先日、西鹿島駅から佐久間町まで42㎞走った仲間
顔も違えば考えていることも違う。
暮らすところも年齢も違う。
同じなのは、佐久間町までの42㎞を走ろうとの思いがあること、42㎞を走り佐久間町まで行きたいとの覚悟があること。
ある人は、この地図をみて
12市町村が合併して出来た新浜松市も同じこと。
海に近い場所があり、都市部があり、農村部があり、山間部がある。
それぞれの地域が、これからの浜松市を目指して知恵を絞り、よりよい地域を想像して進むこと。
ダイバーシティ(多様性)
直訳すると、「幅広く性質の異なるものが存在すること」
様々な違うところが集まり、それぞれが考え、よりよい未来を想像する。
どこに暮らしても、よかったと言える浜松市になってほしいものです。。。
村の鎮守の神様が~♪
八月の初めに
私が暮らしている隣町「中部」(なかべ)でお祭りがある。
そこのお祭りでは、とっても珍しい、、、地割れ花火が奉納されるのだ(^O^)/
8月8日(土)
その花火を観に行こうと、私の勝手にマラニックで友達を誘ったら何人かのラン友が参加してくれた(^O^)/
朝9時
西鹿島駅をスタート。
リクルートスーツの女の子に
写真を撮ってもらった。
今から佐久間に行くぞ~。
42㎞走るぞ~。
お~♪
鹿島橋を渡り、歩行者専用のトンネルをくぐり。
国道152号線最後のコンビニ(セブンイレブン)によって、腹ごしらえ、水分補給。。。
船明ダム湖を横に走る。
しばらくすると、「月まで3㎞」の案内板、ランナーは月に向かって走るのであった(#^.^#)
着いたところは月ではなく「夢の吊り橋」
ココで写真
この吊り橋、もとは鉄道佐久間線のできるはずだたところ、遠い昔、ココに鉄道を造る計画があり、ゆくゆくは佐久間町まで鉄道が来るはずだった。
そんな橋も、今は遊歩道になっているのです。
そん夢の吊り橋を渡り切ってところにあるのが道の駅「花桃の里」
なんと、そこに、サプライズでエイドはあるではありませんか(^O^)/
美味しい食べ物と飲み物、ありがたいことです。
みんなで記念写真(^O^)/
ここまで来れば佐久間まで残り30㎞
灼熱の国道を、熱射病に負けないように我慢の走り。
横山トンネル・秋葉トンネルを抜けると龍山町だ(^O^)/
ココかで来ると山奥に来たゾ~っと感じる。
ドラゴンママのウドン屋さんが開いているかな?
やっていない、もうやめてしまったのだろうか?
国道を離れ、秋葉ダムの堰堤を渡り、ダムの公園で一休み、ココには自動販売機、冷たい山水も出ている。
ココのダム湖沿いでは春に桜マラソンがある。
そのコース沿いを走る。
吊り橋を渡り、国道へ。
車の通りが多くあるので右側通行を守って一列に走りましょう(^O^)/
遠くに竜頭山が見える。
瀬尻の町が見えると、ドラゴンママがある。
ココはやっていた。
私は冷たいうどんを食べた。
よっぴーさんはかき氷(^O^)/
西渡(にしど)に着いたら下さんがいた。
全員集合(^O^)/
とともに雨も本格的に降ってきた。
ま、暑いよりいいか。雨に打たれて気持ち良い(^O^)/
が、雷まで・・・・・。
ゴロゴロ、ドカーン。。。。
今日の花火、大丈夫だろうか(≧▽≦)
心配(/ω\)
豆こぼしトンネルを抜けると、先ほどの雨も止んでいた。
道路も乾いていた。
どうなっているのだ(/ω\)
廃校になった佐久間中学校の横を走り、
飯田線の鉄橋横の歩道を走り。
天竜川の水泳場にドボーン(^O^)/
走る仲間は、走って気持ちいい汗をかいて、走り終わった後は温泉、それが定番だけど。
佐久間には温泉がない。
しかし、佐久間には天竜川がある。
温泉もいいけど、川での自然のアイシングも、またいいもんだ(^O^)/
さて、着替えて、中部のお祭りに行き地割れ花火を観に行こう(^O^)/
地割れ花火の動画です。
本物を見ると、もっと感動するよ(^O^)/
今回のマラニックの動画↓
浜松市は12市町村が合併して出来た政令都市だ。
山間部に暮らす人は、浜松市になったことで多くの人が都市部へと引っ越す人が多い。
今年の春に私の暮らす地域を越していった人は
「佐久間町はいずれ無くなる、東栄町も今は頑張っているがいずれ消えてなくなる」
その様に言って出ていった。
本当にココはいずれ無くなってしまうかもしれない。
が、何かの縁でココに暮らすようになった、だからココで楽しく暮らしたい(^O^)/
今、録画していた大河ドラマ「花燃ゆ」を観ました。
幕末の風雲児高杉晋作の句
「面白きこともなき世を面白く 住みなすものは心なりけり」
まさにこれですネ(^O^)/
面白くもない世の中を、面白く生きるのは心次第。
父親が亡くなり
去年の春、城西地区の戦没者慰霊祭に行った。
