「瀬戸ワンタン、日暮れ天丼。ゆうなみこなみ~♪ あなたの島へ♪」
わたしと同年代の人は、誰しも口にしたことがある小柳ルミ子の瀬戸の花嫁です。
瀬戸の花嫁の替え歌です。
昨日は、職場の新年会でした(^O^)/
佐久間から車に揺られ浜北まで行き、そこの某食堂での会でした(^O^)/
宴もたけなわ、そんな時、仲間は会場の窓から皆既月食を見ましたが、
わたしは浜北の賑やかな町通りに、華やかなネオンに目を奪われました。
籠に乗る人担ぐ人、そのまた草履作る人
いろいろな立場の人が居る。
暮らすところも様々だ。
「瀬戸ワンタン、日暮れ天丼。ゆうなみこなみ~♪ あなたの島へ♪」
昔、多くの人が、瀬戸の花嫁のように不安を抱えながらお嫁入りをしていた時代がありました。
佐久間から浜北まで車で約一時間。
お酒を飲まない人に運転してもらい、お酒を飲む私は、本当に本当に感謝です。
多くのランナーに
様々な地域の人に、
夢街道、参加してもらいたい、大きくなった浜松市を体験してもらいたい。
昨日は45回目の佐久間駅伝でした。
佐久間ダムの好景気の時、当時佐久間村だったココは近隣の浦川町・城西村・山香村とが合併して出来たのが佐久間町です。
佐久間町の主立った人が、大きくなった佐久間町をタスキでつなげようと45年前に始まった佐久間駅伝を無事に開催することができ体育協会一同ホッとしている次第です。
夢街道・夢の道、私の夢は何ですか?
わたしの夢は、過疎の地域に暮らしても希望を持って暮らすこと暮らせること、です。
ですが、私の暮らす佐久間町は平成の合併で浜松市になり希望を持って暮らすことができない、できなくなるのではないかのとの不安があります。
しかし、先のことを憂いているより今を楽しもう!と始めたのが夢街道でありほくえん旅ランです。
今年の参加者、そのランナーをコぺルランナーと呼ばせてもらいます。
何故、その理由は今はナイショです。
佐久間町が浜松市の大きな合併を受け入れた暑い夏の日、リックを背負ったランナーの走る姿を見かけた。次の日、新聞で新浜松市の旧市町村の役場を全て巡って最後に浜松市の市役所を目指す160㎞のウルトラランナーだと知った。
フルマラソンまでは走ったことがあるわたしは
160㎞・・・。
考えられない距離だった。
常識では考えられないことアンビリバボー
常識ッテなに。
普通人間は、自分を中心に物事を考える。
走ることが趣味といえる人は、たとえば自分、月に300㎞走りたいと朝に夕に時間を見つけて走り込む。
10年前、フルマラソンをヤットコサ走った自分は、月に100㎞も走ったことは無かった。
そのときは160㎞を走る人を常識外れと考えた。
いま、月間走行距離を300㎞走りたいと思っている自分は、朝に夕に走る自分をアタリマエと思っている。そのように思えるようにFBの走る仲間で刺激を受けて走り込んでいる。
だけど、多くの人から見れば常識外れかもしれない。
コぺルランナー
ランナーはマラソン大会に出ている。
いま、多くのフルマラソンは1万円だ。
横浜マラソンなどは2万円。
日本中の都市でマラソン大会が開催されている。
旅行を兼ねてマラソン大会を楽しんでいる。
そんな都市マラソンで、よく言われるのが経済効果○○○万円
そのため各都市ではランナーを呼び込むため頭を悩ませている。
走るのが好き、各都市が地域の経済効果のために考える。
それはそれでいいのかとも思う。
日本は先進国で豊かな国だ、名古屋ハーフを走った時など外国の女性ランナーが多かった。
しかし、少し考えてほしい。
豊かな国だけど、そんな国に暮していても、走ることを趣味だなどと言ってられない人のいることを。
大きくなった浜松市で駅前は高層ビルが建って栄えているように見えていても、広域合併を推進したために衰退していく地方の村々があることを。
先日の勉強会で
ある人が。
「広域合併を進めた人を町長に選挙で選んだ町民たちが悪い」
FBである先生が
「過疎化の問題はショウガナイこと」
との意見があった。
町民が悪い?ショウガナイこと?
