数年前、読んだことがある本
「それでもぼくは走る」永井恒
その著者、永井さんの講演があった。
永井さんとは
静岡県磐田郡佐久間町(現・浜松市天竜区)に先天性ろうあ者として生まれる。
一女四男の末っ子。一番上の姉、三男と永井恒がろうあ者。浜松聾学校中学部3年生の時、先生の勧めなどもあり長距離走をはじめる。
小柄でいじめなどに苦しんだこともあったが、校内のマラソン大会で優勝したことをきっかけに、自信が芽生え、以来、前向きな心を持ち、長距離走に打ち込むようになる。
高等部卒業後も長距離走を続け、1983年には5000m・1万mのろうあ者日本最高記録を樹立し、その後マラソンでも同記録保持者(いずれも当時)となる。
50歳を越えた今も走り続け、これまで参加した大会は350以上。早くから手話通訳者の参加を求めるなど、ろうあアスリートの先駆的存在。2007年には、全国47都道府県すべてで、フルマラソンを含む長距離走大会に優勝した。
マラソン以外にも、ろうあ者の理解を深めるため、講演活動など国内外でさまざまな活動を展開。
『聴力障害者の時間』『ろうを生きる 難聴を生きる』(NHK教育)『それでもぼくは走り続ける〜47回目のラストスパート』(SBS静岡放送)などに出演した。
講演で小学校から浜松の 聾学校に入り寮生活だったという。
私より三歳年上、私が城西小学校に入学した時にはもう、浜松で暮らし、休みになり佐久間に帰りたい城西に帰って親に会いたかったと言っていた。
最後に永井さんで検索して出た動画を貼り付けてみました。
「僕もかつて、心を閉ざしていた時がありました。
しかし、マラソンと出会い、
人生が少し変わったように思います。
心の扉を開いて、外に飛び出しませんか。
そうすれば、人生はきっと楽しいものになるハズです。
だからこそ僕は、今もずっと走り続けます。」
孤独のランナー永井恒が贈る人生の言葉
昨日、仕事の帰りに、お酒を買いに途中の酒屋(竜美屋)で、お酒を買いに入った。
そこの店主に
店主:「朝早くキャップライトを着け走っていたが、何時から走っているだいや?」
私:「??????私、今朝は走ってないよ」
私、ココに暮らすようになって26年、走り続けて25年。
佐久間で走っている人はダイタイ・・・・わかる。
たぶんあの人と勘違いしているんだな~。
走る人、それぞれの考え目標があって走っている。
ある人は「ダイエット」ある人は「健康のため」ある人は「自己実現」
私は今、ウルトラマラソンに興味を持ち日々の練習に励んでいる。
なかなか普通の人には理解ししくいかも、朝からライトをもって走ること。
「走る馬鹿」
そんな時、水窪の小松屋製菓のHPを見た。
↓HPから引用
田舎では昔から、 「栃の木を、切る馬鹿、植える馬鹿」 なんて言われています。
まずは 「切る馬鹿」。 これは、桃栗とは違い、栃の場合は実をつけるほどの成熟した木になるには、100年近くかかるため、
先祖が植えてくれた「栃の木」を切るのは、それまでの数十年の歴史が一瞬にして消えてなくなると言った意味から
「切る馬鹿」 と言われています。 続いて 「植える馬鹿」。 これはもうおわかりだと思いますが、自分がこの木を植えたところで、
実が成る姿を見る事はない、孫、ひ孫の代でようやく実が成るであろう、という事から「植える馬鹿」と言われています。
小松屋製菓では、「切る馬鹿」 にはなりませんが、 2代目から 「植える馬鹿」 にはなっちゃいました。
「植える馬鹿」のスタートは、私が小学校低学年の頃でした。
あれから30年あまり。今年もわずかな本数ですが、「植える馬鹿」 はやめられませんね。
「走る馬鹿」
浜松駅から佐久間まで走ったり、浜松駅から浜松市を突き抜け飯田市の遠山郷まで走っている。
佐久間町に帰ってきて、佐久間駅伝に誘われ走るようになり。
もう25年間走っている。
「走る馬鹿」 ・・・・・やめられない(*^^)v
職場の休憩時間に、おやつが出た。
水窪「栃もち」だ。
中に入っている冊子を見ると、「栃もち」の他にも様々な商品がある。
頑張ってるな~。
明日は湖西市の知り合いの家に行く、このようなお土産が佐久間にもあればいいのに。
佐久間には高校があり病院があり特別養護老人ホームがあるけど、店がない。
10年後、ココはどのようになっているのだろう。
ま、暗いこと考えているより、明るく。
栃もち本舗
小松屋製菓のHPは↓
http://5028seika.com/
ネット販売もやっているので、ぜひ利用してください。
佐久間町が合併した時に設立した「がんばらまいか佐久間」
今年は10周年ということで、記念事業を行うそうだ。
私は「文化・スポーツ社会教育活動委員会」に入っている。
そこの委員長が、この手紙を持ってきたのだ。
先日書いたブログ
「やめまいか・・・佐久間」
で、私の気持ちを綴ったのだが、、、、。
ご高齢の委員長の顔を見ると、断りずらかった。
11月9日
「フェスタ佐久間」の時と同じ日に開催だそうだ。
あれもこれも、やることが・・・・・多い。
同じ地域で暮らす、先輩のお願いに快く引き受けたい気持ちもあるのだが、私には思うことがある。
「がんばらまいか佐久間」はこのままではダメだと。
