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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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先日の「夢街道90km」の時に熱中症で病院にお世話になった人が居たので、保険の代理店に携帯で保険のことを聞いてみた。
「熱中症は保険の対象にならないかもしれない・・・かも?」
との返事があった。

そして昨日、「浜松縦断マラニック」の保険を申込みに行き、その話をしたら。
「傷害保険なので病気には対応していないのです」
との話があった。

障害=傷つけること。けがをさせること。傷害保険は病気には対応していない。

そこで、傷害保険のことを検索してみた。

傷害保険とは
傷害保険とは、損害保険の一種であり、事故などによりケガを負った結果、入院・通院・死亡となったり、後遺障害が残ったりした場合(※いずれも事故などに遭った日から180日以内)に保険金が支払われる保険のことをいいます。
傷害保険はケガを対象としているので、病気の場合には補償されません。そのため、傷害保険に申し込む際には、生命保険のような健康状態の診断は不要となっています。
傷害保険は年齢や性別で保険料が異なることはありませんが、被保険者の職業によって保険料が変わるという特徴があります。
傷害保険では、被保険者の職業別に「A級職(職種級別A)」と「B級職(職種級別B)」と区分されており、具体的には営業職や事務職などが「A級職」に、タクシーの運転手やとび職などが「B級職」となります。「B級職」は危険度の高い職業が該当し、同一の補償内容でも「A級職」よりも払い込む保険料が高くなります

保険市場のHPより。

私が、いつもマラニックの時に契約している保険は「損保保険ジャパン」の障害保健(特約レクリエーション)だ。

保険は使わない方が、絶対に良い。

転ばぬ先の杖の保険、しかし何があるのか分からないのも事実、私のマラニックは暑い時期のばかりだから熱中症にも対応している保険を考えるべきだろうか?

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佐久間町が浜松市に合併し次の年、私は浜松駅から佐久間まで走った。

その次の夏、数人の人で「浜松縦断マラニック」は始まった。
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その時は、佐久間町中部まで来て、そこの夏祭りに合流し、夜の地割れ花火を見たのだった。

今年、その「浜松縦断マラニック」計画していた日が、中部のお祭りの日ではなくなり、宿泊する場所も下川合の伊藤さんちの別宅になった。

伊藤さんちの別宅は、中部(なかべ)から天竜川に架かる橋を渡って出る下川合(しもかわい)にある。

この天竜川に架かる橋を「原田橋」という。

この「原田橋」、今年の春、突然、橋を吊っているワイヤーに不具合が見つかり通行止めになってしまった。

合併の弊害、浜松市は予算がないからと山間部に架かる橋「原田橋」の管理を怠っていた。

原田橋関係地元のブログ
緑の里
http://midorinosato.hamazo.tv/e3609585.html
http://midorinosato.hamazo.tv/e3666369.html
浜松・佐久間Atti-koti
http://puppu.hamazo.tv/e3183265.html

「原田橋」今は通行可能となりましたが、まだ8t以上の車は通る事が出来ません。
そのため、佐久間ダムからの砂の運搬のトラックは国道152号線周りのコースを走っています。
浜松縦断マラニックを走る皆さん、くれぐれも車、特にトラックには気を付けて走ってきてください。

そして、「原田橋」を渡るときには、こんなことを思い出してください(^^)

 

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Tさんの案内で、富士山下山はお針廻りはしないで宝永山まわりでの下山にすることにした。

Tさんはもう何回も富士山頂往復マラニックを完走したことがある、そのTさんが言うには「このまま走行けば完走できるよ!!」そう言っていた。

5合目でリタイヤしようと思ていた私は少し欲が出てきた、完走だ~!!!。

後は下りしかない、そんな風に思っていた宝永山まわりだが、下りばかりでない、6合目の山小屋に向かうときは上りもあった。
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それと須走では靴の中にジャリや砂が入り、大変だった。

新五合目には10時30分、ここの食堂でうどん(800円)エネルギー補給だ、Tさんがまだ食事をしていたけど私は一足先に新五合目を出発した。

よ~っし完走だ~。これからは下りしかない、頑張るゾ~。

そう思って走り出した。

が、靴の中が気になり、途中から歩きが入ってきた。
右に左にカーブを回り下ってきた、そんな道が平坦になってきてそろそろ第9チェックポイント料金所跡が見えてくるのではと思っていると、後ろから軽快に走ってくるTさんが居た。

