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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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そのまんま東の本の中に
、僕が受給者の年齢になってもきっと受け取ることはないだろうと思う。
そんなことが書いてあった。

東国原英夫
1957年生れ、わたしより二歳年上だ。

年金は62歳から支給になる予定だけど、受け取りを拒否するのだろうか?


 


昔、テレビでタケシのTVタックルを見ていて政治問題を取り扱っていた。
年金が危ないそんなことを話し合い、年金、これからどうなるか?
を政治家、政治評論家なとで侃々諤々の激論を飛ばしていた。

若い人には年金が届くだろうか、年金の運用のしかた等々。。。

ビートたけし・阿川佐和子・大竹まことなども真剣に話す。
時には笑いもいれて。

激論が終わって場が和み、最後に政治評論家の三宅久之さんがに誰かが質問した。
「三宅さん、年金もらっているのですか?」

「そりゃ~頂いてますよ・・・」

「私だって若いことコリャコリャしたい」
参加者爆笑で番組が終わった。

ねんきん特急便
昭和50年~平成30年まで一年も休まずに払い続けた、わたしの記録が先日届いた。

わたしは支給される日を楽しみに待っている。

折角納めたお金だ、有り難くちょうだいしたい。

政治評論家の三宅久之さん
日本を大切に思っていた一人、ご冥福を祈ります。

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昨日、東の本を読んで気に入った言葉だ。


「基本は自分の足許にある」「大地を踏みしめてしっかり立ちなさい」「自己中心に世界を見つめるのは仕方がないにしても、客観的な目も忘れずにいなさい」またその逆で「自己中心的に生きなさい」
はたまた「自分の居場所を確立しておきなさい」等々。。。解釈はいろいろ。


地軸は自分の足許に


FBの友は今614人


色んな人がいる。
考え方も暮らしている環境も、同じ人は誰も居ない。


唯一無二の自分、その自分の存在すること。


地軸は自分の足許に


その自分が大地にドッシリト立って前を向いて胸を張って生きていく、こと。


齢はとっても、まだまだ愚かなところが多いけど、それなりに。


進んで行こうと、思う。


地軸は自分の足許に


今年もチャレンジ、、、。

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今日からできる、誰でもできる!

「60歳を人生のピークにもっていく法」

10年前買った本を書棚から出して読み直した(そろそろその年だから)

その前に「芸人学生」という本を読み、そのまんま東に興味を持ち、この本も買ってみたと記憶する。

彼は大人の社交場渋谷のメイクラに行った事から人生が変わっていった。

そのクラブで働いていたその女性が未成年だったということで、任意で事情聴取に同行した。協力したことから。騒ぎは大きくなった。

その後、事務所で話し合いが行われ「自主謹慎」という形でテレビから姿を消した。

その謹慎しているときに学びなおす生活をして大学に入学、その思いを書いたのが「芸人学生」

また、その頃は国が地方に合併を進めていたときだった。自分の故郷の事を考え、宮崎県知事を目指しているときに書いた本
それが「60歳を人生のピークにもっていく法」だと思う。

素晴らしいことが書いてある。

僕が実行してる「小さいことだけど大切にしてること」
①目覚ましの五分前に起きるようにする
②寝る前に一日の反省をし毎日を更新する
③遅刻をしない
④電車では席を譲る
⑤脱いだ靴はそろえる
⑥服はたたむ、洗濯は自分でする
等々

なかでも、すごいナ~っと思った一文がある。
p38の最後から三行目
本文から抜粋する
ほとんど破城している公的年金。この不安感が高齢者予備軍の方たちに翳りをおとしているのだろうか。僕は社会人の責務として、今の高齢者の方たちを支えるために年金を納めているけれども、僕が受給者の年齢になってもきっと受け取ることはないだろうと思う。

素晴らしい。
そのまんま東
だだのお笑い芸人ではない。
10年前、わたしも読んで、いろいろなことを感じたのだろう。
自分も走り続けている。
学ぶことは萩田さんの勉強会に参加している。

