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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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昔、佐久間体育協会に入った年、佐久間駅伝の話し合いがあり、事務局の人が佐久間駅伝のポスターを持ってきて。

「このようなポスターで良いでしょうか?」
「字・その他、間違いはないでしょか?」
「その他に付け加えたい言葉なないでしょか?」
との質問に
「この駅伝も100チーム以上の参加チームが来るようになり、静岡県内一番の大会でなないだろうか。ポスターに静岡県一番の大会!!と入れたらどうだろうか」
との意見が出てきた。
そこで、事務局から。
「静岡県でまだたくさんの参加チームが来ている大会は中部・東部にあります。ここら辺ではないので静岡県西部地区一番の大会!としましょう」
と、なったのを覚えている。

家に帰り、ネットで調べ富士宮駅伝が静岡県内一番多くの参加チームでの大会だと知る。

そのころは、佐久間にも走る人が多くいて、富士宮駅伝に行こうとの話が出たのだが・・・・・話だけで終わってしまった(TT)

そんなこともあり。

今回の梅花駅伝・・・・なんとしても行きたい。

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わが町、佐久間町は平成の合併で浜松市になった。
その浜松市は大きくなり北は長野県と隣接する。
長野県南信州の天龍村は平成の合併はせづに今なお天龍村として自立して行政区を行っている。
その天龍村で毎年2月の第三日曜日に天龍梅花駅伝がある。
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その駅伝は平成22年から参加チームを140チーム限定とし、募集もインターネットでの募集。
去年、わが「佐久間RC」も申込みをしようと、メンバーを探し出し年明けネットを開いたら・・・すでに募集は終わっていた。

今年度こそ、天龍梅花駅伝に行きたい。
そして、天龍村での駅伝をこの目で、この体で感じたい。

しかし、今メンバーは今 二名足りない。




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天龍梅花駅伝の地図
(クリックすると大きくなります)

 

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facebookを初めて そろそろ一年 友達も78人。

初めのころは、懐かしい友達を検索して"友達リクエスト"を出した。

たとえば、豊根の学校でALT(外国語指導助手)をやっていたJordan Patrick。
去年の夏、母国であるカナダに帰国すると私の住む佐久間の家まで来てサヨナラの挨拶をして帰ったのだ。
もう、絶対に会うことはできない・・・そう思ったのだが、その年の忘年会でfacebookの話を聞き次の年(今年)の1月1日にfacebookを初め、facebookの事を覚え始めJordan Patrickの友達リクエストを出したのだ。

その他、ALTはChengdu Chris、Kevin Collier、Ashley Honeysett、Nathalie Ng。

Tom Coward、は今年の暮れ青森から東北新幹線で帰ってくるとき隣の席に座っていて知り合いになった人だ。
オーストラリアの人で、私の同級生もメルボルンにいると話をしながら東北新幹線(はやて)に乗って来た。

Marc Lincezは、夏の夜中、友達リクエストが送られてきて、ギョエ!!っと思って、どんな人かと基本データを見ようとしたら・・・リクエストが承認されました・・・と出てしまった。
スマホで承認の所に触れてしまったのだろうか??

その後、職場でMarc LincezはJordan Patrickの父親という事を知り安心した。

このように、facebookでは世界中の仲間、友達につながりを持てる、佐久間の、こんな山奥でも、カナダの人や、イギリス、アメリカの友達と。

問題なのは・・・・・私の頭(英語が解らない)
中高年という年になった私だが、少しでも英語を覚えるように努力しなければ(^^;

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会場は昌留、会費はなんと千円。

今回、ツイッタ―講習会に講師として招かれた、ツイッタ―ジャパン アカウントマネイジャーの比嘉さんが自分の講師料を懇親会に使ってくれと言ったのらしい。

ありがたく、私も冷たいビールで乾杯した。

私の隣が木タロウさん、その隣が比嘉さん、草々お礼を言ってビールを注いだ。

水窪は、北遠はどうなっていくのだろうか?

