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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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facebookを初めて そろそろ一年 友達も78人。

初めのころは、懐かしい友達を検索して"友達リクエスト"を出した。

たとえば、豊根の学校でALT(外国語指導助手)をやっていたJordan Patrick。
去年の夏、母国であるカナダに帰国すると私の住む佐久間の家まで来てサヨナラの挨拶をして帰ったのだ。
もう、絶対に会うことはできない・・・そう思ったのだが、その年の忘年会でfacebookの話を聞き次の年(今年)の1月1日にfacebookを初め、facebookの事を覚え始めJordan Patrickの友達リクエストを出したのだ。

その他、ALTはChengdu Chris、Kevin Collier、Ashley Honeysett、Nathalie Ng。

Tom Coward、は今年の暮れ青森から東北新幹線で帰ってくるとき隣の席に座っていて知り合いになった人だ。
オーストラリアの人で、私の同級生もメルボルンにいると話をしながら東北新幹線(はやて)に乗って来た。

Marc Lincezは、夏の夜中、友達リクエストが送られてきて、ギョエ!!っと思って、どんな人かと基本データを見ようとしたら・・・リクエストが承認されました・・・と出てしまった。
スマホで承認の所に触れてしまったのだろうか??

その後、職場でMarc LincezはJordan Patrickの父親という事を知り安心した。

このように、facebookでは世界中の仲間、友達につながりを持てる、佐久間の、こんな山奥でも、カナダの人や、イギリス、アメリカの友達と。

問題なのは・・・・・私の頭(英語が解らない)
中高年という年になった私だが、少しでも英語を覚えるように努力しなければ(^^;

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「わたしは何才まで生きられますか?・・・」
福島市の小学5年生の女の子の手紙。

「僕は大人になれますか?」
「なんで原発があるんだろう?」
「ほうしゃのうのないところに早く逃がしてください」
「早くほうしゃのうをなくしてください」
「いつになったら公園であそべますか?」
「プールで泳げるのはいつですか?」
「日本の原ぱつをなくしてください」

※「福島の子どもたちからの手紙」(KIDS VOICE編)より

この記事は、南信州の秘境と言われる里 「遠山郷」が縁で知り合った人のFacebookからシェアした。

私が住む、佐久間町は平成の合併で浜松市になった。

12市町村が合併し、大きくなった浜松市、中でも佐久間町・水窪町・龍山村は新浜松市の北に位置する。

その地図の、一番上の県境を挟んでいるのが、遠山郷だ。

合併になり、佐久間を去る人が増えて、ここ山奥での生活は続けて行けるだろうか?どうなっていくのだろうか?

そんな時、あの震災。

町が流され、原子力発電所の事故。

「過疎で悩む問題」 「放射能で外で遊べない子供たち」

この二つ、どうにかなりそうだけど、私個人ではどうにもならなない。

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昨日、UTMFのビデオを録画出来なかった事をブログに書いたら、フェースブックの友達二人からDVDの送ってくれるとの連絡が入った。

一人は電話で、一人はフェースブックのメッセージから。

その昔、私がホームページでマラソンの記録を書いているのを見た人がメールを私に送り、それが縁で、交流が出来た。

2000年2月20日、私の40歳の誕生日の時に、彼が住む東京の多摩市に行き、彼の走友と一緒に青梅マラソンを走った事がある。

トライアスロンをやっていた頃、初めての遠征で分からないことばかり、そんな時にランナーズの掲示板からの私の質問に親切にバイクの梱包から教えてくれた人もいた。

25年前、佐久間中学校1年の時 沖縄に引っ越しをした同級生が、私のブログを見つけ、なつかしく思い出を語ることもあった。

昔 私が暮らしていた、横吹(よこぶき)そこで少年期を暮らした仲間とも此のネットの掲示板で出会い故郷に思いをはせることもあった。

話は元に戻り、UTMF(ウルトラトレイル・マウントフジ)。

マラニック仲間から、UTMFをユーチューブを記載してあるページのお知らせをメールをもらった。
http://unpoh.web.fc2.com/mineclub/309tohoh/p6/fc2-p6.html#c