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職場でタバコを吸っている人がいる。


喫煙場所まで約100m


とある時間になると必ず歩いていく。


テレビで喫煙の悪影響を伝えている。


国でも地方自治体でもタバコを吸う場所を制限しようとしている。

わたしは27歳のときタバコをヤメタ。


その時、150円だったか。


今はセブンスターで500円


びっくらギョウテン。


ほとんど税金だというのに。


国たばこ税24.2% 地方たばこ税27.6% たばこ特別税3.4% 消費税7.4%


タバコの税負担合計62.6%


こんなに協力しているのに。

たばこは成人者には許されている嗜好品だ。


マナーを守って吸うのなら迷惑にならないように吸うのならかまわないと思う。


タバコ

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還暦とは
干支が一回りして生まれた年の干支にかえる、その時のこと。
もとの暦に帰るということで還暦と呼ばれている。

ネズミ年の私は生れた年のネズミに還る。

来年の2月20日。

 
今年の夏に城西小学校還暦同窓会を行う。
もう60歳になった人、還暦を迎えた人、まだ還暦ではない人がいる。
人間は死ぬまで生きることを強いられた生物だ。
同窓会も、後どのくらい参加することができるのだろうか?

佐久間町が浜松市に合併したとき、佐久間町はこれからますます衰退していくと思い佐久間中学校の同窓会の話が始まった。
5年に一度くらいは佐久間で楽しくにぎやかく同窓会、そんな思いがあった。
そんな思いも45歳・50歳の二回だけで終わった。

 
それから数年たって城西小学校が閉校することが決まり城西小学校の同窓会を開いた。
城西で暮らす子どもを持つ親が城西を去った話を聞く。

 
今年の夏は
城西小学校還暦同窓会だ。

城西小学校の同窓会は、地元でやりたい。

 
最後に今読んでいる本
そのまんま東
60歳をピークにもっていく法
から。
「執念ある者は可能性から発想する」
「執念なき者は困難から発想する」
1パーセントの可能性があるのなら、そこから執念を持って可能性を追求していく。
今回の還暦同窓会、遠くは小牧市から来てくれるという人がいる。
そんな同級生を大歓迎したい。

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毎年、佐久間しし鍋を走り終わった翌日は、家主の伊藤さんの企画でマラニックをやるのだけど、今回は三遠南信道 記念イベントが東栄町で行われる。
そんな情報を得て、そのイベントに参加することになった。

そのまえに。
昨日、坂井さんが新居の牡蠣を持った来てくれた。
参加者が少ないため大量に余った。
その牡蠣を頂いたので、伊藤さんの別荘を出発前に自分の家に牡蠣を持っていく。
家族へのおみやげ。。。


牡蠣を家において、そのまま伊藤さんの別荘へ。
東栄町のイベント会場へバス移動をする会場へ車を走らせた。。。

ネットで調べたら、本郷の食彩広場の横、小学校近くと書いてある。

小学校?
ここに昔、本郷高校が、あったような???

