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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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テレビのCMで採用された
歌手:中島みゆき「糸」
FBで歌詞の内容が紹介されていた。

最後の詩が、興味深い。
縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせ と呼びます~。

コトバンクから引用
「仕合わせ(しあわせ)」とは「運命の巡り合わせ」
しあわせ【仕合わせ・幸せ・仕合せ・倖せ】
① めぐりあわせがよい・こと(さま)。幸運。幸福。 「友人の-を祈る」 「 -な生涯」
② めぐりあわせ。運命。 「我はそも,何時ぞやも言ふ如く,-も悪ければ/仮名草子・竹斎」
③ ことの次第。始末。 「無念ながらも長らへて,さて只今の-なり/浄瑠璃・出世景清」

私が暮らす
浜松市ではトヨタホームでのコマーシャルで、その曲が流れている。

ネットで検索したら
関西電力のYouTubeがヒットした。

佐久間町で、佐久間ダムの直ぐ下の町で暮らすようになったことも
「運命の巡り合わせ」
走ることが好きで、フルマラソン以上の距離を走るウルトラランナーと出会い
そんな人たちに刺激を受け、自分なりの目標に向かって走り始めたことも

ゴールデンウィークは
自分なりの
仕合わせ探しの旅ラン

 

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5月31日(日)
竜頭山スーパーマラニック

がある。
動画は去年のだ。

佐久間町が浜松市に合併し、当時45歳だった私は竜頭山のスーパー林道を
竜頭山山頂から山住神社へと走ってみた。
そして、走る仲間を誘って「佐久間・水窪スーパーマラニック」をやるようになった。
最初は、新城の中川さん佐久間町の竹花さんと私の三人で走った。
コースも
半場から竜頭山の平和登山口まで行き、そこから登山、スーパー林道を山住神社・野鳥の森・水窪ダム・水窪・城西・島・立原・間庄・瀬戸・西戸・半場と走ってみた。
次の年、このコースを走りたいと萩田さんに提案したら・・・・長すぎる、と一言。
やむなく山住から向市場にショートカットした、思い出がある。

合併して、もう10年
今までの思い出の、佐久間・水窪スーパーマラニック





去年からスタートゴールは西渡にした。
もっと多くの人に走ってもらいたくて、コースを短くしたのだ。
大会名も
「佐久間・水窪スーパーマラニック」
から
「竜頭山スーパーマラニック」
とした。
今日は、そのコースの試走。

平和登山口を
5時50分
に登り始める。
水窪の「山に生きる会」の登山ノートに記入
仙戸の分岐には
6時20分
青なぎ には
6時35分
汗をかいてきたので、ジャンバーを脱ぐ

次の分岐には
6時45分
杣小屋→頂上 の方に歩みを進める。

杣小屋の横を通過したのは
7時10分

沢を越え、次の沢で、丸木橋が新しく作られていた。
この橋を渡って、リボンを探しながら対岸の登山道を登っていく。

この標識が出ると、杉林をぬけあたりが明るくなってくる。
左側の上の方に、山頂の展望台が見えてくる。

熊にも遭遇することがあるみたいな竜頭山、今回は熊にも鹿にも出会うことはなかった。
山頂の展望台に着いたのが

8時14分
20分くらい休憩して、景色を観たり汗を拭いたり食べ物を食べたりした。

山頂を通過して、「ほおずき平」へ
ここからは、スーパー林道を行く。
ウォーキングポールを使いながら歩く、中央駐車場の桜が満開だった。

山住神社に着いたのが
10時55分
峠の茶屋「大杉」でオデンにビール、ウドンも食べた。
茶屋のオジサンと話し込んで
店を出たのは
12時30分
ココからは、ひたすらに下り。
日本一おいしい湧き水、ココで一休み
布滝で癒しの時間
向市場に着いたのは
14時00分
国道152号線を南下
城西・切開・横吹・立原・間庄・瀬戸・西渡
車を置いてある、平和 竜頭山登山口に着いたのは
5時30分
だった。