2007年、353億円の赤字を抱えて事実上破綻した北海道夕張市。
そんな夕張に暮らす年寄りの人たちに何の罪があるのだろう。
経済発展の頂点に立つ多くの恩恵のなかで豊かな暮らしをする人々は都合の悪いことをショウガナイの一言でかたずけようとする。
コぺルランナーとは
最近注目の「君たちはどう生きるか」の本の中のコぺル君から頂いた。
中学生のコぺル君、そのニックネームはコぺル君のオジサンが名付けた。
地球 中心説(天動説)を覆す太陽中心説(地動説)を唱えたポーランド出身の天文学者、コぺル二スクから名付けた。
その時代に地球 中心説(天動説)が当たり前と思ったいた時に、太陽中心説(地動説)を唱えた天文学者コぺル二スクからだ。
コぺル君に、世の中のアタリマエをそうではないと覆す勇気のある大人へと育ってほしいと願って。
わたしもコぺルランナーには、そのように思ってほしい。
過疎だから、道路整備が滞るのはアタリマエと思わない人に。
多くの人が暮す所はより便利になり、過疎化が進む地方は遅れていく、それをアタリマエと思わないような。
フルマラソンが世の中の人の考えでは長距離(人が走る距離)そんなの走るのも異常だと非常識と考える人もいます。
そんな普通ではないこと、ましては90㎞も走る人。
世の中の普通ではない人。
世の中のアタリマエをアタリマエと思わない人だからこそコぺルランナーと呼びたいと思います。
地球に暮らす全ての人が、お互いにリスペクトを持って暮らしていく、そんな世の中が来なければいけない。
優位にある者が下位にあるものを見下して上から目線でしてやっている、そんな考えはおかしいことだと思う。
優位にある者こそが、一段下の世界に下り同じ目線で考える。
夢街道90㎞参加者してくれる皆さん。
真夜中に浜松駅南口を走り出し、真っ暗な国道152号線を走り、夜明けは龍山の秋葉ダム湖沿いの道です。
六月の蒸し暑い季節ですが、山間部で迎える朝は小鳥のさえずりの中で心地よい気分を味会えると思います。
西渡(にしど)まで到着すれば、よいよ塩の道です。
楽しい走りとなるよう。
お身体に気を付け走り込み、頑張ってください。
しんしん
佐久間に暮らして、もう何年にもなるが、始めて見た自然のイノシシ。
朝早くのランニングでも会うことのなかったイノシシ、車で走っても会うことのなかった。
イノシシに荒された歩道を見てイノシシいるとは聞いていた。
そんなイノシシを、森町三倉に行く車の中で見た。
三倉の小学校を通り過ぎてすぐ、大きなイノシシ(お父さん?)を先頭に道路わきからゾロゾロト出てきた。
そんな姿に愛くるしさを感じたが、あと少し早く走っていたならば衝突していたかもしれなかったと思うとゾッとした。
今日は2018年初の勉強会。
初めの挨拶
「今年は二日に新城運動公園んから田峯観音までの初詣ランで始まりました。先ほど萩田氏から消えてたまるか新世紀しずおかの新聞の切り抜きを見してもらいましたが今、佐久間の現状は多くの人が引っ越して行く状態です。昨日Amazonで買った君たちはどう生きるかという本が着ました。今から80年前、太平洋戦争がはじまろうかというとき書いた本です。
夢街道90㎞Tシャツを作り今年もこのマラニックを成功させたい、2020年にはTシャツのデザインも変え世界平和の事を考えたい」
チョット大げさかもしれないが、君たちはどう生きるかを読んで今を生きる自分として思った事を素直に語ったつもりだ。
休憩になり、ランニングタイム。
今日は、何時もより長い距離を走りたかった。
19㎞を走った。
ジョグノートでの一月の累計距離302.5㎞
やった~。300㎞越え。
午後になり、本日は平澤興「生きよう今日も喜んで」の読書。
目次
一 朝に希望夕に感謝
二 人生に無駄はない
三 仕事は祈り
四 癖は飾りもの
五 一流の人は明るい
六 道というもの
七 生かされて生きる