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E7%94%B0%E8%88%8E%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97/%E5%9F%8E%E8%A5%BF%E5%9C%B0%E5%8C%BA%E3%80%80%E6%88%A6%E6%B2%A1%E8%80%85%E6%85%B0%E9%9C%8A%E7%A5%AD%E3%80%80%E8%A7%A3%E6%95%A3
去年の秋、護国神社に行ってきた。
そして今年の春。。。
切開(キイナマ)のサダ兄~から
「夏に靖国神社への参拝があるが、行くか~?」
と言われた。
しんしん
「靖国神社か~。。。一度は行きたいと思っていた、行ってみる」
サダ兄~
「城西の小西とこに電話してみ~や」
その夜、電話して聞いてみたら、
もう定員がいっぱいで、、、ダメ、そんな話だった。
いつか行く機会がある。
今回は諦めよう。
そお思っていた時、エンテの家の関係で水窪のトキ兄~の所に行ってきた帰り
切開(キイナマ)の道路を車で走っていると、サダ兄~に出会って挨拶すると
「お前、俺の代わりに靖国へ、、、行って来いヤ~」
「俺はその日、用事が出来た」
しんしん
「チョット待って、俺も仕事があるから職場の同僚に聞いてから返事する」
サダ兄~
「靖国の遊就館を観て回ると泣けてくるゾ~」
しんしん
「分かった、色んなものを観て感じて、これかの生き方を決める」
サダ兄~
「これからは、おまいらの時代だワイヤ」
しんしん
「そんなこと無いよ~。年をとっても若くてもこの土地で頑張っていかにゃ~」
そんな話があり
7月21日22日一泊二日の東京の旅に行くことになった、
しんしんだった。。。
佐久間から観光バスに乗り、ところどころで参加者を乗せ、バスは浜北インターから東京に向かった。
その日は国会議事堂により、地元出身の先生方に迎えられた。
国会議事堂の見学が終わり、宿泊のホテルに「浅草ビューホテル」なんと26階建て、
夕食は隅田川の屋形船。
船は浅草から隅田川を下りお台場まで行いった。
船着き場からはマイクロバスで迎えに来るが、私たちは歩いてホテルに向かった。
途中ライトアップされた浅草寺に。。。。
ホテルに帰って、夜の浅草を・・・。
そんな風に思ったが、風呂にはいったら寝てしまった(-_-)zzz。
次の日
朝ラン。。。
ホテルのロビーに9時に集合して、よいよ靖国神社に向かう。
九段坂を観光バスで上っていく。
ガイドさんに連れられ、みやげる大鳥居をくぐり、参集殿に入っていく。
今回、戦後70年 靖国神社 参拝の北遠の人たちは100名以上、その人たちを前にこれからの公式参拝の説明があった。
神殿の中に入れば撮影は控えなければならない。
退出口を入り、身を清めて本殿に向かった。
代表の方が二名、玉串を神前に捧げて拝礼する。
私たちは、その人の後に着いて頭を垂れた。
公式参拝が無事に済み、私たちは
靖国神社内の「遊就館」に行く。
バスの集合時間が迫り、思うように見学することはできなかった。
次回、時間があるときに、また来たいと思った。
今回の戦後70年 靖国神社参拝のお誘いがあり、自分は参加した。
去年の春、城西地区の戦没者慰霊祭に参加して、秋に静岡市の護国神社に行き、次の年の春、萩田さんの勉強会で森信三先生の「修身教授禄」を音読し、大きくなった新浜松市を自分の足で走ろうと思い、そして先日の戦後70年 靖国神社参拝
それは、全て自分がやろう!と決めて行ったこと。
これからも、自分のやろうと思ったことは後回しにせずにやっていこう!!
これが私の生きる道(^_-)-☆
byしんしん
萩田さんの勉強会の第二回
よいよ森信三先生の「修身教授録」
に沿っての話が始まった。
第一講
「学年始の挨拶」
第二講
「人間と生まれて」
を音読した。
戦前、日本には「修身」教育があった。
「修身」
http://www.moral-science.com/morals.html
森信三先生は修身の教授であって、この「修身教授禄」は
その先生が今の世に生きる、私たちに修身の授業を行っている・・・・そのように感じた。
「修身」は第2次大戦前,日本の初等・中等教育の教科「道徳教育」
戦後、「道徳」になった。
森 信三(もり しんぞう、1896年(明治29年)9月23日 - 1992年(平成4年)11月21日)は、日本の哲学者・教育者。
ウィキペディアから
戦後日本は壊滅的な打撃を受けた。
その国を、戦後、立ち直らさせたのが、この修身教育を受けた日本人だ。
出光興産の創業者出光佐三
百田尚樹の「海賊とよばれた男」を読んだ。
も、その一人。。。
ムーハウス
今、自分は生きている。
何故、それは親がいたから先祖がいたから。
今年のリレー・フォー・ライフ静岡2015
開催日は
9月12日(土)~9月13日(日)だそうだ。
チーム紹介に
我がチームの名前がまだ無い。。。
今年は参加するのかナ~?
