小学校のころ学校の先生から、他県の人との文通をしようとの提案があり・・・・・どこの県の人だったか手紙が届いた。
「静岡県の小学校なら富士山が見えますか?」そんなことが書いてあったような気がする。
佐久間町の奥の奥に住んでいた私は富士山はまだ見たことが無かった。
働くようになり、東名高速道路を車で走っていると雄大な富士山を見て、感動した。
18歳のときか会社の先輩と、初めて登った富士山。
日本一高い山を登るのでと思い、食料・飲み物をたくさん買い込み冨士山に向かったが、山頂に自動販売機があって愕然とした。
月日は流れ、私・・・・・46歳の年、走る仲間から「富士登山競争」の誘いが来た。
山梨県の富士吉田市の役所から、すぐそこに富士山は大きくそびえる。
「あそこの山頂まで行くのだ」
見上げる富士山の八合目の山小屋が光って見えた。
そして52歳の夏、田子の浦港から富士山頂を目指すマラニック「富士山頂往復マラニック」を走ったのだった。
富士山往復を企画している人が、富士山を一周しようという話が来て、そのマラニックにも参加した。
写真はその「ぐるっと富士山一周下見マラニック」の時に撮影した写真。
そんな富士山が世界遺産になり、益々・・・・この富士山に登る人が増えるだろうと警戒されている。
「弾丸登山」の自粛要望が出るようになった。
これから・・・・・・富士山・・・・どうなっていくのだろうか。
今年の会場は春野「気田川漁港組合・憩いの家」での開催になった。
現在の天竜区内の駅伝・マラソン大会
1、第38回 天竜駅伝大会
2、第41回 天狗の里駅伝大会
3、第41回 佐久間駅伝大会
4、第62回 北遠駅伝大会
5、第37回 秋葉ダムさくマラソン
と、天竜区だけでこのような駅伝大会とマラソン大会がある。
これを、これから天竜区の大会とし、天竜区の各支部で駅伝大会実行委員会が駅伝大会等を運営することになる。
名称も 天竜区・第41回 佐久間駅伝大会・・・となっていくのである。
隣の人が、佐久間も予算が出なくなったら・・・・・止めていくだろうね~っと話が合った。
参加料について
一人1000円を基準として参加料を決定する。
平成27年度までに、段階的に参加料を上記の基準にする。
と書いてあった。
あと二年後・・・・・。
三年後・四年後・五年後には「佐久間駅伝」・・・・・どうなっていくのだろうか?
私の好きなテレビ番組でフジテレビの奇跡体験!アンビリバボーがある。
中でも感動のアンビリバボーが好きだ。
facebookをやりはじめ、「みんなやさしくなあれ」 のページをフォローするようになり、
自分のニュースフィードには感動話がやってくる。
「みんなやさしくなあれ」ページは↓
https://www.facebook.com/yasasiku
facebookにログインしていないと見えないョ
走る事もそうなのかもしれない、42.195kmを走り切た後の・・・あの爽快感・なんとも言えないあの感動。
初めて走ったフルマラソンは「磐田・大藤マラソン」31歳の時の初マラソンだった。
初めて走ったウルトラマラソンは「富士五湖ウルトラマラソン」だった。
私、52歳の時だった。
51歳の11月。
その、初めてのウルトラマラソンの練習のためにと、浜松駅から遠山郷まで走った。
最初だから、ウルトラマラソンの大先輩、名古屋のたけるさをお願いして一緒に走った。
当時は青崩峠を越えての90kmだった。
道の駅「遠山郷」にたどり着いた時には本当に感動した。
遠山郷は児童文学作家椋鳩十が愛した里だ。
氏の詩の中でも「遠山郷は人の心の美しい里である」と書いてある。
20013年6月28日金曜日浜松駅をスタートし、
あの美しい里へ、遠山郷へ行こう!
