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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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一般に登録を行った会員間で特定の自動車を共同使用するサービスないしはシステムのこと。自動車を借りるという面ではレンタカーと近い存在であるが、一般にレンタカーよりもごく短時間の利用を想定しており、利用者にとってはレンタカーよりも便利で安価になるように設定されていることが多い。
ウィキペディアより。

野辺山100㎞を走った人の投稿で知った。

先日、余呉湖の帰りに車のラジオで、リチウムイオン二次電池の発明者の一人 吉野彰さんの話があった。
昔日本は、車は一家に一台の時代があった。そして一人に一台の時代になった。
コンピューターが普及し、スマホが普及し、これからは電気自動車が普及するのか?
大きな蓄電池ができ、発電所は少なくなるのではないか、との話も合った。

それと、これからの時代「シェア」がキーワードになると。も。
ひとつの物を、仲間で友達でシェアする。
そう仲間。友達

仲間→ 同じ種類のもの。同類。「オオカミは犬の仲間だ」
友達→ 一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人
ネット友達、 リアル友達
ネットの仲間、リアルの仲間
「シェア」
この前の飲み会のとき、ある人がわたしのスマホのバッテリーが無くなったのを知り
自分の充電器のバッテリーと繋いでくれた。
これもシェアか。
小さなことだけど、ホッコリした。

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NHKスペシャル シリーズ人体Ⅱ「遺伝子」第2集 "DNAスイッチ"が運命を変えるを見た。
DNAは未来の設計図、しかし、それにはスイッチがあり癌になりにくいDNAがあったとしても、そのスイッチが入っていなければそのDNAは働かない、そこでそのスイッチを入れるための酵素を開発している。
そんな内容だったと。
詳しくは↓
https://www.nhk.or.jp/kenko/atc_972.html

双子の宇宙飛行士、一年宇宙ステーションに滞在したスコットさん。地球に残ったマークさん。
DNAに変化が現れた。
宇宙という地球とは違う環境下で、9000以上のDNAが変化する。
長い年月をかけて様々な環境に適応するために進化してきた人類、それはDNAスイッチが切り替わることによって繋いできた生命のリレーだ。

「DNAスイッチが切り替わり宇宙にも暮らせる日が来るかも?」
そんな話もあるが、化学が発達し宇宙に人が行く日が来ようとも。
いまある地球の環境を大切にすること。
富士山一周を走って、夜昼と富士山を中心軸として走り歩きをして楽しくもあり苦しくもあるマラニックを走って。
感じた。
 

最後に
教育者・東井義雄先生の詩
心のスイッチ

人間の目は ふしぎな目
見ようという心がなかったら
見ていても見えない

人間の耳はふしぎな耳
聞こうという心がなかったら
聞いていても 聞こえない

頭も そうだ
はじめからよい頭 わるい頭の区別が
あるのではないようだ
よしやるぞ!」と
心のスイッチが入ると
頭も
すばらしい はたらきを しはじめる

心のスイッチが 人間を
つまらなくもし
すばらしくもしていく

電灯のスイッチが
家の中を明るくもするし
暗くもするように
 

何歳になろうとも、どのような環境下でも、自分のスイッチをONにして前に向かって走って行こう(^O^)/エイエイォ~。

 

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富士山一周マラニック、夜は満月で夜富士が綺麗だったと聞いた。
夜は走っていない自分は、それは分らなかった。
早朝、第二エイドから走り始めた自分は、道の駅「鳴沢」から見えた富士山が綺麗だった。
それから間もなく天気が悪くなり富士山は雲に隠れた。

痛い足を引きずり、鳴沢村・富士吉田市・忍野村・山中湖村と歩いたり走ったり、した。
籠坂峠を越え静岡県に、帰ってきたゾ~っと思った。
小山町・御殿場市・裾野市、自衛隊演習場の中を走る。

https://www.mod.go.jp/pco/obihiro/

ゴールである、富士山が日本で一番きれいに見える宿「大野路」が見えてくる。
あと少しだと思うと、走れる勇気がわいてくる。
その時、富士山が雪をかぶった富士山が山頂だけ少し見えていた。
富士山が応援しているように感じた。

