2015年7月4日(土)水窪町の協働センター前に集まったのは29名のランナー
その中の一人に、、、俺も並んでいるのであった。。。
10年前、佐久間町が浜松市に合併を決めた時、このウルトラランナーが走っているのを見かけていたのだった。
リックを背負って国道152号線を走っていた。
翌日新聞でウルトラマラソンを知り、呼びかけ人の萩田さんを知ったのだった。
水窪の知り合いにも声を掛けた。
山に生きる会のメンバーと
写真は嫌だという人もいた。
ネットは怖いという人がいる、なにかあった場合、そんな時、怖いと。
中山間地に必要なもののひとつにネット環境があると思う。
光回線、長野県(遠山郷・天龍村)愛知県(東栄町)はもうとっくに光だというのに静岡県は一行に進んでいない。
その理由に、地元の理解がない、そんな問題がある。
10時、萩田さんの用意したクラッカーと山に生きる会が持ってきた
水窪の町民大会で使用したピストルで、ウルトラランナーは山あいの郷「水窪町」をスタートした(^O^)/
腰の調子もイマイチだ、最初はユックリ走り出す。
見慣れた景色を後にして、知っているあの人が農作業をしている。
私は遊びで走っている。それでも、ただの遊びではないと思っている。
しかし、やはり遊び、仕事で車に乗っている人に迷惑の無いように、、、走る。。。
相月の観光トイレ、ココもいずれは解体していくそうだ。
何百万か知らないけれど、佐久間町時代に造った建物だ、このような昔の財産を使用して地域づくりに役立つことはできない物だろうか?
壊すのではなく、今あるものを生かす。
そこで、これからの課題を探しだす。
今は浜松市になったから、このようなトイレを地域の帰し、
「これからは地域で管理してください」
その様に言われるそうだ。
地域としても、今残っている人が出し合ったお金だけでは管理できないので、これを機会に解体してください。
その様になっている。
浜松市になって、地域の残っていた(役場の職員など)が浜松市市内に越していく人が多くいて、中山間地は老親世帯が多くなっていく現実がある。
水窪川沿いの国道152号線を西渡(にしど)まで、ココからは天竜川をれ佐久間方面に走る。
途中、スタート前に萩田さんから紹介された78歳のランナーがいた。
家は浜松市市街のホテルコンコルドの横にあるそうだ。
「先日四万十川100㎞に申し込んで、今日は、その練習」
そう言っていた。
私の写真も、その先輩ランナーに撮ってもらった(^O^)/
このマラニック、呼びかけ人が、できるなら新浜松市をアピールするために、幟を作ってきてほしい、そんな風に書いてあった。
トモゾウさんの幟
学さんの幟
私の後ろ姿
佐久間協働センターに到着。。。
(12:19)
地元の人も雨の中、傘をさして待っていてくれた(^O^)/
ありがたいことです。
ボランティアのエイドで腹ごしらえをして、次に目指すは「龍山協働センター」
秋葉ダム東岸の秋葉ダム桜マラソンのコースを走る。
しとしと降る雨が、ランナーの足元を濡らす。
「龍山協働センター」に着いた(^O^)/
(15:10)
時刻はお昼すぎ。そろそろお腹もすいてきた。
「三角屋」は閉まっていた。
「ドラゴンママ」も休業中。
雲名(うんな)まで行けばウドンがある。そう思って行くも、そこも
残念(-_-;)
近くにあった「渥美屋商店」玄関には鍵がかかっていた。
ウロウロしていたら、お客さんが来て店の人が出てきた。
ラッキーと思って、店に入り赤いキツネのカップうどんを買った(^O^)/
渡りに船、地獄で仏、ほんと助かった。
美味しかったナ~(+o+)
これからの春野町までの道程が長いから、ほんとにホント助かった。
春野町に着き、春野高校の前を、高校名が変わっていた。
合併で、暮らす人の人口が減り、学校に通う人が減り、分校になっていく現実、、、、
(19:07)
春野協働センターに着くころには薄暗くなっていた。
その頃から、チカチカライト、ハンドライトを用意した。
ココからは一人旅、真っ暗な中を一人でユックリ天竜を目指した。
長い、ひたすらに長い道のりだ。
道の駅が出て、あともう少し、そのように思っていたが、それからが長かった。
やっと、やっとたどり着いたコンビニでパンと温かなコーヒーを、冷えた身体に染み渡った。
スタート前、池野谷さんが
「家の前でエイドをやるョ」「夜中の10時まで」
そんなことを聞いていた。
時計はもう10時を少し過ぎていた。
ウロウロしながら走っていると、まだ待っていてくれた。
最後に残った一切れのメロン、美味しかった(≧▽≦)
天竜区役所に着いた。
(22:45)
トモゾウさんと一緒に写真
二人で「浜北区役所」を目指す。
真夜中の浜北区役所で写真。
(1:00)
ココからは、自分のペースが上がらない。
持っていたポンチョを着る。
寒さと眠気でフラフラだ。
何処かで横になりたい。
コンビニの軒先で仮眠、眠いけど眠れない、目をつむるだけだ。
目の前の道路を走っていく人がいた。
「フルーツパーク」近くから、弱気の虫が騒ぎだした。
ショートカットしよう。
細江協働センターはパスしよう。
後ろから来た女性ランナーもフラフラだ、その人は細江協働センターを目指すという。
弱気の虫にとりつかれた自分は、そんな人を追いかけることもせずに
細江協働センターに向かう交差点を右折しようともせずにまっすぐに進んでいった。
横を天浜線の電車が走っていた。
少し行くと岡路駅があった。
何の躊躇もなしに、その駅に行った。
ホームで雨風をしのぎ、濡れた身体で天浜線に乗った。
浜名湖佐久米駅まで行こう。
そこから、三ケ日もパスして、レイクサイドまでショートカットだ。
そんな風に思ったいた。
天浜線を「浜名湖佐久米駅」で下りたら、目の前に傘を差したランナーが一名。。。。
誰だろう???