場所に着くと、多くの人、人、人、よくもこんなに集まった。
そんな状態だった。

バス待ちの長い長い列の最後に並んだ。

前に並ぶ夫妻は本郷の人らしい。

聞いてみた。

「本郷高校があったはずだけど?」

「壊して、東栄小学校を建設」

「ココの広い土地は?」

「東栄病院を建てる」

そんなことを言っていた。

東栄町、なにかとガンバっているナ~。

町の景色が変わると人々の意識も変わっていく。

東栄町の街にある店舗がで店を出している。

聞いたことのある店、今回初めて聞く店。

知っている人も多い。

尾籠のお世話になっている人たちも。

佐久間の人もいた。

多くの人が三遠南信道の開通を待ち望んでいた。

イベント会場に行って、トンネルを途中まで歩いて行った。

多くの知り合いに出会い。

「ココまで走ってきた?」

と、声をかけられる。


今回は歩き。


と答える。

女性が一人、トンネル構内を走っていた。美ジョガーだ。

イベント会場には地域のNPOのブースが並んでいた。

知り合いに声をかける。かけられる。

我等が「山に生きる会」水窪弁が炸裂していた。


イベント会場を後にしてバスに乗車した。


北遠の未来は明るい。


そう思う。


バスを降りて、小腹がすいたので何か食べ物を、「東宝苑」でモツ焼うどんがあったので、それを御昼ごはんにした。

「東宝苑」とは?
尾籠の集落に行くようになったとき、そこの集落の中心地に野生のイノシシを狩っていた。
少ない人数だけど地域を大切にする人たちだった。
そこに都会から移住してきた人がいるという。
鉄工場の経営者だったその人は、若い人に会社は任せて悠々自適に田舎暮らし。
その人を求めて尾籠へ来た人で毎週バーべキュウだったそうだ。
そして、その人は家族で焼肉屋「東宝苑」を始めた。
わたしも佐久間から家族で、その焼肉屋に行ったことがある。
その焼肉屋の近くには椎茸を栽培しているところがあった。
もっと驚いたことは。
鉄工を溶接する工場もあったということだ。
仕事をリタイヤ。悠々自適。
日本人はノンビリの言う言葉は無いようだ(*^^)v


このブログはあくまでも私個人の主観ですからネ。
あしからず。

おしまい。。。

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ウッチャンが帰ったので、慰労会は男が6人

シェフ、伊藤さんの料理に今宵もはじまりました(^.^)/~~~

山芋をスリスル、最高のツマミの出来上がり。

露天風呂でほろ酔いで夜空を見上げた。

満天の星空が田舎の魅力。そのように感じた。


わたしより一回り年上のひとばかり、人生の大先輩のお話は役に立つことばかり。だ。

大先輩の中では自分は若者、配慮は欠かせない。我先に手伝のときには腰をあげないといけない。

返事は
「ハイ」

しし鍋が出てきた。
今年の肉は脂がたっぷりあったそうだ。
しし鍋に使用する、その肉はししの油が旨みを増す。
男の料理が酒の量も増やしていく。

この肉、地元の猟師から仕入れた。
ハ丁坂の峠から北に行った間庄の人から仕入れてきたのだ。

男6人、男同士だから出る話がある。
下世話な話。
身分が低い人たちではないので下世話な話とはチト違うかもしれない。
高尚な話、の方が良いのかもしれない。
神社の鳥居の話、、、。
鳥居は何を意味しているのか、わかるか?
何処の神社にも有る鳥居。