Tさんに抜かれ、後をついて行こうと思っても、Tさんの背中は小さくなるばかりだった。

あそこの角を曲がるとエイドがあるのでは・・・・そう思いながら走っていたけどなかなか出ない、よ~やく着いたチェックポイン料金所跡には12時31分。

エイドでボランティアの人が食べ物・飲み物を出し私たちを待っていてくれた、疲れた身体でたどり着いたエイドは走るものにとって本当にありがたい、そのボランティアの一人に遠山郷で知り合ったAさんも働いていた。

ここでスイカを食べコーラを飲んだ、美味しかったな~。

そんな時、後ろで「新間さん私はここでリタイヤします」と声が聞こえてきた、豊橋のYさんだ、疲労で食べ物を食べれないそうだ。

私も、リタイヤしよう、来週 浜松縦断マラニックもあるし、無理しないようにした方が良いし・・・・・リタイヤする理由が次々と湧いてきた。

エイドの人に

私  :「私もリタイヤします」

Aさん:「エ~ダメだよ~、新間さんは!!!まだ行けるよ~」

私  :「・・・・・・」

Tさん:「私は浅間大社までは行こうと思います」

私  :「・・・・・行けるとこまで行こうかな~」

Tさんの後を着いて走り出した、Tさんの走りには着いていけず歩きが入ってきた、浅間大社まで20kmこんな調子で何時間かかるのだろう????

フラフラ歩いていると、遠くにビーチパラソルが・・・・エイドだ!!

私   :「浅間大社まではどのくらいですか?」

エイドA:「浅間大社まで10km、そこから田子の浦まで15kmですョ」

エイドB:「15時にエイドは撤収です。私は車で田子の浦まで行きますョ」

私   :「車に乗せてって~私リタイヤします(^^)」

ここで終わりにしよう、そう思った。時刻は14時40分、もう20時間以上走っているのだ、もう ここで終わりにしよう。

ところが、まだ少し15時までには時間がある・・・・・。

私   :「行ける所まで走っているので、途中で見つけたら拾ってください」

そういって、走り始めた。

もう少しで走る事を止めることができると思うと、順調に走る事が出来た。
時計を見ながら、15時になりエイドの人たちは撤収しているところかな?、そろそろ来るかな?

後ろを振り返りながら、走っていた。がが・が・が・が来ない(TT)

富士宮の町に出る、浅間大社はどこだ、昨日の浅間大社はお祭りでごった返していた、ようやく着いた浅間大社、ここまでこれたことに感謝し浅間大社に手を合わせた。

浅間神社16時25分、ここから電車と考えていたが、せっかくここまで来たのだから残り15km歩いてもいい とにかく行こう、自分の考えは変わっていた、とにかくゴールへ行こう・・・・と。
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富士宮の駅前で、一人のランナーが居た、歩道橋の上から声をかけたが聞こえないようだ、電車に乗っていくのかナ~。

田子の浦に向かって一人歩いていると、背後から二人ずれのランナーが来たその一人から私に「走りましょう、ヒロボーさんの連絡で6時半までゴールを延長してくれるそうですよ」と教えてくれた。

二人ずれのランナーを追いかけるよう私も走るようになった、もしかすると時間内完走、完走Tシャツが手に入るかもしてないと希望が出てきたのだ。

田子の浦に曲がる高架の橋の所で、遠くに見える二人ずれのランナーが曲がろうとしない「お~い、ここを右だゾ~!!」聞こえないのだろうか、時間はまだ6時前、まだ間に合いかもしれない。
私は二人ずれのランナーを追いかけもせず田子の浦港へと高架の橋をくぐって右に曲がった。

ここからは車で何度も走ったことがある、田子の浦までは直ぐだ、痛い脚を引きずりながら少しペースを上げた、時間は6時、すると田子の浦まで5kmの標識があったのだ。

30分で5km???無理だ!!疲れた体では無理だ。

身体に力が抜け、ペースが落ちた、歩道橋をトボトボ上り、田子の浦港での直線道路ではもう日が暮れていた、最後、ラスト、は走った、ゴールを撤収した仲間が車で帰っていく、私は一人、私の愛車 軽トラの前にゴールした。