八 自己との対話
九 自らを拝む
十 一日生涯
十一 四苦即四喜
十二 大西良慶さんに
この勉強会が始まったのは森信三「修身教授録」の読書からだった。
よっぴーのひと言
「難しすぎて・・・・。」
そこで、他のためになる本も持ってきての読書会になった。
森信三「修身教授録」
今読んでいる
君たちはどう生きるか
吉野源三郎
どちらも戦前の本だ。
この人たちが、日本の行く末を考えて考えて出した著作だ。
いま自分は平和な日本に暮らしている。
君たちはどう生きるか
裕福な家に育つコぺル君が、貧しい家の浦川くんの家に行ってその生活ぶりに仰天するところ
四 貧しき友
の所を読んでいる。
朝、出会ったイノシシ親子
衝突しないで、ほんとうによかった。
日本列島は寒波に包まれ寒い日が続きますが、如何お過ごしでしょうか。
ただいま参加者4名。
岐阜・愛知・東京の方がいます。
私の紹介
10年前の平成の大合併。
国が合併特例法というアメをちらつかせ合併を進めた時代、私が暮らす佐久間は浜松市に合併した。
その浜松市は12市町村が合併し大きな日本で二番目に大きな市になった。
そんな時、その12市町村を、浜松市に合併を決めた12市町村の基の役所を巡り走るマラニックを走る人を見ました。
次の日、静岡新聞で、そのマラニックの記事が載っていた。
新浜松誕生記念160㎞のマラニックだそうだ。
ヒェ~~~。
走ると言っても160㎞
世の中には、そんな人が居るのか~。
そんな思いでした。
その日、そのマラニックを企画した人にTEL
天竜ウルトラマラニックに参加することになった。
そこでフルマラソン以上を走る人に出会い、自分もと思い、その夏、浜松駅南口から自分の自宅のある佐久間町まで60㎞を走った。
チャレンジマラニックin遠山郷
平成の大合併で、遠山郷は飯田市になった。
その遠山郷でマラニックが始まった。
東京の自分と同世代の人が企画運営しての大会の始まりだった。
佐久間町は寒いです。
そんなところだけど、今日も朝ランしました。
スマホからの曲は竹原ピストル「よー、そこの若いの」AI「みんなが英雄」
90㎞を走るためには月間200㎞以上は走りたい、皆さん寒さにも負けずに頑張りましょう。
草々
日本の多くの地域が抱える大きな課題のひとつ
駅前の商店街の活性化。
また、山奥の町や村の過疎高齢化の問題もある。
わたしが暮らす浜松市も。
平成の合併っで 12市町村が一緒になった日本で二番目に大きくなった政令指定都市浜松市も、大きくはなったが政令指定都市にはなったが、駅前は前ほどの人通りは無くなっ た。
自分の持っている、使えるお金、それを地域で使う。
其々の人が自分の地域で使おうと考えるならば、其々の地域は潤ってくるのだろうと、と思って始まった。
今宵もはじまりました(^.^)/~~~
観音寺まちなか再生プロジェクトの一つ。
メンバーの一人が、晩酌する写真を「今宵もはじまりました」というフレーズとともにFacebookでほぼ毎晩のようにアップしたのが始まり。
観音寺まちなか再生プロジェクトの二番煎じだけど
佐久間でも水窪でも、浜松駅前でもやっていこうと思っている。
2015年6月
2016年6月
2017年6月
ほくえん旅ラン
2018年
たつやま凸凹マラニック(冬)
開催。パチパチパち~。。。
コースは↓
https://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=af7b0a12041373f5d3317dd5a6a4a05e
ルートラボ
浜松市天竜区龍山町
そこには1958年(昭和29年)に完成したダムがある秋葉ダムだ。
そのダム湖の両岸の急峻な山々に点在する斜面集落を旅するマラニック。
今回、冬のステージ
参加者5人
北遠の冬は寒い。
日陰にある「やすらぎの湯」を後にして秋葉ダム湖沿いの道路を北上した。