インターネットでSNSで人と人とはつながっていく、しかし、このように懇親会でお酒を飲みながらつながっていく場が大切だと思った今回の懇親会だった。

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会場を見渡すと、知っている人が数名、水窪でブログを書いている"木タロウさん"職場で今回のツィーター講習会の話をしたら参加するようになった○原さん、私の前に座っているのは天竜区役所の河○さんではないか。

その他 顔は見たことがあるが名前は知らない人が何人かいた。

今回、この講習会を企画した。○士川さんの挨拶が始まった。この人は中山間地域など、人口減少や高齢化が進んでいる地域で定住しながら地域振興の活動をする「ふじのくに暮らし推進隊員」の人だそうだ。
中日新聞では、妻の実家が水窪で「ふじのくに暮らし推進隊員」任期が終わっても水窪に定住したいと書いてあった。

次はよいよツィーター講習会、講師のツイッタ―ジャパン アカウントマネイジャーの比嘉さんの講習が始まった。

アカウントを取得して、パスワードを作って・・・・・私は登録してあるので・・・ここは大丈夫。

みなさん、自分の持っているスマートフォンでそれぞれにツイッタ―で先生のツイ―トにフォローする。

フォローした相手のツイ―トは自分のスマホの画面に出てくる。

次にハッシュタグ(#)、
ツイ―トした後に、ハッシュタブを着けるとその内容でツイ―トした内容が一覧できるとか。

色々勉強になった3時間だった。

講習会が終わり、よいよ懇親会、私たち佐久間からの二名は木タロさんの車で会場である「昌留」に向かった。

つづく。

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11月の上旬、お昼休み静岡新聞を見ていると、水窪で ツィーター(Tweeter)の講習会を行うとの記事を発見。
参加希望者は冨○川へとあり携帯番号が記載されてあった。

草々、冨○川さんへ連絡、しかし電話に出てくれなかった。
ショートメールで参加したい旨を連絡したら。
数日たって
「お名前、住所、電話番号、メールアドレス、懇親会(21:15より、昌留にて、会費千円)への参加・不参加を教えて頂きますか?」
と返信されてきた。

わお~。
懇親会、嬉しいでなないか。
しかし・・・・水窪で飲んでしまうと佐久間まで帰ってくる術がない。

職場に、酒を飲まないツィーター・フェースブック・mixiの詳しい人がいるのでその人を誘ってみた。

一緒に行ってくれるそうだ、ラッキー!!

そんなことで、昨日、その○木さんと二人で佐久間から水窪のツィーター(Tweeter)講習会へと出かけたのであった。

会場に着くと、受付で自分の名前を探し丸を付け様としたのだが、私の名前と○木さんの所に「NPOがんばらまいか佐久間」と書いているではないか。
何故だろう???
と、思っていると。

今回このツィーター(Tweeter)講習会の企画をしたと言う「NPO法人まちづくりネットワークWILL」の人が来て名刺を差し出しお話をしてきたのだった。

なんか私たち「NPOがんばらまいか佐久間」を代表してきたみたいな感じでした。

が・今、この場を借りて言いますが、「NPOがんばらまいか佐久間」とは何も関係ないです。
ただ、個人的に酒の匂いがしたから水窪まで来たのですョ(^^)

いや、もう一つの目的があった。
来年の梅花駅伝のメンバーを探しに来たのだ。

走る事が好きな私は、佐久間に住み毎年、佐久間駅伝や北遠駅伝に参加している。
その北遠での駅伝、私が29歳で佐久間に帰ってきたときは、もっとにぎやかだった。
北遠駅伝で、西浦の方から小畑の町に入ってくるときなど沢山の応援の人がいたのを覚えている。

それが今は、大分寂しくなってきた。

去年、水窪より奥の天竜村の駅伝(梅花駅伝)が140チーム募集していることを知り、あんな山奥でどんな風に駅伝をやっているのか気になり申し込みをしようとネットを見たら間に合わずに断念した苦い経験があるのだ。

そこでこの、ツィーター(Tweeter)講習会に来て、駅伝メンバーを探そうと思ったのだ。

講習会に参加している、若そうな人に声掛け、○澤さん、袴○さん、冨○川さん、道○さん。

今年こそ、梅花駅伝に参加できそうだ。

次回につづく。

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昨日の、「明神山マラニック」何とか無事に終わって良かったと思っていた。6時間かければ私ぐらいの走力(フルを4時間前後)の人は余裕も持って行って来れる。

明神山の登山道は整備されているのだが、岩山から柿野平までが印が少なく山道が解りずらかったのだった。

そんな課題を残していたので、今日は一人で尾籠まで車で行くことにした。
岩山から柿野平の分岐点まで、目印のテープを貼りに行こうと思ったのだ。

尾籠集落の駐車場に車を置いて、10時15分に岩山に向かった。

岩山の のぞき岩に着き写真撮影、昨日と違う景色が見える。
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岩山と明神山の分岐点、ここから山道に印をつけながら柿野平の分岐点まで行くことにするのだ。

