毎年、1月2日に初詣ランをやる。
愛知県北設楽郡設楽町田峯にある観音様に、新城運動公園から走って行くのだ。
行は鳳来街道 帰りは伊那街道
片道21㎞往復42㎞になる。
田峯観音とは?
https://www.okuminavi.jp/search/detail.php?id=142
今回の参加者は3名、サポート1名
男三人でのマラニック、人生の先輩に多くの教えを頂いた意味あるマラニックだった。
(女性が居ないので男同士の話に花が咲いた)
昔は大会には女性は少ししかいなかったけど、今は多くなった。
とか。
マラソン大会も社会でも女性の活躍が目覚ましい。
とか
家でも、走り行くというのが奥様にお願いしてようやく来れた。
とか
全て自分が話したことだが(≧▽≦)
田峯観音に到着し、参拝し、いつものように甘酒を貰いに行くと(毎年甘酒のサービスがある)知り合いの人に出会った。
また、私の故郷(横吹)の竹馬の友も、ここ田峯に婿に来ているので探してみたが見つからなかった。
観音様の鐘が誰でも突けるので、鐘を突いてみた。
が~ん
人が居ないではなく、ほどほどの賑やかさ。
田舎の初詣は、だから良い。
売店でウドンを食し、おみやげの金山寺と梅干を買い、田峯観音を後にした。
帰りは、伊那街道
稲目トンネル1.510m
長かった~。
ゴールの新城運動公園に到着したのが15:00
7時間かけての初詣ランだった。
今年も良い年でありますように。
リリーフランキーの東京タワー
10年前に読んだ本だ。
本の中ではオカンを東京に呼んで一緒に暮らして、話は進んで行く。
最後、オカンが病院で亡くなって、主人公であるボクはオカンの位牌を手に東京タワーに、そして東京を眺めた。
感動のラストだった。
いっぽう、私のカ―チャーは、戦前 水窪(上村)で生れ、戦中戦後 横吹(斜面集落)に嫁いできて家族のために子供のために働いてきて、私が佐久間に帰って来て、半場に越してきて三世帯の家族で一緒には暮し楽しい月日は流れたが、年老いて自宅では介護できないほどの認知症の症状が出て、特別養護老人ホーム「さくまの里」に御世話になって92歳でこの世を去った。
「カ―チャーいろいろゴメンネ」
そして
「ありがとネ」
子どものために家族のために生きたカ―チャー
今朝、年末に買った東京タワーを読み始めた。
世の中でいちばんかなし景色は雨に濡れた東京タワーだ。
で書き始まった、この本、読み進んで行くうちに友人の母親と不倫関係になる、など、なんかオカシイ、気がしてきた。
表紙を見ると。
何と、ななな、なんと。
江國香織の「東京タワー」ではないか(涙)
本を読む習慣などなかった、あたし。
10年前、職場の上司が読書の時間を作って私たちにも、その時間をくれた。就業前の10分間
また
私の母親は、60歳過ぎたあたりから「物忘れがする」と嘆いていた。
私より一回り年上の姉も一緒に「私もョ~」と話していた。
そんな話を聞いた私は
「俺は子供のときから忘れ物が多い」
と話したら。
「そういう衆はイイよ。私たちは最近特に」
バカなアタシは納得した(*'∇')アハハ
2018年12月23日
ネットオフから買った本10冊が届いた。
図書館から借りる、そんな手もあるが、やはり感動した本、もう一度読み直したい本もある。
10冊の中に「東京タワー」がある。
田舎暮らしの母親を東京に呼んで一緒に暮らした、そんな内容の本だった。
また「一瞬の風になれ」イチニツイテ・ヨウイ・ドン
も読み直したく、手元に置いていたくて買ってみた。
2018年年末
ネットオフから届いた本、その中の二冊を読んだ。
中村文昭さんと大嶋啓介さん対談本
俺たち”の夢のつかみ方”をすべて語ろう!
中村文昭さんの本
出会いを生かせば、プワッと道は開ける!
