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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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毎年、佐久間で走って、走り終わってから走る仲間の別荘で慰労会をやろう。
佐久間しし鍋マラニック
エイエイお~(^O^)/

今回は、湖西のラン友(トモゾウさん)から連絡があり
「しし鍋の前に佐久間ダムまで走って行ってダムカードを貰いに行こう」
そんな提案があった。

メンバーはトモゾウさんとウッチャン、三人で佐久間ダムまで走って行く予定。
急遽、トモゾウさんが仕事の予定が入り行けなくなる。
今回は中止、かな?
そう思っていたら、ウッチャンは来てくれるとラインで連絡が届いた。

8時に中部天竜駅横の浜松市営駐車場に集まる。
湖西市の自宅を何時に出たのだろう?
自分の限られた時間、生きている時。を。
その一部を、佐久間に来てくれる、そして走る時間に使ってくれる。こと。

浜松市営駐車場を8時少し経った頃、走り始めてB型鉄橋を二人で渡った。
竜のモニュメントを左にみて佐久間ダムに向かって上り坂を進んだ。
平沢にてダムまでの遊歩道、佐久間・水窪共同斎苑の下に出る。
トンネルに入るためキャップライトを点灯。素掘りに吹き付けのトンネル内は不思議な感覚が漂う。
途中、野生の猿、シカ、イノシシ、カモシカ、一匹も出会うことはなかった。
最後のトンネルを抜けると、早朝ウォーキングの人が前方から一人、歩いてきた。
なんとヨシミさん。
「あら~。こんなとこまで来るの~」
そんなことを言ったが、こちっこそ不思議な組み合わせなのかもしれない(笑)

佐久間ダム堰堤の方には車が一台。
ナンバープレートはなんと、なにわナンバー。

気ままに夫婦で車で旅行、そんなことを話していた。
昨日は車中泊だったそうだ。
「夫婦仲良くて(・∀・)イイネ!!」
関西弁の二人はまるで夫婦漫才の様だった。

よくよく聞くと、昨日は西浦田楽を見に行ったそう。
自分も行ったと、そこで話が盛り上がった。
西浦田楽は有名だ。
国指定の重要無形民俗文化財の第1回の指定を受けた民俗芸能だ。
それは昭和50年の話、民俗芸能といえば西浦田楽、水窪は連綿と芸能を伝えていく地域がら。だ。

午前9時
佐久間ダムの電力館が開く時間だ。
早々、目的であるダムカードを頂いた。
今回は署名を書くようになっていた。
ウッチャン他1名
ダムカード、わたしはいらないので、トモゾウさんに持って行ってと、そのカードをウッチャンに渡した。
トモゾウさんにウッチャンがラインで連絡、
「ダムカード、ゲットだぜ~」

広い館内、私たち二人だけの見学者、電力館には3人の職員が居た。
綺麗に整っている掲示物、展示物、佐久間ダムの歴史が詰まっている。
さくまっぷ のチラシがあった。
まちあるき中部
佐久間ネットワーク
あんじゃないネ
佐久間に暮らす、お年寄りのサポートをしている団体のチラシだ。
過疎地を出て都会で暮らしている人は、一読をお願いしたい。
田舎にたまに帰って来て、街歩き、いいのかもしれない。
走ることもマラニックも。。。

ウッチャンがトイレ。
これから山歩きが多いから。
しんしんさん、トイレはイイの?

二人の会話している近くに、半場の知り合いの女性がいた。
私: 「トイレはイイ。そこらへんでする(笑)」
ウッチャン: 「男はイイね~」
女性: 「それはイイかも。しかしヒルがくっ付いてくるもとも」

気を付けてくださいョ~。
山ヒル、男も女も。
あそこについたら困ってしまう。
わたしは過去にダニが足の付け根にくっついていたことがある。
(付け根、分ります?)
最初、いぼだと思っていた。
固く丸かった。
そのうち、それが無くなり。
無くなったナ~。
と、思っていたら。寝床の横を丸くなったダニが歩いていた。
ギョエ~。。。
テュッシュを丸めて潰したら、黒い液体が出てきた。
わたしの血だろうか?

仕事で草刈りをした時にくっつかれたのだろうか?