○×△※◆□◇・・・・・。

古来日本人は、この国を神の国として維持してきた。

この世に有る、あらゆるものを神として祀ってきた歴史がある。


昨日、西浦田楽を見てきた私は、この先輩の話に聞き入った。


下さんが言った。

だから奥さんを大事にしなさいョ。

っと。


夏には毎年恒例の富士山頂往復マラニックがある。

今年は
ゼロ富士クロス。
が、新しくできた。

しかし、わたしは富士山頂往復に参加する。

富士宮浅間神社の鳥居を潜って、その奥にある神秘的な山頂を目指す。

そう決めた。

先輩から多くのことを学んだ慰労会だった。。。

つづく。。。

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今回メンバーは5名

佐久間の中部天竜駅から西渡(にしど)を目指して走っていく。

ユックリぼちぼちマラニック

西渡到着、ココからはハ丁坂

峠では光明寺 に寄り道・道草

佐久間は小春日和、柔らかい日差しの中を楽しく散策。

ヤマンバの爪あとが残っていると言われるで伝説の岩は草陰でひっそりと隠れていた。

八丁坂の峠に立ち、振り返ると、天竜川の蛇行する勇壮な流れが眼下に見下ろすことができる。

八丁坂を超えると、急峻な山並みが目の前に迫る。

その山肌にくっつくように無数の部落がある。

南から
瀬戸・間庄・立原・横吹・島・・・・。

瀬戸から正面に竜頭山がそびえる。

わたしが幼少の頃、横吹で暮らしていた頃、毎日目にしていた故郷の山だ。

5月の最後の日曜日、毎年私たちはその山に登っている。

竜頭山スーパーマラニック

 
平和登山口での写真

今回、その竜頭山を右に見て走る。歩く。

ペースがユックリのタメ、ほうじ峠の伝承館で予約していたソバが心配になり、知り合いに携帯で電話。

「午後4時までは開いています、待ってるョ~」

そんな言葉に元気を頂いて、歩みを進めた。。。。。

途中、秘密のショートカットを入れた。

ウッチャンから伝承館に到着したとの連絡、ウッチャン早い元気イッパイ。オジサンはヘロヘロ。。。。

ついでにわたし達のソバも注文してもらった。

伝承館での食事、この時期は在来種の蕎麦粉でのソバ、だった。

野田やまびこ会の女衆がお出迎え。

伝承館を後にして羽ヶ庄を通て佐久間に向かう。

途中、羽ヶ庄の細沢さん家にモクレンの大木がある。

オバサンがいた。

昔、新聞で、そのモクレンの話が記載されていた。

何かの記念で植えたモクレン、春に綺麗な花を咲かす。と。

羽ヶ庄から佐久間までは急な下り坂、転がり落ちるように佐久間に向かった。

中部天竜の駅に5時には到着、今回ユックリのマラニックだった。

さ~って、よいよ、しし鍋を囲んでの慰労会(酒)

つづく。。。

PS
動画

 

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毎年、佐久間で走って、走り終わってから走る仲間の別荘で慰労会をやろう。
佐久間しし鍋マラニック
エイエイお~(^O^)/

今回は、湖西のラン友(トモゾウさん)から連絡があり
「しし鍋の前に佐久間ダムまで走って行ってダムカードを貰いに行こう」
そんな提案があった。

メンバーはトモゾウさんとウッチャン、三人で佐久間ダムまで走って行く予定。
急遽、トモゾウさんが仕事の予定が入り行けなくなる。
今回は中止、かな?
そう思っていたら、ウッチャンは来てくれるとラインで連絡が届いた。

8時に中部天竜駅横の浜松市営駐車場に集まる。
湖西市の自宅を何時に出たのだろう?
自分の限られた時間、生きている時。を。
その一部を、佐久間に来てくれる、そして走る時間に使ってくれる。こと。

浜松市営駐車場を8時少し経った頃、走り始めてB型鉄橋を二人で渡った。
竜のモニュメントを左にみて佐久間ダムに向かって上り坂を進んだ。
平沢にてダムまでの遊歩道、佐久間・水窪共同斎苑の下に出る。
トンネルに入るためキャップライトを点灯。素掘りに吹き付けのトンネル内は不思議な感覚が漂う。
途中、野生の猿、シカ、イノシシ、カモシカ、一匹も出会うことはなかった。
最後のトンネルを抜けると、早朝ウォーキングの人が前方から一人、歩いてきた。
なんとヨシミさん。
「あら~。こんなとこまで来るの~」
そんなことを言ったが、こちっこそ不思議な組み合わせなのかもしれない(笑)

佐久間ダム堰堤の方には車が一台。
ナンバープレートはなんと、なにわナンバー。

気ままに夫婦で車で旅行、そんなことを話していた。
昨日は車中泊だったそうだ。
「夫婦仲良くて(・∀・)イイネ!!」
関西弁の二人はまるで夫婦漫才の様だった。

よくよく聞くと、昨日は西浦田楽を見に行ったそう。
自分も行ったと、そこで話が盛り上がった。
西浦田楽は有名だ。
国指定の重要無形民俗文化財の第1回の指定を受けた民俗芸能だ。
それは昭和50年の話、民俗芸能といえば西浦田楽、水窪は連綿と芸能を伝えていく地域がら。だ。

午前9時
佐久間ダムの電力館が開く時間だ。
早々、目的であるダムカードを頂いた。
今回は署名を書くようになっていた。
ウッチャン他1名
ダムカード、わたしはいらないので、トモゾウさんに持って行ってと、そのカードをウッチャンに渡した。
トモゾウさんにウッチャンがラインで連絡、
「ダムカード、ゲットだぜ~」

広い館内、私たち二人だけの見学者、電力館には3人の職員が居た。
綺麗に整っている掲示物、展示物、佐久間ダムの歴史が詰まっている。
さくまっぷ のチラシがあった。
まちあるき中部
佐久間ネットワーク
あんじゃないネ
佐久間に暮らす、お年寄りのサポートをしている団体のチラシだ。
過疎地を出て都会で暮らしている人は、一読をお願いしたい。
田舎にたまに帰って来て、街歩き、いいのかもしれない。
走ることもマラニックも。。。

ウッチャンがトイレ。
これから山歩きが多いから。
しんしんさん、トイレはイイの?