自分なりの感動を求めて。
おわり。
遠山郷でマラニック同走会があった時に、お酒を飲んで盛り上がって・・・・宿泊する民宿「島畑」での布団の中で・・・・・。
誰かがランナーの事を質問した。
たけちゃん「ランナーはわがままだ!!」
ヒロボー 「私のマラニックに来る人は、いい人ばかりだ」
私 「・・・・・・・・・・・・・・・・」
本当は「良い人もいるけど・・・チョットな~という人もいるゾ~」
そう思ってけど、口には出さなかった。
ヒロボーさんは、自分のマラニックを・・・・こんな考えでマラニックを行っているのだな~。
色々な人がいる、色々な意見もある。
そんな中で、そんな人の言い分を聞き、自分のマラニックに活かしているのだろう。
そんな考えのヒロボーさんは、大きなマラニック「ぐるっと浜名湖一周マラニック」を企画して、ボランティアを集って大会を開いた時に・・・少しトラブルがあったそうだ。
ヒロボーさんはそんな人の話を聞いて一緒にお酒を飲んで、次へのマラニックに活かそうとしている。
私の「夢街道100km」は、そんなヒロボーさんのとは少し違う。
あまりトラブルを招く人は、遠慮してもらいたい。
分かり合える人で、、、楽しく走りたいのである。
人は、みんな違う。
走る人の中でも、それぞれの考えがある。
たけちゃん・ヒロボー・私・・・みんな違ってみんないい。
追伸
たけちゃんとは、「チャレンジマラニックin遠山郷」を最初に始めた人の一人です。
この同走会の時には、とどさんと二人で遠山に来ていました。
とどさんは、
「私の有給は遠山郷に来るために使っている。」
「髪の毛も遠山郷のレイジ兄の床屋で刈っている。それまでボウボウ」
と言っていた。
それほどの遠山好きな人だ。
たけちゃんは
サブスリーランナー、走る事に疑問を感じブラインドランナーのサポートを始め色々な事をやっていると聞く。
二人とも、遠山が縁で仲良くなった人だ。
12市町村が合併し新浜松市が誕生した時に、「新浜松市合併記念マラニック」を走っている人に出会った。
100km以上の距離を走るウルトラランナーの人たちだ。
その人たちが走ったウルトラマラソンの話を聞き・・・・いつか私も走ってみたいと思った。
いつか参加したいと思っているウルトラマラソン
サロマ湖100kmウルトラマラソン
http://saromanblue.jp/guideline
宮古島100㌔ワイドーマラソン
http://miyakojima.net/100km/
四万十川ウルトラマラソン100km
http://shimanto-ultra.jp/
歴史街道丹後100kmウルトラマラソン
http://www.city.kyotango.kyoto.jp/kanko/ultra/index.html
えちご・くびき野100kmマラソン
http://echigo-joetsu.com/100km/
どのウルトラも地域おこしのため特色をだし走った人が感動したと話していた。
いつか自分も、こんな大会に行きたい。
そんな夢がある。
でも今は「夢街道100㌔」で我慢する。
浜松市は12市町村が合併して大きくなった。
佐久間に住む私は合併とは、この地域に住む私たちに何を問いかけているのか考えた。
佐久間町とは昭和31年9月30日に佐久間村と山香村・城西村・浦川町が合併して誕生した町だ。
佐久間町に佐久間ダムができ、近くの町村は佐久間ダムからの恩恵が目的だったのかもしれない。
その佐久間ダムの影響なのか、佐久間町内の小中学校は鉄筋コンクリートの新校舎に次々変っていった。
それぞれの地域に、それぞれの新校舎が。
今、その当時の新校舎が、浜松市への合併によって人々が町への引っ越しによって児童が減り廃校になっていく。
そして・・・その学校が取り壊しになっていく。
八丁坂の途中にある、山香小学校が今解体の最中だ。
色々な考えがあっていいと思う。
そんな山の生活の現状を見ながら「夢街道100km」を走ってほしい。
今、時分にできること・・・そんな現状を受け止め今の現実を自分の脳裏に焼き付けておくこと。
ず~っと続けていきます「夢街道」・・・・・今の現実を見て、未来。。。に。
PS
遠山郷は山間部ですが・・・佐久間とは違う未来が見えます。夢・希望が見えます(^^)
夢・希望・そのためには努力も必要。
最初のころは、「浜松縦断 夢街道90km」といい、コースも水窪町から青崩峠を越えて遠山入りしていた。
2011年の夢街道(とっちーの「終わりなき旅」から)
夢街道(前半)
http://blog.goo.ne.jp/maduka/e/38e0361983280ac5e1bfd8e12c974fd7
夢街道(後半)
http://blog.goo.ne.jp/maduka/e/ce88b998e11a91455945b9ca7a3496ee
2011年の最初の開催の前に、この道を走った人も。
それぞれの夢街道
娘三人夢街道90km日記
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/253/
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/269/
菊池さん しんしん夢街道90km日記
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/365/
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/366/
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/367/
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/368/
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/369/
本当は青崩峠を越えた方が、いいに決まっている。
青崩峠は歴史街道、私の母親は水窪の人で何人もの人を信州に送っていった事を話してくれた。
そんな人たちは、ここ青崩峠を越え、峠で振り返って故郷を後にしたのだろうと思うと・・・なんと風情のある峠だろうと感じる。
ところが、2012年から青崩峠は信州側山間部の深層崩壊の恐れによって通行止になったのである。
兵越峠は車の道、ランナーの安全にはこの道しか・・・今はないのである。
★話は、前回から続く。
切開(きいなま)から国道152号線を北上する。
相月バイパスの合流地点から水窪川をはさんで川向うには飯田線が通っている。
その飯田線のトンネルの出口付近の山の斜面が崩れている。
もっと大きく崩れれば水窪川が堰き止められていったかもしれない。
山が人工林の杉林ばかりになり、地盤が弱くなってこんな状態になってきたのだと言う話も聞くが・・・・・そればかりでは無いような気がする。
飯田線の城西駅が見えてくる。
ここは、私が城西小学校に通ったときに利用していた駅舎だ、当時は駅員さんもいて改札口で切符を切っていたのだが・・・・・。
城西小学校には、この城西駅から二㌔くらいかな~。
昔の子供は・・・・よく歩いたものだ。
城西小学校が見えてくる・・・・私の母校だ。
ここも生徒数が少ないそうだ、・・・・いつかが消えていくのだろうか?
