浜松駅から大きくなった浜松市を県境にある青崩峠を越え
南信州の遠山郷まで90㎞を走った。
その遠山郷で宿泊した宿「島畑」で見つけた本だ。
「消えた峠の村」
昭和45年11月30日(1970年) 集団離村
200年あまりの歴史を残して大平村は無くなった。
しかし、今、
大平村は、歴史的に残しておきたいと
「NPO活動法人 大平宿をのこす会」ができ
大平村の古民家を維持しているそうだ。
以下、
ココのHPで、ご覧ください。
http://www.oodaira.org/
私が暮らす佐久間町の場合はどうだろうか?
この地はもう発展することはない、そのように口走って佐久間町を出ていく人が何人いるというのか。
今年の冬、原田橋が崩壊した時も、過疎化で暮らす人が少ない中山間地に多くの予算を使うのは如何なものかという意見が出ていた。
地域を守るのは、そこに暮らす人
行政が守るのではない。それは分かるが。
その行政に勤めていた人が、ココを出ていく人ばかりでは、やる気も失せてくるというもの。
12市町村が合併して新浜松市が誕生して10年たった今、取り残された感がる中山間地の佐久間町に住む私は
考えさせられる本に出合ったのであった。
それは、27年前、佐久間町に越してきて、信州に家族で遊びに行ったとき
「こんな山奥にも人が住んでいるのだな~」と思った遠山郷の宿で見つけた本だった。。。
5年前のブログ、
よいよ「夢街道90km」
私の暮らす、佐久間町が浜松市に合併したのが、10年前。
佐久間町の役場の職員が、私の暮らす地域(半場区民センター)に来て佐久間町が浜松市に合併することになった経緯を説明に来た。
おおきな浜松市に合併する事を、静岡市に合併した井川地区を例にとって
「佐久間町もいずれ井川地区のようになるでしょう」
この様に、まるで他人事のように説明して帰っていった。
次の日、家族で浜松の町に買い物に出かける車の中で、
新浜松市誕生記念ウルトラマラニック
を走る人を見かけた。
ウルトラマラソン、を走る人に出会い、自分の暮らす地域でマラニックを始めるようになった。
当時、役場の人の説明で、自分が暮らしている地域が
これからどうなっていくのだろうと、、、憂いていたときの事だった。
そのとき
「何年か先の事を考え憂いているより、今を楽しもう」
と、始めたのが。
ほくえん旅ラン
今回の「夢街道」は、その中でも、一番長距離のマラニックなのだ。。。。。
集まってくれた走る仲間は16名。
サポートとして色々な面で協力してくれた人は5人。
浜北では、佐久間町から引っ越していった人が、関所として協力してくれた。
八丁坂を越えたところでは、瀬戸(せと)関所も。。。。。
浜松市最北端の店「はくりや」でも、
今回は、青崩峠を越えての遠山郷入り。
遠山郷は、バイパスが一部完成していた。
来年には、トンネルも走ることが出来そうだ。
ゴール後、温泉がある。
参加したみなさん、お手伝いをしてくださった皆さん
本当にありがとうございました。
感謝!感謝!感謝です~(^O^)/
↓動画。。。。
来年も再来年も続けていきたいので、宜しくお願します。。。。。。
byしんしん
森町の三倉にムーハウスがあると萩田さんに聞いてはいた。
随分山の中だ。。。。
佐久間町に居て山の中とは言えないが。。。。。
野田、そんな感じがするところだ。
そこには
パソコンで、萩田さんからこのような内容のメールが来たから行ったのだ。
人生”絶対不変の真理”を学ぶ
前々から
人間としての考え方、生き方、真理を伝えたい、いっしょに勉強したいと
思っておりました。
森信三先生が言っております 「人生二度なし」・・・と
すばらしい人生を生きるために
私といっしょに楽しく学びませんか
きっとこれからの生き方が楽になると思います。
・・・・と。
ムーハウスとは、
(有)丸宗建築の伊藤宗英(ムー)さんの別荘だ、そうだ。。。。。
その人は、佐久間町の城西の人だそうだ。。。
私にとって城西小学校は母校
ムーさんは先輩になる人だと思う。
その別荘は、競輪選手が合宿に使用しているそうだ。
ココを拠点に、日に何百キロというトレーニングをしているそうだ。
俺たち一般人には想像もつかない世界に、選手たちはいるそうだ。
普段、自分たちが暮らしているところとは全然違う、如何に自分は甘えているか、考えさせられる。。。。
そんな男たちの香りがしたムーハウスだった。
しかし、何故か、飾ってあるのはオートレースのオートバイだった。
次に来るときは、お酒を飲んで宿泊したいな~。。。。
ムーハウス。。。。
勉強の方は。。。。
人生”絶対不変の真理”を学ぶ
目まぐるしい変化の時代であるこの世の中
永久に変わらないものなどないと思いがちだが
それは、、、ある。
絶対不変の真理
人は生きている限り必ず死がやってくる、こと。。。。
また
「自分の人生は自分しか生きられない」
「人生は一度限りである」
これは地球上に人類が誕生して以来の不変の真理である。
だから、今をどの様に生きるのか。
萩田さんの勉強会は始まったばかり。
これからが楽しみだ(^O^)/
ps
この前、ムーさんの同級生の人と、ほうじ峠ウォーキングをしたことがある。
下の写真にいるかな?