「下さんだ~」
二人で三ヶ日協働センターを目指すことにした。
二人で行けば道程もそんなには長く感じない、そんな風に思っていたが、、、、、それがケッコウ長かった。車で走ればスグなのに。。。
100㎞以上走った疲れた豆だらけの足には、何とも遠い道のりだった。
それでも、歩を止めないで進んでいけば、何とか目的地には着くもの。
駐車場でウッちゃんが待っていてくれた。
温かいコーヒーにパン、なんとありがたいことだろう。。。。
(9:20)
三ケ日からレイクサイドまで、疲れた身体を引きずりながら進む。
11時出航の船には十分間に合う、そこに行って横になりたい、靴を脱いで足をケアーしたい。
途中、山荘人さんと話しながらのラン。
レイクサイドに着いて、靴を脱ぎ、自分の足の裏をみたら、真っ白・・・・。
(9:40)
シワシワ、、、。
雨の中のランニングで、ふやけてしまっていた。。。
横になりユックリ目をつぶった。
船が来たぞ~。。。。。
舘山寺からもまだ30㎞の道程がある。
から元気だけど、腰を上げた。
乗船前にみんなで写真。。。。。
(11:00)
舘山寺からは、浜名湖をみながらのランとなる。
走り出すことは、難しい状態だ。
この自転車道路は浜名湖一周半周で何回も走ったことがあるコースだ。
どっちも、そんなに長くは感じなかった。
しかし、今回は100㎞以上走ったスゴーク疲れた身体で走っているので、とっても長く感じた。
下さんもトモゾウさんも、すでにズ~と前に行ってしまった。
一人きりで走っていく。
すると、下さんから電話、「今歩いている、浜名湖大橋だよ~」
すぐ前ではないか、頑張れば追いつくことが出来る距離。。。
前に、下さんとトモゾウさんを発見!!
三人で歩くことにした。トモゾウさんはハンガーノック状態だった。
そこに、私たちを呼ぶ声が、しーくんだ。。
コースマップを無くし、途方に暮れていたそうだ。
私と下さんは、舞阪をパスし、浜松西区役所を目指すことにした。
トモゾウさんとしーくんは、行けるとこまで行こう。
舞坂の協働センターを目指そう。。。。。
その様に言っていた。
私の
弱気の虫は、何のためらいもなく、コースマップに書かれているコースとは違う、雄踏方向に進むことにした。
浜松西区役所に着いたのが、4時丁度。。。
岡本エイドも終焉を迎えるころ。
だった
(16:00)
ココで下さんと志都呂のイオン前からバスに乗ることにした。
ザザの前で下車。
ココからゆっくり走って浜松市役所に午後5時20分に到着した。
(17:20)
ご苦労様でした(^O^)/
ワープしたけど、自分なりによくやったと思っている。
男55歳、やるときはやります(≧▽≦)
浜松市役所の玄関に
「世界連邦平和宣言都市」の石碑があった。
世界連邦とは
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%80%A3%E9%82%A6%E9%81%8B%E5%8B%95
地方自治体が平和実現のために世界連邦運動に賛意を表する
平和な世界とは争いのない世界、
浜松市は12市町村が合併して出来た市だ。
佐久間町時代に町の職員だった人たちが、今は浜松市だからと佐久間町を去っていく現実を知っているだろうか?
