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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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昨日見た そこまで言って委員会で知った本「夫の○ん○が入らない」
こんな本が、今話題だという。

タイトルがタイトルだけに、こんな本は買わないぞ。
そんな風に思ったが。
57才のオッサンとしては気になるタイトル。
興味津々。。。。

試し読みをしてみた。
http://www.fusosha.co.jp/special/kodama/
ネタバレブログも読んでみた。
http://kaigyou-turezure.hatenablog.jp/entry/2017/01/21/150932

アマゾンの上位の肯定的レビュー上位の批判的レビューも読んでみた。
こんな本は買わないぞ。
そんな風に思っていたけど、、、、今ポチしてしまった。
 

昔、自分は本を読む習慣は無かった。
それが、そんな自分がなんか昔とは違う性格になってきた。
それは人との出会いが変えているのかもしれない。
「夫の○ん○が入らない」
田舎者の筆者が進学のために生まれ育った最果ての集落を離れていく描写には共感できる部分がある。
人生って教科書どうりには行かない。わかっているけど模範解答を求めてくる。
「夫の○ん○が入らない」
過激なタイトルに興味を持ち買わないぞと思ったけれどヤッパリ買うようにした、今回の一冊。
57才のオッサン、この本を読んで何を感じるのだろうか。
送られてくるのが今から楽しみだ。

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1994年(平成6年)6月27日
長野県松本市で起きた「松本サリン事件」
オウム真理教教徒らにより、神経ガスのサリンが散布されたもので、被害者は死者8人、重軽傷者660人に及んだ。
サリンのような化学兵器クラスの毒物が一般市民に対して無差別に使用された世界初の事例、その事件で被害者であった、また第一通報者であった河野義行さん

この本は、松本サリン事件で冤罪未遂事件・報道被害事件に遭遇した河野義行さんの本。
2月26日(日)
 そこまで言って委員会で冤罪問題についてやっていた時に河野さんが出ていたので、昔買った「命あるかぎり」を読み返してみた。
河野義行
命あるかぎり
松本サリン事件を越えて
プロローグ  ユリの花
Ⅰ オウムとサリン
Ⅱ 犯罪被害者として
Ⅲ 家族の絆
Ⅳ 我が家の子育て
Ⅴ 友情に包まれて
Ⅵ 長野県公安委員会
Ⅶ 冤罪防止の第一歩
Ⅷ マスコミ報道への苦言
Ⅸ スイカ畑と空気銃
Ⅹ 渓流釣りを愉しむ
エピローグ  幸せに生きるために

1950年生まれの河野さんは愛知県豊橋生まれの人だ。
Ⅸ スイカ畑と空気銃
で、学生時代かなりツッパッテいた時の思い出を綴っている。
中学校一年のときの思い出で
運動会の準備をサボっている生徒を教壇のまえに立たせた教師の話
サボっていた生徒に「なにか言い訳はあるか?」その質問に「ない」と答え、教師は突然の往復ビンタ。
一発二発なら私も素直に反省しただろうが、その教師は感情的になり十往復以上も殴り続けたそうだ。
その間、河野さんはその教師の目を見つめたまま瞬きもしないで殴られていた。それも、担任の感情を高ぶれせていなのかもしれない。
ようやく殴り終わると「帰れ!」と、担任は言った。
私も腹の虫が治まらず、まさか殴りかかるわけにもいかないので「卒業式のとき、覚えていろよ」などと、すごみをきかせた。
当時の先生は生徒を殴るという行為を何とも思わないような人もいたのは事実だ。
また、生徒も、そんな不条理な教師に卒業後、殴り返す報復みないなものもあったのも事実だ。
昔はこんなことが普通にあった。
また
自分のことしか考えないような優等生よりも、筋が一本通っている彼らと一緒にいる方が楽しかった。
という事も書いてあった。
最近は筋の通っている輩の少なくなったことか、昔、教師に逆らった奴が最近は子猫みたいにゴロゴロしている奴の多いことに寂しく思う。
 
命あるかぎり
日本人の平均寿命は80歳とるすと、私の残りの人生はあと24年間。
この人生を何に使うのか。決めるのは自分だ。
 
エピローグ  幸せに生きるために
まず臨終のことを学んでからほかのことを学べきである。という教えが仏教にはあるようだが、私はこの考え方に共感する。私の人生観は、まさしく人の死を見つめることで形成されてきたように思うからだ。
原文まま

数日前、隣の御爺さんが亡くなった。
享年91歳だった。
昔、まだ若かったころ、その人に清酒を一杯ご馳走になったことがある。
コップに並々注がれた清酒の味は今も忘れられない。
命あるかぎり
この河野さんの本を数十年前に読んだ、今、また数十年たって読み返した。
自分もまた命あるかぎりやならけらばならないことがある。
それは・・・・・。


 

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我が母校
城西小学校は28年度を持って閉校する。
141年の歴史を今年度で閉じる。
 
