昔、武家政治の時代。
封建制度の下、君主が庶民に領地を分けた。
その、一か所の領地を命を懸けて守ること。
一所懸命
百田尚樹の「影法師」を読んだ。
死を覚悟して生きていた武士の時代。
そんな歴史を繰り返し来た今の日本は平和な国だ。
タイムは悪かろうと良かろうと。
仮装だろうと、何だろうと。
同じハーフマラソン(21.0975キロメートル)先にあるゴールを目指して走る。
一生懸命に走る。
一生懸命
「物事を命がけでやる」という意味。
命がけで走ってるつもりはないが、突然の疾患で命を落とす場合がある。
レースに出る場合は、しっかり練習を積み普段のメディカルチェックを怠らない様に。。。
今年も走ります。
ジュビロ。
ココは、仮装の部があるマラソン大会。
スタート前に、知り合いの仮装ランナーを探し、自分のデジカメで写真を撮りに行った。
ピエロ・侍・非常口
(^O^)/
走歴は
佐久間町にIタウンしてからだから、もう27年、ジュビロ磐田メモリアルマラソンも、もう何回も走っている。
向こうの方から声をかけてくれる人もいる。
佐久間中学校時代の同級生は、今回写真を撮らなかった。
昔の写真
そうこうしているうちに、スタート時間が近くなった。
今回、なにを間違えたか、私のゼッケン
A430
スタート地点の並び方は、ABCDの順番なっている。
そう、私は一番前のスタート地点に行かなけれなならない。
写真も早々に、先頭集団の近くをウロウロしていると。
知り合いから声をかけられた、山○さんだ(^O^)
山○さんの隣で並び、スタートの号砲をまって待機。
ハーフの部、スタート9時20分
多くのランナーが磐田ヤマハスタジアムから磐田の市街地に向け走り出した。
以下 私の動画でお楽しみください(^O^)/
↓動画↓
今回
私のハーフマラソンの記録は
1時間42分33秒だった。
家に帰って今ある記録証を見ると。
2000年
1時間33分11秒
2001年
1時間30分17秒
2002年
1時間42分
2006年
1時間33分44秒
2007年
1時間39分42秒
2008年
1時間31分35秒
2009年
1時間32分01秒
2014年
1時間42分08秒
そして今年
2016年
1時間42分33秒
私が初めて挑戦したフルマラソンは「磐田・大藤フルマラソン」だ。
磐田が原台地の茶畑の中、10㎞の周回コースを4周回するコースだった。
あの時、あのフルマラソンを挑戦した自分があり、今の自分がある。
他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる。
よりよい未来のために、今を一生懸命に。
byしんしん
水窪
NPO法人「山に生きる会」
から
第30回 常民大学合同研究会 の案内が来たので行ってみた。
と き 平成28年11月12日(土)
ところ 浜松市佐久間町
「佐久間歴史と民話の郷会館」小ホール
主催 常民大学合同研究会運営委員会
於波良岐常民学舎(群馬)
立川柳田国男を読む会(東京)
鎌倉柳田学舎(神奈川県)
花巻常民談話会(岩手県)
遠山常民大学(長野県)
飯田柳田国男研究会(長野)
遠州常民文化談話会(静岡)
講演 磐田市
浜松市
研究主題◆常民大学と地域文化
ー後藤民族思想史の検証と発展ー
柳田国男が、昭和初期に書いた名著『都市と農村』のなかで、次のように述べていることを改めて考えてみたいものである。
「それぞれ人又は一家が、世の流行と宣伝とから独立して、各自の生計に合わせて如何なる暮らし方をしようかきめてかかる風が起こればそれでよいのである。
この風習さえ一般になれば、第一次には都市の支配を免れ、すなわち地方分権の基礎はなるのである」
(引用は現代表記)
生活に追われ、時間に制約されるころが、食生活をも貧しくしていく。
働くために時間を制約されることが、さらにまたさまざまな精神の喪失をさせていく。
たとえば、古いいい意味での文化伝承を営み伝えてきた年中行儀や冠婚葬祭の儀礼が姿を消しつつあり、簡略化と都市化が進んでいる。
以下省略
常民とは
民俗伝承を保持している人々を指す民俗学用語で、最初に使用したのは柳田國男である。「庶民」の意味に近いが定義は一定しない(柳田自身も明確な定義を示さないままであった)。
概要
現在一般的には使われないが、元来は「山人」に対する「里人」を意味する言葉であった。日本の民俗学の創始者の一人、柳田は、初期の研究においては村などに定住せず山々を巡り歩いた山人を研究していたが、彼ら山人に対して一般の町村に住む人々を指す意味で「常民」を使用した。
しかし、柳田の研究の対象が里人に移るに至って、この言葉の用法は変わっていった。
ウィキペディアから引用
この研究会の中で最初に
近畿大学名誉教授・文化功労者
野本寛一先生の記念講演があった。