あれから、10年、、、、。
自分の体力も、だいぶ落ちてきた。

昔は、自分の住む半場から、このコースを走ったのに、今は
平和登山口からが、、、やっとだ(≧▽≦)

本日の試走、
特別、がけ崩れしているとこもなく、よかった。
しいて言えば、杣小屋コースの丸木橋が新しくなって、少し戸惑うかな、、といったところです。
来月の「竜頭山スーパーマラニック」参加の皆様
お楽しみに(^_-)-☆

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4月18日(土)に登った
明神山
デジカメで写真を撮り
家に帰ってパソコンに取り込んだ時、
パソコンのホルダーに移動したら・・・・。
移動先のホルダーに何も入っていなかった(≧▽≦)
デジカメのSDカードも空っぽ。
どうしようかと思っていたら、復活できるとの話を聴いた(^O^)/
知り合いに相談して
SDカードを預け、、、、今日、そのSDカードが戻ってきた。

(^O^)アリガトウ
感謝・感謝・感謝です~(^O^)/
早速、明神山を登った仲間の写真でスライドショーを作成しました(^O^)/

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毎年、年度の初めには「ほうじ峠ウォーキング」をやっていたのだが、今回は山登りにしようと考えていた。
2010年  ほうじ峠 ウォーキング
2012年 「第二回ほうじ峠ウォーキング」
2013年  第3回 ほうじ峠ウォーキング
2014年  第4回 ほうじ峠ウォーキング
今までこのような感じで行っていたウォーキング も、
今回から登山にしようと思って
「明神山登山」に、したのだ(^O^)

年度初めということで参加者も少なく、今回はケビンと私の二人の登山だと思っていた。
ところが、
朝7時1分の電車で移動中、佳江さんから着信が来て
「三河川合の駅で待っている」そんな連絡が来たのだ。
ケビンと合流して、三河川合の駅に着いたら、多くの仲間がいたのだった。

今回は、このメンバーで「明神山登山」
登山口である「乳岩」を8時出発

途中の乳岩を見学後、明神山に登山。

鬼岩でロッククライミングを見学、明神山中腹にある奇妙な岩によじ登る人たちの様子を見てきた。

それから、クサリ場、馬背を経て、明神山山頂に11時30分に到着した。

今回、私、デジカメで多くの写真を撮りながら登ってのだが、、、、。
家に帰って、パソコンに取り込むときに、どうしてかな~???、写真が消えてしまった。

このブログに張り付けたのは、スマホに残っていた三枚の写真。
↓はその一つ、山頂での写真


山頂では、みんなが持ち寄った食べ物でお腹がいっぱいになる(≧▽≦)

下山は、調子よく下って行く、乳岩登山口に着いたのは2時30分
それから、梅の湯に行って温泉に入り、マッタリ温まり、
三河川合駅16時01分の電車で帰ってきた。

一日、楽しい「明神山の登山」だった。

多くの仲間に出会い、多くの知り合いができ、良かった良かった(^O^)/

ジャンジャン
写真が消えたのが、、、少し残念だが・・・。
(≧▽≦)

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縁ある人の出会いを大切にして、、、。
今回は、佐久間町から滋賀県の余呉湖まで行ってきた。

余呉湖とは
琵琶湖の北にあり。面積約1.8平方キロメートル・周囲約6.4km、水深13m、三方を山で囲まれた湖、天女の羽衣や龍神・菊石姫の伝説が残る神秘の湖です。

この大会は余呉湖から北にあるウッディパル余呉から余呉湖まで(3.5㎞)走って、余呉湖(一周6.8㎞)を10周する、計71.5㎞のウルトラマラソンだ(^O^)
同じところを10周するのはチョットと思っていたのだが、スタッフが明るく楽しくランナーを盛り上げてくれたので、そんなには負担には感じなかった、またエイドでの食べ物飲み物の品数も多くおなかも満たしてくれる大会でもあったのだ。