今年、3月18日、城西小学校の閉校式の前日、私たち昭和46年度卒業生は同窓会を開くことに決めた。
今、来てくれる人の名簿を集計。
 水窪での同窓会参加者10名
閉校ということで、今回の同窓会は小学校の見学をさせてほしいと、学校に連絡し、お願いした。
気持ちが通じたのか、先生の配慮で午後1時から2時までの一時間見学できることになった。

 

私たちが城西小学校に通っていた当時、佐久間町の中でも小さな小学校だった
城西小学校。
過疎化が進み、ますます生徒数は減り続け、閉校を余儀なくされた城西小学校。

ありがとう城西小学校。。。

城西小学校過去のブログ
小学校の同窓会をやろう!!
同窓会。。。
城西小学校の同窓会(その三)
YouTube

どんなに世の中が変わっても、忘れてはならないものがある。
虹色輝け城西

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何年前だったっけ?
萩田氏に、佐久間を走ってから伊藤さん家の別宅で しし鍋を食べて懇親会、、、、そんなマラニックを・・・やろう。
そんな話があった。
マラニック→マラソン&ピクニック

今年は15人、佐久間に来て頂いた。
遠くは車で群馬県や兵庫県から。

天気にも恵めれ、楽しいマラニックになった。
↓動画です。

生きることは旅すること、終わりのない~この道~♪
来年も再来年も、この道を走る。
走り終わって酒を飲みましょう。

See you next year(^O^)/

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安住の地を求めて旅に出た
アマガエルのソクラテスとロベルト
やっとの思いで着いた国「ナバージュ」そこは平和で豊かな国だった。
 
百田尚樹「カエルの楽園」を読んだ。

その国「ナバージュ」は、もう何年も争い事が無く平和だった。
それは、その国のツチガエルは、「三戒」や「謝りソング」をと絶えているおかげで、この平和が保たれているのだと信じていた。

三戎
1、「カエルを信じろ」

2、「カエルと争うな」

3、「争うための力を持つな」

謝りソング
「我々は、生まれながらに罪深きカエル すべての罪は、我らにあり さあ、今こそみんなで謝ろう」

平和とは何か。 愚かなのは誰か。

ナバージュは日本なのか
自分はツチガエルなのか
小さなツチガエルの私は今年の5月、225㎞の走り旅に出ようと決心した。
天竜川リバーサイドマラニック。。。
byしんしん

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北遠駅伝の思い出。。。

むかし、むかし、私がフジユニバンス水窪事業所で働いていた頃。
北遠駅伝は1月に開催だった。
コースも、今とは大分違っていた。
一区(役場前から西浦の途中島まで)
二区(途中島から池島まで)
三区(池島から途中島まで)
四区(途中島から平沢文具店前)
五区(平沢文具店から向外戸)
六区(向外戸から役場前)
だった。
私は毎回、二区だった。
どうしてかな~。

一区は、今の水窪協働センターより城西よりの警察署横に役場は有り、そこがスタート地点。
走りだして、平坦なのはバイパスのわずかな所だけ、西浦に向かって登りの連続である。
途中島まではクニャクニャの曲がり道ばかり、それも上り坂。。。
私は二区で、そんな一区を走っている人を何人も見てきた。
トップで来た選手は、ガッツポーズで次の選手にタスキ渡しをしたが。
後の選手は満身創痍で倒れ込んでいる人が多かった。

我がチーム(フジユ二バンス水窪事業所)は、その過酷な一区の選手は毎年決まっていた、それは長尾の清さん。
私は何時もその清さんからタスキをもらっていた。
二区のコースは、ここも一区に負けず劣らずに上りのコースだ。
水窪でも奥の方だから、応援もかなりまばら
自分にとってはあんきで気に入っていた。

二区だから、早く走り終わり、チームの車に乗って自分のチームを応援しに行こうと話があり。
西浦方面から小畑の商店街に行こうと話が出たとき。
商店街の応援の凄さに驚いた(*'▽')
両脇に応援する人たちが大勢いて、今にも手が触れんばかりの声援だった。

今回の北遠駅伝。。。

今回、メンバーを集めるのに苦労した。
去年まで走っていたメンバーに連絡するも、用事ができて走れない人や、身体の調子がイマイチな人。
そこで、職場でお世話になっている人に、迷惑を承知で聞いてみたら、
軽くokしてくれた。
また、遠くは長野県塩尻のラン友達にも連絡して、来てもらった。

メンバーが集まらないと走れない。
一人ひとりの協力があって、感動のゴールがある。
今回も、なんとか北遠駅伝を参加して完走することができた。
良かった良かった。
(記録とか順位は聞かないでネ。私二区からのタスキ渡しのときは最下位でした)
最後尾の車に後ろから追っかけられて走るのは初体験でした(^O^)/
ゴールのときは最後尾ではなかったョ。
三区からの選手が頑張ってくれたのだ。。。