「この国を方途をさぐるー山のムラで学んだことからー」
われわれ一人ひとりの主体性をどうするか、一人ひとりが主人公で考えなければならない。行政が悪い政治が悪いそんなこと言っててもはじまらない、自分はどうだなのだ。だからどうするんだ。というふうに考えなければならない。
昨日は一日、このような研究会を聴く機会に恵まれた。
多くの人の考え方がある。
今日は、これから
ジュビロ磐田メモリアルマラソン
ハーフだ。
マラソンの半分の21.0975キロメートルを走る。
走る人にも多くの人がいる。
行政が悪い政治が悪いそんなこと言っててもはじまらない。
ただ一生懸命、走るだけ。
ただ一所懸命、ココで暮らすだけ。
byしんしん
3013年は晴れ
2014年は曇り
2015年は雨
そして今年
2016年は晴天に恵まれた
チェレンジ明神山(1016m)
だった。
やっほ~。
参加者9名
とうえい温泉で集合写真
8時にスタート。
国道151号に出て、バイパスを走り。
天空の村「尾籠」に向かって上りが続く道をエッチラオッチラ歩みを進めていく。
その村には知り合いがいて、接待を受ける。
「尾籠」の村の目の前には「岩山」という山がある。
そこに、その村の氏神様がいる。
高齢化の進む、その村では、その山での祭りは難しくなったと聞く。
その祭りは毎年4月15日。
自分の昔、暮らしていた「横吹」そこの祭りも
今では、どうなっているのか、わからない。
その話は、ひとまず。
置いといて。
「岩山」へ。
岩山から明神山へ
今回は天気が良く、遠くには富士山も見えていた。
ラッキ!!
下山は三ツ瀬方面に。
途中ウマノセもある。
ハシゴもロープの所もある変化に富んだコースだ。
三ツ瀬登山口からは舗装道路を走る。
途中休憩をして集合写真。
ココから川沿いを走り国道151号に出て新本郷トンネルを抜ける。
本郷の街並みが見えてくる。
商店街で写真。
ゴールの「とうえい温泉」
温泉に入り。ご飯を食べて解散。
佐久間で暮らしていると、本郷は良いナ~。
っと思う。
それは温泉があるからか?
コンビニがあるからか?
国道が整備されていているからだろうか?
東栄町も佐久間町も過疎高齢化で大変な状態の地域なのだ。
佐久間町は政令指定都市浜松市の一部なのだが、浜松市になっただけで何にも変わらない天竜区になって住所が変わっただけだ。
10年前、合併ありきで国が進めた市町村合併。
何だったんだろうか。。。
チャレンジ明神山(1016m)2016
動画です⇩
佐久間町に来たALT(外国語指導助手)
ジェイソン22才
若い青年と二人、今日は愛知県奥三河の山「明神山」に登る約束をした日だ。
中部天竜駅6時05分発
浦川駅 6時13分着
昨夜は早く床に就く
夜9時00分
目が覚めると、な、な・ななんと時計の長針と短針は上を向いているではないか。
12時かな~。また寝よう。
外を見ると、薄明るい。
え~~~。。。
よくよく見ると、長針は上で短針は下だった。
朝の6時だ~。。。。
携帯(スマホ)で連絡しようとしたが、登録していない。。。。。
車を飛ばし、浦川へ、ジェイソンは浦川の町を歩いていた。
「Why Japanese people?」
オカシイよ、待ち合わせ時間・・・・。。。
そうは言わなかった。
ジョウダンでは済まない。
ひたすら謝ったm(_ _)m
気分を取り直し。
乳岩登山口に車で直行。。。。。
朝7時頃
登山開始。。。
板敷川沿いの登山道を上っていく、はじめ乳岩へを一周しそれから明神山(1016m)に行く予定だった。
しかし、ジェイソンは昨夜からお腹の調子が悪く、昨日はゲボを出したと言っていた。
調子が悪いのなら、無理に明神山(1016m)は目指さずに、今日は乳岩だけにしようと、決断した。
乳岩からの下山途中、多くの登山者・クライマーに出会った。
山に入る人が、こんなに多いとは。
その中、外国の人がいた。
聴くと愛〇大学の教員メンバーだという。
ハイ・チーズ。
帰る途中。
東栄駅の「ちゃちゃカフェ」によってコーヒーでも、と思ったが木曜日休み。残念。。。
足を延ばし。
「尾籠」まで行き。
サルビヤで満開の「岩下遊歩道」を散策に歩いた。
そこで、岩山の登山道の話、岩山から明神山までの登山道の話を聴いた。
土曜日の「チェレンジ明神山」
「尾籠」ではお茶があり。
「三ツ瀬」では原田さんがお出迎えをしてくれるそうだ。
「Why Japanese people?」
日本人は親切。日本人は世界の常識から見れば変わっているのかもしれない。。。
お・も・て・な・しの心を持っている。
「東京には、日本には、ありとあらゆるものがあります。しかし、そこに一つ足りないもの、それは希望ではないでしょうか。希望の塾を通して、みんなで希望を見つけていこうではありませんか」 (小池百合子都知事)
