遠山郷のマラニック
「チャレンジマラニックin遠山郷」が、今年の大会で第10回目となる。
私は、今年完走すると第10回完走となる。
事務局から、そんな私に、メッセージを書いてくれという連絡が来たので
ココに、その内容を記してみます。
浜松市から参加の新間といいます。
浜松市といっても、その浜松市は平成の大合併で北は水窪までもが浜松市になり日本でも二番目に広い市になりました。
私は水窪の隣の町、佐久間町からの参加です。
11年前、平成の大合併があり、東京マラソンが始まり、参加費1万円でチョット高いと思っていたが、その東京マラソンに申し込みをした。ところが年末に落選メールが我が家に届いた。
次の年の冬、水窪で開催される北遠駅伝の待合室で、萩田さんに「遠山郷というところでマラニックがあるらしい」といわれ、その年の春に行われた「第一回 チャレンジマラニックin遠山郷」に参加したのが始まりです。
水窪より山奥の、そのマラニックは、遠山郷の木沢小学校からスタートしました。
神奈川県から来た渓流釣り愛好家の前田さんが、木沢地区の人と交流があり、遠山郷が過疎化と高齢化で大変なのを知り、何とかならないかと考えているときに
同じ神奈川県でマラニックを企画している最勝寺さんと出会い、「チャレンジマラニックin遠山郷」が開催されるようになっと聞いています。
第一回の時は遠山川を奥まで走り、南アルプス聖岳・光岳・易老岳への登山口である便ヶ島まで行って手打ちそばを食べたのが良い思い出です。
コース上では雪に輝く聖岳が綺麗でした。
ココの最大の呼び物はエイドでの遠山郷独特の豪華な食べ物、また、走る前の前夜祭、走り終わってからの後夜祭ではの地元の人との飲めや唄えの楽しいひと時を味わった。
また、こんなに接待されて、東京マラソンとおんなじ値段には、びっくらぽん!!といわずにはおれない。
本当に遠山の人たちの大歓迎には、感謝・感謝・感謝である。
そんな遠山郷のマラニック、第一回目から毎年参加して今年完走できれば10回完走となります。
10年間「チャレンジマラニックin遠山郷」では様々なことがありました。
神奈川県から来た若者が立ち上げたマラニックも、その二人の思いが地元の人たちの心の活性化に火を付け、おとずれるランナーにも気持ちが通じ、今では人気大会になって走りたくても参加できない状態です
。
「チャレンジマラニックin遠山郷」
通い続けて10回目になる。
その間、遠山の人と触れ合って自分なりに考え方が少し変わってきた。
多くの思いやりというボールをランナーに投げてくれた遠山の人たち。
次は、こちらからお返しするばんだ。
11回目からは、ボランティアで大会に携っていこうと思う。
一人でも多くのランナーに、この遠山郷に来ててほしいと思うから。
佐久間町 新間 勉
こんなレポートを送ろうと思う。
観光協会のシンちゃんにだいぶ削られると思うが、今の自分の気持ちを書いてみた
(^O^)/エイエイ
byしんしん
28年間続いた石巻登山マラソンが事務局の石原次郎様の亡くなった為
已む無く休止せざるを得なくなりましたが、このユニークな大会は
WAWAWAの生まれた原点の大会であるので、このまま絶やすのは惜しいと思い
WAWAWAが中心となり、“有志による石巻登山マラソン”を企画し
呼びかけることにしました。
今までの大会と同じコースを走ります。ぜひ・・・参加していい汗をかきましょう。
走り終わって、お風呂に入り、おいしくビールを飲みましょう。
ヒロボーさん呼び掛け案内から引用
石原次郎さんが事務局として28年間続けてきた石巻山登山マラソン、そしてその志を継いでヒロボーさんとランニングチームWWWが初めて今年で第11回。
もう39年間。
多くのランナーたちが、この石巻で多くの汗を流したのだろう。
そんな大会に今年は34人ランナーが集まった。
私はヒロボーさん企画になり3回目の参加だ。
コースは
平地3km→登り5km→下り5km→登り2km 合計15kmのアップダウンコース
今年も夏の初めの蒸し暑い中の走りとなった。
スタートは9時30分
コース沿いには、こんな景色が苦しい走りの中でランナーの心を癒してくれる。
ゴールの夏目別館前着いたのは
11時06分
1時間36分。
今年も良い汗をかいた。
走り終わって、同じコースを走った仲間と、ほってった身体のダウンのために石巻山頂上まで行った。
この大会の楽しいのは
走り終わってから、走った仲間での大宴会があること。
最初初めた石原次郎さんも、志を継いで始めたヒロボーさんもWWWのメンバーの人たちも走るだけではなく、走った仲間で走り終わってから、みんなで楽しく飲んで語らうことが良いのだと、続けている石巻山登山マラソン
今年も楽しかった。
byしんしん
今日は
水窪のNPO
山に生きる会
の
山岳遭難救助講演会
だった。
仕事を6時半に終わり
車で水窪に行った。
場所は水窪文化会館2階視聴覚室
少し遅れて顔を出す。
山岳警備にあたっていた水窪署に配属になった警察官が二人、今日の講演者だ。
○口さん久○田さん
どちらも富士山での遭難事故の事例を例に、お話をしてくれた。
富士山は、携帯の電波状況が良く、簡単に110番の要請が来るそうだ。
