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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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そのように思いたい。

しかし、それは自己満足。

それで良い。

人に迷惑をかけていなければ。

だけど、知らないうちに誰かが迷惑だと思っているかもしれない。

ほくえんの風を感じながら。

昨日はホウジ峠「伝承館」にソバを食べに行った。

この前、走った しし鍋マラニックの写真を置いてきた。

ジャンジャン。。。

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平成12年5月
職人魂
このようなブログを書いた。
今回、またキーチャにお願いした。
隣りの家との境のところ、から家の玄関まで、を。コンクリートにしてほしいと。

隣りの人は、同じ横吹から半場に越してきた人で私より4歳年上の人だ。
自分と同じで朝早起きで、隣りの人は家周囲の草取り。私は朝ラン。
どちらも変わり者、と見られているかナ(笑)

ところが、その人は、朝すれちがっても、こちらから「おはよう」といっても何時も黙っている。
その人の母親が半場に来て横吹の話をした、仕事から帰って来るのが楽しかった。
その人の母親は、なっちゃん。
こんなブログを書いた。
なっちゃん
なっちゃん2
その人の弟も喋らない人で、たまに半場に来ても、顔を見ても、挨拶ひとつない。
なっちゃんが言うには、小さいころ郵便やさんに「おまえの家には聴覚障碍者がいるカ~」と言われたそうだ。
「そんな育て方した覚え はないが」と言っていた。
何しろ喋らない。東京で数学の先生をやっているという。教員にも様々な人がいるナ~。。。。

 
自分の家が隣より少し高い所にある、コンクリートにすることを、隣りの家に話しておいたほうがいい。
隣りの人は奥さんの方がよく喋るので、旦那さんは仕事で会う機会がないから、その奥さんに聞いてみた。
しかし、やはり、そこの旦那さんにも話した方が、と思っていた、4月11日木曜日の朝ランの途中、丁度その旦那さんが居たので話してみた。
そのとき、いきなり言われた言葉だった。
「お前は好きなことばかりやって、偉そうなことを言っているがやることやらない」
「如何して」と聞くと。
「安全協会を変わりにやっても、挨拶ひとつない」
「親睦会、葬式にも出てこない」
と。
駅伝は走りたいナ~。親睦会も自分の用事があるときには出れないョ~。葬式?半場10班の付き合いはやっているつもりだがナ~。。。。
売り言葉に買い言葉、わたしからも反撃した!
「た~ぶれんナ。やることやってるワ!」
「お前こそ、いろいろなこと経験しにゃダメだゾ~!!!」
といって、その人を背に、残りのジョギングコースを急いだ。

頭に来た!。
同じ横吹から来た人だからと思っていたが、、、、。

ところが、走っていると火照った頭が、冷静になってきた。
家の周りの草取り、彼は何時もやっている。
私は毎週外に遊びに行っている。
彼から見れば、自分は、そのように感じているのだ。と。

人は自分中心に考える。
思いやる。そうゆうことはあまりできない。
そこで争いがおこる。

昨日、左官屋キーチャがきて、庭のコンクリートをやってもらった。
その仕事を私も手伝った。大変な仕事だ。だった。
休憩中に、キーチャの昔修業時代の話を聞いた。厳しかったと、その厳しさがあり今を楽に感じるのだと。
その隣との関係も話した。聞いてもらった。
「新間君ほど村の仕事やっている人はいないョ。神楽だってやっているし、オカシイよ、それは」と。
そんな言葉が嬉しかった。。。

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クラウドファンティングでの寄付金、の話し。
クラウドファンティングとは?
ある目的、志などのため不特定多数の人から資金を集める行為、またそのためのネットサービスのこと。大衆(crowd)と財政的支援(funding)を組み合わせた造語であり、ソーシャルファンディングとも呼ばれる。クラウドファンディングの実施者は、インターネットを利用して不特定多数の人々に比較的低額の資金提供を呼びかけ、必要とする金額が集まった時点でプロジェクトを実行する。米国では2008年に創設された「Kickstarter」が有名であり、12年7月3日までに6200のプロジェクトが参加、合計2億2900万ドルの資金調達に成功している。日本では「CAMPFIRE」や「READYFOR」を代表とし、映画系・ファッション系・アート系・地域活性化系など、ジャンルを特化したサイトも多数登場している。
コトバンクから引用

今まで協力したのは
塩崎明子さんの
夏は浜名湖ひまわり畑へ!ひまわり専門WEBショップ立上げたい!
首藤雄三さんの
アザでいじめられ「赤ざる」と呼ばれた小学校時代の実話を絵本に
今回、その
大谷貴子さんの
いつか、パパやママになりたい。若年性がん患者さんの夢を未来へ
に協力した。