チームメートや大会関係者の皆様。
本当に
ありがとうございました。
byしんしん

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まさに,、花・鳥の楽園・パラダアイス。

入園してすぐ、花の香りイッパイの園内は色とりどりの花で入園者を歓迎。

日本では見られない珍しい鳥も、ココでは御目にかかることができる。
「動かない鳥」として有名なハシビロコウだ。
  
自分、こんかい初めて見た。
野生ではアフリカのタンザニアにある湿地帯に暮らし、主に魚を食べているそうだ。
じっと動かず待ち伏せして魚を捕まえるそうだ。

掛川花鳥園に行ってきた。

日本に居ながら、アフリカの奥地に暮らす鳥たちに出会うことができた。
掛川花鳥園
 
楽しかった(^O^)/
そんな気持ちと裏腹に
先日、読んだ本
「ローマ法王に米を食べさせた男」
の中で書いてあった言葉。
神様が人間以外の動物や植物から
「なにか一つ願を叶えさせてやろう」
ということになった。
人間以外の動物や植物は話し合った。
そして神様に お願いした。
次の日
世の中から、人間が居なくなった。
 
佐久間という山奥に暮らしていると野生動物が、自分たちの暮らしている里にきて畑など荒し放題だ。
シカ・サル・イノシシ・ハクビシン
どうにかならないものかと悩んでしまう。厄介者だ。
しかし、本当は、一番、この世で
厄介者は、人間なのだ。
byしんしん

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水窪NPO「山に生きる会」の道造りに行ってきた。
場所は
水窪ダムに行くトンネル手前に登山道がある
「ゼンモン山」963.9M
 
兼帯、鍬などを持参して会員が登山道の整備。

1000mもない低い山だけど

地域の山を、地域の人が整備する。
 

大切なことだと思う。

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台湾一周の走り旅に行ってきた人たちがいる。

そんな旅を我らが師匠 ヒロボーさんも行ってきた、楽しんできた。
そうだ。走だ。
 
とにかく楽しかった。
と、言っていた。

台湾の人たちは親切だった。
食べ物は安くて美味しかった。
80歳以上の方は、片言の日本語を話せ、多くの事を話した。
台湾ジャーニーラン8日目
鳳林で熱烈歓迎を受け、途中コンビニでは現地新聞社から取材を受けた。
などなど。
 
ヒロボーさんは、お手製の横断幕を持って走った。

その横断幕に、現地の人からのメッセージも書いてある。


環台湾超級馬拉松之旅
日本語に変換すると
台湾の周りにスーパーマラソンの旅
となる。
 
まさしく、最高の人生、だナ~っと思った。
しんしん

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若かったころ、走る事なぞ考えもしなかったころ。
湖西市に住んでいて、佐久間に帰るようになって、水窪のフジユニバンスで働くようになって、職場の仲間から誘われたのが
佐久間駅伝だった。
チーム名は「フジユニバンス水窪事業所」
数年たって、地元 半場の消防八分団の会合時に団長から話が合った。
「佐久間駅伝の参加チームを半場消防八分団から出せないだろうか?」
話が盛り上がり、半場消防八分団だからチーム名は「ハッチ」にしよう(^O^)/
となった。
団長がポケットマネーでユニホームを買ってくれた。
選手は佐久間小学校横の消防器具置き場に夜7時に集合して練習した。
盛り上がった。
数年たって、佐久間町でもずば抜けて俊足だったO君が半場に引っ越してきたとの話が合った。
選手の一人が佐久間高校の同級生だとの事で、そのO君を半場チーム「ハッチ」に誘った。
その年、半場チーム「ハッチ」は町内在住在勤の部、三位だった。
半場チームは盛り上がった。
ところが二年後、O君は佐久間からいなくなり、半場チームは走る人もいなくなり、半場八分団も中部の消防団と合併するようになった。
そんな時、隣村の「川合」から、お誘いがあった。
「川合」では、川合の花の舞という伝統芸能がある。
川合花の舞チームからのお誘いだ。
無理言って、ハッチという名前を残してもらった。
「ハッチ&花の舞」
というチーム名で、何回も走った。
ところが、そのチームも、今年はメンバーが集まらなく参加できないと、私の携帯に連絡が来た。

今回、私が走ったチームは

「山香A」

町内在住在勤の部、第二位。

山香、西渡(にしど)の人たちと佐久間駅伝の慰労会。
西渡バス停横の「みどり屋」での飲み会だった。
初めての「みどり屋」多くの料理が出てきた。
西渡の人たちと、多くの話をした。
西渡の街を盛り上げようと頑張っている人たち。
佐久間町全体を見ても、これほど盛り上がっているところは、今は無いだろう。
佐久間町を日本で例えると

〆の「みどり屋」特製のラーメン。
ショッパさが疲れた身体と心に染み入った何とも言えない格別な味だった。
しんしん

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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