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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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職場の友達が連休に荘川桜を見に行ったそうだ。
荘川桜の
パンフレットをいただいた。

御母衣ダムに面した国道156号線沿いの中野展望台で湖底を見守るように、どっしりと腰をろしているこの二本の巨桜は、御母衣ダム建設により湖底に沈む運命にありましたが、多くの桜を愛する人たちの情熱により、世界の移植史上例のなかった老桜の移植を成功させ、毎年ふるさとを偲ぶかのように見事な花を咲かせてくれます。
(荘川まちづくり協議会)パンフレットから引用

私がこの荘川桜のことを知ったのは、

平成17年(2005年)の夏、佐久間町が浜松市に合併し役場の職員が合併になった経緯を説明しに我が地区に来て、
「浜松市に合併すると佐久間町の将来は無い!」
そんな話を聞き憂いている・・・そんな夏の或る日、
家族で浜松に買い物に出かけている時だった。

リックを背負って国道152号線を走っているランナー数人を見かけた。
次の日
職場で昼休みに新聞を読んでいると、昨日の走っていた人の記事が載っていた。

新浜松市誕生記念マラニック

新浜松市になった12市町村の旧役場を全て走って巡るランニングだそうだ。
朝、水窪の役場を出発し翌日の昼頃、浜松市の役場に到着したそうだ。

世の中には、こんな人もいるのだな~。

そんな感じで感心していた。

この新聞で知った、このマラニックを企画している人と出会い。
フルマラソン(42.195k)以上の距離を走るウルトラランナーと知り合いになり。

さくら道
荘川桜の移植作業に魅せられ、名古屋から金沢まで桜の道を造ろうとした佐藤良二さんの話を知ったのだ。

私が暮らしている佐久間町、
御母衣ダムと同じ時期に建設が進んだ佐久間ダムがある。

この地域にも、きっと同じような物語があるだろう。

天竜川沿いを走ると、船明ダムがあり次に秋葉ダムがある。
その次に出てくるのが佐久間ダムだ。

人がそこに暮らしている限り、物語はづっと続くのである。

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鳥居強右衛門勝商はその時、何を考えていたのか
歴史から考える。

今、私は何を行えばいいのか。
走ることも、その一つ。
仲間には白山ジオトレイルを目標にトレーニングを積んでいる者もいる。
世の中には様々な人が居る。

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このマラニックは18年前、新城のランニングクラブ「強右衛門倶楽部」の方々が始めた大会だ。
参加名簿を見たら、私は・・・もう16回も、この大会に参加している。

戦国の世、没落寸前となった長篠城を、鳥居強右衛門は岡崎にいる徳川家康に救援を求めに行った。
九里を走って岡崎の徳川氏のもとに駆け込んだ。
援軍は来る。このことを伝えに強右衛門は長篠に帰った。

鳥居強右衛門の物語はYouTubeで。


戦国街道ランは鳥居強右衛門が走ったコースを走ろうと始まった大会だ。
岡崎城から援軍は来るとの伝令を持た気持ちになって、長篠で長篠城址で行われている「長篠合戦のぼりまつり」に行くのだ。

本長篠に集まり、マイクロバスで岡崎城に移動。

今回は6グループに分かれての出発。
私は第4グループ。


このメンバー。

岡崎城を出発し、くらがり渓谷 を上り。

作手村へ、
雨も降ってきて体が冷えてきた・・・そんな時、主催者からゴミ袋のカッパを支給された。
ありがたいことです。

本宮さんからの下り、力尽き歩きが入る。
どこでマイクロバスに乗ろうか?
そんなことを考えていた。

そんな時写した、第二東名の橋
未来に進んで工事も進んでいる。

 

新城に入り、雨の中をユックリ、馬防柵に何とか到着。
地元の人に出迎えられ、命のお茶をいただく。
雨も降り、デジカメを出すことができない。

目指すは新城総合運動公園。
途中から おなかが痛くなる。
運動公園のトイレが目標に変わる。

去年は天気が良く、運動公園で足が攣ってしまい、お祭り会場まではマイクロバスだった。
去年のブログ
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E6%9C%AA%E9%81%B8%E6%8A%9E/20130505

新城総合運動公に集まり。
ランナーは「長篠合戦のぼりまつり」の会場にみんなで行く。
今日は雨降りなので、何時ののように会場で走りお客さんに お餅を配ることはなかった。