日本には昔、義理とか人情があった。
世界連邦平和宣言都市 浜松市
世界は一つ
浜松市は一つ
どこに暮らそうとも誇りを持って暮らせる街づくりを目指してほしいです(≧▽≦)
とりあえず、浜松市内で酒飲んでも帰ってくることが出来るようにしてほしい(^O^)/
ワガママな中山間地の住民です(^O^)/
今回のマラニックの動画です~(^O^)/
佐久間町が浜松市に合併した10年前
役場の職員が、合併になった経過を私の地域に説明に来て
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もいずれ井川地区のようになるでしょう」
まるで他人事のように話して帰っていった。
その日からさかのぼること15年、私28歳の春に佐久間町に帰ってきた。
今は湖西市になった新居町で家族3人で暮らしていたが、佐久間町に帰ることを決めたのだった。
父親から電話で、自分が暮らしている横吹(よこぶき)に村道ができることは難しいと話していた。
私が小学生高学年の頃から、横吹に村道を、そのような話は進んでいた。
何回も何回も話し合いがあって、それでも何人かの意見の食い違いで村道の話は無くなっていった。
その間、横吹を越していく人が何件かあった。
父親からの電話があった時に、横吹を出ていくなら今自分な住んでいるところ湖西市か新居に来ないか?
そんなことを言った。
しかし父親は
「少しばかりだけど、先祖が残していったものもあるし・・・」
「佐久間町は出たくない・・・」
そんな父親も
この合併を経験し、家の近くの年寄りの仲間との井戸端会議で何を聴いたのか
「こんど引っ越すなら浜北だな」
そんなことを言った。
平成の合併は、人の心を変えていった。
良いか悪いか
不便か不便でないか
物事は変化する、今生きている自分は、その変化に対応していかなければならない。
しかし、変化しないものもある。
自分の心
あっちにフラフラ、こっちにフラフラ
決めたことは真っ直ぐに貫き通す心、持ち続けるようにしたい。
佐久間町が平成の合併を決めた時、萩田さんが始めたマラニック
この出会いがあり、自分もウルトラマラソンを経験するようになり
今回、その
新「浜松市」誕生十周年記念水窪~浜松160㌔ウルトラマラニック
に参加した。
浜松市役所の玄関近くにあった
世界連邦平和宣言
世界は一つ
浜松市は一つ
なのだ。
今回、160㌔の完全走破はできなかった。
(途中ワープあり)
五年後、60歳の時にまた挑戦してみよう。。。。
五年後の自分に出会えることを目標にして今を生きよう(^O^)/
浜松駅から大きくなった浜松市を県境にある青崩峠を越え
南信州の遠山郷まで90㎞を走った。
その遠山郷で宿泊した宿「島畑」で見つけた本だ。
「消えた峠の村」
昭和45年11月30日(1970年) 集団離村
200年あまりの歴史を残して大平村は無くなった。
しかし、今、
大平村は、歴史的に残しておきたいと
「NPO活動法人 大平宿をのこす会」ができ
大平村の古民家を維持しているそうだ。
以下、
ココのHPで、ご覧ください。
http://www.oodaira.org/
私が暮らす佐久間町の場合はどうだろうか?
この地はもう発展することはない、そのように口走って佐久間町を出ていく人が何人いるというのか。
今年の冬、原田橋が崩壊した時も、過疎化で暮らす人が少ない中山間地に多くの予算を使うのは如何なものかという意見が出ていた。
地域を守るのは、そこに暮らす人
行政が守るのではない。それは分かるが。
その行政に勤めていた人が、ココを出ていく人ばかりでは、やる気も失せてくるというもの。
12市町村が合併して新浜松市が誕生して10年たった今、取り残された感がる中山間地の佐久間町に住む私は
考えさせられる本に出合ったのであった。
それは、27年前、佐久間町に越してきて、信州に家族で遊びに行ったとき
「こんな山奥にも人が住んでいるのだな~」と思った遠山郷の宿で見つけた本だった。。。
5年前のブログ、
よいよ「夢街道90km」
私の暮らす、佐久間町が浜松市に合併したのが、10年前。
佐久間町の役場の職員が、私の暮らす地域(半場区民センター)に来て佐久間町が浜松市に合併することになった経緯を説明に来た。
おおきな浜松市に合併する事を、静岡市に合併した井川地区を例にとって
「佐久間町もいずれ井川地区のようになるでしょう」
この様に、まるで他人事のように説明して帰っていった。
次の日、家族で浜松の町に買い物に出かける車の中で、
新浜松市誕生記念ウルトラマラニック
を走る人を見かけた。
ウルトラマラソン、を走る人に出会い、自分の暮らす地域でマラニックを始めるようになった。
当時、役場の人の説明で、自分が暮らしている地域が
これからどうなっていくのだろうと、、、憂いていたときの事だった。
そのとき
「何年か先の事を考え憂いているより、今を楽しもう」
と、始めたのが。
ほくえん旅ラン
今回の「夢街道」は、その中でも、一番長距離のマラニックなのだ。。。。。
集まってくれた走る仲間は16名。