だから、心を鬼にして言った。
その委員長に
「何かを頼むときには、人の話を聞いているような感じなのに、いざその頼みを受けると話を聞く様子すらなくなる」と。
「今のNPOの役員は、佐久間の10年先20年先のことを思って活動しているとは思えない」と。
「若い人の話も少しは聞いてくださいョ」と。
ココにまた「がんばらまいか佐久間」のNPO憲章を書きたいと思います。
NPO憲章
私たちのふるさと「さくま」は、美しく豊かな自然と古い歴史文化
に恵まれ、互いに支えあうやさしさとまちづくりへのあふれる情熱
により、これまで発展してきました。
私達のNPO法人がんばらまいか佐久間は、この貴重な財産と先人の
教えを受け継ぎ、更にNPO活動を通じて新しい時代への飛躍を
目指し、すべての住民の願いをこめてこの憲章を定めます。
私たちNPO法人がんばらまいか佐久間は
1.住民自治を基本にみずからの手で住みよい「さくま」をつくります。
2.なかよくお互い助け合い健康長寿の「さくま」をつくります。
3.創意と工夫で希望と活力に満ちた明るい「さくま」をつくります。
4.ともに学びともにきたえた文化の香り高い「さくま」をつくります。
5.恵まれた豊かな自然を次代へおくる美しい「さくま」をつくります。
6.いきいきと活動する女性がかがやく「さくま」をつくります。
7.次代をになう子供たちを育てふれあう「さくま」をつくります。
10年前、佐久間町の代表となるメンバーが集まり決めたのだろう、この憲章。
今こそ原点に帰って、地域おこしを頑張っていく時だと思う
それは誰あろう、地元の人、ここ佐久間で暮らし続てて行く人が頑張らなければならない。
私はそう思う。
byしんしん
この話を聞いたのが先週。
メンバーを聞くと「竜頭山」は初めて登る人ばかり。
他の山は登ったことがあるみたいだけど、「竜頭山」は結構ハードですョ。
平和登山口に朝8時集合。
8時5分
山頂を目指し、歩き始める。
「水窪山の会」の登山ノートに名前を書き、山に入っていく。
ココは前半は比較的平たんな道のり。
仙戸の分岐から、急坂になる。
その急坂を歩き、やっと着いた「青なぎ」
9時15分
けっこう良いペースで登ってきた。
「青なぎ」分岐で見つけた「根性スギ」
ここで約半分、これからが大変だョ。
しばらく歩くと、杣小屋→中級コースにて山頂を目指す。
勾配も急になり、休憩も多くなってきた。
大丈夫かな~。
頑張って(´;ω;`)!
帰りが心配(^^;
やっとここまで、これからは尾根沿いだ。
しかし、登山初めての彼にとっては疲れもピーク。
途中での休憩も腰を下ろすだけだったのが、この時には横になってしまう。
大丈夫(´・ω・`)?
竜頭山の展望台に着いたのが
13時
なんと、5時間。
集合写真。
スーパーマラニックの時の写真
この時は約2時間で登る。
ココは展望台、山頂はココから少し北側、
記念写真。
今回、少し大変な人がいたので、コース変更をした。
遊歩道からの下山を予定していたのだが、
スーパー林道を北に行き、福沢林道にて下山した。
山道より、林道歩きのほうが断然安心。
林道歩きでの景色も新鮮に見えた。
6時ごろ無事に車が置いてある平和登山口に到着。
秋の登山、今頃は日没も早い、持っていたライトが役立った山行だった。
byしんしん
NPOの会合でNPOの活動の事を話しているときに。
ある、理事の人が、
「シンマ君もブログを書いていて・・・・」
そのようなことを言った。
他の理事が
「そんなものパソコンで批判的なことを言っているだけでしょ!」
と言った人もいた。
NPOがんばらまいか佐久間には12名の理事がいる。
様々な人がいる。分かってくれる人、批判的な人、活動には顔も出さなく・・・名前だけ理事な人。
2013年10月11日に私の書いたブログ。
「緑のふるさと協力隊」
二年前、佐久間町には高橋君という「ふるさと協力隊」が来た
高橋君とは、一緒に竜頭山に登ったりし、話したりした。
高橋君は北海道生まれ、東京で働いていて自分の働く意味、都会の雑踏の中での暮らしに疑問を感じていたという。
そんな時に「NPO地球緑化センター」の募集に出会い、応募して佐久間町に来たそうだ。
高橋君は頭もよく、性格もよく、佐久間町のいろいな人の話を聞き町に馴染もうとしていた。
2013年の秋、事務の人が交通事故に遭い、今まで話しずらかったことを聞いてみた。
「佐久間町にも若い人を雇うことを考えてほしい」
そんな時に、他の多くの人から
「こんなところに若い人が来るわけがないジャンカイネ~」
と言われ悲しくなった。
その夜、高橋君を派遣した地球緑化センターのホームページを見てメールを送った。
そして次の夕方、地球緑化センターの理事長と言われる人から電話があった。
「佐久間町は浜松市だから、、、難しいところがある、、、と」
「来年から浜松市は浜松市独自の地域おこしをやる」とも言っていた。
そしてその年の終わりに佐久間に地域おこし協力隊が来ると新聞に記載されました。
「地域おこし協力隊」2014年2月28日
「備忘録なう。 」2013年11月14日
自分が今、ブログを書いている意味、他の理事が言ったあの言葉。