26日は佐久間の山「竜頭山」に登る。そして水窪・佐久間と走る。
竜頭山は、私が少年の頃、斜面集落「横吹」を登っていた時に、国道沿いでは見えない山頂が、家近くまで行くと、その山頂が見えてきた。
若き頃、大きな山の麓での生活に憧れた。
しかし、私にとっての故郷の山は、まぎれもなく竜頭山だ。

日本一の富士山を楽しんで、自分の故郷の山を登る。
富士は日本一の山~♪
それは、富士山が日本一だと言っているのではない。
人間がかっててに順番を付けているに過ぎない事だ。
大切にしていきたい、故郷の山「竜頭山」
それと故郷。

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3・2・1、スタート
2019年5月18日の午前0時、富士山一周マラニック100㎞、が裾野市の日本一富士山が綺麗に見える旅館、ゆうゆうの里「大野路」からスタートした(^O^)/
わたしは多くの走る仲間と、その集団の中にいた。
が、ががが。
走り始めて300m
やはり、膝の調子が悪いと、その集団から脱落し、スタート地点の「大野路」まで帰って来た(笑)(泣)

膝の調子が悪い。
100㎞。走れる分けが無い。
今回は、参加だけはしよう。
そう思っての参加だった。
萩田さんのサポートカーに乗って、萩田さんの話を聞きながら、「大野路」をスタートしたランナ―の姿を見ながらの車での移動だった。
AP1(エイド)
今回はココでボランティア。
萩田さんは、ココの空き地を借りるとき、所有者の会社に話したら。
そこで働いている人も走る人だったそうだ、そしてその人も萩田さんの大会に参加したことがあると言っていたと言っていた。偶然にもそんなことがあったと話していた。
その人も急遽応援に来てくれた。
バナナは5当分。キューイも5当分。オレンジは8当分、切れ目を付けて。
カステラも一口サイズに。どら焼き4当分。
萩田さんはランナー目線で食べやすい様に考えている。
萩田さんのマラニックは、多くの繋がりで出来ている。
そう思ったボランティアだった。
しかし
それにしてもサブイ(水窪弁で寒いこと)走っている方が良い、とは思ったが走れない。

最終ランナーを送って、畑島さんが走れなくなって、二人はサポートカーで第2エイド(AS2)に向かった。
第2エイドでは、さくらさんから温かな味噌汁を頂いた。
サブイ身体が生き返った。
その味噌汁の温かさは、味噌汁の温かさはもとより、人の温かさも感じた。
第2エイドから見える本栖湖、その向こうに見える雪をかぶったアルプスが綺麗だった。

ココから走ろう。そう思った。
「ココから走ります」と萩田さんに申告した。
膝が心配だけど、ココまで何をしに来たのかと、人の温かさに触れ、雄大な景色の中にいて自問自答して見つけた答えだった。
畑島さんも走ると言った。
畑島さんの背中を追いかけて走った。

膝の故障。
走る前から萩田さんに相談はしていた。そんなとき。萩田さんから、ピンチとチャンスの話があった。
ピンチはこれからの生き方を好転していく良いチャンスだと。
ピンチをチャンスにしていく生き方、それは大切なことだ。

一緒に走った畑島さんからも、様々な体験からの生き様を教え頂いた。
30㎏
そんな小さな身体から大きなパワーを頂いた。

志野村を走っている時に、クニさんウッチャンクミちゃんが後から来た。
「大丈夫~」と言って抜かされる。
大丈夫ではないのです。しかし笑って済ませた。
山中湖(第3エイド)
円谷さんが居た。疲労困憊だったが元気が出た。
両手を合わせた。パワーをもらった。
人は、もうダメだ。と気力を失う。しかし些細な切っ掛けで元気が出るときがある。
それは(泡)だったりもする。