田舎での生活は、様々な事がある(笑)

佐久間ダムを後にして。
中部天竜の駅を目指して、走って行った。
佐久間しし鍋2019
今年はどんなメンバーが集まるのだろうか?
楽しみ。。。

つづく。。。

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 毎年、旧暦1月18日の月の出から翌日の日の出まで、夜を徹して行われる西浦田楽


今回は丁度、金曜日になり、見学に行くチャンス。


西浦田楽とは?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B5%A6%E3%81%AE%E7%94%B0%E6%A5%BD

今回は萩田さんを誘って行ってみた。


能衆が来る前、たき火にあたり暖をとっている、若い女性が二人、隣にきてたき火にあたりに来た。


「何処から来たのですか?」
わたしの質問に
「東京から来た」
と答えた。
大学の知り合いが行くといったので付き合いで来たと言いう。

隣の女性は、中国からの留学生だと。


日本の印象は?
の問いに、人が親切。町が綺麗。
と言っていた。

萩田さんのスペイン巡礼の旅の話。
タイ・ローマ・カナダの旅の話。

水窪で海外の話に花が咲いた。


向かいの席の人が話に加わり、その留学生と中国語で話し出した。


湖西市の人だという。


多分化共生の街、流石、湖西市素晴らしい。


東の山から月が上るころ、20数名の能衆がたいまつを焚いて田楽堂に上ってきた。


わたし達があたっていたたき火は能衆の休憩所、追い出される。


人は出たが誰だかわからない荷物がある。


能衆の一人の「片付けてください]」の言葉に、みんなで知らない人の荷物を表に出した。


演目が始まり、見物客が能衆の西浦田楽の祭事に息をのむ。


この行事を西浦の人々は粛々と続けて来たのだ。


庭ならし・御子舞・地固め・地固めもどき・剣・剣もどき・猿舞、演目は続いていく。


例年より今年は温かい、しかし、深夜になると寒さが増してくる、年寄りの身体にはこたえる。


腰を上げ、売店で濁り酒とうどんを買って休憩所に身を寄せた。


浜松市引佐のひよんどり保存会の人がいた。


川合のコイジさんが居た。


元教員の人が数名いた。


その中に沼津から来た人がいて西浦田楽の魅力を語っていた。


家内は興味がないので磐田の娘の家だとか。


男ばかりなので話がエゲツなくなる。


エゲツないのはコイジさんだけだけど(笑)


西浦田楽、男の祭り、男はそんなもの。


勝手に思った。

深夜を回ったころ、仮眠をしに帰った。


田楽の里の管理している人は、都会から西浦に越してきたという。


ココを終の棲家として選んだ土地だという。


ココは人が良い温かい土地柄だと言っていた。


店が少なく買い物ができない。病院が遠くで病気になったら如何するダ。


そんな不便な土地だけど、ココを選んでくる人がいる。


西浦田楽、1300年の繰り返し。


自分の命が今の時代を繋いでいる。


それは人々の生命の繰り返しの中でタスキを受け継ぎ今を走っているのようなものだ。

 

今日は朝8時、中部天竜駅横の浜松市営駐車場に集合
佐久間ダムまで走って行こう!!
そんな約束をしている。
10時からは
佐久間しし鍋マラニック
  
つづく。。。

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先日、城西に行きたまに~に同窓会の看板を付けてくれとお願いしに行った。


小学校時代の同級生の親、ダイダイ先輩の人だ。


佐久間のNPOがんばらまいか佐久間で活動委員会のとき大活躍していた人


口が悪いがヤルことやって手も早い、まさに有言実行のジェントルマン。


そんな威勢のいい人が、今回あったときにはなんか元気がなかった。


「どうも忘れっぽくなった」と言っていた。


「頭の写真を(CTのことか)撮りに行く」とも言っていた。

 

浜松市の山間部、車の免許を取り上げられ車の運転が出来なくなると困ってしまう。


実際、わたしの地区に暮らす高齢者の方で車の免許証と車を子供に取り上げられガッカリして抜け殻のようになった人もいる。


しかし、息子としては何かあってからでは御仕舞いだと心を鬼にして親から車の免許を取り上げたのだろう。


車が世に出てきて100年。


高齢者は車とともに生きて来た。


自動運転、高齢者のためには自動で走る車より、昔のようにマニュアル車ハンドルは重たく窓は手で開け閉めするような車の方が良いのではないかと考える。


便利、便利で忘れた者が多いと思う。


高齢者も忘れ去られるのか、いつか自分も。

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1960年(昭和35年)2月20日
わたしは人生のスタートをした。