年前に参加した時のブログ
リレー・フォー・ライフ(命のリレー)
命は繋がっている。
夏が来ると思いだす~♪
静かな佐久間~♪
遠い空~♪
10年前の8月、合併して大きくなった新浜松市を縦断してみた。
浜松駅南のビジネスホテルに宿泊して
佐久間への帰りは走って帰ることにした。
スタートは浜松駅南口
まだサンストリート前の歩道は工事中だった。
鹿島橋の歩道を初めて渡った。
鳥羽山トンネルも初めて潜った。
横山トンネル・秋葉トンネルを潜り抜け秋葉ダムが目に入った時には
なんか、帰ってきたゾ~っと思った。
あれれからウン十年。。。
今年も
「浜松縦断マラニック」
やろうと思っている。
今、原田橋、崩壊で仮設道路が天竜川内にある。
歩行者はその道を使用することはできない。。。。
どうしようかな~???
考え中である(^O^)/
10年前、市町村合併の話が騒がれ、私の暮らす中山間地「佐久間町」は
新浜松市への広域合併の道を選んだ。
そんな新しい道を選んだ地域だが、昔ながらの祭りは伝承している。
10年前の合併が始まった7月
そんな夏の土曜日
リックを背負ったランナーが国道152号線を走っていた。
次の日
静岡新聞の朝刊に
新「浜松市」誕生十周年記念水窪~浜松160㌔ウルトラマラニック
の記事を見つけたのだった。
フルマラソン(42.195㎞)以上の距離を走る人がいるのだな~。。。。。。
そんな風に思った。
その夏の8月、自分は浜松駅から大きくなった新浜松市を
浜松駅南口から自宅のある佐久間町半場まで走ってみた。
10年前の話。。。。
この初めの一歩が、
「浜松縦断マラニック」
の始まり。
次の年、仲間を集めて、
中部の地割れ花火を見に行こうと浜松駅から走った。
佐久間での宿泊は「上島キャンプ場」だった。
蚊と暑さに悩まされ、次の年は「かぢか旅館」に変更した。
その旅館も、年老いた婦人一人が経営のためナカナカ宿泊が難しくなり、
走る仲間の別荘に宿泊になってきた。
その別荘は川合にあるため、やむなく「地割れ花火を見に行こう」というサブタイトルは削除した。
が、去年の夏から、「地割れ花火を見に行こう」を復活させて仲の良い仲間で始まったのだ。
地図↓
遠州鉄道「西鹿島駅」
8月8日(土)9時スタート
この話には、つづきがある。
ウルトラマラニックを走ってボロボロになった身体、
足の裏は大丈夫だろうか・・・・・。
早くお風呂に行って、疲れたこの身体、特に足の裏、ケアーをしたい・・・。
浜松市役所前でタクシーを捕まえ、
浜松佐鳴台店の「極楽湯」に直行・・・・・・・・。
http://www.gokurakuyu.ne.jp/
温かいお風呂に入り、芯まで身体を温めた。。。。。
水風呂でもアイシングも何回も行った。
風呂から出て、生ビール。
しかし、帰りの電車(飯田線)が心配だ。。。ホドホドにしなければ。
飯田線の豊橋から21時50分、それに乗り遅れると、佐久間に帰れる術がない。
そんなにユックリはしていられない。
21時ごろみんなで、高塚駅まで歩いていこうとの話になった。
間に合うかな~?
そんな心配が・・・・・。
夜だから、ココ「極楽湯」の場所が、よく理解できなかったのだ。
地図をみると、結構高塚駅まで遠いな~。
それでも中部天竜駅までの電車に乗り遅れたら大変だ。
小走りで高塚駅を目指す。
高塚駅に着いて、次の電車の時刻は21時24分だった。
豊橋駅には何時に着くだろうか?
駅員さんに聞いてみたら・・・・・・
21時51分
残念。
コリャ無理だ、でもマテよ、もしかしたら少し早く着いて、飯田線が何かの影響で出発が遅れたら、もしかするかもしれない。
時計を見ながら、その東海道線の出口近くで立っていた、時刻通り。
日本の列車はスバラシイ。
ホント正確に時刻通りだった。
飯田線の二番ホームに行くも、中部天竜駅行はもう発車していた。
さーてどうするか。
豊橋駅に泊まろうか・・・。
次の飯田線、本長篠駅行がある。
22時30分
本長篠駅には
23時26分
家に電話して、本長篠まで迎えに来てもらった(*'▽')
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
06 | 2025/07 | 08 |
S | M | T | W | T | F | S |
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