俺が、俺が、俺が、ではなく。
お互い様
 貴方が居たから私がいる。
そんな考えなら上手くいくのに。

思いやりとは?
他人のために気遣ったり同情したりする気持ち。

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朝ドラ、といえば「おしん」
明治34年、山形の寒村に生まれた“おしん”こと谷村しん。家はとても貧しく、7歳で奉公に出される。明治、大正、昭和、現代に至る80余年の激しい時代のうねりを背景に、しんが、奉公、髪結い修業、結婚、戦争、スーパー経営などのさまざまな辛酸をなめながら、女性としての生き方、家族のありようを模索しつつ必死に生きる姿を描いた作品。
1983(昭和58)年4月~1984(昭和59)年3月までの一年間のドラマだった。

湖西市の富士鐵工所で働いていた時に、よく見た。
ドラマが始まる前の音楽が始まっただけでウルウルきた。

昨日、BSでやっていると聞いたので今朝から見るようにした。
おしんが奉公先で、コドモの守をしている時、学校の授業を覗いていた。

泣けた。

山形弁が、またおしんの境遇を悲しくさせる。
最高だぜ。おしん

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戦争で両親を失った少女・奥原なつ
なつの父親の戦友、柴田剛男に連れられ北海道・十勝にやって来た。
柴田家は、北陸からの開拓移民。
涙ありのドラマだ。
1960年代から1970年代にかけて誕生した『タイガーマスク』『昆虫物語 みなしごハッチ』『あしたのジョー』などの名作は孤児を主人公としており、「戦争で傷ついた子どもたちを励まそう」という意図を含んで製作されていたことから、「日本でアニメが生まれた背後に戦争があった」ことを表現するためヒロインは戦災孤児との設定となった。現在の高度なアニメ表現の技法は作り手の試行錯誤による努力の積み重ねによって成り立っている点にも焦点を当て、日本においてアニメがどのように育まれてきたか、アニメ作品はどのように作られるのか、歴史と技術の2面から「アニメの誕生」を描いている作品。
ウィキペディアから

なつぞら「ここが十勝だ」
奥原なつがアイスクリームを柴田泰樹と食べるシーンに感動!!

泰樹:「言い合える相手がいるだけで人は恵まれている、食べれ」
泰樹:「旨いか」
なつ:「あまい、おいしいです、すごくおいしいです」
泰樹:「家のもんにはナイショだぞ」
なつ:「はい」
泰樹:「それはおまえがしぼった牛乳から生まれたものだ、良く味会え」
なつ:「はい」
泰樹:「チャンと働けば必ずいつか報われる日が来る。報われなければ働き方が悪いか働かせるものが悪いんだ、そんなとこトットト逃げ出せばいいんだ、だが一番悪いのは人が何とかしてくれると思って生きることだ、人は人をあてにする人を助けたりはせん、逆に自分の力を信じて働いていればキット誰かが助けてくれるものだ」
泰樹:「おまえはこの数日ほんとによく働いた。そのアイスクリームはおまえの血とかで得たもんだ おまえなら大丈夫だ、だから無理に笑うことは無い、謝ることもない、おまえは堂々としてろ、堂々とココで生きろ」
 
 

一番悪いのは人が何とかしてくれると思って生きることだ、人は人をあてにする人を助けたりはせん、逆に自分の力を信じて働いていればキット誰かが助けてくれるものだ!!
チャンと働けば必ずいつか報われる日が来る。


 

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八嶽山(やたけさん)標高1,140m、ココは愛知県北設楽郡豊根村富山、豊根村に合併前は、日本一のミニ村「富山村(とみやまむら)」富める山の村と、いわれたところだ。
昔は山があれば、それは財産だった。

富山村、八嶽山の登山口には石垣にイワヒバがたくさんあった。
9時。
ウッチャントモゾウさん私の三人での登山、バカな話をしながらの楽しい山行である。
天竜川リバーサイドの富山村での休憩所民家の横を通り、大きな村の御宮の横から山に登っていく。
思ったより急登だ、登山道もリボンを頼りに登っていくが途中、そのリボンを見失い道に迷うこと数回、「この道違うのでは」と、戻ったことも。
山頂には11時30分到着、愛知県100名山のプレートがあった。
今は使われていない反射板もあった。
山頂横に立派な展望台がある。
 

山並みを眺め、他の友が登った山々を懐かしく語る。
私は山登りは趣味ではないが、知った山が一つある。一つあった。
それは、山の稜線にポコッと出っ張った山頂が平らな山だ。
竜頭山だ。
子どもの頃、その山を見て育った。その山には山頂に反射板があった。
横吹(ヨコブキ)のいう斜面集落を目指して上っていくと、その竜頭山が少しずつ姿を現した。
佐久間中学校を卒業した春休み、同級生で、その山に登った。
山頂には反射板があり、風が強く吹いていた。

「日本人は大ていふるさとの山を持っている。」
日本百名山を選定した深田久弥さんの冒頭の言葉である。
私の故郷の山は「竜頭山」である。
遠くには3000m級の知名度の高い山々が連なっているけど、私にとっての故郷の山は「竜頭山」である。

如何して登山家は100名山を目指すのだろう?
小説家、随筆家の深田久弥の著した山岳随筆である『日本百名山』を、それはただ単に山の高さだけでなく深田久弥の愛した山だからではないだろうか。
それは、山に登り、その過程で汗をかき、やっと辿り着くことのできた山頂での安堵感から見る景色に、何年たっても変わらない山からの試練と感動を試された人だからこそ目指す100名山だと思う。

富山村の山「八嶽山」を下山して、富山村の温泉「湯の島温泉」に入り、富山村のコーヒーショップ「栃の木」でダムカレーを食べた。

佐久間ダムカレー(1000円)
うまうま(笑)

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名古屋城を造った人は誰でしょう?