ある人は道が分らなくなったとか、捜索に行っても、とても山に入るとは考えられない軽装での人もいたとの話だった。
せめて、ライト・カッパ・食料は持って山に入るようにしてほしい、そうだ。
もし、万一遭難したときの場合、役に立つだろうミラー、火吹き竹などの紹介もあった。
私は、富士山は、富士吉田口と富士宮口でしか登った言葉ないので
御殿場口から山頂に一直線に登った話は興味がわいた。
日本には、綺麗な山、素晴らしい山が多くある。
その中でも、富士山は特別な山だ。
これからも体力が続く限り、富士山には登り続けようと思っている。
また、地元の山も登りたい。
子どものころから見て育た竜頭山、その他にも、、、。
七月には朝日山ハイキングがある。
くれぐれも救助隊のお世話にならないように、登山計画は綿密にして入山しよう。
byしんしん
「ダサい大人になっていないか!!」
そんな言葉に興味を持って、浜松市立佐久間図書館に予約をしたのが3月末
6月12日にその本がやってきた。
95 早見和真/著 KIDOKAWA
37歳の主人公が、母校の女子高校生から連絡が届き、卒業制作のテーマ「1995年」の事を調べている。
オッサンと女子高校生の会話から、この物語は始まった。
1995年といえばオウム真理教による無差別殺人事件が起こった年だ、そう地下鉄サリン事件
著者である早見和真さんによると
サリン事件があった3月20日は終業式でした。
数人の同級生が学校に来ていなくて、クラスの誰かが死んだらしい、という噂も流れ、初めて人の死を意識したんです。
同じ日、部活が休みだったので渋谷を歩いていると、50歳くらいの男性を相手に援助交際をしている女子高生を目撃して心がグチャグチャになりました。
人が命を失った日に体を売っている女子高生への怒り、ダサいことをしているオッサンへの怒り、何もできなかった自分への怒り。この気持ちを描ければ小説になると思ったんです
本の話WEBから引用
1995年
自分は、こんな感じ
その年の流行語大賞には「援助交際」が入賞して、広く世の中に知れ渡った。
2016年
今は、こんなオッサンになった。
「ダサい大人になっていないか!!」
昔はよかった。あの頃はよかったと言っていないか!!
今が一番楽しい。これからも楽しい人生にするように。
その様に、こらからも生きたい。行きたい。
この過疎といわれる佐久間町で。
byしんしん
天気予報では
その日は雨マーク
稲光の絵も描いてある。
心配。
でもその日は、やってきた。
職場に休みを届け、朝から準備に忙しく。
水窪に行き、小松屋で栃餅を購入、遠山の観光協会に持っていき、「ランナーが来たら上げて」と言った。
サポートの方の車に揺られ、浜松駅に到着。
21時、28名のランナーが遠山を目指して走って行った。
22時、千葉から来た俊足ランナーが走った。
見届けてから、私は車で移動。
最後尾のランナーを見つけ、走りに合流。
第6回 夢街道90㎞
後は動画で
走り終わり
遠山に宿泊
泊まった人で集合写真
佐久間への帰り
幟を撤収
この写真、この景色
6年前、走る仲間に見せたかった景色だ。
限界集落
これからどうなっていくのだろう?
このままでいくと、この景色は、やがてスギ林になっていくのだろう。
これから失っていくであろうことを悔むより、今生きていることに感謝し、自分の目にこの景色を焼き付けておこうと思う。
byしんしん
私のマラニック
夢街道90㎞
が、もうすぐだ。
今回、第6回目。
第一回目は20人の参加だった。
そのとき走った仲間は、私のホームページにしまってある。
それが↓
http://run2.ina-ka.com/yumekaidou/sionomiti.htm
どうして、こんな事、始めたんだろう。
どうして、こんなに夢中になっているのだろう。
その一つに。
私の生まれ育った村がある。
その村は横吹(よこぶき)、今56歳になる私は、29歳の時に
その村から引っ越した。
横吹は山の中腹にある村で、どこの村でも村道が開通している時代に、その村は村道を造ることができなかった。
村人の中での揉め事が多い村だったから。
貧乏な村だったから。
様々な問題をはらんでいただろう。
少ないが先祖の残した財産もあるからと
父親は佐久間を出ることは望まなかった。
引っ越した先は、数年前母親が同じ横吹の人の紹介で購入した半場の家だった。
半場と言えば佐久間ダムのおひざ元。
まだまだ、ダムの恩恵があり豊かな便利な地域だった、当時。
子育てをして、幼稚園も小学校も中学校も近くに合って、恵まれていた。
が、近くが故に、子どもたちは贅沢に育ったともいえる。
ニャン(≧▽≦)
半場の消防団でお酒を飲む機会があり、地元を出ていく人を憂いていると
(当時の自分、横吹から考えると恵まれている地域を出ていく人の気持ちがわからなかった)
「新間クンも横吹を出ていったではないか」
と一括されたことがある。
そう、そんな言葉が、私を突き動かしていると感じる。
バンク(≧▽≦)
横吹、限界集落。
今、ギヨンドのケー兄も子供の所へ引き取られたという。
残っているのは
ワゼ・オウド・シンモウの三軒だけだ。
どの家も高齢者たちだ。
