昨日、UTMFのビデオを録画出来なかった事をブログに書いたら、フェースブックの友達二人からDVDの送ってくれるとの連絡が入った。
一人は電話で、一人はフェースブックのメッセージから。
その昔、私がホームページでマラソンの記録を書いているのを見た人がメールを私に送り、それが縁で、交流が出来た。
2000年2月20日、私の40歳の誕生日の時に、彼が住む東京の多摩市に行き、彼の走友と一緒に青梅マラソンを走った事がある。
トライアスロンをやっていた頃、初めての遠征で分からないことばかり、そんな時にランナーズの掲示板からの私の質問に親切にバイクの梱包から教えてくれた人もいた。
25年前、佐久間中学校1年の時 沖縄に引っ越しをした同級生が、私のブログを見つけ、なつかしく思い出を語ることもあった。
昔 私が暮らしていた、横吹(よこぶき)そこで少年期を暮らした仲間とも此のネットの掲示板で出会い故郷に思いをはせることもあった。
話は元に戻り、UTMF(ウルトラトレイル・マウントフジ)。
マラニック仲間から、UTMFをユーチューブを記載してあるページのお知らせをメールをもらった。
http://unpoh.web.fc2.com/mineclub/309tohoh/p6/fc2-p6.html#c
ネットが縁で、人が繋がる。
フェースブックで実名公開になり、ネット社会は変わっていくだろう。
ネットでの発言も、リアルな所での発言も、自分の言動には責任を持とう。
今年の5月に開催された、UTMF(ウルトラトレイル・マウントフジ)富士山麓を一周するレースだ、コースは全長156km、登り部分の累積標高差8500m。
そのコースを制限時間48時間で走る歩く、旅をするレース。
自分の限界を見つめながら。
私には夢の大会、しかし興味があった。
UTFJとは↓
http://onyourmark.jp/features/28203
私の知っている人もUTMFを完走したと言う。
http://blog.goo.ne.jp/sumikonoyama422/e/dd05dd807599f89108a58c5d747c6f6c
そして感動したと言う。
http://blog.goo.ne.jp/sumikonoyama422/e/e9e73e92195e00a4443277b6d6574bbc
ぶたこさんのブログから。
このUTMF、BS1で放送することを知った。
「激走!!富士山一周156km~ウルトラトレイル・マウントフジ~」
http://www.nhk.or.jp/bs-blog/100/122878.html
6月15日(金)11時00分~0時49分
一週間前に、息子にテレビ予約を入れてもらった。
話は変わって、その息子がスカパーを入れたいとの話が合った。
「別にいいよ~」
私は答えた。
私が家にいない日、スカパーのアンテナ工事の人が着たらしい・・・・・14日(木)。
ところが、電波状態が悪くCSは映るけど、なんとBSが映らなくなった。
業者は16日(土)にまた、佐久間の私の家まで修理に来るそうだ・・・。
ギョエ~、録画予約してあるのは15日(金)・・・どうしてくれるのだ。
土曜日、UTMFの再放送17日(日)にあることを知り、私は宿泊のホテルで、息子。に"UTMF 17日(日)の午後6時00分~7時49分に再放送があるから予約して"とメールを出した。
日曜日の朝早く、浜松から車で帰って着たら・・・土曜日 業者が来たけど直らなかったらしい・・・(TT)
その業者に電話し、どういう状態何かを聞く、私はUTMFの録画はもうあきらめた。
その業者から、昨日6時電話があった。
業者「今から、そちらに行きアンテナを直したいのですが 宜しいでしょうか??」
私 「むりしなくていいよ」
業者「すいませんが、お願いします。今回は良いと思います」
私 「・・・・お願いしやす・・」
夜の7時半、業者が佐久間に着いた、電話では話したことがあるが出会ったのは初めてだ。
業者の人は、私の家の屋根に上り、BSのアンテナの位置を変え、仕事をはじめた、6月で日は長いと言っても、夜の7時半、辺りはもうすっかり暗くなっている。
私も屋根の上に登り、懐中電灯でアンテナの接続部分を照らし、業者の仕事を見ていた。
UTMFの再放送はもうとっくに終わった。
業者の人は、見るところによると私と同じ年くらいの人だ、趣味の話をしていると、業者の人も昔は走っていたという。
青梅マラソン、東京マラソンも走ったことがあると言う。
私も青梅マラソンは10年前に走った事がある。
業者の人は、東京マラソンを何十年も前に走ったという・・・・・・・・・・??????