サポートとして色々な面で協力してくれた人は5人。
浜北では、佐久間町から引っ越していった人が、関所として協力してくれた。
八丁坂を越えたところでは、瀬戸(せと)関所も。。。。。
浜松市最北端の店「はくりや」でも、
今回は、青崩峠を越えての遠山郷入り。
遠山郷は、バイパスが一部完成していた。
来年には、トンネルも走ることが出来そうだ。
ゴール後、温泉がある。
参加したみなさん、お手伝いをしてくださった皆さん
本当にありがとうございました。
感謝!感謝!感謝です~(^O^)/
↓動画。。。。
来年も再来年も続けていきたいので、宜しくお願します。。。。。。
byしんしん
森町の三倉にムーハウスがあると萩田さんに聞いてはいた。
随分山の中だ。。。。
佐久間町に居て山の中とは言えないが。。。。。
野田、そんな感じがするところだ。
そこには
パソコンで、萩田さんからこのような内容のメールが来たから行ったのだ。
人生”絶対不変の真理”を学ぶ
前々から
人間としての考え方、生き方、真理を伝えたい、いっしょに勉強したいと
思っておりました。
森信三先生が言っております 「人生二度なし」・・・と
すばらしい人生を生きるために
私といっしょに楽しく学びませんか
きっとこれからの生き方が楽になると思います。
・・・・と。
ムーハウスとは、
(有)丸宗建築の伊藤宗英(ムー)さんの別荘だ、そうだ。。。。。
その人は、佐久間町の城西の人だそうだ。。。
私にとって城西小学校は母校
ムーさんは先輩になる人だと思う。
その別荘は、競輪選手が合宿に使用しているそうだ。
ココを拠点に、日に何百キロというトレーニングをしているそうだ。
俺たち一般人には想像もつかない世界に、選手たちはいるそうだ。
普段、自分たちが暮らしているところとは全然違う、如何に自分は甘えているか、考えさせられる。。。。
そんな男たちの香りがしたムーハウスだった。
しかし、何故か、飾ってあるのはオートレースのオートバイだった。
次に来るときは、お酒を飲んで宿泊したいな~。。。。
ムーハウス。。。。
勉強の方は。。。。
人生”絶対不変の真理”を学ぶ
目まぐるしい変化の時代であるこの世の中
永久に変わらないものなどないと思いがちだが
それは、、、ある。
絶対不変の真理
人は生きている限り必ず死がやってくる、こと。。。。
また
「自分の人生は自分しか生きられない」
「人生は一度限りである」
これは地球上に人類が誕生して以来の不変の真理である。
だから、今をどの様に生きるのか。
萩田さんの勉強会は始まったばかり。
これからが楽しみだ(^O^)/
ps
この前、ムーさんの同級生の人と、ほうじ峠ウォーキングをしたことがある。
下の写真にいるかな?
ムーさん
知り合いから「勉強会」のお知らせが来た。。。。
前々から聞いていたが、よいよ始まった。
明日、森町の山奥にある別荘で行うそうだ。
元となる教科書は
森信三先生の「修身教授録」
この本をもとに、勉強会を進めていくのだそうだ。
去年の春、名古屋シティマラソンの前日、愛知県の半田市に行ったことがある。
そのときは
新美南吉記念館に行った。
後で知ったが、その
新美南吉記念館の一室に森信三記念室が設けられているそうなのである。
色々な人との出会い。
様々な本との出会い。
人は何時でも成長できるのだ。
森信三とは↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E4%BF%A1%E4%B8%89
成長とは
芋虫が、葉っぱを食って大きくなることではない。
その芋虫が、今までの殻を破り脱皮して蝶になること。
多くの齢を重ねたが、それなりに成長したいと思うこの頃である。
私の持病、腰痛やがってきた。
調子が悪いな~と、思っていたが。。。。。
今日の朝ラン、は辞めにした。
朝ウォーキングにした。
2015年1月29日のブログ
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E5%81%A5%E5%BA%B7/%E8%85%B0%E7%97%9B%E3%81%AA%E3%81%86-%E2%89%A7%E2%96%BD%E2%89%A6-
この時は、ユックリだが走れた。
だが、今は走ることはできない。
腰の筋肉がコリ固まっている。
前屈が出来ない、運動靴を履くとき紐が結べない。顔を洗うとき前屈みするとき違和感がある。
私のランニング人生は腰痛との戦いでもある。
夢街道・新浜松市誕生十周年記念ウルトラマラソン
どうなるだろうか????
田舎で暮らしていると、健康なときはいいのだが、身体の調子が悪く病院のお世話になろうとするとき不便を感じる。
佐野さん・・・・・。
助けて~(≧▽≦)
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
06 | 2025/07 | 08 |
S | M | T | W | T | F | S |
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