それでも新城市長が、我々ランナーを出迎えてくれ挨拶をしてくれた。
ありがたいことです。

自分のブログで振り返ったら。
当時の動画があった。

第14回目。
私、50歳。
みんな若い。

鳥居強右衛門の物語
今は平和な世の中だけど、戦国の世に、このような人が居たことは忘れてはならない。
また、今を生きる人はこの話を後の世に伝えていく使命がある。

byしんしん

 

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先日の静岡骨髄バンクを推進する会の総会
第二部
1、会員同士の懇親会
この時に、久しぶりにこの会に参加したAさんからの話。
「昔はもっと多くの会員が集まっていたけど・・・・」

10年前は白血病になっても、病気にとっての知識や患者同士の繋がりがなく唯一、この会が集まる場だった。
今は、パソコン・インターネットの発展で、病気にとっての知識、患者同士の繋がりも家に居ながらできるようになってきたのだ。

しかし、こんな時代だからこそ、人が集まって直に話し合うことが大切な時だと。


お酒を飲んで。

私が住む佐久間町は浜松市に合併し、当時の役場の職員に
「この町は、浜松市に合併すれば静岡市に合併した井川地区の様に公共施設の管理は出来なくなってしまう」
そんなことを言われた。
合併から10年がたとうとしている。
その間、地域のトップに立つ人がコミュニティの大切さを唱た人が居るのだが・・・なかなか進まない。
それぞれが、勝手に進んでいる・・・そんな感じだ。

 

合併の後、1970年の佐久間中学校卒業アルバムを引っ張り出し、このアルバムに写っている人の同窓会をやろうと決めたのだ。
中部のお祭りに集まっている人に相談し、色々なことを決めた。

佐久間中学校同窓会DE.com
http://run2.ina-ka.com/sakuma75.htm
同窓会DE.com掲示板
http://320.teacup.com/tsutomu/bbs

パソコン・SNSなどで交流。
たまに集まってお酒を飲んで交流。

コミュニティ=共同体
今の時代、こんな感じのコミュニティが良いと思う。

PS
NHK学園の社会福祉学科で専攻した学科
現代コミュニティ論(奥田道大 著)
読み直して見ようと思う。

byしんしん

 

 

 


 

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この総会は、静岡市の駿府公園近くの「静岡県総合福祉会館」”シズウエル”行われる。
今年は、その会館まで走って行こうと思っていて計画していたのだった。


去年、私のラン友数人が、日本縦断走り旅に参加した人が居た。
http://konoedas.at.webry.info/201307/article_24.html

私も東海道を走ってみたい。
そんな思いから、今回は掛川から走ることに決めた。

私が住んでいる佐久間町から静岡市に行くには、ふつう飯田線に乗り豊橋で東海道線に乗り換え掛川に行くのだが、
http://railway.jr-central.co.jp/cgi-bin/timetable/tokainr.cgi#route-1
2270円

今回は別のルートにした。

私の家を朝5時45分ごろ走り始め、7キロ先の西渡バス停に行き、ここから二俣の城下駅までバス、この間650円
ここから天竜浜名湖鉄道の「二股本町」を8時24分の二股線
「掛川駅」に9時26分到着、この間700円
計1350円。

こちらの方が断然安い。

掛川駅を出発し、東海道走り旅が始まった。


小雨降る中の走りとなったが、山がお茶が雨で洗われとても景色が綺麗に見えた。
掛川駅から藤枝駅まで4時間かけての走り旅は楽しかった。
途中、お昼にと島田のバイパスにあった"すき屋"の牛丼が美味しかった。

藤枝駅から静岡駅まで410円

「静岡県総合福祉会館」”シズウエル”に着いた時にはもう総会の第一部が始まっていた。

第二部の会員同士の親睦会。
元患者さんや家族の人、ドナーさんなどがテーブルに集まり話し合いをした。
色々な経験をした人が居る。
ここで前から聞きたかった質問をした。
質問1
「マラソン大会などでタスキを掛けて走っていると、反応は様々、元気な高齢者もいる、そんな人が骨髄バンクに登録しようか問われたとき、55歳までと決まっているのが忍びないといった」
「年齢に制限を掛けるより、その人の気持ちで登録できないものか」・・・と。

答えは
「以前は50歳までだった。今は55歳までになった。やはりドナー登録をしていて高齢になってくると健康診断の段階で提供するまでに行かない確率が増えてくるそうだ」
「そういう方には、献血を進めてください。今では69歳まで健康なら献血は可能です」・・・と。

そんな話が終わり。
よいよ・・・懇親会。

生中3杯飲んで、ハイボール。
清酒の熱燗を飲み始めてから・・・・記憶が定かで無くなっていく。

後からデジカメを見たら・・・こんな写真があった。




ジャンジャン!!