え~~・・・・東京マラソンて・・・あの・・・・・。
そう、今では東京マラソン制限時間7時間の市民マラソンだが、その昔は制限時間2時間45分のエリートマラソンだったのだ。
私マラソンのベストが4時間31分、エリートのランナーには憧れ、いや神に近い存在だ。
走る事が趣味での出会い・・・こんなのもいいですね(^^)
PS
どなたかUTMF録画のDVD貸してくれませんか?
その先生は、9年前に佐久間高校に赴任し二年で佐久間を去って行った。
先生にとって佐久間での二年間は、とても思い出に残る二年だったそうだ。
他の先生でもそうだ、佐久間高校が最初の赴任地で色々なことを佐久間で覚えて行った人、佐久間で講師時代を過ごし佐久間で県の採用試験に合格した人、佐久間で一生の伴侶を見つけた人。
佐久間での暮らした日は、多い人で10年、早い人は2年で他の赴任地へ行ってしまう。
他の赴任地でも、色々な思い出があるだろうに、なぜか佐久間の思い出が、深く残っているらしい。
或る先生にお酌しに行った時の会話。
先生 「何故、佐久間が縁で、出会った仲間が、こんなに集まるか分かりますか?」
私 「佐久間は他地域と違い自然がいっぱいあるから?」
先生 「いや違う」
私 「・・・・・」
先生 「佐久間に住所を移したからだよ」
先生 「佐久間に赴任する時、佐久間に住民票を写し、みんな佐久間で暮らしたからだよ」
先生 「そして、酒を飲むときも、家で女房が待っていることを心配せずに、とことん語り合え、いろんな事に頑張ってこれた仲間が集まったんだよ」
そうだな~。不便さ故に、通勤が出来なくて住所を移すことになり、それがこんなにも佐久間という縁で人が集まってきたのだな~。
不便さも少しはいいとこあるジャン。
走る事もそうだ、先週は佐久間から浜松駅まで朝早くから走って行った。
今回、帰り 同じ道のりを車で帰ってきた。
自分の足で走った時には9時間かかり、今日車で帰ってきたときは朝の5時にホテルの駐車場を出て佐久間に帰ってきたのは7時半、一時間半で佐久間に戻って来れたのだ。
車は便利だ・・・だけど、自分の足で走った道程は、なぜか自分の心に深く残っている。
ホテルの部屋で、昨日買ってあったサンドイッチを食べながら、佐久間へ帰る身支度をしていた。
昨日の60km、今日は流石に浜松からは佐久間は体が持たない。
スマートフォンで遠鉄電車の時刻表を見ると、始発が6時8分・・・・。
5時半にホテルをチェックアウト、新浜松駅に行くとシャッターは閉まっている。
このまま遠鉄沿いに歩いていくことにする。
八幡の駅前で6時、今回はこの駅から西鹿島まで行くことにしよう。
西鹿島まで来ると、かなり田舎に来たような雰囲気が・・・・しかし、佐久間は西鹿島からまだ、42kmも・・・・ある。
鹿島橋を渡り、鳥羽山トンネルを潜り、ローソンの交差点を左折し、天竜林業高校の前をスルーしていく。
船明ダム湖畔沿いに歩き、走り、歩みを進める。
龍山トンネルを抜けると、秋葉ダムが見えてきた。
ダムの下の町、小腹がすいたので「三角屋」の玄関に入ると、まだ準備中とのこと。
秋葉ダムの公園で、リックから昨日の酒のつまみ”ピーナッツ”と自動販売機の飲み物で、空腹を満たした。
ここから、大輪まで20km。
昨日の睡眠が足りなかったのか、眠気が襲ってくる。
峰之澤橋の所で横になり、仮眠。
気分もスッキリ、また天竜川を北上・・・すると一人の老人が路肩に座っていた。
話すと、昔 お茶の機械を修理する仕事をしていたそうな。
今は亡き、私の父親、祖父、横吹の人たちの話題でしばらく話をした。
大輪からは国道152号線沿いだ、今まで歩いていたので ここからは小走りするようにする。
西渡のバス停横の「みどり屋」でいなり寿司を注文、今日初めての米だ・・・・・。
ここからは8kmかな?、ゆっくり走ってカントリー・ロード、豆こぼしトンネルを抜けると佐久間だ。
旧佐久間中学校の横を走り。
天竜川橋りょう横の歩道を走り。
今回は、同窓会の打合せのために、浜松駅まで自分の足で走って行った。
なつかしい友に出会い、酒を飲んで、夜通し楽しむ事が出来た。
今日は、その昨日走ってきた道を、また自分の足で大地を踏みしめ帰ってきた。
佐久間町は その昔、先人たちが浜松市への吸収合併を決めた。、今 佐久間町はそこに住む人たちはなのを思っているのだろうか?