この本は、昨日大晦日家族が紅白歌合戦を見ているときに読み終わった。
知っている人は知っていると思うが、知らない人は知らないと思うから。
中村文昭さんについて説明しよう。
三重県の山奥で生まれた、ここら辺で言うならば富山村あたりかな(笑)
高校は伊勢市の皇學館高校、明治15年からの伝統ある学校だ。
学校のHP校長挨拶でもあるように「夢」が学びの原動力になる。生徒の学び続ける意欲をサポートする学校みたいだ。
しかし、中村少年は夢を見付けることができなかった(泣)
高校を卒業し、東京に出て様々な出会いがあり、夢を見つけて、今では青年実業家、日本全国に公演して回っている。
今は都市部の伊勢市で店を経営しているが、母親の暮らす田舎を愛する人だと思います。
お金ではなく 人のご縁でデッカク生きよ。
ここ三重県もそうですが、和歌山県・奈良県な紀伊半島の不便なところが大変です。しかし、そこの地域おこしは頑張っています。
今朝のテレビで熊野古道をやっていました。
横吹の街道を思い出されます。
街道といえば、私の夢街道90㎞
アリガタイご縁で、昨年は41名の方が走ってくれました。
何故、今君はそれをやるのか?
中村さんの問いがでます。
自分の生まれ育った横吹(ヨコブキ)が残り二軒、最後まで見届けたい(願)キッパリ
多くの人が夢街道(浜松駅~遠山郷)までの90㎞を走れば多くの人の意見があります。
リスクもあります。
ブログも同じで様々な意見があります。
しかし、否定的なひともいますが、それ以上に応援してくれる人に励まされます。感動します。
2019年平成31年元日、日本はこの年、平成の時代から新しい年号に変わり新しい時代の幕開けです。
都会は都会でイイ。田舎は田舎の良さがある。
そんな時代を望みます。
毎年、冬に佐久間しし鍋マラニックがある。
佐久間町内を走り、マラニック仲間の佐久間にある別宅にて、シシ鍋を囲み懇親会が行われる。
その鍋の前に鯨肉がでるときが多々ある。
その鯨肉を食べる人が口々に「珍しい」「懐かしい」と口にする。
昭和35年生まれのわたしは鯨肉に懐かしさは感じられない。
横吹に暮していて最初に思い出される肉がモツ、それも豚のモツ。
親父が製材で働いていて給料日に買ってきたモツの味が忘れられない。
今回の国際捕鯨委員会(IWC)を脱退、沿岸捕鯨の盛んな和歌山・太地町を選挙区に持つのが自民党の二階俊博幹事長、捕鯨船の拠点である下関は安倍首相。首相・幹事長の地元の事情が優先したとの話がある。が。
本当の理由は、故郷のタメ、地元のタメ、ではなく、自分の選挙のときの票のタメ。
湖西連峰トレイルラン2019の最終案内が来た。
第11回目になる、このトレラン。
2019年は、なんと、
参加者200人 初参加72人 男性143人女性57人
サポート25人
素晴らしい企画だ。
な、なな何と、その中でも11回参加した人がいる。
俺だ!(^^)!
去年の動画↓
去年のブログ
湖西連峰トレイルラン2018
飯田線の中でこんな出逢いが有ったんだ~。。。。
主催者に感謝です~。。。。。
注意!写真の人は主催者ではありません(笑)
これまた、浜北のプレ葉ウォークにて購入した。
パラパラと立ち読みして、暇だし読んでみようか、と買ってシマッタ本。
読み始めてシマッタ、と思ったが読み進めるうちに本当のことだし、と思った。
新井紀子さんと金融・経済評論家、ぐっちーさんとの対談形式の本
カナリ衝撃的なことが書いてある。
その中の一部を抜粋
北海道夕張市の破城した後の展開、まったく笑ていられない現実
夕張市は倒産し、役人の給与は3分の1になったとも言われ、役所は潰れたも同然なわけですが、あの有名な夕張メロンの農家の人たちはどうなったか?相変わらず1個2万円とかの夕張メロンが東京・日本橋の千疋屋などで、堂々と売られている。
中略
夕張市の生産農家は全く困らない。自分たちは稼ぐ力があるので、札幌に家を買って、住民票も移してしまい、そこの行政サービスを受けて、毎日メルセデスで夕張の畑にやってきてメロンの生産をしているわけです。
夕張市が潰れて困ったのは、自分では稼げず、公的補助に頼り切った市民。だから潰れてみたら街には貧乏人しか残らなかった・・・・・この悲劇がもう日本中で起きようとしています。地方都市ではごくありふれた風景になると思っています。今なにもしなければ恐らく5年以内です。極めて近い将来、すぐそこにある話なんです。