途中、迷いそうになったところが数カ所、そんなところには成るべくたくさんの印をつけた。

一時間ぐらいで柿野平の分岐点に着いただろうか、携帯の電波が立っていたのでフェースブックに投稿した。

少し休憩し、元来た道を帰ることにした。

この帰り道、最後の大きな岩のあるところで迷ってしまった。

本当は岩の横が正規のルートなのだが、岩の上の方に誰かが付けたリボンがあるのだ。

そのリボンを見て、岩をよじ登り行ってしまったのだ。

待てよ、違う、そう思って引き返した。

岩まで戻り、岩の横を通って帰ったのだが、結局、どちらの道を通っても同じところに行くようになっていた。

しかし、この判断は良かったと思う。

待てよ、違う、そう思ったとき、一人の私は不安になった。

もうすぐ、こっちかと思ったが、ヤッパリ元来た道に戻ったのだ。

無理に行って、何とか元のルートに合流っして帰るより、少しぐらい時間がオーバーしても元来た道に戻って確認(どこで間違ったのか)して、自分なり納得して帰ったので本当に良かったと思った。
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帰りにも、岩山の のぞき岩まで行き、景色を見てフェースブックに投稿してから岩山を下山したのだった。

PS
今回、岩山、尾籠集落で幾人かの出会いがあった。
その人の情報で、本郷にグリーンハウス(大型宿泊施設)がある事を知った。
http://www.town.toei.aichi.jp/koukyou/?p=2191
安く宿泊が出来るそうだ。

次回は、遠くの人も呼んで走り終わってからグリーンハウスで大宴会ってのもいいもんだ(^^)

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明神山(三ツ瀬明神山)とは、愛知県の奥三河、東栄町にある1,016mの山だ。

明神山マラニックとは?
とうえい温泉出て、国道151号を少し北上し、脇道に入り尾籠(おろう)の村に向かう。そこから登山道となる、岩山(700m)に登り、ここから三ツ瀬明神山まで縦走する。
三ツ瀬明神山(1,016m)の山頂で休憩し、帰りは三ツ瀬登山口に向かって下山、三ツ瀬登山口からとうえい温泉までロードをジョギング。

去年の秋、ヨッピーさんとこのコースを周った時のブログ。
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/628/

天気がイマイチで、朝方には小雨、こりゃ~山に入るのは無理かな、そう思って今日は尾籠登山口、三ツ瀬登山口を往復するロードのマラニックにしようとネットで調べた地図を持って、とうえい温泉の集合場所に車を走らせた。

とうえい温泉に着き、今回の参加者でスタート前の集合写真。
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 このと時は、尾籠の村に行ってから、山に入るか入らないか決めようと話し合ってのスタートだった。

国道を左折して、尾籠の村までの上り、雨もやみ、走っている人は皆、明神山に登る気十分な雰囲気、私は今日はロードだと思ってきたので・・・・・。

そうだ!!水分・・・給水のボトルを持ってきていない!!。

そんな時、○野さんからボトルを一本、私に手渡してくれたのだった。
ありがたいことです。
大切に500mlのボトルの水分を使わないと。

尾籠集落に最後尾で到着。
最初に着いた人は登山日誌に名前を書いて待っていた。
私も登山日誌に名前を書き、三ツ瀬登山口に向かいますと書き足した。

まずは岩山に向かう。
岩山までは、登山道は整備されている、明神山の分岐点を岩山へ向かう。
のぞき岩に着くと、遠くの山々が綺麗に見える。
谷から霧が湧きたり、こんな雨上がりしか見えない本当に美しい景色が見えた。
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のぞき岩から岩山山頂に、岩山だけあり岩をよじ登る。
その時、足を滑らし少し危ないと思った瞬間、リックのポケットに入れたボトルが落ちた。
・・・・コロコロと。
ず~っと下の方まで転がっていった。あぁぁぁ~。

私の心に(不安)という文字が浮かんだ。

そんな気持ちで登った岩山の山頂での集合写真。
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岩山から元来た道を帰り明神山分岐点へ、ここから山柿野登山口分岐点までが少し不安だ、今回の参加者10名、一列に並んで確かめ合っての行動とした。
少し迷いはしたが、山柿野登山口分岐点に無事にたどり着いた。

そんな時、○野さんからもう一本ボトルを頂いた。
黒酢入りのスペシャルドリンク。

ここからは、三瀬明神山の急な登りだ。
水分があるのは本当にありがたい、感謝・感謝・感謝である。

今回はこのコース二回目、後どの位だろうかと思ながら歩みの進める。
前回登った時にも立ち寄った、見晴らしが良かったところで一休み。
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後どの位だろうかと歩いていると、すぐ向かいに山頂は現れた。
腕時計は十二時丁度だった。