18時50分、24時間50分をかけて「富士山頂往復マラニック 第10回記念大会」を走破した。
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富士山頂往復マラニック 112km 一日かけて富士山を楽しんだ。
走り始めて15km地点 浅間大社でのお祭り、そこから真夜中の走りでは大きな月明かりに見守られ走る事が出来た。
料金所跡でのエイドは食べ物 飲み物も沢山あり本当に助かった、夜の富士山から見える富士市の夜景も心に残っている。
富士山八合目からの登山は空気が薄いからか、大変苦しい思いをした。
山頂で私たちランナーを迎えてくれた人たちに感謝。
剣ヶ峰の手前で田子の浦の海岸で拾った砂を撒いたのは、今思うと石碑まで行けばよかったと 後悔している。
富士山の下山、宝永山を周った。
宝永山とは、末広がり広がる富士山の右側にあるチョコンとできた山だ、河口に大きな石が点在していた、一緒にいたSさんが自衛隊のテントかと勘違いしていた。
その他、思い出を語ったら尽きない、私の「富士山頂往復マラニック」だった。
富士山よ ありがとう。


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2012年8月4日(土)の夕方6時、田子の浦港(ふじのくに 田子の浦みなと公園)を100名以上のランナーがスタートした。

ランナーは皆、それぞれに富士山に向かって走り出した。

私も、今年はこの富士山に向かうランナーの中の一員だ、背中のリックの中には富士山に登るため必要と思われる全て詰めた。
その中には、呼びかけ人であるヒロボーさんが最終確認要項書に書いてあった海抜0メートルの砂がある。
去年までは海水だったそうだが、今年は工事中で海水を汲むことができないため海岸の砂になったそうだ。

第一チェックポイントである富士宮の浅間大社に向かう途中の国道139号線沿いで日が暮れてきたのでリックの点灯ライトを点け 手持ちライトを用意した。

19時52分、田子の浦を走り始めてから1時間52分、浅間大社に着く、この日浅間大社はお祭りで多くの見物者でごったがえしている。
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ランナーはここでこれからの富士登山を浅間大社に祈願する。

ここから、富士山に向かって上りが続く、富士宮の市街から外れると辺りは真っ暗だ。ランナーの点灯ライトを目印に歩みを進める。

途中知り合いのNさんに会い一緒に歩いた、私より年上の人生の先輩であるランナーの人の話を聞きながら二人で歩いた。
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第3チェックポイント(料金所跡)に0時22分、ここにエイドがあり給食・給水をする。
何時もなら寝ている時間だ、でも今日 俺は富士山頂を目標に歩いている。

10分くらい休憩し、マイカー規制になった富士山スカイラインを新五合目を目指し歩き始める。

九十九折りのカーブを幾つ曲がっただろうか、夜空には月が光っている、星も瞬いている、眼下には富士の町の夜景がきれいだ。

新五合目に着いたが3時28分、トイレにより自動販売機で飲み物を買おうと思ったら電気が入っていなかった。

手持ちの飲み物は500mml一本、次の山小屋までこの一本しかない。

他のランナーはここで防寒着に着替えている、私は長袖シャツのまま五合目から登山道に入った。

一人きりの登山道、夜空を見上げると冬の星座であるオリオン座が見えた、唯一知っている星座だ標高が高いので見えるのだろうか?・・・・今 私は富士山に登っている。

6合目の山小屋に着き、はちみつレモンを買った、300円成り。
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ここで、防寒着である山登り用のカッパを着た。

8合目近くなると辺りは明るくなってくる、夜明けが近い、駿河湾を一望できる、雲海が広がりその下に伊豆半島が見える、良かった登ってきて、この景色が私を迎えてくれたのだ。
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8合目からの上りは辛かった、空気が薄くなたせいだろうか、息が苦しい。ヒロボーさんが富士山
3500m以上は地上とは別世界ですと書いてあった、高山病ではないだろうか????
自分の腕を手に取り脈泊を見た・・・・早い・・大丈夫だろうか?????
近くの人に、自分の顔色を訪ねたら「ピンク色ですよ・・・大丈夫です」と答えてくれた、それに安心したのか、なんか楽になた(^^)