日本で二番目に大きくなった浜松市の山間部に暮らしいる私には、かなりショック。ショック・ショック。・・・・・。
また、地方都市では基本的なインフラの維持さえ危うい。
2018年「水道法改正案」が衆議院で可決されました。すでに水道民営化の法律が国会で通過しました。これは国が自治体の水道事業は破綻しており、もう面倒見きれないので国から切り離す、と言い出したことと同意語です。
「後は勝手にしてよ」という世界がもう来ているのです。
等々。
読まなければよかった。知らなければよかった。そんな本でした。
まっウスウスわかってはいたけど(笑)
平成26年、増田レポート「消滅可能性都市」なるものがあった。
佐久間町が浜松市に合併するときには、我が地区に地元の役場の職員が、佐久間町が合併になった経過を、人の恋愛を例にとって
「いくらこちらが彼に(水窪)に好きだと言ってもソッポを向かれた。その時に、突然に違う彼が(浜松市)がラブコール、私は(佐久間)その彼に着いていくことになりました。ジャンジャン○×△」
12市町村が合併して、私たち地元の同級生は佐久間中学校同窓会を始めた。
当時45歳だった。
五年後、またその同窓会を浦川の清流荘で開催しようと計画しているとき、「浜松の街中でやりたい」という地元の同級生が居て、「佐久間の同窓会だゾ。佐久間でやらんで如何するダ!」といったことがある。
いろいろ言い合って、その彼が
「俺だって金があれば佐久間なんて出たい!」と言った。
この本にも書いてあったが、金が無い奴が田舎に残っている現実がある(涙)
そこで、こんな歌を捧げたい!
「金のないやつぁ俺んとこ来い♪俺もないけど心配するな♪」
自分自身の応援歌。
人生そんなに長くはない、人の意見で右往左往する奴の多いこと。
其のうち何とかナ~るだろう。。。♪
ソレゾレの場所で小さくてもソレなりの花を咲かせればイイ。
これまた、浜北のプレ葉ウォークにて購入した。
パラパラと立ち読みして、暇だし読んでみようか、と買ってシマッタ本。
読み始めてシマッタ、と思ったが読み進めるうちに本当のことだし、と思った。
新井紀子さんと金融・経済評論家、ぐっちーさんとの対談形式の本
カナリ衝撃的なことが書いてある。
その中の一部を抜粋
北海道夕張市の破城した後の展開、まったく笑ていられない現実
夕張市は倒産し、役人は3分の1になったとも言われ、役所は潰れたも同然なわけですが、あの有名な夕張メロンの農家の人たちはどうなったか?相変わらず1個2万円とかの夕張メロンが東京・日本橋の千疋屋などで、堂々と売られている。
中略
夕張市の生産農家は全く困らない。自分たちは稼ぐ力があるので、札幌に家を買って、住民票も移してしまい、そこの行政サービスを受けて、毎日メルセデスで夕張の畑にやってきてメロンの生産をしているわけです。
夕張市が潰れて困ったのは、自分では稼げず、公的補助に頼り切った市民。だから潰れてみたら街には貧乏人しか残らなかった・・・・・この悲劇がもう日本中で起きようとしています。地方都市ではごくありふれた風景になると思っています。今なにもしなければ恐らく5年以内です。極めて近い将来、すぐそこにある話なんです。
日本で二番目に大きくなった浜松市の山間部に暮らしいる私には、かなりショック。ショック・ショック。・・・・・。
また、地方都市では基本的なインフラの維持さえ危うい。
2018年「水道法改正案」が衆議院で可決されました。すでに水道民営化の法律が国会で通過しました。これは国が自治体の水道事業は破城しており、もう面倒見きれないので国から切り離す、と言い出したことと同意語です。
「後は勝手にしてよ」という世界がもう来ているのです。
等々。
読まなければよかった。知らなければよかった。そんな本でした。
まっウスウスわかってはいたけど(笑)
平成26年、増田レポート「消滅可能性都市」なるものがあった。
佐久間町が浜松市に合併するときには、我が地区に地元の役場の職員が、佐久間町が合併になった経過を、人の恋愛を例にとって
「いくらこちらが彼に(水窪)に好きだと言ってもソッポを向かれた。その時に、突然に違う彼が(浜松市)がラブコール、私は(佐久間)その彼に着いていくことになりました。ジャンジャン○×△」