その大会の様子は動画で観てください(^O^)/


走り終わって、お風呂に入り、懇親会だ。

おおきなホールに今回は走ったランナー、エイドスタッフで大いに盛り上がった。

この大会は記念品が多くある
1、オリジナルTシャツ
2、通算余呉湖100周
3、還暦賞
4、夫婦で賞
5、親子で賞
6、家族で賞
7、よご賞(ゼッケン45番)
などなど(^O^)/

私も3回参加して、大会オリジナルTシャツを貰いたいものだ。
また、五年後 還暦の時に清酒大吟醸を貰いたい(^O^)/

また一つ、人生の目標が出来てしまった。

しわくちゃジージでした~(^O^)/

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今日は歯の治療に浜松の歯医者さんに行く。
それは、ある人からの紹介してもらったからだ。

数日前から予約を取っていた。

その予定が入っていた時、
走る仲間からメールが来た。
「しし肉が欲しいです」
「次の土日にしし鍋をやるので、金曜日に持ってきてくれませんか?」

相月の亀ちゃんに電話、
しかし、もういい肉はないとのこと。

間庄の三輪さんを初会してもらい、電話。
快諾

走る仲間に電話して
「いいけど、金曜日は用事があるから、川合の○原さん家に預けておく」
と連絡して、その日は終わった。

そんな時、天竜川の増水で、原田橋の迂回が通行不能となった。
またですか。
浦川に人たち大変だな~。
他人事のように思っていた。

川合の○原さんに電話して、走る仲間の しし肉を預かってほしいとの話をしたら・・・。
快く応じてくれた。
そして
「どうやって、ココに持ってくるの?」
・・・・・・。
そうか~、目と鼻の先の川合地区、そこまでの行く手段が、佐久間ダムの放水で無くなっていたのだ(+o+)
原田橋はもう壊れて無くなっているのだ。
「何とかする」そう言って電話を切った(*'▽')

そのとき自分の考えは二つ
飯田線で行くことと、××××で行く事。

 

水曜日
しし肉をゲット。

家の冷蔵庫に保管

次の日の木曜日の朝
計画を実行した。
凍った しし肉を新聞紙で包みリックに入れて、××××で行く事にした。
半場を6時出発、川合に着いたのが6時45分、無事に しし肉を○原さんに渡し、半場にまた××××で帰ることにした。

××××で帰るのはいいのだが、問題は その××××で帰る道が、あまりにも危険だという事だ。

途中、崩れているところがあり、一歩間違うと天竜川に落ちるかもしれない
狭いトンネルはシャガンデいかないと抜けられない。

半場に着いたのが7時30分
無事に帰ってきた。
朝ご飯を食べ、無く食わぬ顔で仕事に出勤したのだった。。。
ジャンジャン(^O^)/

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今、机の上に、その大会の「完走証」がある。

天竜区駅伝大会等実行委員会・龍山地域部会
部長 山田定雄
と書いてある。

今、ココ北遠は浜松市になり、政令指定都市の一部の地域「天竜区」だ。
そこで、浜松市からは予算を出し渋っている。

何のためのイベントだろうか、ドラゴンママの出店に行くと
おばちゃんが
「息子が走る」と言っていた。
楽しそうだった。

街に出た息子の帰りを待つためのイベント?