9合五尺の山小屋からは大渋滞、山頂が見えているのだが人・人・人ここは下山する人もいて本当に前に進めない状態だった、最終確認要項書にも書いてあった通りだ。

そんな時、一般の登山客だろうか、一人登山道を外れ下って山を下ってくる男性がいた、その男性が大きな石に足をかけたらグラグラとその石が動いた、下には私を含め沢山の登山客が渋滞の中で山頂を目指している。
一つ間違えば重大事故だ、その人は上りの登山客のブーイングで登山道に戻った。
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富士山頂に着いたのは7時35分、富士山頂でヒロボーさんに会い写真を撮ってもらった。
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その後、剣ヶ峰に向かい田子の浦から持ってきた砂を石碑の所へと思ったのだけど、人があまりにも多いので、手前の所にその砂を撒いてきた。(ちょっとズルかな(^^)
 

また、ヒロボーさん達のいるところに行くと、食べ物と飲み物があるので休憩し話をした。

やっと、ここまで来た、田子の浦から富士山頂まで、自分なりの目標を達成した瞬間だ。
帰りか~、もういいか五合目まで帰ってそこからはバスで帰るか今回はここまで・・・そんなことを思っていた。

下山のことは地図を見ればとしか考えていなかった、どうしようかな~。
そこへ富士山頂往復マラニック常連のTさんが居たので帰り道を一緒に走ってもらうことにした。

帰り道は、宝永山周り、毎年 道を間違え御殿場口の方に下山する人がいるらしい、Tさんの道案内の元、下山するため山頂を後にした。
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次回につづく。


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富士山頂往復マラニックとは↓(呼びかけ人であるヒロボーさんのHPから)
http://www4.tokai.or.jp/maranic/F2.htm

あの富士山(3776m)を海抜0メートルから自分の足で走ったり歩いたりしながら往復しよう、そんなマラニックに挑戦してきた。

スタート地点である田子の浦港に着き参加受け、今回は第10回の記念大会であるためか100人以上のランナーが集まっていた。その後、呼びかけ人であるヒロボーさんのオカリナの音を伴奏にマラニックに参加する皆で唱歌 「富士山」を歌う。
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「富士山頂往復マラニック」に参加することが出来て満足している自分、白灯台と赤灯台をバックに写真を撮ってもらった。
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スタート前にランナー全員集まって記念撮影 パチリ。
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この無謀ともいえるマラニック、本当は私 去年の春に申し込んだのだ、そして順調に超長距離の練習をして調整してきた、それが体の調子が悪いな~と思っていたら・・・近くの病院で(゚◇゚)~ガ~ン・・・肺炎を診察されたのだった。去年のブログhttp://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/582/

そのため、今回この「富士山頂往復マラニック」は参加するだけで、スタートラインに着けることだけで自分としては、だい だい 大満足なのだ。

2012年8月4日(土)18時00分「富士山頂往復マラニック 第10回記念大会」スタート


10年前、ヒロボーさんが始めたマラニック、どんなコースになっているだろうか、ワクワクドキドキで私は田子の浦港をスタートした(^^V

次回につづく。

 

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昨日、仕事から帰ってきて自宅の郵便受けにクリスからのハガキが入っていた。

クリスは、5年前に静岡県西部の山間部 佐久間高校にALT(外国語指導助手(Assistant Language Teacher) 日本の学校における外国語授業の補助を行う助手)としてやってきた。

出身地はアメリカ ニューヨーク、山奥の学校に来てさぞ驚いただろう。

佐久間でのランニングクラブ「佐久間RC」の練習にも来て、一緒に走ったこともある。

3年間という短い間だったけど思いで深いALTだった。

クリスはメル友で繋がっていた。

浜松に行ったクリスを誘って、クリスの住む弁天島~舘山寺まで走ったこともある。

↓そのブログ
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/51/

クリスは勤勉で、佐久間にいる頃から浜松の日本語学校に通っていたらしい。

5年間で日本語が大分上手になった。

昨日のハガキにも日本語で丁寧に書いてある。

次の仕事は中国の四川大学で英語の先生らしい。

ガンバレ・・・・・クリス(^^v
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A4の封筒を開けると、最終確認要項書が最初に目にはいた。