展望台では、集合写真を撮り、それぞれ持ってきた食料で食事が始まった。
ここでも、○野さんからおにぎりをいただいた。
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安○さんからはカップうどんを、感謝・感謝・感謝・感謝であるのである。

12時20分、山頂から三ツ瀬登山口を目指し下山、この登山道は馬の背・くさり場ありの難コース、上り以上に気を付けないと。

三ツ瀬登山口に着いたのが、2時。
ここから とうえい温泉までロードだ。

みんな走り出す。
国道151号線に出たら左折しトンネルを抜け、本郷の町へ、うっちゃん・山草人・みっち~・しんしん で とうえい温泉にゴール。
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その後、次々とみんな帰ってきたので、とうえい温泉の横の方、紅葉が綺麗なモミジの下で集合写真を撮った。
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今回のマラニックは、11月の初めある人から「明神山に登らない?勤労感謝の日に休みが取れたから」そんな話があり集まった仲間だ。
しかし、先週の終わりごろから週間天気予報を見ていると、勤労感謝の日は雨模様、天気予報はずれないかな~と思って当日を迎えたのだった。

当日の朝5時、ヒロボーから電話、佐久間の天気を聞いてきた、小雨が降っていた。

この雨では、天気予報でも午前中にわか雨と出ている。
山に入るのは無謀だ、無理は禁物、今日はロードにしようと思って出かけた。

とうえい温泉 もうすでに来ている人がいる小雨降る中、みんな明神山に登りたくて集まってきたのだ。

何かあっては困るけど、そうならないように最善の準備をする。

今回、給水・給食を忘れた 愚か者は誰あろう このコースを紹介、道案内をした私だった。

これからは気を付けます(^^;

 

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今日は、佐久間中学校75の忘年会だった。

集まった人は、纐纈・み~やん・さとし・てんしん・ぶちゅ~・ミツ・イマイズミ・私の8名だった。

佐久間の地元で、寿司屋をやっている人がいる、その店「江戸芝」での忘年会だった。

集まった人は、それぞれ忙しい時を都合を着けて、この忘年会に来てくれたのだろう。

ありがたいことです。

2年後の同窓会、次は浜松で行うと言う。

今から、その同窓会に向けて、浜松に住む同級生は準備に頑張ってくれている。

これも、ありがたいことです。

今日も一日、美味しいお酒を飲んで気持ちよく酔う事が出来た一日でした。

おやすみなさい。

お(^o^) や(^O^) す(^。^) みぃ(^-^)ノ゛

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55歳の同窓会まで、後二年。
同窓会の打合せを、佐久間ではなく天竜で行ったらどうでしょう?と言うメールがあったので、

了解しました。
11月10日何処へ何時に参上しましょうか?
しんしん
と返信した。
ところが、次に来たメールでは、やはり佐久間での話し合いになる内容だった???
佐久間に住んでいる人は、佐久間に来てほしくない???のか、浜松に住んでいる人が佐久間にワザワザ来るのが大変だとか気を使っているのか?????。
佐久間に住もうと、浜松に住もうと、同じ日本に暮らしているのに。
佐久間(過疎・ダメなとこ)浜松(便利・いいとこ)との感じで劣等感があるのか?
今は私、同窓会を始めたときのように、佐久間で佐久間でとの感じはなくなった。
佐久間でやったり、浜松でやったりすればいいのだと。
少しは私〇くなったのか(^^)


私の思いをわかってほしく、私は下のような内容のメールを送った。


こんばんは。
今日は長女の赤ちゃん(私にとっての初孫)を浜松に連れて行きました。
しばらく孫ともお別れ(^^)
 
話の続きです。
この動画を見てほしいです。
 
荘川桜物語は、小学校の授業でも取り上げられたり、テレビでドラマ化されたりしているので知っている人も多いことと思います。
その荘川桜の移植作業を見て、佐藤良二さんは、桜にみせられ、桜の苗を名古屋~金沢まで植えて行きました。
JR東海バス名古屋支店地内にある「1号桜」の横の碑に佐藤良二さんがこの世を去る間際に残した言葉が書いてあるそうです。
「この地球の上に,天の川のような美しい花の星座をつくりたい。花を見る心がひとつに なって,人々が仲よく暮らせるように」と。
この荘川桜の話は全国に広がり、全国の小中学校に荘川桜が植えてあるところが多いそうです。
近くでは、龍山にあります。
 