徳川家康が天下普請によって築城した城だから。

徳川家康

ブー。

多くの職人たちです(笑)

たわいもないナゾナゾですが、そこから何かを考える。


多くの政治家で、こんな話を聞く。
「私が造った橋だ。建物だ」と、何かを造って名を遺す。

私が暮らす佐久間町には多くの建物がある。

旧佐久間中学校はまだ、コンクリートの化け物のように今でも聳えている。

旧役場、民話の郷会館、今は東京へ去った旧町長の置き土産だ。

昨日のYouTube
松下幸之助氏の言葉「衆知による経営」
衆知→多くの人のもっている知恵

もう一度

浜松市の市長になる人には、山間部の人の声を聴いてほしい。
選挙期間だけでなく、当選して市長になった時にも。。。

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松下幸之助氏、とは。
松下 幸之助(1894年〈明治27年〉~ 1989年〈平成元年〉4月27日)は、日本の実業家、発明家、著述家。
パナソニック(旧社名:松下電気)を一代で築き上げた経営者である。異名は「経営の神様」。
その他、PHP研究所を設立して倫理教育や出版活動に乗り出した。さらに晩年は松下政経塾を立ち上げ、政治家の育成にも意を注いだ。
ウィキペディアから

松下幸之の考えで、「衆知による経営」がある。
衆知とは「多くの人のもっている知恵」という意味である。
氏には従業員、みんなで築き上げた松下電器という考えがある。

また晩年は、政治家育成塾を設立した。
アジア諸国の繁栄を予測し、その受け皿としての塾だった。
1979年に約70億円の私財を投じ設立。
全国から約900人が応募、3次にわたる厳正な審査の末に、20人が入塾したという。
79歳の松下幸之助氏だった。

 

衆知による経営。
皆で築いていく会社。
地方自治体も国も、はたまたこの地球も。
多くの人の知恵でいい方向に持っていかなければならない。

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天分 → 天から与えられた身分・職分
「天分をわきまえる」
関連語「天資」テンシ「稟性」ヒンセイ
松下電器の創業者 松下幸之助氏の言葉がある。
「成功とは自分の天分を発揮し尽くすことだ」

浜松市は市長選挙の後半戦である。
四期目を目指す鈴木康友氏のマニフェストに「行政改革に力を注ぐ原点はパナソニック創業者の教えだ」と、1980年に松下政経塾一期生として松下氏の考え方を聞いた一人として出馬している。

松下幸之助の名言・格言
こんなHPがあった。
http://iyashitour.com/meigen/greatman/matsushitakounosuke
そこから二つ抜粋

競争も必要、

対立することもあっていい。

だが敵をも愛する豊かな心を持ちたい。

前期は無投票だったが、今回は市長候補が三名で選挙になった。
其々の政策を吟味し投票しよう。と思う。

自分の金、自分の仕事、

自分の財産。

自分のものと言えば自分のものだけれど、

これもやっぱり世の中から授かったもの。

世の中からの預かり物である

このような考え方の人に、浜松市の市長になって欲しいナ~。

浜松市に暮らす一人ひとりが、天分を全うしたならば、きっと浜松市は、良くなる。
そのように思う。。。

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2017年2月「到知」
の特集だった。

脳神経外来医加藤庸子さんの話があった。
脳卒中、その中でも最も危険といわれる「クモ膜下出血」
高い死亡率のこの病を未然に防ぐ「クリッピング手術」を得意とする脳神経外科医の加藤庸子さんの話しだった。
仕事に対する情熱と、何事に対しても誠実であること、と書いてあった。
 2019年の情熱大陸でも紹介されている。
https://www.mbs.jp/jounetsu/2019/01_20.shtml

また
英語の教師だった根本昌明さんの話も。
その人は五十歳にしてプロの音楽家・指揮者になった。
様々な困難があり、運命的な本と出会い、その言葉に
『思考は現実化する』
『願いは実現するのが宇宙の法則である』
が、あった。
その人の願いは
音楽で全世界の人たちを幸せにしたい。だった。
最高の感動を誇る演奏をすることを思い定め、五十歳にして教師を辞めて音楽の道に進んだという。

『思考は現実化する』『願いは実現するのが宇宙の法則である』
わたしの願いは?わたしの夢は?
マラニックを夢街道を走る人が、家族のように楽しめる、こと。

大きくなった、日本で二番目に大きくなった新浜松市
浜松駅から、その新浜松市を突き抜け、信州の遠山郷までの90㎞をマラニック
マラニックを走る人が、家族のように楽しめる。
新浜松市も都市部も山間部も繋がる、助けあう。


情熱誠実な心があれば、必ずや完成するであろう。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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