必ずよく見てください・守ってください

≪大会主旨≫
参加者は、食料、水、防寒着、ライト、(雨具)他、走るために必要と思われるものをディパック等に入れ・・・・・・・・・・・・・・・・・安全には十分注意の上
「富士山頂往復マラニック」を楽しみます。

A4の用紙3枚に富士山往復頂マラニックの注意事項やその他、呼びかけ人である萩田さんの思いが書かれていた。

その他、参加者名簿、今年は109人と大所帯のため3枚。

地図はA3 4枚、 A3 2枚

チェックポイント表

富士宮口 富士登山のパンフレット。

それとゼッケン
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よ~し、今年こそ「富士山頂往復マラニック」を楽むぞ~(^^)


 

 

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平成18年(2006年)の夏、私は浜松駅から佐久間の自宅まで60kmを一人で走った。

長距離はフルマラソン(42.195km)しか走ったことがないのに。

6年前の自分は、何を考え、何を思い、浜松駅の南口を走り出したのだろう。

その時の自分の日記
http://www.nexyzbb.ne.jp/~tsutomu46/mountain03.htm

平成17年(2005年)私の住む佐久間町が浜松市に合併し、これから佐久間町はどうなっているのだろう???
今でも過疎で人々が町へと流れていくのに、合併しなのならもっと過疎が進むだろうな~。

浜松市は次の年、政令指定都市になった。

私の住む佐久間町も政令指定都市、住所も浜松市天竜区になったのだ。

その浜松市天竜区の国道152号線をリックを背負ったランナーが走っていくのを見たのだった。

次の日の月曜日 静岡新聞で新浜松市誕生記念 水窪~浜松 160km ウルトラマラニック を知ったのだった。

マラニック(マラソン&ピクニック)

その年の夏、自分の足で この大きくなった浜松市を走ってみようと決意し走り始めた。

マラニックで、急がずゆっくり景色を見ながら。

次の年、マラニックを企画している人にいろいろ聞いて、名前も「浜松縦断マラニック」として平成18年(2007年)参加者8人で走ったのだった。
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今年のほくえん旅ランの参加者は↓
http://run2.ina-ka.com/meibo.htm

浜松縦断マラニックまだ8名なので、もう少し走る人が来ないかな~っと思っている。


 

 

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去年の第五回チャレンジマラニックin遠山郷が終ってからmixiで投稿した。

五年前の話じゃ~。
走ることが好きなランちゃん(夫)と、釣りが好きなトドさん(妻)が遠山郷に来て「チャレンジマラニックin遠山郷」を誕生させるそうだった。
私(しんしん)は、その話を水窪の駅伝大会の待合室で、ひろぼーさんに教えてもらった。

私とひろぼーさんは、その「チャレンジマラニックin遠山郷」の誕生に立ち会ったのじゃ~。

それはそれは、楽しい面白いマラニックの誕生に村の人はもちろん、私たち走るものも大変大喜びをしたもんだ。

それが、いつの日かランちゃんが来なくなった。
私はとっちーさんとランちゃんが企画している小田原のマラニックに行った、そのマラニックの後夜祭でランちゃんや山西哲郎さんやジャズダンスのお姉さんと話をした、山西さんやお姉さん、遠山道に行きたいといっていた。
しかし、ランちゃんはランちゃんなりの言い分があった。

そんなことがあって・・・・今回のトドさんの事、

今は遠山郷の観光協会が行っている「チャレンジマラニックin遠山郷」

しかし、5年前にこの地にマラニックの明かりをつけたのは「チャレンジマラニックin遠山郷」始めたのは、ランちゃんとトドさんやその仲間達なのだ。

また何時か、木沢小学校の用務員室で逢う日を楽しみに待っている。

遠山郷でのマラニック。

今年も木沢小学校の前夜祭、美味しい酒を飲めるといいな~(^^)

 

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40歳後半、私は「富士登山競争」を知った。

そして50歳になり、「富士山頂往復マラニック」に挑戦しようとしている。

田子ノ浦港(白灯台前) → 新五合目 → 富士山頂(剣が峰) →新五合目 →田子ノ浦港(白灯台前) 距離約112km

今年の8月4日(土)午後6時にスタートし、次の日の5日(日)の午後6時までに帰ってきた人が完走者となる。

今の自分の走力では完走は無理なのかもしれない。

しかし、男50歳、挑戦してみたいと思う魅力的な大会だと思う。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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