「そんなものパソコンで批判的なことを言っているだけでしょ!」
私の場合、自分の過去を振り返るときにこのツールはいいと思っている。
あの時、自分はこんなことを感じていたんだな~、とか。
そう備忘録として。
佐久間町の隣の街、愛知県、奥三河の東栄町「明神山」1016mに登って来た。
三年前からか、この明神山には毎年秋に登っている。
私が勝手にやっている勝手にマラニックで「チャレンジ明神1016M」として走る友達を呼んで走ったりしているのだ。
とうえい温泉に8時に集合して、集合写真を撮り走り始めるマラニック。
過去のブログ
2013
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E4%B8%89%E7%80%AC%E6%98%8E%E7%A5%9E-1.016m-2013
2012
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0/%E6%98%8E%E7%A5%9E%E5%B1%B1%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF2012
2011
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF/%E6%9D%B1%E6%A0%84%E6%B8%A9%E6%B3%89%E3%81%8B%E3%82%89%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8%E6%98%8E%E7%A5%9E%E5%B1%B11.016m#comment
そのコースは
とうえい温泉→尾籠→岩山→明神山頂→三ツ瀬登山口→とうえい温泉
今日は、三ツ瀬登山口から登る何時もの逆コースにした。
とうえい温泉に車を置き朝の八時に出発。、本郷の商店街を走りバイパスに出て、新本郷トンネルを抜け、三ツ瀬に向かって走っていく。
奈根川沿いに川のせせらぎを聞きながら。
途中大きな屋敷がある。
しばらく走ると、明神山登山口の看板、登山ノートも置いてあった。
老眼鏡も、、チョットした気遣いがみえる、ありがたいことです。
時計を見ると、ちょうど九時。
ココから登山道、大きな石ころがゴロゴロしてい歩きにくいが、よしとする。
しばらく歩くと、クサリ場、ココの登山道は下りは何回か下りたことがあるが登るのは初めて、なんか少し違う。
こんなにクサリ場あったのかな~?と思うほど多くあったような気がする。
乳岩登山道との分岐地点に着いたのが10時。
ココで一休み、持っていた飲み物で水分補給。
ココからは少し下り、すぐにまた上る。
クサリ場も何回も出てくる。
明神山は岩がば多く、クサリ場や馬の背がある、
看板も多くあり道に迷うことはないだろう。
が、看板が岩に向かってあり、道なんか無いじゃないか・・・・と思ったら。
クサリが岩に掛けたあった。
そんなところが多い。
そんなところを何回も通り、やっと着いた山頂。
10時30分。
展望台でお昼ごはん。
朝、自分で作ったオニギリを食べる。
30分休憩後11時に出発
次は、柿野北登山口を目指して、山頂から北へ。
何回も登ってきた道だが、下るのは初めて、途中道が分らなくなった。
尾根沿いに歩いていたら、道沿いの草木が多くなり、あれ~????
こんな時は、一度 もと来た道に戻るのが鉄則。
しばらく来た道を戻って、、、みた。
分岐らしくなっているところを間違えたらしい。
ウッカリしていた。
ココからは印を見失わないように慎重に、歩く。
岩山(710m)に着いたのが12時40分
20分休憩して13時に出発。
尾籠の集落に着いたのが13時30分。
ここまで来れば一安心。
尾籠の集落で知り合いの人がいるので、休憩させてもらう。
話に花が咲いて
14時45分ごろまで話していた。
休憩したので、足取りも軽く走って帰る。
途中の馬頭観音様に手を合わせる。
国道151号に出て、バイパスの歩道を走り、国道473号(佐久間方面)に向かう。
東栄町の町をしばらく走ると、とうえい温泉が見えてくる。
到着したのが16時ちょうど。
とうえい温泉 8:00
三ツ瀬登山口 9:00
乳岩分岐 10:00
明神山頂 10:30~11:00
柿野北分岐 12:00
岩山 12:40~13:00
尾籠集落 13:00~14:45
とうえい温泉16:00
8時間かけて、今回「チャレンジ明神1016m」のコースを逆回りしてきた。
途中道に迷った、このようなことが無いようにしなければならない。
明神山の山頂から柿野北へ向かう登山道は、歩く人も少なく道も整備されていないところが多い、注意が必要だ。
さーて、これから温泉に入り、家に帰って
今宵もはじまりました(^.^)/~~~
ビールだ!
PS
今回、明神山の登山ではいろいろな種類のキノコに出会った。
下界ではまだまだ暑い日が続いているが、山はもう秋だ。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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