ネットが縁で、人が繋がる。

フェースブックで実名公開になり、ネット社会は変わっていくだろう。

ネットでの発言も、リアルな所での発言も、自分の言動には責任を持とう。
 

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Facebookを初めてもうすぐ二か月、友達は今のところ24人(職場6人、元職場の人3人、ラン友10人、その他5人)だ。


私がFacebookでいいな~と思ったのは。

4年前に豊橋駅から飯田線に乗って佐久間に帰るときに、「と・う・え・いまで行きますか~」っと 声を掛けられ知り合いになった、豊根村にALTとして派遣されたJordan Patrickとの出会い。

そのJordanが去年の夏に、カナダに帰る為 私の家にサヨナラのあいさつに来て もう会うことはできないっと思っていたら、Facebookで今年 またつながることができたことだ。


また 佐久間にいた人が今は、遠くモンゴルで頑張っている人もいる。

そんなふうに、みんなの消息が分かって安心するFacebookっておもしろいな~と思う。

そんなFacebookをやっていて、今月の2月20日私の誕生日を迎えた昨日。

二人のFacebookの友達が私の家に誕生日ケーキを持って訪ねてきたのだ。


またFacebookでの誕生日おめでとうの書き込みもあり、52年間の私の誕生日の中でもいつもと違った誕生日になった。

Facebookでは みんなつながっている、個人情報が友達間では見えているのだ。

Facebookでも普段の時でもコミュニュケージョンは、まず自分をオープンにして他の人を受け入れる。

Facebookで仮想的な世界が、現実な世界とつながってくるような気がする。

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昨日、「私のFacebookでの友達は、走ること・・・この走ることでの仲間を友達にすることにしよう。」っと書いたのだが、考えが変わった。

それは、今日職場で、Facebookの先輩Raistlin Majereの話を聞いたからだ。

私の趣味は 走る事、気ままにゆっくり走るマラニック、そんなことが好きだ。

だから、そんな仲間づくりにFacebookはいいのではと考えていた。

Raistlin Majereの趣味は、爬虫類を飼うこと特に蛇は大蛇(ニシキヘビ)を飼っているという。

1月1日Facebookに登録し、しばらくしてRaistlin Majereから友達リクエストが来た・・・・聞いたことの無い名前に・・・誰だろう、と思って写真を見たら・・・白蛇の写真ではないか(;^_^

職場で噂になっている、蛇を飼っている人だな・・・すぐ分かった。

ネット上ではRaistlin Majereと名乗っているのだな・・・と。

私は爬虫類、趣味ではないし、無視しておこう・無視・無視・・・・と。

しかし今日、職場でRaistlin Majereに出会い話をしていて、少しずつ考え方が変わっていった。

決定的だったのが、図書館で出会た「金子みすず童話集」の本、その中の一つの詩。

私と小鳥と鈴と

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速くは走れない。
 
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんの唄は知らないよ。
 
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

走る事が好きは人も。爬虫類が好きな人も。

みんなちがって、みんないい。

 

私の友達に世界中を走っている人がいる。
その人が言うには、日本の様に、とこに行っても自動販売機があってコンビニがあってと、こんなに恵まれた国はないと言う。
佐久間に足りないものは・・・・コンビニだろうか。

 

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2012年1月1日Facebookを始めた。

mixiと違い、みんな本名で顔写真も公開してのコミニュティーだ。

登録して、すぐにJunちゃんとのりのりさんから友達リクエストが来たので登録!!

その友達の友達を見ていると、ある人は30人 またある人は45人・・・シンガポールのある人なんか541人......\( ><)シ ぎょぇぇぇ

私もと思い、まずは去年一緒に佐久間小学校の体育館で空手の稽古をしていたフランシーヌに友達リクエスト、ランニング仲間mixi仲間である「とっちー」「うっちゃん」に友達リクエスト。

でも・・・・待てよ・・・あまりFacebookで友達が増えても・・・。

私のFacebookでの友達は、走ること・・・この走ることでの仲間を友達にすることにしよう。

今のところ・・・(^^v

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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