場所:静岡県浜松市天竜区龍山町
龍山町にある秋葉ダム湖の両岸に点在する集落を巡るマラニックです。
マラニック=マラソン&ピクニック
このマラニックは
浜松市の山間部に暮らす私が勝手に行っている。
今回参加者は8名
龍山町のお風呂
「やすらぎの湯」に集まり
9時スタート
毎年
ココで春に行われる「秋葉ダム桜マラソン」のコースを峰の沢橋まで行き、この橋を渡り
青谷ポケットパークでトイレ休憩。
国道152号線を数百メートル北上すると、青谷の集落に上る道を行く。
空が快晴、まさにマラニック日和
遠くに雪をかぶった竜頭山が見える。
しばらく行くと
不動滝がある。
急斜面にある滝だ。
大ちゃんが言っていた
「この水はどこから来るのかな~」
多くの水が滝から落ちてくる。
山に上ると川の源流に出会う時がある。
たった一滴の水が、やがて沢になり川になり海に流れていく。
人生もまた・・・・・。
そんなことを考え、一行は
不動滝を後にした。
龍山町で一番高い集落「寺尾」
ココには観光トイレがあった。
しかし今は、浜松市の意向でい市では管理できない、、、そうだ。
隣の家のトイレを借りるように前から連絡を取っていた。
わたし達は、その家の庭で昼食のとった。
眼下には天竜川が観える。
北側には竜頭山がそびえている、
昨日の降った雪をかぶっていた。
昼食を済まし、ここから真下の国道152号線まで下る。
瀬尻橋を渡り、秋葉ダム桜マラソンのコース(20㎞)を北上、
大輪の手前で上平山に向かて上っていく。
上平山の茶園をバックに写真。
下平山に行き、下平山小学校址(農村学校)で写真、
今日は
ここで力尽いた。
もうゴールしている
仲間にへルプの連絡。
途中まで歩いて、仲間の車に乗った。
ゴールは車で、、、、。
龍山の
「やすらぎの湯」で疲れを癒し、
今年の
たつやま凸凹マラニック(冬)
は終わった。
去年の
たつやま凸凹マラニック(冬)
次の
たつやま凸凹マラニック(春)
3月28日(土)
ではゴールするゾ~(^O^)/
動画です~(^O^)
佐久間町が合併し
浜松市の一部の地域になった。
そんなある日
家族で浜松に買い物に行こうと国道152号線を車で南下していたら。
リックを背負ったランナーが走っていた。
7月の暑い夏の日だった。
次の日のお昼休み
職場で静岡新聞を見ていたら
新浜松市誕生記念マラニック
の記事があった。
新浜松に合併した12市町村を巡るマラニックだそうだ。
マラニック=マラソン&ピクニック
昨日のランナーは
水窪町の役場を出発し佐久間の役場を過ぎ龍山村の役場に行く途中だったのだろうか。
新聞に書いてあった主催者にアポ をとった。
走ることは好きだったが
フルマラソン以上は走ったことはない。
そんな距離は考えたこともない。
それが、
その主催者の人と関わりを持つことによって
自分の考え方も変わっていった。
まだ知らない世界を観るようになってきた。
そして、
その夏の8月
磐田で用事があり
終わってからの懇親会に出席し
一人で浜松駅前のビジネスホテルに宿泊
次の日、一人で浜松駅南口から自分の暮らす佐久間町まで走ってみた。
大きくなった浜松市を自分の身体で体験した。
佐久間町が浜松市に合併した当時の話。
そのコースは
毎年、走る仲間で走っている。
「浜松縦断マラニック」
それだけではなく
その他
私が住む暮らす、北遠を自分なりに楽しもうと
走っている。
明日は旧龍山村を走る。
たつやま凸凹マラニック・・・本番
丁度
10年前
佐久間町の役場の職員が
私住む地域
半場区
に
佐久間町が浜松市に合併する経過を説明しに来た。
その話を聴いた後
帰り
役場で働く人と話をした。
合併とは関係のない話
年の終わりに行っている静岡県の市町村対抗駅伝の事を話してみた。
すごい権幕で怒られた
「こんな時にそんなことをするなんて」
しかし
私はとしては、こんな時だからこそ
最後になるであろう駅伝参加は大切なことだと思っていた。
当時
役場では
それどころではない忙しさっただろう。
合併に伴う仕事が増し
これからの自分の身の振り方も考えなければならない。
その年の
静岡県市町村対抗駅伝大会
は
佐久間町での協力なしに
佐久間町体育協会の有志
その他佐久間町の走る人たちの有志
が、佐久間町の人に寄付金をお願いして
参加した。
感慨深い
静岡県市町村対抗駅伝大会
に、なった。
(俯瞰=高い所から見下ろすこと)
今回は
私が暮らす佐久間町を俯瞰して高い所から見下ろして考えてみようと思う。
佐久間町は元の佐久間村が
城西村・山香村・佐久間村・浦川町が合併して佐久間町になった。
佐久間ダムがある佐久間村は佐久間町になり、佐久間ダムの恩恵を受け今まで発展していった。
そんな佐久間町も平成の合併で浜松市になった、
佐久間町は浜松市になろうとも、
なんにも変っていないこの地域、
変わってきたのはそこに住む人たちの気持ち。
佐久間町は浜松市に合併する前、
NPO「がんばらまいか佐久間」を作った。
浜松市に合併することにより、今まで行政頼みだったイベントが行き詰るから、そこをNPOでカバーしていこうとの説明だった。
NPO「がんばらまいか佐久間」の活動は、元の佐久間町時代の議員さんが多く参加し頑張って汗を流していたように感じていた。
しかし、合併から10年たった今、そんな人は誰もいなくなった。
また「野田やまびこ会」
野田では新しくNPOを作って活動しようとの噂がある。
それは「がんばらまいか佐久間」では・・・ダメだときずいたからか。
来週の土日、佐久間新そば祭りがある。
佐久間町の各種団体が集まっての一大イベントだ。
NPO「がんばらまいか佐久間」でも出店し○野さんがソバ打ちをしてくれたいるだろう。
「野田やまびこ会」「がんばらまいか佐久間」「佐久間観光協会」
本当の意味で一つになって。
本当の意味で助け合って。
協力し合って活動できるNPOになってほしいと思っている。
佐久間町は一つなのだから。
追伸
去年の夏、佐久間民話の郷会館で行われた
夏のヒットパレードin佐久間
覚えてますか?