吊り橋を渡り青谷ポケットパークへ
ここからグングンと高度を上げる。
青谷集落を経て「不動滝」へ行く。
寺尾集落に到着。
ココの集落では、毎年6月に「瀬尻ぶか凧あげ」がある。
私の産まれた育った、私の故郷、横吹(よこぶき)も斜面集落。
私の産まれた時もその「ぶか凧」という凧を揚げたときく。
父親が話してくれたことを記憶している。
目の前に広がる山々の稜線を眺めながらそんなことを回想した。
ここから一気に高度を下げる。
グングンと高度を下げる。
瀬尻橋が見えてくる。
ドラゴンママで食事、ウドンを注文する。
他の人は味噌田楽。
休憩が多く、時間を浪費し、ショートカットを提案。
瀬尻橋を渡り、本来のコースはダム湖を北上するはずだったが、今回、上平山をパスすることになった。
瀬尻橋を渡り下平山の農村公園を目指すことにする。
この公園は、龍山村立下平山 小学校跡地を利用した公園です。
階段を登り、大きなヒマラヤスギが私たちを迎えてくれる。
そこ横の道路沿いにあるモクレンの木、春には「たつやま凸凹マラニック」(春)のときには、キット、綺麗な花を咲かせてくれることだろう。
今回、ショートカットのタメ、時間的に余裕があった。
冬で日がかげるのも早く、薄暗くなってからのゴールが毎度のことだった たつやま凸凹(冬)しかし、こんなのも良い気ままなマラニック。
走ることが好き。一生懸命な気持ち。
ソレゾレ、暮らすところも育った環境も違う、一緒のことは走ることが好きな、こと。
動画です↓
その龍山町は浜松に合併する前は龍山村だった。
村が町に変わろうとも、地域は何も変わらない。
竜頭山はラクダ山はそれに続く稜線は、昔とチットも変わらずにわたしたちの目を楽しませてくれた。
アリガトウございました。
感謝です~♪
昨日はNPO「山に生きる会」の新年会だった。
平成30年1月 吉日
「山に生きる会」新年会の開催について
新年あけましておめでとうございます。
皆様には益々のご健勝のこととお喜び申し上げます。
今年は「冬季オリンピック」「サッカーワールドカップ」と世界では大きな催しが開催され楽しみな一年になりそうです。
山の会でも、今年も健康で楽しく事業が実地できるよう一杯飲みながら語り合いたいと思います。
つきましては、下記のとおり新年会を開催するのでご出席を宜しくお願い致します。
2018年の幕が開け、地元の氏神様(大日如来様)に初詣に行き、二日には田峯観音様に初詣。
仕事が始まり、自分の机の上に、この案内が来たので、新年会に行ってきた。
毎年同じことの繰り返し。ルーテーン。
場所は水窪地頭方向市場「つぶ食 いしもと」
飯田線の佐久間駅を16時46分の電車に乗ってでかけた。
向市場の駅で下車、まだ時間が速いので向市場周辺をブラブラ、酒屋の前で知っている人に出会う。
酒屋でワンカップでも買って時間をつぶそうか、いや体育館の方に行ってみよう。
体育館では何かスポーツをしているようだ。
途中、教伝様という碑があった。
向市場地区と水窪本町地区とを結ぶ橋、通称(高橋)が以前は木製のため、洪水のために幾度となく流されこの橋の木代にこの地の人々は大変困り果てていました。
この地に暮らしす教伝様は、所有する山林を村に寄付し、その木で橋の架けかえをするよう言い残し、西国巡礼の旅に出たままこの地に二度と戻りませんでした。村人は深く教伝様の徳を慕い、この碑を建てました。
祀ってある食べ物を狙っているのか野良猫が、一匹2匹と集まっていた。
一周して向市場の駅に戻り待合室で時間をつぶし17時40分ごろから「つぶ食 いしもと」に向かった。
二人の会員の方が座敷の囲炉裏で暖をとっていた。
定刻近くになりその他の会員も集まってきた。
事務局の説明、理事長の挨拶、乾杯。
まずはビールだが、水窪の人は清酒に代わっていく。
「みさくぼの酒」も注文する。味は?