二人の会話している近くに、半場の知り合いの女性がいた。
私: 「トイレはイイ。そこらへんでする(笑)」
ウッチャン: 「男はイイね~」
女性: 「それはイイかも。しかしヒルがくっ付いてくるもとも」

気を付けてくださいョ~。
山ヒル、男も女も。
あそこについたら困ってしまう。
わたしは過去にダニが足の付け根にくっついていたことがある。
(付け根、分ります?)
最初、いぼだと思っていた。
固く丸かった。
そのうち、それが無くなり。
無くなったナ~。
と、思っていたら。寝床の横を丸くなったダニが歩いていた。
ギョエ~。。。
テュッシュを丸めて潰したら、黒い液体が出てきた。
わたしの血だろうか?

仕事で草刈りをした時にくっつかれたのだろうか?

田舎での生活は、様々な事がある(笑)

佐久間ダムを後にして。
中部天竜の駅を目指して、走って行った。
佐久間しし鍋2019
今年はどんなメンバーが集まるのだろうか?
楽しみ。。。

つづく。。。

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 毎年、旧暦1月18日の月の出から翌日の日の出まで、夜を徹して行われる西浦田楽


今回は丁度、金曜日になり、見学に行くチャンス。


西浦田楽とは?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B5%A6%E3%81%AE%E7%94%B0%E6%A5%BD

今回は萩田さんを誘って行ってみた。


能衆が来る前、たき火にあたり暖をとっている、若い女性が二人、隣にきてたき火にあたりに来た。


「何処から来たのですか?」
わたしの質問に
「東京から来た」
と答えた。
大学の知り合いが行くといったので付き合いで来たと言いう。

隣の女性は、中国からの留学生だと。


日本の印象は?
の問いに、人が親切。町が綺麗。
と言っていた。

萩田さんのスペイン巡礼の旅の話。
タイ・ローマ・カナダの旅の話。

水窪で海外の話に花が咲いた。


向かいの席の人が話に加わり、その留学生と中国語で話し出した。


湖西市の人だという。


多分化共生の街、流石、湖西市素晴らしい。


東の山から月が上るころ、20数名の能衆がたいまつを焚いて田楽堂に上ってきた。


わたし達があたっていたたき火は能衆の休憩所、追い出される。


人は出たが誰だかわからない荷物がある。


能衆の一人の「片付けてください]」の言葉に、みんなで知らない人の荷物を表に出した。


演目が始まり、見物客が能衆の西浦田楽の祭事に息をのむ。


この行事を西浦の人々は粛々と続けて来たのだ。


庭ならし・御子舞・地固め・地固めもどき・剣・剣もどき・猿舞、演目は続いていく。


例年より今年は温かい、しかし、深夜になると寒さが増してくる、年寄りの身体にはこたえる。


腰を上げ、売店で濁り酒とうどんを買って休憩所に身を寄せた。


浜松市引佐のひよんどり保存会の人がいた。


川合のコイジさんが居た。


元教員の人が数名いた。


その中に沼津から来た人がいて西浦田楽の魅力を語っていた。


家内は興味がないので磐田の娘の家だとか。


男ばかりなので話がエゲツなくなる。


エゲツないのはコイジさんだけだけど(笑)


西浦田楽、男の祭り、男はそんなもの。


勝手に思った。

深夜を回ったころ、仮眠をしに帰った。


田楽の里の管理している人は、都会から西浦に越してきたという。


ココを終の棲家として選んだ土地だという。


ココは人が良い温かい土地柄だと言っていた。


店が少なく買い物ができない。病院が遠くで病気になったら如何するダ。


そんな不便な土地だけど、ココを選んでくる人がいる。


西浦田楽、1300年の繰り返し。


自分の命が今の時代を繋いでいる。


それは人々の生命の繰り返しの中でタスキを受け継ぎ今を走っているのようなものだ。

 

今日は朝8時、中部天竜駅横の浜松市営駐車場に集合
佐久間ダムまで走って行こう!!
そんな約束をしている。
10時からは
佐久間しし鍋マラニック
  
つづく。。。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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