今年もまたやりませんか?
そんな話が届いています。
佐久間観光協会に打診して考えていこうとしています。
佐久間には吹奏楽や太鼓があります。
音楽関係で活動している人が多くいます。
是非、協力してください。
新間
追伸の追伸
この様な事を書くと
「あんたは自分では何もやらず、人にやってもらおうとするばかりだ」
との意見もありました。
全くその通りだと思います。
私は何もできないので、知りえた情報を、このように書き綴ることしかできません。
傍観者として、遠くから見ていることしかできません。
まさに俯瞰して。
JR二川駅 西へ約一キロ
豊橋市岩屋町岩屋緑地公園に集合。
佐久間から車で2時間くらいかな~。
8時30分には到着、もう大勢のランナーが集まっていた。
参加者は155名、50名ごとの3ウェーブでのスタートだそうだ。
私は第一ウェーブ。
ヒロボーさん企画のマラニックは
走ってから お風呂・懇親会がセットになっている。
他のマラソン大会では、多くの人が集まって走るのだが、、、少し寂しさを感じる。
この大会に参加する人は皆仲間
ゴール近くではハイカーも応援してくれた(^O^)/
ゴール後、石巻山の山頂にも登った。
楽しい楽しい「湖西連邦トレイルラン」
懇親会最後に集合写真。
石巻山からの夜景が綺麗だった。
来週の日曜日は
「たつやま凸凹マラニック」だ。
自分の住んでいる地域を今年も楽しく走ろうと思う。
(帰り浜松駅にて)
私がひそかに行っている。
「ほくえん旅ラン」
↓
http://www.nexyzbb.ne.jp/~tsutomu46/hokuen/hokuentabi.htm
今年はどんなドラマがあるだろうか(≧▽≦)
去年の佐久間駅伝のブログ
第41回佐久間駅伝はトン汁が無かった。
去年の佐久間駅伝、多くの駅伝参加のみなさんに、
佐久間町という山奥に走りに来て寂しい思いをさせた
佐久間駅伝トン汁がなかった!!
事件。
今回は、役場の担当の人との話し合いもスムーズに行い、
トン汁を作る方向で進んでいます(^O^)/
また、今回の佐久間駅伝史上初めての試みである
五平餅の販売もあります。
他に佐久間町のお土産品販売コーナーもあると言われています。
第42回佐久間駅伝大会
スタッフ一同がんばっていますので、、、宜しくお願いします(^O^)/
アメリカ全土につくられた7万5千基のダム。
それらの多くは、川を変貌させ、魚を絶滅させ、
それにもかかわらず期待される発電・灌漑・洪水防止のいずれにおいても
低い価値しか提供していない。
むしろダムの維持には高い経済的コストもかかっている。
これは、アメリカの話。
川の自由を求め続けてきた人びとの現実の話。
ドキュメンタリー映画
この『ダムネーション』上映会&トークイベント開催を企画しているのは
トランジションタウンジャパン トランジションタウン浜松
持続不可能な社会から持続可能な社会へ。
「水は体の中の血液と同じだ。よどめば死に至る。川と土地の関係も似ている。ダムが多いと流れがよどみ、その地域は活力を失ってしまう。」
「船明ダム」 がある「天竜市」
「秋葉ダム」 がある「龍山町」
「佐久間ダム」がある「佐久間町」
ダムで栄えた当時を考えると、だいぶ活力を失ってきた。
ダムでの恩恵が少なかった地域
例えば「水窪町」その奥の「遠山郷」
そんな地域に、持続可能な社会・トランジションタウンでの生き方が隠されているのかもしれない。
長崎県川棚町の石木ダム建設の反対を訴えるために
幼いころから絵の好きだった石丸穂澄さんは
「こうばる通信」というフリーペーパーで
ダム建設反対 を訴えている。
動画↓
私は佐久間ダムが建設されてから、ココ佐久間町に生まれた。
佐久間村は佐久間ダム建設により、地域の城西村・山香村・浦川町と合併して佐久間町になった。
ダムの建設から半世紀たった今、その佐久間町もより大きな市
浜松市の一部になった。
今、この地域は
その佐久間ダムの関係で働いている人でさえ
「お金があれば、こんなとこ出ていきたいゾ~」
そんなことさえ口走る人もいる。
ダムは、佐久間ダムは、この地域にいったい何を残してくれたんだろうか?
日本はいったい、田舎をどうしたいのか?
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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