心配だった。
参加通知の封筒に、「大会についいての連絡や、現地の様子をお知らせします!」と書いた一文を見て、草々登録した。
10月30日夜11時33分事務局から開催決定のメールが来た。
しまだ大井川マラソンは大井川のい河川敷にあるマラソンコース(リバティ)を利用しての大会だ、大会関係者はさぞ悩んでの大会開催であっただろう。
さて、大会だが、ゲストランナー松野明美さんの挨拶から始まった、今も毎日15km走っていますと言っていた。
スタートラインは、申告タイム順にゼッケンの色を分わけて区切ってある。私は3時間30分「青」のスタートラインに着く。
走り始めて、しばらくすると派手なスパッツの小柄な女の人が前を走っているなっと思っていると、沿道の人が「松野さ~っと」声援を送っているではないか、私も挨拶をして持っていた携帯で写真も撮らせてもらった。
「移りましたか?」「大丈夫だよ」なんて話したかな~。
とても気さくで可愛らしい人だったな~。
15kmまで、キロ5分で走っていた。が、足へのダメージが少し多いと思いペースを遅くしたが、時すでに遅し、ハーフを過ぎたあたりからペースが遅くなり始めた。
年配のランナー(○田さん)が後ろから追い付いてきた。
「新間さん、ペースが遅すぎるよ」それから。○田さんお後をついて行ったが、だんだん○田さんに着いていくこともできなくなった。
30km過ぎの大エイドでは、チキンラーメン、魚の塩焼き、まんじゅうなど食べた。
私の30回目のフルマラソンの記録だ。
私も、50歳。3時間30分を切るのは無理なのだろうか。
走り込み、これからの課題だな~。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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