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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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2月27日(土)
「佐久間しし鍋マラニック」
中部天竜駅から走り始めて城西(しろにし)周りでほうじ峠「伝承館」を目指した。
そのときのブログ
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF/%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93%E3%81%97%E3%81%97%E9%8D%8B2016

そのとき
野田やまびこ会の人と話した内容が、気になったので、ココに書こうと思います。
佐久間町が合併して、佐久間中学校の同窓会をやるようになった
2006年のお正月
多くの同級生が浦川の清流荘に集まってくれた。
あれから5年ごとに同窓会は続いている。
その同級生の一人が私に話してくれた。
「俺も何時かは佐久間に帰ろうと思う」
その人は野田の人だ。
去年の同級生の忘年会の時のブログ
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%90%8C%E7%AA%93%E4%BC%9A/2015%E5%B9%B4%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E5%BF%98%E5%B9%B4%E4%BC%9A%E3%80%82


その事を
野田やまびこ会の人に話したら。。。
「こんなとこ帰って来ても仕事がないからネ~」

これが、今、田舎に暮らしている年配の人の、普通に出る言葉だ。

野田といえば、佐久間町の中でも、まとまりがある地域だった。
地域に村道を作るのも早かった。
ほうじ峠に「伝承館」を作り、野田やまびこ会の人たちが地域おこしを頑張ってきた。
そんなの野田の人たちも年をとった。

しかし、
私たち同年代の人が
帰ってきたいとの思いがあるのなら
温かく迎えてほしい。

山間部には、確かに仕事はない。
しかし、職場をリタイヤし、定年後は田舎に帰って暮らしたい。
そんな人を温かく迎える佐久間町になってほしい・・・です(^O^)/
 
少ないけど、山間部だけど、若い人も子供も佐久間には暮らしているのだから(^O^)/
byしんしん

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
57
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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