 
兄に抱かれた自分の姿

佐久間町の城西地区、横吹という斜面集落の「しんや」という家の久代の二回目の旦那さんとの長男として、この世に生を受けた。

隣のナッチャンの話では、久代さんは旦那に先立たれ実家に帰る予定だったと聞く。

そこを曾祖父であるオジーが
「おまえが帰ったらワシ達は死ぬしかない」
といわれ、弟と一緒になったのだ、と。

その時、帰っていたら、わたしはこの世に存在することは出来なかったのだ。

今日、59回目の誕生日
おおくのFB友から祝福の言葉を頂いた。
FBをやるようになり、自分の誕生日を意識するようになった。
FBをやる前は、自分の誕生日など知らないうちに過ぎて行った。

自分の誕生日を意識する、自分がこの世に生まれたこと。

母親の存在を考えるようになった。

80歳から92歳まで痴呆で老人ホームに御世話になった母親のこと。

この人がいたから今の自分があるということを。

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森町三倉で森信三先生の本を相手に勉強会・読書会
先生の本も第二部になり佳境に入ってきた。

 

この人生は二度とないのです。
森信三先生の言葉

度々申すことながら!!
この人生は二度とないのです。
いったん決心したことは必ずやり抜く人間になることです。
例外をつくったらダメですぞ。
今日はまあ疲れているからとか、夕べはどうも睡眠不足だったとか考えてたらもうダメなんだ。
できないというのは本当にする気がないからです。
一生の志をたてるとが根本です。
つまり自分の生涯を貫く志を打ち立てるということです。
すべて物事というものは理想すなわち最終目標をあらかじめはっきりとつかんでいないことにはとうてい本当のことはできない。
一生を真に充実して生きる道は結局今日という一日を真に充実して生きる外ないでしょう。
一日は一生の縮図なり。
腰骨を立てるということなんだ。
性根の入った人間になる極秘伝は、朝起きてから夜寝るまで常に、腰骨を曲げんということだ。
結局最後は、
『世のため人のため』
という所がなくては真の意味で志とは言いがたい。
人間は徹底しなければ駄目です。
もし撤退することができなければ、普通の人間です。

内面的に強くなることです。
他の一切のことはすべてそれからのことです。
自己の与えられた条件をギリギリまで生かすことが人生の生き方の最大の最深の秘訣である。
人間は他との比較をやめて、ひたすら自己の、職務に専念すれば、おのずからそこに、一小天地が開けてくるのです。
人間には進歩か退歩かの、いずれかがあって、その中間はない。
現状維持と思うのは、実は退歩している、証拠だ。
人間は一生のうち、逢うべき人には、必ず逢える
しかも一瞬早過ぎず。
一瞬遅すぎない時に。
人間の偉さは、才能の多少よりも
己に授かった天分を生涯かけて出し尽くすか否かあるといってよい。
人間の値打ちというものは、その人が大切な事柄に対して、どれほどの決心し、努力することができる、かどうかによって決まる。
https://www.youtube.com/watch?v=IN28Y5K7SKU

命のアサガオ永遠に
静岡県骨髄バンクに関わるようになり、タスキを付けてマラソン大会を走るようになり、出会った本、命のアサガオ永遠に
丹後光佑クンはわずか7歳でこの世を去った。小学校に三ヶ月通って、そのとき撒いたアサガオの種を母親が見つけ育てた。
様々な本との出会い。
今回の修身教授録の読書会で、骨髄バンクで知り合ったその本の思い出が甦った。

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2月23日土曜日は佐久間しし鍋マラニック
10年前、ヒロボーさんに知り合って「佐久間でマラニックをやろう。走り終わて知り合いの別荘でしし鍋を食べ慰労会だ!!!」
そんな話が盛り上がって始まった。