少し酸味がある味わい深い味だ。
料理は、このとおり。
地元で採れた食材を利用してのオモテナシの料理だ。
だから、メニューは特にないそうだ。
理事長、元理事長、事務局の人、山に生きる会のHPを担当している人。
人生の先輩たち。
多くの人の話を聴き、地元を愛する人に導かれ私は電車に乗って水窪向市場に来た。
わたし
今年は「冬季オリンピック」「サッカーワールドカップ」と世界では大きな催しが開催され楽しみな一年
自分の楽しみはマラニック。
去年より今年は、より盛り上がった「夢街道90㎞」になるようにしようと思う。
宴は盛り上がってきたが、終電の時間がやってきたので、挨拶をして早々に「つぶ食 いしもと」を後にし向市場駅に小走りで急いだ。
気が付いたら、コタツで寝ていた。
ZZZzzz。。。
「君たちは どう生きるのか」を読んだ。
NHK(Eテレ)毎週月曜日 午後10時25分~10時50分に放送されている番組『100分de名著』(ひゃっぷんでめいちょ)その中で池上彰氏が講師で放送したことを本にしたものだ。
「君たちはどう生きるのか」
吉野源三郎著
今から80年前、第二次世界大戦前に書いた本だ。
その本を基に
第1講「豊かさ」について
第2講「友達」について
第3講「歴史」について
第4講「どう生きるか」について
考える授業だ。
「君たちは どう生きるのか」の主人公は中学校2年生のコぺル君。
主人公のオジサンが名付けたニックネームだ。
ニコラウス・コペルニクスの略でコぺル君と名付けたと聞いた。
たしか会長の挨拶のときそんなことを言ったような気がする。
コペルニクスといえばポーランド出身の天文学者、地球中心説(天動説)地球が中心で夜空の星が昼間の太陽が自分が住んでいる大地の周りを廻っていると信じられている時代に、それを覆す太陽中心説(地動説)を唱えた人だ。
なぜ紛争は無くならないのか?
今世界では、アメリカ大統領が「アメリカ第一主義」とか言っている。
東京では東京都知事が「東京ファースト」とか言って当選している。
強い物の考え方で世の中は廻っている。
今までそれはアタリマエと思ってきて突き進んできた時代だが、それは違う、お互いがリスペクトを持って暮らすことができたならキット世界平和は来る。
池上彰氏は、そんなようなことを優しく中学生相手に答えを言うのではなく自分で考えるように伝えている授業の本んではないかと思って読み進んだ。
それは
ニコラウス・コペルニクスが天動説を地動説だと覆したように。
一時間前に里に行き、母親の顔を見て会場に向かった。
痴呆歴10年以上。
の私の母よ
自分の家が分らなくなって、散歩に出かけて迷子になって、捜索願が出て、近所の人に迷惑をかけたことが数知れず。
地域の区長さんから さくまの里を紹介され、入所の手続きをして順番待ちになって半年後、施設長さんから電話か来た。
2007年の冬
施設長:「老人ホームに入所できますが、、、如何ですか?」
私 :「配偶者である親がいないので相談してから電話します」
父親の部屋に行き、その事を話すと
父親 :「たのむゾー」
早速手続きをしてさくまの里の三号館に入所して、部屋のベランダから観た景色が、綺麗だと思った。
母親は入所を拒むこともない状態だった。
水窪町の上村に産まれた
人生のスタートは水窪だった母親
水窪上村スクリプト公開↓
http://run2.ina-ka.com/www3/Untitled3.html
斜面集落の横吹に嫁いできて、老後半場に来て痴呆になり佐久間の里に入所
そんな母親が お世話になっている特別養護老人ホームさくまの里の新年会に参加してきた。
会長さんの挨拶の中で「君たちはどう生きるのか」の本の紹介があった。
自分一人で生きているのではない、みんなのつながりの中で生きているのだ。
と
施設長の挨拶で、今の佐久間町の人口推移の話が合った。
五年前から1000人ほど佐久間町の人口が減ってきた。
と
隣の若い職員と話し、子供を持つ若い夫婦のココでの暮らしぶりを聞いた。
地元で暮せることは、ありがたいことだ。
しかし
いま現在、地元が過疎で疲弊して暮せる状況でない方向に進んでいるという現実がある。
今回、資料でいただいた、
佐久間町の人口推移・人口ピラミッド
多くの町民に参照していただきたい資料である。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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S | M | T | W | T | F | S |
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