城西を抜けると、水窪の町が見えてくる。
城西と水窪は近いけれど、城西は昭和31年9月30日町村合併で佐久間町になる道を選び、水窪町は佐久間ダムで潤っている佐久間にはなびかなかった地域なのだ。
水窪町に入り、最初の信号のある交差点を、町の方に進む。
ここからは、水窪の街並みを散策しながらのんびりと歩いていくのがおススメだ。
昔は、信州街道を歩く人が信州に向かう峠を越える前の宿場町として栄えたのだろう。
水窪の町を抜けると、国道152号線は・・・・じりじりと上り坂になってくる。
西浦(にしうら)に出ると、浜松市最北端の店「はくりや」がある。
ここはCP-5雑貨屋「はくりや」(トマトエイド)だ。
トマトを各自二個ずつ用意してある。
去年から、峠越えが「青崩峠」から「兵越峠」になった。距離も長くなった分、脱水症が心配の種だ・・・ここで水分を買っておかないと遠山郷までは自動販売機もない。
500ml二本は必要だ!!
「はくりや」から西浦の国道152号線はマスマス上り勾配が急になってくる。
西浦の最後の村「池島」、ここに兵越峠と青崩峠の分岐点がある。
ここを、トンネル「草木トンネル」方面に向かう。ここトンネルは当初三遠南信道の高速道路として建設され人は歩くことが出来なかったが、今は新しく「青崩トンネル」の建設が始まり、このトンネルは歩行者も歩くことができるように歩道も整備された。
草木トンネルを抜け、兵越峠を目指しひたすら歩みを進める。
兵越峠は秋に、信州の観光協会と遠州の観光協会とで「峠の綱引」をやるので話題になる事がある場所だ。
兵越峠に来た時には、県境の印に注目である。
この峠から、九十九折の道を信州「遠山郷」に向けひたすら下る。
遠くに神楽の湯がある和田の町がかすかに見え隠れする。
しばらく行くと、「このた」の村に下っている道がある、間違えないように。
この道を下ると、「このた」の村だ、急斜面の村の前には・・・・断崖絶壁の岩がある。
秋の紅葉の季節には素晴らしい景色が見えるので、是非秋に来てほしい村だ。
この村を下りきると、国道152号線に出る。
この国道を和田に神楽の湯に観光協会「アンバマイカ」に向かっていく。
和田のバイパスに曲がると、道の駅「遠山郷」の看板が・・・・100kmのゴールだ。
次回につづく。
去年の夢街道は前日の台風で大変だったのっを覚えている。
6月になり雨が多く降る時があり、サポートの関係で遠山のKさんに電話すると「青崩峠の信州側で、深層崩壊の恐れがあり通行止めです。青崩峠は通らないで下さい」との話を聞く。
「夢街道は止めた方が良い・・・・中止してください」との話もあった。
中止っと言ってもな~。
マラニックを走る人は少々の雨でも集まるョ・・・・・、でもKさんも立場もあるし・・・遠山の人に迷惑を掛けたくないし。
ヒロボーさんとも相談して、第二回「夢街道90km」は青崩峠を超えるのをやめ、兵越峠越えとした。
そしてKさんに「観光協会には迷惑を掛けないように開催します」とメールした。
参加者のみんなに、「今回はサポートの人は着れなくなりました」と連絡した。
大きな台風が接近し私の住む地域も被害が出て飯田線も不通になり、第二回「夢街道」の日を迎えた。
台風一過で雨も止み一人で夢街道の準備をしながら遠山に車を走らせると、水窪のバイパスで携帯電話の着信があった。
遠山のKさんからだった。
「今日の夢街道、サポートやってやるョ」
ありがたかった。
しかし、心配事がまだあった。
飯田線が不通になっていることだ。
JRに問い合わせると、飯田線は水窪駅までしか運転していないそうだ。
遠山で走っていくと電車で帰ろうとしている人は、、、、、帰る事が出来ない。
そんな人は兵越峠を越えない、水窪をゴールにしてもらわないと・・・・と考えて遠山に車を走らせた。
遠山に着き観光協会「アンバマイカ」に入り、JRの話を聞いたら「今日の1時から正常運転に戻りました」との話が合った。
ホ~っとした。
そんな感じで迎えた、第二回「夢街道」浜松駅を21時にスタート、浜松の市街を走りはじめたのだ。
浜松市街は蒸し暑く単調なまっすぐな道路は気分もすぐれなかった。
が、旧天竜市に出て、最後のコンビニ「山東サークルK」を過ぎ、船明ダムの湖畔を走ると、風が涼しく気持ちがいい風が吹いてきた。