何時かは、なくなるのかもしれない横吹、しかし、最後まで見届けるのが、今の自分にできる事だと信じて
夢街道90㎞
続けていこうと思っている。
byしんしん
「ほくえん旅ラン」
夢街道90㎞
が、今週末に近づいた。
PEACE RUN
hokuen journey RUN
走る目的だけでなく、走ることで日本で生まれ今の平和な世の中に暮らせる事を
感謝してほしい。
また、今の平和な世の中は、先人たちの苦労の上にあることも実感してほしい。
推定1,000万個の地雷が埋められているとされるアフガニスタンでは、普通の生活すら安らかにできない。
日本で暮らし、それなりに齢を重ね。
この様なことができることに感謝しよう。
世界中、どこに行っても、マラニックできる世界になることを願います。
PEACE RUN
hokuen journey RUN「ほくえん旅ラン」
byしんしん
修身教授録は森信三先生が戦前の師範学校で修身の授業を行っている様子を書いたもの。
勉強会では、その本を読み、森信三先生は、教師の道を志す生徒に何を伝えたかったのか、年齢も違う性別も職業も違う人たちが森町の三倉の別荘「ムーハウス」に集まり侃々諤々と話し合っている。
同志の集まり。
萩田さんのマラニックでよく出会う仲間が参加する勉強会だ。
その勉強会で、気になる話があったので、ココに記しておきたいと思います。
休憩のとき、このような話が出た。
小笠山トレイルランの問題だ。
国の管理している小笠山で、管理者が大会の規制をかけているという話だ。
どうにかその問題をクリアして、様々な管理者からの難題を答えて、大会の存続に苦労しているという話。
また、「そこまでしてやることが良いのか」そんな話だった。
私は、そこまでやらせたくないのなら、素直に辞めるべきだと思った。
が、口には出さななかった。
また、富士山一周マラニックの話が出た。
地域住民から朝早くランナーの騒ぎ声を発端に騒動になった話だ。
非を認めた呼びかけ人に、被害を被った人の心の動揺も治まって、次の大会にも顔を出してくれるとの約束をしてくれた。新しい仲間が出来たと嬉しく思った。
そんな時に、ある人が。
「そんな問題は軽いもの、ランナーが死んでしまったら、こんなもんではない」
と。
また、萩田さんに、こんなことをやっていると、いつか必ずそんな日が来る。
とも言っていた。
私は背筋に冷たいものを感じた。
萩田さんは、承諾書を残してある。
といったものの
その人は
「その人が死ねば、近親者から裁判を起こされたら、何も言うことは出来ない」
と、言った。
萩田さんは、これからは近親者からの署名も書いてもらう。
と、言った。
富士山頂往復マラニック
などは、200名以上のランナーが集まり、もう私は見たことのない人までがいる。
たしかに走っていて危ない、そんなこともある。あった。
だけど、私は思った。
ある人が言った言葉。
こんなことやっていたら、いつか必ずそんな日が来る。
それは、あまりにも醜い言葉だと思った。
また、そうは思って居ても口に出さないことも同じことだ。
そう思ったら、そうならないように考えるのが同志ではないかと思う。
同志→「こころざしや主義・主張を同じくする人」
走る人が、一人ひとり、注意し合いマナーを守って、目標であるゴールを目指す。
このマラニックに参加する人は同志でなけれないけない。
走るだけではなく、主義や主張も。
大人の遠足(マラニック)
それなりの人が参加するような、大会になって欲しい。
自己責任を、それなりに重く感じてくれる人。
ワガママでない人の参加。
森信三「修身教授録」
《現代に甦る人間学の要諦》
この本を基に始めた、萩田さんの勉強会。
その中の
第一部
第二講 「人間と生まれて」
第三講 「生をこの国土にうけて」
人間として、この世に生を受けて、今私は、これからどのように生きていけばいいのか?
そんなことを思った。
また、この日本という国に生まれて自分は何と恵まれているのかとも、思った。
それは
男はスケベ。女は・・・?
でも書いたパドロフの事
まだ二十代半ばだというのに、地球の裏側ブラジルから祖父母の故郷日本に来て働いて
家族で農場経営をする夢の話を聞いて
森信三「修身教授録」
《現代に甦る人間学の要諦》
人間学
一般に「人間とは何か?」、「人間の本質とは何か」という問いに哲学的な思考と実証的な調査で答えようとする学問で、通常は哲学の一部門として、哲学的人間学の名で呼ばれることもあるが、民族学、文化人類学、生物学的人間学など、他の諸科学にもその学問分野での人間学を語る人たちも少なくない。
ウィキペディア日本語版から引用
要諦→物事の最も大切なところ。肝心かなめの点。
勉強会は、まだ、始まったばかり。
byしんしん
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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S | M | T | W | T | F | S |
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