ムーさん
知り合いから「勉強会」のお知らせが来た。。。。
前々から聞いていたが、よいよ始まった。
明日、森町の山奥にある別荘で行うそうだ。
元となる教科書は
森信三先生の「修身教授録」
この本をもとに、勉強会を進めていくのだそうだ。
去年の春、名古屋シティマラソンの前日、愛知県の半田市に行ったことがある。
そのときは
新美南吉記念館に行った。
後で知ったが、その
新美南吉記念館の一室に森信三記念室が設けられているそうなのである。
色々な人との出会い。
様々な本との出会い。
人は何時でも成長できるのだ。
森信三とは↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E4%BF%A1%E4%B8%89
成長とは
芋虫が、葉っぱを食って大きくなることではない。
その芋虫が、今までの殻を破り脱皮して蝶になること。
多くの齢を重ねたが、それなりに成長したいと思うこの頃である。
私の持病、腰痛やがってきた。
調子が悪いな~と、思っていたが。。。。。
今日の朝ラン、は辞めにした。
朝ウォーキングにした。
2015年1月29日のブログ
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E5%81%A5%E5%BA%B7/%E8%85%B0%E7%97%9B%E3%81%AA%E3%81%86-%E2%89%A7%E2%96%BD%E2%89%A6-
この時は、ユックリだが走れた。
だが、今は走ることはできない。
腰の筋肉がコリ固まっている。
前屈が出来ない、運動靴を履くとき紐が結べない。顔を洗うとき前屈みするとき違和感がある。
私のランニング人生は腰痛との戦いでもある。
夢街道・新浜松市誕生十周年記念ウルトラマラソン
どうなるだろうか????
田舎で暮らしていると、健康なときはいいのだが、身体の調子が悪く病院のお世話になろうとするとき不便を感じる。
佐野さん・・・・・。
助けて~(≧▽≦)
2006年の第二回佐久間・水窪スーパーマラニック、
20人くらい参加してくれる人がいた。
スタート・ゴールは中部天竜駅、自分の家から直ぐの場所だ。。。。
出発は朝の7時。集合時間は30分前6時30分とした。
少し早いが、20分ごろ中部天竜駅に行くと、
なんと、もう多くの人が集まっていた。
「主催者が早く来なくてはダメじゃなないか。」
そのように言う人がいた。
そうだな~。
と、思った。
次は早く来ようと思った。
しかし、
ウルトラの母、よっぴーさんは違う言葉をかけてくれた。
「○間さんは、いっつもこんな早起きしてマラソン大会に来るんだネ~」
と。
写真は
今年の「佐久間しし鍋」
そして
いけさん
今回、夢街道90㎞を走ることが出来ないと連絡が来た。
それも、すごくすまなそうな感じが伝わった。
趣味でやっている私のマラニック
色々な人が参加してくれる。
色々な思いで参加してくれる。
自分の考え方、他人の考え方、みんな違う。
暮らしているところも、育った環境も。
しかし、そんな違う人の事を思いやる。
そんな世界になってほしい。
思いやりがある世界
自分さえ良ければ
それは良くない。
数年前
がんばらまいか佐久間
の会合で
「この一億円もワシらが生きているまで何とか持てばいいが」
そんなことを言った人がいた
残念でならない。。。
静岡県も入っているゾ。
昇竜プロジェクト、竜じゃ、天竜川じゃ、竜頭山じゃ。。。
http://www.chunichi.co.jp/k/shoryudo/sympo-mie/?ref=pr
竜と言ったら天竜川じゃい。
静岡県浜松市天竜区の天竜川が大きく蛇行している部分が竜に例えての話が多く残っているじゃい。
佐久間ダムの地図なんか竜がクネクネしているみたいたい。
佐久間元気出せ。。。。。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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