そういえば、佐久間町のNPOのおばちゃんも
秋葉ダムさくらマラソン
に息子が来たのに、佐久間の実家に帰ってこなかったと
寂しそうに話していたっけな~。


受付にはまだ早いので
龍山にある、もう一つの「荘川桜」を探しに行ってみた。

駐車場係りの人に尋ねると
「協同センターの職員だが地元ではないので分からない」っと。
聞くと、浜松市中区から通勤しているそうだ。

龍山のグランドの入口にある桜が・・・たぶん「荘川桜」ではないだろうか?
桜には何も看板らしきものは無かった。

グランド周りを探したが、その桜の木だけが葉桜になっていた。

受付に行きゼッケンと参加者名簿を受け取る。
25年前は手書きの参加者名簿だったな~。

雨降りだから、車の中で待機。スタート30分前に会場入り。
知り合いと出会い、懐かしい話をする。

雨の中、10時にスタート。

もう散りかけた雨に濡れる桜並木を駆け抜ける。

タイムは44分35秒

自分なりに頑張った。

終わり。

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荘川桜、
御母衣ダム建設で、ダムの湖底に沈むはずだった二本の巨桜
そんな桜の物語。

今日は、その荘川桜の子孫「荘川東七郎」(北浜中学校)と「荘二十一郎」(森町文化会館)の開花を見に行くマラニック
走らまいか「さくら道」マラニック
に参加してきた。

佐久間から車で二俣駅の駐車場へ
ココから自分の足でランニング、浜北の北浜中学校へ
7時に出発、9時の集合時間には間に合うだろう。

北浜中学校に着いたのは、8時10分くらい。
時間をつぶさないと(-_-;)
近くの公園でジョグ、お花見の準備のオジサンと話し込む

しばらくすると、目の前の遠鉄駅のホームに仲間が数人現れる。
そんな仲間と、集合場所である「北浜中学校」へ
正門にある「荘東七郎」の所で集合写真、

10名かな?
みんな気の知れた仲間
ユックリ、ボチボチ、走り出す。
しばらくすると、家の前に不思議なモニュメントを飾ってある家が
聴けば、捨てられる運命だった物を、再利用しているそうだ。

家の ご主人に断って写真に収めた。

世の中にはほんと様々な人がいる(^O^)/


浜北は春本番だ、桜はもちろん、チューリップも咲いていた。


浜北大橋を渡り、豊岡村へ。
森町文化会館に着いたのが11時40分

近くのコンビニで食料を買い、その先のたこ焼き屋で「たこやき」を買い。
その先の桜の綺麗なところで「お花見」

ココからは桜並木の中を走る。
掛川も桜は満開だ。
菜の花も、天浜線の芝桜も綺麗だった。

掛川城に着いたのが3時30分
先に着いた人は足湯に入っている。
萩田さんの号令で、掛川城に
そこで集合写真


荘川桜の実生で育った「荘川桜」を巡るマラニック
自分なりに、感じたことがある。
人は何のために生きるのか。自分は これからどの様に生きていくのか
たった一度の人生
自分なりに納得する人生を歩んで行こう(^O^)/


走らまいか「さくら道」マラニック
動画です↓

 
いつも、思うのだが、、、。
デジカメで撮った写真、あまり上手じゃないと(-_-;)
でも今回、自分なりに、おっとと、うならせるいい写真が撮れてと思う。
それが、、↓

どうですか?
なんかいい感じの写真だと思うのですが(^O^)/

良かったと思ったら拍手
ちょうだいネ(≧▽≦)

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私の暮らす、佐久間町が浜松市に合併することを決めた。
そんな時に、ココで暮らしている人はいろいろな事を考えたのだと思う。

ある人は、浜松市に合併するということは
ココは今まで以上に過疎になるから、、、と、今のうちにココを出ていこう、、、と。

私は、そのとき、
「これから、この地域は、、、どうなってしまうのだろう???」
と、悲しい気持ちで、いた。

そんなときに、出会った、ウルトラマラソンを走る仲間たち。

そんな仲間と、私の暮している地域を走ろうと思った。
自分の地域は、ますます過疎になっていくけど、たまには、こんなところで楽しく走ったり酒飲んだりしようと、自分勝手に始めた
マラニック。
「ほくえん旅ラン」
そんな中の一つ。
今回3回目の
「たつやま凸凹マラニック()」
を走ってきたのだ。
動画↓