荘川村では、毎年荘川桜が咲くころ、ダム建設で荘川村を去った人や、荘川村に残った人で、荘川桜の下で宴をやるそうです。
 
そう、私も5年に一度ぐらいは、この佐久間で・・・との思いがあったのです。
 
しかし、半場に「三好野」があった頃、50歳の同窓会の話をその三好野で酒に酔ってみ~やんと話したことがある。
 
み~やん:「こんなとこ(佐久間)何やっても良くならないよ」
 
 私  :「・・・・・・・・」
 
み~やん:「同窓会も浜松かどっかでやった方が良い」
 
 私  :「5年に一回ぐらいは佐久間で・・・・・・」
 
み~やん:「清流荘でやってもうまいもんないし」
 
 私  :「・・・・・・・・」
 
み~やん:「こんなとこ、俺も金があったら出て行きたいんだよ~。みんなそう思ってるよ~」
 
 私  :「・・・・・・・・・」(だったら出てけ!!)
 
こんなことを話した気がする。
 
そこで、50歳の同窓会の時はアンケートを書いて貰ったのです。
 
アンケートの結果は↓の掲示板にアップしています。(ハンドルネーム中部は知〇です)
50歳の同窓会が清流荘で終った時、み~やんが二次会にいくぞ~っとみんなに声をかけていて、私が清流荘の宴会が終った後の会場を見回すと、揚げ物のなどの残骸が残っていたのを覚えている。
み~やんの、「外に出てうまいものを食いたい」そうだな~と思ったのを、覚えている。
 
清流荘に泊まったのは、俺とコウリュウと森下君と村田君。
森下君はおとなしいのだが、コオリュウと村田君は夜も遅いのに、ラーメン食いたい、ツマミは無いか!!と大変だった(^^)
私の心には、こりゃ~佐久間では無理だ(^^;
と思ったのだった。
 
話は変わって。荘川桜の話。
佐藤良二さんが桜を植え、作ったさくら道、250kmに及ぶ長いさくら道を、走ろうと言う”さくら道遠足”というマラニックがある。
 
浜松市市制記念12市町村を走ろうと言うマラニックを企画している人や走っている人は、この”さくら道遠足”を走ったことのある人がいて、私もそのマラニックに興味が出て、荘川桜を見てみたい、佐藤良二さんの植えた桜の木を追いかけ、荘川村に行ってみたいと思うようになりました。
 
私は、29歳の時、半場に引っ越してきました。
佐久間町が浜松市に合併し、NPOがんばらまいか佐久間ができ、参加して浦川の島中に「ふるさとの森」を作る企画が始まり、参加させてもらいました。
いままで町会議員だった人や、役場で重役の人が、いつもはスーツを着ている人が、鍬や窯を手に奮闘している姿を見て、嬉しく思いました。
今は亡き、大平さんと島中の運動公園でお弁当を食べたのが良い思い出です。
 
ところが、そのNPOがんばらまいか佐久間も他の佐久間町に住む人が、批判的に思っている人が多いのも確かです。
佐久間町は佐久間地区・浦川地区・山香地区・城西地区とそれぞれ違います。
佐久間地区も佐久間・半場・中部と。
1975年に佐久間中学校を卒業した同級生もそうです。
みんな違います。
 
みんな違うのは、あたりまえ。そんな違う人が集まる。違わないのは佐久間という地域に子供のころ育まれたこと。
そこで、文頭での佐藤良二さんの言葉である。
「この地球の上に,天の川のような美しい花の星座をつくりたい。花を見る心がひとつに なって,人々が仲よく暮らせるように」
佐久間ダムは完成し佐久間がダムで潤って居る頃、佐藤良二さんは、こんな気持ちで桜の木を植えていた。
 
中学校一年のころ、沖縄に引っ越していった、中部さんは、私がこの荘川桜の話をブログで書いたら、コメントに こう書いてくれました。
 
御母衣ダムは実は私の産まれ故郷なんですよ(^^)
父の仕事の関係で、私は荘川桜のあった村で・・・まさしくダムの湖底に沈んだ所で産まれたんです。
そうなんですか、その桜の二世が天竜区にね(^^)
父は当時ダム建設の会社に勤めており、その関係で岐阜から佐久間小学校に1年生の時転校してきたんですよ。  当時は佐久間ダムの奥の新豊根ダム建設で佐久間小学校には全国から大勢の転校生が出たり、入ったりして賑やかでしたね。
懐かしいです。いつか訪ねてみようと思います。
 
同級生の中にも、色々な人がいます。
私もその一人(^^)
 
しんしん

私の思いは届いただろうか。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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