東京都小池知事が立ち上げた「希望の塾」
日本は、明治維新後、希望を持って前へ前へと進んでいった時代がある。
戦後70年、日本は戦争からの復興を遂げ豊かになった、しかし、その豊かさと引き換えに希望を失いかけている。
豊かさとは、よりお金があること、そんなふうに勘違い している人がいる。
これからの、東京都知事小池百合子氏の手腕による都政に注目したい。
一局集中で東京園には人口が集中している。
佐久間町の元町長も東京に家があると聞く。
浜松市に合併した、北遠は、合併後急速に若い人の流失が進んで来たように見える。
その、合併から10年以上たった。
東京と違い中山間地は、様々なもが(学校・観光トイレ・その他)無くなっていく。
しかし、最後に残った者がある。
それは希望です(^O^)/
正式には
佐久間ダム竜神まつり
と言うそうだ。
今日は、その祭りに行ってきた。
佐久間ダムを舞台に竜神の舞、
その保存会の お手伝いをチョットだけやらせてもらった。
はじめダム湖の隅に隠れ、無線の知らせ巨大な竜神がダム湖に、煙幕と爆竹の音と共に現れる。
そして、その竜神が佐久間ダム湖畔広場に行き、竜神の舞が始まる。
そんなストーリーだった。
私は、この竜神の舞は、今回初めて見させてもらった。
地元の人が誇りを持って受け繋いできた竜神の舞
が
過疎高齢化で、重い竜神を操る人が少なくなってきた現実もある。
今年で58回
58年前、この祭りは賑やかなことだっただろう。
佐久間ダム祭り
竜神の舞
聞いてはいたけど、始めて見た。
これから先、佐久間町も、他の中山間地と同様に人口の減少は避けて通れない。
だから、田舎に暮らす一人として、手助けできることは、なるべくしたい。
しかし、自分がやろうとしていることも多い。
まっ、今回、いい経験をさせてもらった。
またネ(^O^)/
今年も水窪町「お食事処・みさくぼ地場産品売り場」国盗り から走って青崩れ峠へ目指し
青崩れ峠から遊歩道を兵越峠に向かった。
峠の国盗り綱引き合戦
初めて峠の国盗り綱引き合戦を観たのが平成26年(第28回大会)
こんな山奥に浜松市・飯田市・豊橋市の市長が来てくださり大会前に口上
選手もやる気が出てくる。
私たちの走って応援を合言葉に始まったマラニックも今回で3回目。
26年(第28回)遠州勝利
27年(第29回)信州勝利
28年(第30回)信州勝利
長野県の小さな町「遠山郷」
静岡県の小さな町「水窪町」
お互いの商工会の若者がお互いの交流にと始めたイベントが、今、多くの話題を背負っている。
今、山村は、中山間地は、働くところが少なくなり、人々が都会へと流れていく現実に直面している。
今、田舎では様々な工夫で生き残りをかけて地域の存続をかけている。
その一つ
国盗り綱引き合戦
「勝った負けたも時の運」
秋も深まり、山村は中間山地の山々は色とりどりに変わっていく、多くの人に遊びにきてほしい。
走りに来てほしい。。。
マラニックとは?
マラソン&ピクニック
峠の国盗り綱引き合戦とは?
静岡県浜松市の山奥(水窪町)の若い衆と
長野県飯田市の山奥(遠山郷)の若い衆の
静岡と長野の県境をかけての大一番。。。
水窪町と遠山郷の商工会青年部の精鋭が対戦し、勝った方が1メートル県境を相手方に移動でる。ユニークな村おこし行事として、全国的にも有名になったお祭り。
峠の国盗りマラニックとは?
私、しんしんが10年前、浜松市が広域合併をしたとき山奥の市町村は、これから益々過疎化が進むであろうと思っていた時
フルマラソン以上を走る仲間に出会い、マラニックをする人に出会い。
世の中には、こんな人もいるのだナ~。
と思い、自分もマラニックを・・・・・。
hokuen旅RUN
自分の暮らす北遠でマラニック
自分の暮らす北遠のいいところを探す、マラニックを始めた。
その一つが
峠の国盗りマラニック
今回の参加者
男性9名女性7名計16名
水窪国盗りから走る人11名
途中からの人3名
最初からシャトルバスの人2名
遠くは東京や三重県から来てくれた。
紅葉には、まだ少し早かったようだが、天気にも恵まれ楽しいマラニックになった。
峠の国盗りマラニック
毎年10月の第4日曜開催、来年は10月22日(日)
来年こそは遠州軍に勝利をもたらせるよう、皆さんで応援に行きましょう。
エイエイお~(^O^)/
今回のマラニック、動画です↓
あ~楽しかった。。。
byしんしん
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
06 | 2025/07 | 08 |
S | M | T | W | T | F | S |
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