龍山が合併前に造った
「やすらぎの湯」がスタート・ゴール
ココを朝9時スタート


桜マラソンのコースを走り、峰の沢橋を渡り、国道152号線を少し走り、青谷の集落に登っていく。
「不動の滝」で休憩


ここから、ぶか凧で有名にな青谷の集落へ
ココでお昼ごはん。


ココから一気に国道152号線まで下る。
瀬尻橋を渡り、桜マラソンのコースを北上、上平山への登り口


 

上平山から下平山へ
下平山小学校址の農村学校で休憩、


ココから朝走り始めた、「やすらぎの湯」に、、、。

スタート9時、帰ってきたのが16時。
7時間を使って龍山を目いっぱい楽しんだ一日でした(^_-)-☆


ココで暮らそうとも、ココを出ていこうとも。
それは自分や家族の考え。
色々な考え方があっていいと思う。

しかし、自分は
これからも
ここ北遠で、多くの自然に囲まれ豊かな心を育んで生きていこうと思っている。
そして
自分自身、ここで暮らしてよかった。
ここに帰って来てよかった。
と、思えるように頑張っていこうと思う。

次は
「竜頭山スーパーマラニック」
だ。

次回も宜しくお願いします。

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「進歩の名のもとに古き姿は次第に失われてゆく。だが人力で救えるかぎりのものは何とか残してゆきたい」
当時の電源開発初代総裁高崎辰之助氏の残した言葉だ。
今回は御母衣ダム建設で移植作業で生き残った桜の木の話「さくら道」を読んだ

庄川は太平洋と日本海の分水嶺に当たる烏帽子岳付近を水源とし、白山連峰と飛騨高地の山間を概ね北に向けて流れ、富山湾に注ぐ北陸地方における大河川の一つである。流域の大部分は山岳地帯で占められ、シベリアから吹く季節風によって冬季は豪雪地帯となる。また夏も台風の通り道になりやすく、全般的に多雨気候である。降り注いだ雨は険しいV字谷を形成する峡谷を急流となって流れ、日本海に注ぐ。急流で水量の多い庄川は水力発電を行うには理想的な川であり、大正時代から黒部川や常願寺川など近隣を流れる河川と共に水力発電所の建設が進められていた。

1958年(昭和33年)4月より御母衣ダム工事ははじまった。日本初の大規模ロックフィルダム建設
ダム完成は1961年(昭和36年)冬、
御母衣ダム完成、その記念碑の除幕式で電源開発初代総裁高崎辰之助氏は
「国づくりという大きな仕事の前に父祖伝来の故郷を捨てられた方々の犠牲は今、立派に生かされています」
と、メガネの下の涙を指で押さえ、感激に唇をふるわせて挨拶をしたのだった。

その記念碑の横に、二本の老桜「荘川桜」がある。

今日、その本を読み終え、荘川桜の咲くころ
その里を訪ねてみたいと
深く思った。

私が暮らす佐久間町には
佐久間ダム(1956年昭和31年)完成がある。

隣町の水窪町にある水窪ダムは
荘川桜が咲く御母衣ダムと同じ、ロックフィルダムだ。

私の父親ほどの年齢の佐藤良二さんが始めた桜に道
その志は多くの人の感動を呼び、多くの人の協力で名古屋から金沢まで繋がった。

佐久間町や水窪町は、多くに人がココを出ていく。
愛知県も岐阜県も富山県も、山奥の町はどこもそんな状態かもしれない。

今の自分がやっていることが、やがて過去の事になり、懐かしい思い出になる。

後で振り返って
自分なりに、いい人生だった・・・と思えるようにしたいものだ。

この本を読んでいるときに、
走る仲間から
さくら道国際ネイチャーラン」を走るというメールが届いた。
世の中には様々な人がいる。

拍手[6回]

プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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