合併したのが良かったのか、はたまた悪かったのか、それはまだわからない。今を生きる私は、今を大切に、今を楽しく過ごしていきたい・・・・・ただそれだけ。
次の土曜も浜松で飲み会だ(^^v
6月9日(土)私が浜松まで走って来たのは、「同窓会の打合せ」があったからだ。
佐久間から浜松駅まで60km。
走る事が好きだけど、浜松まで来て酒が飲める♪そんな目標(目的)を持って走ってきた。
開場は有楽街の「わたみ家」で二時間飲み放題のコースを予約してある。
ホテルにチックインして、風呂に入り、ベッドで仮眠と思っていたが眠ることが出来ずに一人近くのコンビニへ買い物。
ホテルのロビーで待ち合わせたOさんとIさんとで、最初に話し合い。
Tさんから電話「サゴーが解らない????」
話し合いもそこそこに、Tさんを捜しに新浜松駅に三人で行く。
Tさん捜しだし、4人でわたみ家に行く。
わたみ家に着くと、もうMさんは来ていた。
そのうち、KさんSさんNさんが来て9人集まり、同窓会の打合せが始まった。
みんな、に久ぶりに顔を合わせた人ばかり、積もる話があるけど、Iさんが同窓会の打合せのレジメを持ってきて55歳の同窓会は何処でやるのか会費はいくらでやるのか話をしていた。
二次会は、佐久間中学校の一学年先輩の人が経営するカクテルバー「トライアングル」に行く。
店内は結構混んでいて、マスターは忙しく顔を見ることもできないくらいだ。
私は"水窪フォーレスト"を注文、抹茶風味のカクテルだ、他の人もそれぞれ気に入ったカクテルを注文し宴はますます盛り上がってきた。
店を出る時、忙しかったマスター(ちっくん)が出てきて一緒に写真。
我々同級生は三次会にとカラオケに行くことになった。
俺は「島人の宝」「松田聖子メドレー」などを歌った気がする・・・・・??
カラオケからの帰り、OさんSさんと三人でザザの前のラーメン屋、こてこてのにんにくラーメン。
そこからは二人と別れ、私は一人、今日のホテルへと歩いていく。
明日、佐久間まで走っていくことも忘れ、ただただ飲んでしまった。
早く帰って、寝よ(^^)
55歳の同窓会は浜松の駅近くで行いたい。そのため55歳の同窓会は浜松市街に住む人で考えてほしい。
去年、浜松に住む同級生にメールを出し、参加者を集い、浜松で行う同窓会の話し合いを行ったら私を入れて3名集まった。
今年も同じようにメールしたら9名の人から返信があった。
話し合いの会場は、有楽街の居酒屋「わたみ家」
今年も私、この時は走って浜松に行くのだ。
「佐久間中学校75」
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/545/
「55歳の同窓会」
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/544/
「佐久間中学校同窓会75」
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/370/
小雨降る中、快適に走り、佐久間を脱出。
船明ダムまで来ると、道路も広くなり、新しくできたローソンや墓石の店が並んでいる。
鹿島橋の歩道を渡り、浜北へ。浜北バイパスをひたすら南下、このころには天気も回復し暑いくらいになってきた、体も疲れてき大変な道のり。
サンストリートの横を走り、しばらくすると遠くにゴール地点に立っているアクトタワーが小さく見えてくる。
ホテル コンコルド・浜松市役所の横を走り。
ザザシティーの交差点を左折し、浜松駅に着いたのが2時、去年より一時間早く着いた。
同窓会の打合せは6時から、ホテルに行き早めのチェックインし風呂に入って少し寝るとするか(^^)
仕事が終わり、歩いて帰ってくる・・ 中部橋(なかっぺバシ)を歩いていると・・・。
釣り人だろうか? 橋から川を覗いている人がいた。
ほろ酔い気分の中年の紳士だった。
私 「鮎はいるかね~?」
釣り人「群れている・・・ダメだな~」
私 「ふ~ん・・・どうして?」
釣り人「瀬に群れが散らばれば・・・・トロ場ではダメだ!!」
私 「いろいろコウシャクがあるだね~、私は鮎釣りはやらないからわからない、天竜川の近くに住みながらもったいないね!!」
釣り人「私はここ(半場)に移り住むようになった、これからが楽しみだ」
私 「へ~。ありがとうございますm(_)m」