横山の街に入り、天竜川に架かる「横山橋」を渡り、コースはこれから山の奥へと入っていく。
横山トンネル、秋葉トンネルを走る。
このトンネル、ほんの10年前にはなかった。
このトンネルが出来て、私の住む佐久間は浜松の市街に行くのにずいぶん楽になった。
しかし、道路が良くなっても、山間部に住む人は少なくなっていく。
とくに・・・・若い子供を育てる世代が町に出ていくために、山間部の学校は廃校になり佐久間町時代に多額の予算で建てられて建物が取り壊されていくのだ。
秋葉トンネルを抜けると、天竜川の龍山村(今は龍山町)にある秋葉ダムが現れる。
国道152号線から右に折れ、その秋葉ダムのCP-3「秋葉ダム公園内トイレ」に行くのだ。
去年だったっけな~、ここのCPを通らないランナーがいた。
折角、ヒロボーさんが書いて下さったコースマップを見ていなかったのだ。
今回はスタート前に、チェックポイントは必ず寄ってチェックしていくことと、連絡しよう。
CP-3「秋葉ダム公園内トイレ」去年の記録を見てみると。
速い人で1時45分、遅い人で3時15分だった。
ここからは車も通らない真っ暗な道だ。
国道の道は狭いトンネルがあり危険ではないかと、呼びかけ人として東岸を走るようにと決めたのだけど・・・・・この真っ暗な道を一人で走るにはかなりの勇気がいるだろう。
3km走ると「峰沢橋」という吊り橋がある。
コースは暗い山道だけど、あまりの暗さに・・・・・この橋を渡り国道を走ったというランナーもいたようだ。
私は、去年は県道を走り。その前は吊り橋を渡り国道を走ったのだ。
景色は国道の方がよかった。
国道行くと、瀬尻の町横の秋葉ダム湖から霧が湧き、遠くに竜頭山が見えた。
その霧が・・・まるで竜が竜頭山に向かって登っているようだった。
「瀬尻橋」の横を通り次の橋が「大輪(おおわ)橋」だ、ここには自動販売機があり観光トイレがある。
ここから走っていくと前の方の山に人家が見える、山の斜面に張り付くようにその村には家が建っている。
ここは「西渡」(にしど)という村だ。
PC-4「西渡バス停」(伊藤エイド)があるところだ。
去年は速いランナーが、伊藤エイドで給水・給食が出来なかったので、今回はしっかり走る前に説明するようにしなければ。
CP表も伊藤さんが持っているそうなので、、そのこともシッカリ伝えなければ。
ここから、コースは国道をはなれ「塩の道」となる。
西渡の斜面部落を上る「八丁坂」がコースになっている。
昔、まだ道路が無いころ、平野部の物資は渡船で運ばれていた。
天竜川を渡船で運んできた物資を水窪や信州の方に運ぶには、西渡の上の方にある街道までその物資を運ぶ道「八丁坂」があったそうだ。
昔の人々は、この道を背負子に塩や魚などを積んで運んでいた道なのだ。
塩の道「八丁坂」
http://yama-machi.beblog.jp/sakumai/2008/05/post-e6a2.html
八丁坂を上りきり「明光寺峠」を超え瀬戸の村を行く、
車が通れる道の終わり、瀬戸の村の家々の軒先を通る塩の道となる。
歩道も終わり道路を下っていくと、先ほど上ってきた村道と合流する。
この村道沿いには、水窪川の東斜面に点在する部落がある。
瀬戸・間庄(ましょう)・立原(たっぱら)・横吹(よこぶき)私の元住んでいたところは横吹だ。
この道を通ると、立原から横吹が見える・・・私の家がかすかに見える。
昔の思い出が甦る。
村道が山から下っていくと、旧国152号線に出る。
この交差点を左折する。
2kmほど行くと、相月バイパスの出口に出る。
ここの集落は切開(きいなま)だ。
ここら辺の村の名前はチョット変わっている村の名前があります。
この夢街道・・・これから何年も続けると・・・・・こんな村もあったんだな~。
そんな風になっていくと思います。。。。。
そう・・・ここは限界集落。
ここから国道152号線。
国道といえど、道路は狭く、歩道もありません。
車に気を付け、遠山を目指しましょう。
次回に つづく。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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