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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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先日、城西に行きたまに~に同窓会の看板を付けてくれとお願いしに行った。


小学校時代の同級生の親、ダイダイ先輩の人だ。


佐久間のNPOがんばらまいか佐久間で活動委員会のとき大活躍していた人


口が悪いがヤルことやって手も早い、まさに有言実行のジェントルマン。


そんな威勢のいい人が、今回あったときにはなんか元気がなかった。


「どうも忘れっぽくなった」と言っていた。


「頭の写真を(CTのことか)撮りに行く」とも言っていた。

 

浜松市の山間部、車の免許を取り上げられ車の運転が出来なくなると困ってしまう。


実際、わたしの地区に暮らす高齢者の方で車の免許証と車を子供に取り上げられガッカリして抜け殻のようになった人もいる。


しかし、息子としては何かあってからでは御仕舞いだと心を鬼にして親から車の免許を取り上げたのだろう。


車が世に出てきて100年。


高齢者は車とともに生きて来た。


自動運転、高齢者のためには自動で走る車より、昔のようにマニュアル車ハンドルは重たく窓は手で開け閉めするような車の方が良いのではないかと考える。


便利、便利で忘れた者が多いと思う。


高齢者も忘れ去られるのか、いつか自分も。

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1960年(昭和35年)2月20日
わたしは人生のスタートをした。

 
兄に抱かれた自分の姿

佐久間町の城西地区、横吹という斜面集落の「しんや」という家の久代の二回目の旦那さんとの長男として、この世に生を受けた。

隣のナッチャンの話では、久代さんは旦那に先立たれ実家に帰る予定だったと聞く。

そこを曾祖父であるオジーが
「おまえが帰ったらワシ達は死ぬしかない」
といわれ、弟と一緒になったのだ、と。

その時、帰っていたら、わたしはこの世に存在することは出来なかったのだ。

今日、59回目の誕生日
おおくのFB友から祝福の言葉を頂いた。
FBをやるようになり、自分の誕生日を意識するようになった。
FBをやる前は、自分の誕生日など知らないうちに過ぎて行った。

自分の誕生日を意識する、自分がこの世に生まれたこと。

母親の存在を考えるようになった。

80歳から92歳まで痴呆で老人ホームに御世話になった母親のこと。

この人がいたから今の自分があるということを。

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森町三倉で森信三先生の本を相手に勉強会・読書会
先生の本も第二部になり佳境に入ってきた。

 

この人生は二度とないのです。
森信三先生の言葉

度々申すことながら!!
この人生は二度とないのです。
いったん決心したことは必ずやり抜く人間になることです。
例外をつくったらダメですぞ。
今日はまあ疲れているからとか、夕べはどうも睡眠不足だったとか考えてたらもうダメなんだ。
できないというのは本当にする気がないからです。
一生の志をたてるとが根本です。
つまり自分の生涯を貫く志を打ち立てるということです。
すべて物事というものは理想すなわち最終目標をあらかじめはっきりとつかんでいないことにはとうてい本当のことはできない。
一生を真に充実して生きる道は結局今日という一日を真に充実して生きる外ないでしょう。
一日は一生の縮図なり。
腰骨を立てるということなんだ。
性根の入った人間になる極秘伝は、朝起きてから夜寝るまで常に、腰骨を曲げんということだ。
結局最後は、
『世のため人のため』
という所がなくては真の意味で志とは言いがたい。
人間は徹底しなければ駄目です。
もし撤退することができなければ、普通の人間です。

内面的に強くなることです。
他の一切のことはすべてそれからのことです。
自己の与えられた条件をギリギリまで生かすことが人生の生き方の最大の最深の秘訣である。
人間は他との比較をやめて、ひたすら自己の、職務に専念すれば、おのずからそこに、一小天地が開けてくるのです。
人間には進歩か退歩かの、いずれかがあって、その中間はない。
現状維持と思うのは、実は退歩している、証拠だ。
人間は一生のうち、逢うべき人には、必ず逢える
しかも一瞬早過ぎず。
一瞬遅すぎない時に。
人間の偉さは、才能の多少よりも
己に授かった天分を生涯かけて出し尽くすか否かあるといってよい。
人間の値打ちというものは、その人が大切な事柄に対して、どれほどの決心し、努力することができる、かどうかによって決まる。
https://www.youtube.com/watch?v=IN28Y5K7SKU

命のアサガオ永遠に
静岡県骨髄バンクに関わるようになり、タスキを付けてマラソン大会を走るようになり、出会った本、命のアサガオ永遠に
丹後光佑クンはわずか7歳でこの世を去った。小学校に三ヶ月通って、そのとき撒いたアサガオの種を母親が見つけ育てた。
様々な本との出会い。
今回の修身教授録の読書会で、骨髄バンクで知り合ったその本の思い出が甦った。

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2月23日土曜日は佐久間しし鍋マラニック
10年前、ヒロボーさんに知り合って「佐久間でマラニックをやろう。走り終わて知り合いの別荘でしし鍋を食べ慰労会だ!!!」
そんな話が盛り上がって始まった。

思い出イッパイのマラニック。
去年は水窪の粒食いしもと に言っての食事だった。
今年は原点に返ってまたホウジ峠に行こうと思っている。

先ほどヒロボーさんに電話して聞いてら
「まだ参加者が数人だ」
と、そんな話だった。

折角、始まった佐久間に来てくれる規格、折角、ヒロボーさんが発案してくれた企画。
少しでも多くに人に参加してほしい。
私からも、皆さんの参加を募集します。
 

コースは↓
https://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=a38b90da4ee25439663ead22a4392ca9

集合場所はJR飯田線 中部天竜駅横の浜松市市営駐車場
時間は 9時30分集合、10時出発
会費は飲み食い代 去年は
男性 3000円
女性 2500円
でした。

よかったら是非、来てください。
佐久間町

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日曜日の北遠駅伝
水窪中学校の生徒がボランティアとして働いていた。
校長先生と話す機会があり生徒数を聞いたら18名だという。
少ない生徒で地域を駆け巡り地元をPRするパンフレットを作ったそうだ。


田舎だから、少子高齢化だから。
と思たが。


土曜日に名古屋を走った時にも、子どもの姿は見なかった。
名古屋では御寺巡り、公園にも行ったが、子どもの姿は見えなかった。
ブランコに乗っている人も大人だった。

子どもは何処に行ったのだろう?