12市町村が合併して、私たち地元の同級生は佐久間中学校同窓会を始めた。
当時45歳だった。
五年後、またその同窓会を浦川の清流荘で開催しようと計画しているとき、「浜松の街中でやりたい」という地元の同級生が居て、「佐久間の同窓会だゾ。佐久間でやらんで如何するダ!」といったことがある。
いろいろ言い合って、その彼が
「俺だって金があれば佐久間なんて出たい!」と言った。
この本にも書いてあったが、金が無い奴が田舎に残っている現実がある(涙)
そこで、こんな歌いたい。
「金のないやつぁ俺んとこ来い♪俺もないけど心配するな♪」
自分自身の応援歌。
人生そんなに長くはない、人の意見で右往左往する奴の多いこと。
其のうち何とかナ~るだろう。。。♪
ソレゾレの場所で小さくてもソレなりの花を咲かせればイイ。
「むかしはバカだったワイね」
「旦那になる人の顔も知らずに、横吹に来た」
結婚式の当日、下を向いていて、相手は誰かと横の仲人に聞いたら
「紋付き袴を着ているから、たぶんあの人ダラ~」
と言われたそうだ。
「最近ジャ~、あれだら?結婚する前に・・・・だら」
そんな会話が面白かった。
「それでも、よかったジャン。旦那さんカッコよくて」
「いや、優しさが無い。喋らんで困る」
なんて言っていた。
そして
「私も結婚前に好きだった人が居た」
と、ポッと頬を染め呟いた。
昔を思い出し、遠くを眺めた。
なっちゃんも私のカ―チャーも
戦争、そして敗戦、昭和の何もない時代を生き抜いてきた女だ。
その人が横吹にきてその人と出会わなかったら、その人もこの人もこの世には出てきれない。
カ―チャーも、前の夫に先立たれて、「横吹のことなんて知らないョ」と上村に帰ってしまったら、今の自分は無い。
そんな昭和と平成を生きた女が、次の時代を生きる我々にバトンを渡した。
今日は相月のお寺に行って合掌してきた。
横吹は山の斜面にある村だ。
わたしの家(シンヤ)その村の中ほど街道沿いにある。
父親が言うには、その街道はチョンマゲの人が通った街道だそうだ。
その下の街道が大八車。水窪川沿いの国道が車が通る道だと。
その横吹のモットモット上の方に、横吹でもキリクボと言う地域がある。
そこになっちゃんは嫁いできた。昭和の初期。
水窪の西浦から、親の言いなりに横吹に来たという。
婚礼道具を持って、花嫁衣裳を着て、仲人共に。
わたし達が半場にきて、しばらくして、そのなっちゃん夫婦も半場に越してきた。
仕事から帰って来てなっちゃんと昔の横吹の話をするのが楽しかった。
子供会で修兄の運転するバスで貝拾いに行ったこと。
海を見てビックリしたこと。
横吹での暮らしは文明とはかけ離れていた。
井の中の蛙だった。
しかし、空の青さ、星空の美しさを知る、年をとっても楽しい人たちばかりだった。
横吹で、トーチャーは剛だからタケシに~っと呼ばれていた。
わたしの家の屋号はシンヤだった。
隣の家はハマイバという屋号だった。
ハマイバのオジサンはターに~、今回は、その二人の話。
ターに~は城西の製材マルシに通っていた。
毎日、自転車で通っていた。
お酒が好きで、コタツの横には一升はあった。そんな思い出がある。
トーチャーも城西のマルシに通っていた。
オートバイで通っていたが、いつしか車の免許を取り、マルシも辞め豊橋の製材に勤めた。
それが水窪に富士鐵工所ができて、そこに勤めるようになった。
ハマイバのターに~は、自転車で城西の製材マルシに毎日通って、斜面集落「横吹」を毎日往復上り下りした。
定年を迎え、その毎日していた横吹の上り下りがしなくてもよくなった。
トーチャーは横吹から富士鐵工に通い、半場に引っ越して半場から富士鐵工に通った。
斜面集落「横吹」の上り下りをしなくてよくなった。
昔は、どちらも
毎日、毎日、山の中腹にある我が家を目指して上った。
横吹に生れ横吹で暮らした男だった。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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S | M | T | W | T | F | S |
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