少し飲んで、先を急ぐ。
籠坂峠の上りで、見知らぬ人に声をかけられる。
第1回天竜川リバーサイドで、わたしのエイドで味噌汁を飲んだ人だという。
佐久間ダムの思い出を教えてくれた。
籠坂峠の下り坂で、その人たちは遠くに行って見えなくなった。

籠坂峠を下り切り、コンビニでオレンジジュースを買った。
青きんと山ちゃんが駐車場で休んでいた。俺は先を急いだ。
だが直ぐに二人に抜かれた。
歩きが入り、第4エイドまで長かった。道を間違えたのではないかと思った。
コンビニが出てボランティアの人が誘導してくれていた。
麦わら帽子の渡邊さんが居た。
牛乳が美味しかった。
第4エイドで休憩していたら、クニさんが来た。
のこり10㎞
その二人の後を着いていった。
腹の調子が悪くなり、交番に駆け込んだが
「治安維持のため使えない」
と断れれる(涙)
我慢に我慢を重ね、コンビニを見つけ何とかセーフ(笑)

最後の最後、自衛隊演習所の中の真っ直ぐな道、一緒に走った東京の人との会話が楽しかった。
奥武蔵野のウルトラの話し。オクムサシと言えばビキニ。
本物を見てきた話は参考になった。
男として、自分も見たい。と思った。

本物を見てきた人の背中を追ったが着いていけなかった。
時計は制限時間の18日17時5分前、遠くにゴール地点の建物が見えるが足腰は激痛が。
やっとの思いで着いたゴール地点、旅館「大野路」ゴール時間18日15時09分、制限時間には間に合わなかった残念。
今回は調子が悪く富士山一周はハーフになった。途中の第2エイドからのスタートとした。
それでも、わたしの大切な59歳の宝物になった。記録だ。
最後の最後、雲にかくれていた富士山が雲の隙間から少し現れた、私を励ましていたような気がした。

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自分の人生の中で、多くの人に出会ってきた。

出会い。

そして、その人に出会うことによって、その人に影響され、自分の人生が進んで行く。

昔、「横吹」で山の斜面で煙草をふかしながら、隣のアキチャンがハンググライダーをやらないかと話をした。

夢を語った。

そんな事、危ないし出来ない。即答した自分がいた。

しかし、アキチャンは横吹の斜面集落から見える眼下に舞うトンビを見ながら気持ちよさそうだと話した。

その目はキラキラしていた。

多くの人に出会い、自分が影響され今がある。

良い人もいれば、反抗したくなる人もいる。

時が経ち、その反抗した人の言葉が身に染みることもある。

過去があり今がある。

多くの出会いがあり、影響され人は生きていく。

出会いという言葉、出逢いと書く場合がある。
「出会い」と「出逢い」
「会う」と「逢う」
会う→たまたま人と出あう。
逢う→大切な1人の人物と対面すること。
そんな意味があるらしい。
昔、仇討ちがあったころ。
「ここで逢ったが100年目」
そんなときに使っていた漢字だという。
逢う。


過去があり今がある。

そして未来がある。

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日々の生活をしていると、いろいろなことがある。
良いこともあれば、悲しいこともある。
楽しいこともあれば、悔しいこともある。
凹むこともある。
 
昨日、LINEで繋がっている友人と電話で話した。
たわいもない昔話を15分くらい話した。
楽しかった。良かった。癒された。
 
人は他の人とコミュニケーションしたがる動物。
昨日は清美ちゃんとの電話で癒された。
いろいろなことがあるけど、明日からまた頑張ろうと思った。
ありがとう。清美ちゃん。
 
清美ちゃんとは佐久間中学校時代の同級生、
昔っから知っているので好きなことを言い合うことができる、わたしの大切な男友達です。

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その前に
朝は「おしん」第36話を見た。
(祖母の死を見たおしんは、祖母の一生を哀れと思った。おしんはおしんなりに成長していった)
家の草刈を少しやって、9時に中部天竜駅に向かった。
駅で受付をすまし、いざ出発(^O^)/エイエイお~。
 