勉強が忙しく遊んでいる暇は無いのだろうか?


それとも、家でゲームで遊び外での遊びをしなくなったのだろうか?

外に出て思いっきり空気を吸って走りだろう。

オジサンたちのように。。。

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正式名称は

天竜区北遠駅伝大会
水窪も今は浜松市という大きな行政区に吸収されたのだ。
住所も浜松市、そこの天竜区の一部なのだ。

この大会、なんと!
今年で第67回なのだ!!!
 
数年前の写真


佐久間町に帰って来て、水窪の富士鐵工所で働くようになって。
参加した北遠駅伝、第40回大会の記念大会ということで、参加賞が腕時計だったのを覚えている。

 

この北遠駅伝、その頃とはコースが大きく変わっている。


当時のコースは、水窪町の役場からヒタスラ西浦に向かって上り坂が続いた。
一区は上りダラケ、曲がりくねった道路は辛かったと思う。わたしは二区だったので一区の選手が鬼の形相で走ってくる姿が目に焼き付いている。


二区はというと、まだまだ上っていく西浦最北まで走り、三区の選手が居たとホットしてタスキを渡そうとしてら、三遠南信道路を少し上って折り返してくださいと言われた(笑)


今は、その西浦最北まで行くコースは省略された。

凄まじいコースだった。が。

懐かしい。

今回、我がチームの記録は
41チームの中
17位
6区間23.6㎞を
1時間40分12秒で駆け抜けた。

28年前、第4区、西浦から水窪の小畑地区に入ると多くの水窪中学生や小学生だろうか、先生を応援している「先生頑張って~」の声援で街が沸いていた。

応援の垣根は途切れなく続いて選手と応援する人が触れ合わんばかりだった。

今回、水窪中学生が地元「水窪」を紹介するパンフレットを販売していた。
「残り二冊、350円」と、生徒が声を張り上げて売っていた。


閉会式を終え、記録を頂き、水窪町を後にした。

 
ありがとうございました。

浜松市の北の果て気候的には寒いけど気持ち的には暖かな郷だ。
水窪。。。

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名古屋に行ってきた(*^^)v


名古屋は見どころイッパイ(^O^)/

今回五回目

2015年のブログ
名古屋どえりゃーいいとこマラニック

2016年のブログ
名古屋ええとこマラニック2016

今年第5回目は
私なりに行きたいところがあった。
日比野 寛先生の銅像に会いたかったのだ。

「病める者は医者へ行け,弱き者は歩け, 健康な者は走れ,強壮な者は競走せよ」

昔、日比野の偉業を称え、「日比野賞中日マラソン大会」があった。
その大会も2009年に57回の大会をもて幕を閉じた。

だから行きたかった。

想いが達成できほんとうに良かった。

多くのラン友のみなさん。

ありがとうございました。

多くの出逢いに

感謝です~

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この駅前から、物語は始まった。

いつも中部天竜駅から始まった。

列車が走ってくれること。

有難いこと。

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2017年2月
「カエルの楽園」を読んでブログを書いた。
百田尚樹「カエルの楽園」を読んだ。

今回、私の尊敬する人のブログで今を生きる人は読んだ方が良いのでは?
との感想が書いてあったので早々アマゾンで注文して読んでみた。

百田尚樹さんと石平さんの対談形式の本だ。
石平さんとは
日本の評論家。主に日中問題・中国問題を評論している。中華人民共和国四川省成都市出身。2007年に日本国籍を取得(日本名は石 平〈せき へい〉だが、石平だと日本では苗字だけだと思われることもあり、Twitterでは差別化を兼ねて冗談半分で太郎を付けて使っているが、そのために本名が石平太郎であると間違える人が居ると言う)。2008年4月より拓殖大学客員教授。
ウィキペディアから

大変、怖い恐ろしい背筋が寒くなるような内容だった。
石平さんは1989年に天安門事件を経験した人。
私も若き頃、テレビでその映像は見て記憶している。

古来、中国には杞憂という考え方がある。
心配する必要のないことをあれこれ心配すること。取り越し苦労。杞人の憂え。
中国古代の杞の人が天が崩れ落ちてきはしないかと心配したという、「列子」天瑞の故事から、杞憂という。
今回読んだ「カエルの楽園」が地獄と化す日、これも杞憂で終わればいいと思う。

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ラジオのパーソナリティであった山谷親平さんが、テレホン人生相談で言っていた言葉。


絶望は愚か者の結論なり


もう佐久間はダメだ。


スーパーなんか一軒しかないし、農協もガラガラ。
子どもを持っている親は、生徒が少ないと出ていく。
若い人が居なく年寄りばっかで、もうどうしようもない(涙)


もう絶望的だ。


そんな声が聞こえる佐久間から、今日はテレホン人生相談、いや本物の人生相談に行ってきた!(^^)!


場所は浜北、Harmony


先生は言った。


自分の思ったように羽ばたけばいい。


よ~っしやるゾ~。。。。


絶望するのではなく希望を追い求めよう。


2月23日(土)は佐久間しし鍋マラニック

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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