思い出イッパイのマラニック。
去年は水窪の粒食いしもと に言っての食事だった。
今年は原点に返ってまたホウジ峠に行こうと思っている。

先ほどヒロボーさんに電話して聞いてら
「まだ参加者が数人だ」
と、そんな話だった。

折角、始まった佐久間に来てくれる規格、折角、ヒロボーさんが発案してくれた企画。
少しでも多くに人に参加してほしい。
私からも、皆さんの参加を募集します。
 

コースは↓
https://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=a38b90da4ee25439663ead22a4392ca9

集合場所はJR飯田線 中部天竜駅横の浜松市市営駐車場
時間は 9時30分集合、10時出発
会費は飲み食い代 去年は
男性 3000円
女性 2500円
でした。

よかったら是非、来てください。
佐久間町

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日曜日の北遠駅伝
水窪中学校の生徒がボランティアとして働いていた。
校長先生と話す機会があり生徒数を聞いたら18名だという。
少ない生徒で地域を駆け巡り地元をPRするパンフレットを作ったそうだ。


田舎だから、少子高齢化だから。
と思たが。


土曜日に名古屋を走った時にも、子どもの姿は見なかった。
名古屋では御寺巡り、公園にも行ったが、子どもの姿は見えなかった。
ブランコに乗っている人も大人だった。

子どもは何処に行ったのだろう?


勉強が忙しく遊んでいる暇は無いのだろうか?


それとも、家でゲームで遊び外での遊びをしなくなったのだろうか?

外に出て思いっきり空気を吸って走りだろう。

オジサンたちのように。。。

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正式名称は

天竜区北遠駅伝大会
水窪も今は浜松市という大きな行政区に吸収されたのだ。
住所も浜松市、そこの天竜区の一部なのだ。

この大会、なんと!
今年で第67回なのだ!!!
 
数年前の写真


佐久間町に帰って来て、水窪の富士鐵工所で働くようになって。
参加した北遠駅伝、第40回大会の記念大会ということで、参加賞が腕時計だったのを覚えている。

 

この北遠駅伝、その頃とはコースが大きく変わっている。


当時のコースは、水窪町の役場からヒタスラ西浦に向かって上り坂が続いた。
一区は上りダラケ、曲がりくねった道路は辛かったと思う。わたしは二区だったので一区の選手が鬼の形相で走ってくる姿が目に焼き付いている。


二区はというと、まだまだ上っていく西浦最北まで走り、三区の選手が居たとホットしてタスキを渡そうとしてら、三遠南信道路を少し上って折り返してくださいと言われた(笑)


今は、その西浦最北まで行くコースは省略された。

凄まじいコースだった。が。

懐かしい。

今回、我がチームの記録は
41チームの中
17位
6区間23.6㎞を
1時間40分12秒で駆け抜けた。

28年前、第4区、西浦から水窪の小畑地区に入ると多くの水窪中学生や小学生だろうか、先生を応援している「先生頑張って~」の声援で街が沸いていた。

応援の垣根は途切れなく続いて選手と応援する人が触れ合わんばかりだった。

今回、水窪中学生が地元「水窪」を紹介するパンフレットを販売していた。
「残り二冊、350円」と、生徒が声を張り上げて売っていた。


閉会式を終え、記録を頂き、水窪町を後にした。

 
ありがとうございました。

浜松市の北の果て気候的には寒いけど気持ち的には暖かな郷だ。
水窪。。。

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名古屋に行ってきた(*^^)v


名古屋は見どころイッパイ(^O^)/

今回五回目

2015年のブログ
名古屋どえりゃーいいとこマラニック

2016年のブログ
名古屋ええとこマラニック2016

今年第5回目は
私なりに行きたいところがあった。
日比野 寛先生の銅像に会いたかったのだ。

「病める者は医者へ行け,弱き者は歩け, 健康な者は走れ,強壮な者は競走せよ」

昔、日比野の偉業を称え、「日比野賞中日マラソン大会」があった。
その大会も2009年に57回の大会をもて幕を閉じた。

だから行きたかった。

想いが達成できほんとうに良かった。

多くのラン友のみなさん。

ありがとうございました。

多くの出逢いに

感謝です~

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この駅前から、物語は始まった。

いつも中部天竜駅から始まった。

列車が走ってくれること。

有難いこと。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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