今回のJRさわやかウォーキング、目的はダムカード、先日の天竜川リバーサイドの最後の宴会のときに畑島さんから
「ダムカード欲しい。孫の分と二人分」
と言われたので、それを貰いに行くこと。
もう一つ。佐久間ダムに向かうトンネルの中が照明が少なく危険だと思たからだ。
https://walking.jr-central.co.jp/course/detail/1413.html

9時15分HR中部天竜駅を出発、井上靖の碑に到着、飯田から来たという人に写真を撮ってもらう。
そこからは、その飯田から来たという二人ずれの男性と話しながら歩く、その一人の人から、中部の町に「花園」という美容院があると思うが、と話はじめた。
「その人は飯田の人で、その弟子たちが佐久間で美容院をやっていると思う」と話していた。
その後、その飯田の人と、原田久吉翁の石碑の着く。
そして、石碑にある「数つ美て ほ古らぬ穐の 米俵」を読、原田久吉翁の話をした。
その石碑のことは↓
https://arukunodaisuki.hamazo.tv/e7716891.html
 
佐久間ダムに向かい高度を上げていく。危ないようなところにはボランティアの人がいて誘導してくれている。
トンネルの入口にも誘導員が居て「暗いので足元に注意してください」と。
二番目のトンネル内では足元を照らすライトがあった。次のトンネル内は発電機でのライトがあった。最後のトンネルが暗かった。
やっと着いた佐久間ダム、ダムカードは電力館、電力館入り口から入って正面に城西の人がいたけど私は受付でダムカードをもらった。振り向いて、その城西の人が何か袋を配っていたので、貰おうとしたら。
ダメだと言われた?
受付の人が、その人もウォーキング参加者の人だと言ったが、ダメだと言った?
私は、その袋を返した。そしたら、その城西の人が
「足りなくなると困るデ」と言った。
何だか分らなかったが、この場は、この方がイイと思った。
JRさわやかウォーキング、爽やかな気持ちが一瞬暗くなった。

電力館を廻って屋上から、この景色を見て気持ちを切り替えた。
電力館入口にある、佐久間パンプキンレディースのパンを購入(カレーパン三個メロンパン二個)買った。
帰りは観光協会の邑○さんに出会った。
最初のトンネル出口で城西の○岩さんが誘導していた。最後のトンネルの出口で歩いている人と誘導員の人が少し揉めていた。佐久間病院前で歯医者さん○賀さんと出逢い一緒に歩いた。中部天竜駅でゴールして受付でカードに印鑑を押してもらい、小松屋でトチモチを買った。

「おしん」
幼年期の苦労を描いただけではなく、いろいろな場面で様々な出会いがあり、築き上げた地位だった。
人として本当に大切な物は何かというメッセージが、おしんが人生の歩みの中で出会ってきた沢山の恩人の言葉を通して散りばめられている。
わたしも人生の出逢いで多くの良い人に出会ってきた。

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私は早生まれ、昭和35年2月生まれだから本当ならば、まだ還暦ではない。
しかし、同級生では還暦になった人もいる。
7月には廃校になった城西小学校の還暦同窓会だ。
還暦、干支が一巡し誕生した干支に帰る事。つまり干支の60周年だ。
そんな年度に、自分なりに残したいものがあった。
それは自分の足跡、轍(わだち)60歳になって振り返る事。自分史を書いてみた。
ほくえんの風↓
http://run2.ina-ka.com/ftp2/pdf/hokuen.pdf

成形の功徳 (せいけいのくどく)
森信三先生の『修身教授録』を読む読書会・勉強会がある。そんなときに、その言葉を知った。
何事も形に残して、その行いは効力を生むという意味だと思う。
立派なものでなくていい、自分が読んで納得すれば。
面倒くさい。そんなことやって何になるダイヤ~。自分は今までそうだった。
自分は自分、他の誰でもない。自分は自分、それは自分勝ってと言う意味ではなく、自分を大切に生きて行くこと。

