私のホームページ「RUN2homepage」ここに「ブログリンク」のボタンがある。
ここに自分がよく覗いているランナーたちの、ブログのリンクのページを作ってあるのだ。
今日、新しく「平らの個人的ブログ」と「吉野剛の裸足ランニング」のページを張り付けた。
最近、私は裸足ランニングに興味を持ち、時々実践している。
そんな時、先日facebookで「歴史街道丹後100kmマラソン」を裸足で走って完走したと言う女性の話が話題になった。
その女性のブログが「平らの個人的ブログ」なのである。
「吉野剛の裸足ランニング」は、日本ベアフットランニング協会代表理事吉野剛先生のブログだ。
自己紹介にも
世の中に裸足ランニングを広めたい。そんな思いで書いています。
裸足ランニングを通して人間本来持っている走る能力を引き出せればと思っています。
まだまだ裸足ランニングの研究は未知の事が多いですが、大きな可能性を信じて前進あるのみです。
と書いてある。
動画も下のように
私はこの動画を見て、裸足で走ることに興味を持った。
以前、腰痛で走れなくなって・・・・走る事、これから続けるには、、、これだと思ってきた。
今年、参加した「富士山頂往復マラニック」「チャレンジ富士五湖100k」にも裸足やジョウリの人が走っていた。
世の中には色々な人がいる。
自分もその色々な人の中の一人・・・・・・なのだ。
昨日は、浦川小学校でケビンと二人、空手の稽古だった。
今日は、半場のある人の住宅でアユパーティー。同じ年齢の人が集まり・・・・飲み会^^
(この日は、名古屋ハーフの申し込み開始)
26日(木)ケビンと空手の稽古
(毎月佐久間小学校での稽古だったが今月は浦川小学校で稽古をした。稽古日も4日と頑張った。
来月からはまた佐久間小学校にしようと思う、稽古日も月に一回として。。。
そして来年度からは体協から脱退しようかと思っている)
27日(金)がんばらまいか佐久間 地域居住モデル事業検討委員会 毎年行っているソバの花の観賞会についての話し合いだ。
10月13日は「ぐるっと浜名湖一周マラニック」100k
10月20日は「水窪の山を走る」
10月26日(土)は「泰阜とんじろ雲上マラソン」
10月27日(日)は「しまだ大井川マラソン」フル
そんな感じで予定を立てている。
先日、遠山郷のマラニックで先輩のランナーが
「五年先まで計画が立ててある」
と話していた。
目標や夢を決め、それに向けて頑張る・・・・・大切なことだと思う。
今年も行ってきました遠山郷へ。
私は第一回目から参加している。
当時46歳の私は53歳になった。
7年前、ヒロボーさんから遠山郷でマラニックを始めると聞き、私は佐久間から参加した。
初めて木沢木造校舎に顔をだし初めて会う木沢地区の活性化委員の人たちは、よそ者である私たちを快く迎えてくれた。
7年たった今も、同じ活性化委員の人たちがボランティアでランナーの誘導係をしてくれていた。
ありがたいことです。
本当に、ありがたいことです。
今年の
「第7回 チャレンジマラニックin遠山郷」
YouTubeで動画を登録しました。
走る人も、遠山の人も、みんな青春真っ盛り。
そう・・・・青春とは人生のある期間をいうのでなない。
地域活性に情熱を燃やしている人、走る事で自己次元を目指している人。
そんな たくましい意志、豊かな想像力、燃える情熱をもっている人はいくつになっても青春なのだ。
夜中に電話が・・・プルルルル・・・・・。
隣の奥さんからだ。
「近くで散歩をしていた人が、マムシに噛まれたそう。そのマムシは殺していないから・・・まだその辺におるので気を付けて」
マムシは、毒蛇だ。
昔 私がまだ子供のころ、横吹(よこぶき)という山の中の村に住んでいた。
学校帰り、村までの山の道を帰る時、そんなマムシに出会ったことは多々あった。
大人たちはマムシに出会うと、そのマムシを殺した。
殺すことができず逃げられた時には、その場所に目立つように木の棒を目印にと立てた。
マムシは、自分の住んでいる所をあまり移動しない習性があるそうだから、横吹で住む人はそんな事をやっていた。
そんなマムシが、家の近くにいるらしい。
私のジョギングコースだ。
電気を持って、足元をよく確認して走るようにしなければ。
携帯も持って、なんかの時には頼りになる相棒を(^^)
PS
その人は
散歩中、なんか足の甲にチックとした感じがしたので、一緒に歩いていた人に電気で照らしてもらたらマムシがいたそうだ。
マムシに噛まれた時、そんなに痛いとは感じないものなのだろうか。
分からない・・・・・。
今日は13歳年上だった私の兄の17回忌だった。
あれは、16年前の夏、中部のお祭りの時に、家から電話が来て兄が転勤先で吐血して病院に運ばれたとの話が合った。
兄(政彦)の話
兄の横吹(よこぶき)での生活は学校から帰ってくるとランプの掃除、近くの井戸からの水汲みだったそうだ。
世の中は変わった。
今の自分より若くしてこの世を去った、兄。
人生の無常を感じる。
「人が死んだ後に残るものは
集めたものではない。
与えたものである」
ジェラール・シャンデリ
兄から与えられたものは数知れず。
毎年この時期は、母親がお世話になっている、特別養護老人ホーム「さくまの里」での草刈りがある。
案内のハガキには10時からと書いてあったのだが・・・・・・。
それでも、少し早くいってみようかと9時半少し前に行くと、もう作業は始まっていた。
じぇじぇじぇ~。
今回は草刈り機を持ってきた人が多くいて、作業もずいぶんはかどっているみたいだった。
私が行ったときには、土手の草刈りはもう終わろうとしていた。
最後に、施設の正門にある ヤマモモの選定を ゴヒャクメさんがやっていたので、その切った枝の片付け。
この施設ができた当時に移植されたであろうこのヤマモモも綺麗に剪定された。
終わってからは、懇親会があり施設の人と話す機会があった。
それが終わってから、浦川に二次会に行こうとお誘いがあったので、その待ち時間に母親の顔を見に行った。
明日は相月のお寺で、兄の17回忌がある。
最初は健康のためだった走る事。
いつしか、マラソン大会に参加するようになり。
タイムが気になり、自分なりの記録を気にするようになってきた。
それが、ウルトラマラソンを走る人と出会い、フルマラソン以上の距離を走るようになり、タイム(記録)はそんなに気にならなくなった。
ただ、目標に向かい、一歩一歩進むこと、進もうとすること。
今回の「浜松縦断マラニック」浜松駅から佐久間町、次の日に佐久間町から浜松駅。
ゴール後に夕暮れの浜松駅で撮影した写真。
なぜ走るのか。
それは、ゴール後の充実感、おもっきり汗をかいた後に飲むビールの味がたまらなく美味しいから。
それと、走る仲間との出会いが楽しいから。
(*^^)/。・:*:・゚★,。・:*:・゚☆ランラン走~。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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