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親父が亡くなって、6月が来てまる4年。

毎年春にある戦没者慰霊祭、いつも仕事を休んでまではと思って失礼していた。

今年はちょうど日曜になった。

去年の年末から百田尚樹の「永遠の0」を読んだ。
映画も観た。
浜北のサンストまで走って行って観てきた。
ブログ「ほくえんの風」"しんしん"浜北サンストに行く。

その後「海賊といわれた男」を読んで、色々感じた。

そんな時に、城西地区の戦没者慰霊祭のお誘いの電話がなった。

そして、今日、参列した。

この、慰霊祭も今年限りだそうだ。
高齢化、資金が無くなってきた。
淋しいけれど、しょうがない。

後は自分たちで慰霊の気持ちを繋いでいかなければならない。

合掌。

 


 

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2012年に初めて参加して以来、今年で3回目になる。
チャレンジ富士五湖、

ここは
チャレンジ(112㎞)レギュラー(100㎞)ビギナー(72㎞)

があり、チャレンジの112㎞の走ると富士五湖の全てを走ることになる。

私は2012年にレギュラーの100㎞に挑戦しウルトラのデビューをした。
その年は、はるな愛ちゃんが、ゲストとしてランナーを送り出してくれた。

チャレンジの部(112㎞)は朝の4時30分に山梨県富士吉田市にある富士北麓公園をスタートする。
まだ夜明け前、辺りは真っ暗な中をランナーはライトをつけ、富士五湖をめざし走っていくのだ。

レギュラーの部(100㎞)は、5時にスタート。
真っ暗だった空は明るく成り始め、ランナーの心は高揚する。

そんな中を、多くのボランティアに見送られ、富士北麓公園から走っていく。

多くの人は、チャレンジ富士五湖を走るなら富士五湖すべてを走る「チャレンジの部」を、との考えだが。

私は、富士北麓公園を朝5時にスタートする、100㎞レギュラーの部に、、、今だ魅せられている。


今回、走り込みが足らなかったせいだろうか、とても苦しい走りになった。
もしかして完走は出来ないかもしれない。

そんな時、心を奮い立たせたのが友達のボランティアの励ましの言葉。

ギリギリだったが今年も完走することができた。

レギュラーの部(100㎞)の完走メダル、
これで3個。

レギュラーの部が自分なりに納得ができたなら、いつか富士五湖の全てを回る、チャレンジの部に挑戦したいものだ。

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2013年10月22日に書いた私のブログ「ほくえんの風」
「NPOがんばらまいか佐久間」を考える

前回、NPOがんばらまいか佐久間の広報委員会の場でホームページの話をした。
その時には、「そんなことをして炎上したら困る」「ホームページは私が一人でやるから新間さんはやらなくていいです」
と言われた。

今回は、私も考えた。
前もって、広報委員会に参加する人に話をして理解してもらえる人を作ったのだ。


いわゆる、根回し(^^)

今回は、「NPOがんばらまいか佐久間のfacebookのページを作っても良いでしょうか?」
と質問した。

色々な反対意見があった。

理事の承認がなければダメだとか。

それでも、何とか、広報委員会では理事の承認が取れればいいと話はまとまった。

明日、理事長に電話をし、確認を取ろうと思っている。

一歩前進した。

何故、こんなことをするのか?
それは
↓この動画

この名言集の動画が私の活力(^^)

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石油元売会社「出光興産」の創業者・出光佐三(いでみつ・さぞう)と、1953年(昭和28年)にイランから石油を輸入した「日章丸事件」をモデルとした小説「海賊とよばれた男」(百田尚樹)を読みました。


国岡鐵造に金銭的な援助を行った、日田さんは東京の自宅で最期を迎えようとしたその時に自分の故郷である淡路に帰りたいと鐵造に伝えた。
誰の心の中にも故郷がある。

大切に守って行かなければならない。
佐久間町。

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何年前だっけ。
こんなギャグが流行った時があった。


自分さえよければいい、そんな時代やって来たような、いや~な感じがした。

このYouTubeは2010年、
その翌年2011年3月11日に発生した東日本大震災

多くのボランティアの人が東北に行った。

まだまだ捨てたもんではない。
日本人

そんなふうに思った。

我々は、色々な人に刺激を受け、今を生きている。
関係ないことは何もない。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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