村上春樹の言葉ではないが、走っていると
「僕は僕であって、僕ではない」
そんな感じに思えることがある。
自分の身体は借り物で、自分の魂が、その借り物の身体をお借りして生きている。ような。

還暦、干支の60周年。
因みに30周年を半還暦・120周年を大還暦という。
120歳、大還暦まで生きて、また自分史を書いてみたいものだ。
                                                  byしんしん

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ブラジル移民の話が頓挫し、おしんの母 ふじが銀山温泉に、温泉宿の女中だと言ったふじが本当はどういう仕事をするのか、おしんは知る由もなかった。
朝食の支度にかかるおしん。作造が起き出して来る。
 「何だ、まだできねのか! 朝暗えうちに起きねど間に合わねんだぞ! この役立たずが」
今日は裏の山の杉を切り出した跡に杉の苗を植えるため、一家から一人出さないといけないという。作造はおしんにその役を命じた。
 
杉の苗を背負って大人たちに交じっておしんも山をの上った。
山に杉の苗を植林している時、
おしん「この苗、大きくなるのはいつ頃だべ」
りき 「んだなあ、切り出せるようになるまで40年か50年かかるべ。オレなどもは、生ぎでいねえべな。おしんはなんぼになるべな」
おしん「40年だば48だ。50年だば58だ」
りき 「へえお前、数勘定できんのか。んだな、もうええばんちゃんだ。その頃おしんは何してるんだべな」
おしん「金持ちになって、オレが植えたこの杉買いてえ」
りき 「へえ、おっきくなったらこの杉ば買うのか?」
おしん「こだなつれえ思いばして植えた杉だ、誰さもやりたくねえ」
りき 「へえ、たまげた。やっぱり考えることが並のおぼこでねえな。ハハハハ」
場面は変わって現代。温泉宿の部屋でくつろいでいる圭とおしん。
 圭   「へえ、その杉買ったのかおばあちゃん」
おしん「とんでもない。買えるどころか、あの杉じゃ後で随分悔しい思いをさせられた。あんなにつらい思いをして植えたのにねえ。それでも村の共同作業っていうんじゃ、子供心に大人に負けちゃあ悪いと思ったんだねえ。何日も何日も続いたけど、とうとう弱音を吐かなかった」

そして次の奉公先、酒田の米問屋「加賀谷」に奉公に行くことになる。
8歳のおしんは、奉公先の米問屋で麦飯を食い、米を作っている小作は大根飯しか食べられないのを疑問に感じ「おれ大きくなったら商人になる」と思ったのだった。
 
佐久間町時代、佐久間町の木は「杉」だった。
私の暮らす佐久間町の山々はスギの木だらけだ。それは国の政策で杉を植林した。
しかし、今は安価な外国産の木材の需要が多く、昔苦労して植えた杉が、伐採期間を過ぎ放置されている状態だ。
それは外材だけの問題ではなく、人件費の高騰での問題もある。

 

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天竜川リバーサイドを終え、豊橋から特急伊那路に乗って佐久間町に帰ってきた。

飯田市の人と一緒に。

家に着き、台所のテーブルに「白い恋人」のような菓子の箱があった。

「誰か北海道に行ってきたの?」と思った。

違うようだ。よっく見ると「白い針葉樹」だった。

類似品、ネットで調べてみた。

白い針葉樹、なんとウィキペディアにもあるではないか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E3%81%84%E9%87%9D%E8%91%89%E6%A8%B9

白い針葉樹(しろいしんようじゅ)は、長野県下伊那郡高森町にある土産メーカー・株式会社マツザワの製造する、ラング・ド・シャクッキーでホワイトチョコレートを挟んだ菓子である。
ウィキペディアから。

他の人のブログでも紹介(叩かれている)ところもある。

しかし、長野県の、ここまでガンバル商売魂に、静岡県民の一人として羨ましくも感じる。

参考ブログ
ゆるゆるな毎日
食に関する気になる情報を毎日更新中!
マルミのどこでもドア。

 

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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