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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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八嶽山(やたけさん)標高1,140m、ココは愛知県北設楽郡豊根村富山、豊根村に合併前は、日本一のミニ村「富山村(とみやまむら)」富める山の村と、いわれたところだ。
昔は山があれば、それは財産だった。

富山村、八嶽山の登山口には石垣にイワヒバがたくさんあった。
9時。
ウッチャントモゾウさん私の三人での登山、バカな話をしながらの楽しい山行である。
天竜川リバーサイドの富山村での休憩所民家の横を通り、大きな村の御宮の横から山に登っていく。
思ったより急登だ、登山道もリボンを頼りに登っていくが途中、そのリボンを見失い道に迷うこと数回、「この道違うのでは」と、戻ったことも。
山頂には11時30分到着、愛知県100名山のプレートがあった。
今は使われていない反射板もあった。
山頂横に立派な展望台がある。
 

山並みを眺め、他の友が登った山々を懐かしく語る。
私は山登りは趣味ではないが、知った山が一つある。一つあった。
それは、山の稜線にポコッと出っ張った山頂が平らな山だ。
竜頭山だ。
子どもの頃、その山を見て育った。その山には山頂に反射板があった。
横吹(ヨコブキ)のいう斜面集落を目指して上っていくと、その竜頭山が少しずつ姿を現した。
佐久間中学校を卒業した春休み、同級生で、その山に登った。
山頂には反射板があり、風が強く吹いていた。

「日本人は大ていふるさとの山を持っている。」
日本百名山を選定した深田久弥さんの冒頭の言葉である。
私の故郷の山は「竜頭山」である。
遠くには3000m級の知名度の高い山々が連なっているけど、私にとっての故郷の山は「竜頭山」である。

如何して登山家は100名山を目指すのだろう?
小説家、随筆家の深田久弥の著した山岳随筆である『日本百名山』を、それはただ単に山の高さだけでなく深田久弥の愛した山だからではないだろうか。
それは、山に登り、その過程で汗をかき、やっと辿り着くことのできた山頂での安堵感から見る景色に、何年たっても変わらない山からの試練と感動を試された人だからこそ目指す100名山だと思う。

富山村の山「八嶽山」を下山して、富山村の温泉「湯の島温泉」に入り、富山村のコーヒーショップ「栃の木」でダムカレーを食べた。

佐久間ダムカレー(1000円)
うまうま(笑)

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
60
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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