私 ・・・・親介護かなんかで帰って来たのかな~? それとも田舎暮らしが好きで、空き家でも買って半場に移り住むようになったのかな~。
釣り人「半場では○地さんと仕事をしていたョ」
私 「○地さんと言うと・・・ヤマハで」
釣り人「ちがう弟さんの方」
私 ・・・え・・・そうか~。学校の先生か~。そういえば浦川小学校の校長先生が転勤してたと聞いていた・・・。
私 「浦川小の校長先生ですか~。私 佐久間高校で用務員をやらせてもらっています。よろしくお願いしますm(_)m」
丁寧にあいさつをして、中部橋を後にしたのだった、ジャンジャン(^^)
佐久間は人が少なくなり、それに伴いお店が減って、買い物には不便な思いをしますが、その代わり自然がいっぱいあります。
鮎の友釣りの好きな人には最高の所ではないでしょうか(^^)
前の話、テレビで食物調理科および調理クラブの紹介をした内容の放送を見たことがある。
高校が、レストラン「まごの店」を経営していて、食物調理科および調理クラブがその調理を担当している。
今日の「トリハダ㊙スクープ」で、その調理クラブの紹介の第二弾があった。
家族でそのテレビを見ていて「県立高校ではこゆ~のは出来ないだろう~」と思ってネットで検索してみると。
なんと「三重県立相可高等学校」ではないか。
高校生と言う時期、若く教えられたことを何でも吸収できる年齢だ。
この時期に、自分のこれからの進む(料理人)の道を目指し、厳しい仕事も耐えていく。
ガンバレ今どきの高校生。
「まごの店」↓
http://www.mie-c.ed.jp/houka/gakka/syoku/mago.htm
飯田線で相月駅まで行く。
この無人駅(相月駅)は、私にとって懐かしい場所だ、佐久間中学校に通っているときには、"栄楽屋(えいらくや)"という お店もあった。
ここで お菓子を買い、その お菓子を食べながら、家のある横吹(よこぶき)に登って行ったのであった。
あまりにも懐かしい、相月駅・・・・踏切を渡って"栄楽屋"を訪ねてみた。
なつかしさに浸ってもいられない・・・目指すは遠山郷。
相月駅から国道152号線に降り、佐久間駅伝第2中継地点から走り始める。
相月バイパスのトンネルをくぐると切開(きいなま)の集落が目の前の山に張り付くようにある。
今は車社会になり、街道は川沿いだが。昔は移動手段は自分の足が頼りだ、街道も山の中腹にあり当時は人々が往来し山の中腹の村が栄えていたのだろう。
私の住んでいた横吹(よこぶき)でもそうだ、私が小学校低学年ころまでお店もあった。
しばらく行くと、城西駅に出る。相月バイパスが出来て城西駅まで近くなった。
城西小学校あたりを走ると、遠く向こうに"青崩れ峠"方面が見えてくる。
水窪の商店街を走っていると、通学の小学生や中学生歩いている。
水窪町を超えると、徐々に上り坂がきつくなる。
ようやく着いた、浜松市最北端の 酒屋"はくりや"に到着。
少し休憩し、先を急ぐ。
途中島で、靑崩れ峠と兵越峠の分かれ道、靑崩れ峠に向かうと、「クマに注意」の看板!!
無視していくと、村の人が居て「昨日クマを見た人がいる!!」と、・・・帰るわけにもいかず、気を付けながら青崩れ峠へと歩いていく。
無事にクマにも出会うこともなく、靑崩れ峠の入口へ。
ここから、遊歩道となる、が・が・が・・・・・ここに通行止めの看板が「歩道欠壊のため通行止め!!」。
ま~行くしかない、看板をすり抜け先に進む。
ところが、何もなく、すんなりと通れた。
ようやく着いた。青崩れ峠。
青崩れ峠から、遠州の方面を望む(水窪の山の会の人たちが、伸びた木を払ってくれたそうだ。よく見える)
ここから、信州に向かって遠山郷に向かて下って行く。
遊歩道を下り、林道を下っていくと、去年まで工事中だった所が今は工事が完了していた。
遠山郷の集落が見える頃、道路も工事個所が増えてきた。三遠南信の青崩れトンネルに伴う工事だそうだ。
浜松側では全く進んでいないのに、信州側では、着実に少しずつでも進んでいる。
遠山郷(神楽の湯)に着いたのは、お昼近くになっていた。
佐久間駅6:21→(電車)→相月駅6:26
相月駅 6時30分スタート
はくりや 8時00分
青崩れ峠 9時40分
遠山郷 11時40分
計 5時間10分
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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