私の生まれ育ったところは、横吹(よこぶき)だ。
先祖は、相月のお寺(東林寺)に祀られている。
佐久間町でも水窪寄りの、天竜川支流の水窪川沿いにある集落に生まれた。
山の中腹にある私の村は、道路を村の道を造ろうと話し合いがあった。
しかし、それは叶わなかった。
昨日、マラニックで訪れた龍山町は、山の集落でも道路網は整備されていた。
私たち家族は、決心した。
道路が造ることが難しいのならば、ここを出ようと。
そして、今住む半場に越してきた。
地図↓
特別養護老人ホーム(さくまの里)の掲示物から。
さくまの里では、家族会の新年会が午後からあった。
相月のお寺(東林寺)には、午前中に行った。
お墓参り、お寺に新年のあいさつ。
ここの和尚様には、亡くなった父親の四十九日の法要で、先祖様のお話が合ったとこを覚えている。
多くの先祖がいたからこそ・・・・今の自分が存在しているとのお話。
今日も、住職と、その奥様と、昔のこと今のことなど話した。
お寺の待合室にて(画像はクリックすると大きくなります)
最後に、お寺の黒板に書いてあった住職の独り言を書いておく。
今、無常
静かに座って
いい息をしよう。
今日一日
いい汗を流そう。
今ここに
いい出会いをしよう。
住職の独り言。
合掌(ありがとう)
ここ北遠に住んでいて、知らない所が多い龍山町だった。
昔、空手の先生が佐久間に来て空手の稽古をやっていた時に、空手の合宿で龍山の「ふるさと村」というペンションに泊まったことがある。
その朝に走って来た「不動滝」・・・・・感動した。
ここ・・・・・北遠でもいいところがあるではないか。
そう思った。
そんな思いから数年がたち、去年から走る仲間を集って行っている私のマラニック(マラソン&ピクニック)の一つ。
「たつやま凸凹マラニック」
コースは↓
天竜川の東側、西側の斜面に点在する斜面集落を巡るマラニックなのだ。
町から来た人は、どうして、こんな山の上に集落があるのかと疑問に思う人がいる。
それは、山の上の方が日当たりが良いから。自給自足の時代、作物を作るのに都合が良かったからだ。
それに、昔、まだ車社会ではなかった頃、人が行きかう街道は山の中腹にあったから・・・・・・なのだ。
今回、走る仲間に女性の方が4人。
龍山の観光トイレが青谷と寺尾にあり利用させてもらった。
浜松市として、私の住んでいる佐久間町でもよく聞くが、観光トイレの取り壊し。
浜松市の取り組みが分からない、浜松市としてここ山奥の里をどうしたいのか?????
佐久間町時代に作った学校・観光トイレ、利用する人が少ないから使わないから、もったいないと言って取り壊す。
壊すにも予算がかかる、それこそもったいない話ではないかと思うのである(怒)
使わないからでなく、使うようにする(人を呼び寄せる)。
不動滝でもそうだが、観光施設を作っただけでは人は来ない!!
それは、行政も地元住民も考えなければならない。
学校で思うのだが、生徒が少ない地域に子供がおる職員を配置すればいいことではないかと思う。
そう思う・・・・・・。
山香の小学校を取り壊すのに、いったいどの位の予算が掛かったと思うのか?
・・・・・(悲)
今日、走っていて、眼下に広がる雄大な景色を見て。。。そんなことを考えた。
少し、、言い過ぎたかな。
m(_ _;)m ゴメンチャイ!!
仕事から帰ってく途中、佐久間駅伝(山香チーム)の監督に会い、
山香は毎週月・水・金と練習しているから暇の時には顔を出しに来い。
走り終わってからビールを飲むとの話につられ、
昨日、のこのこと行ってみた。
そしたら、誘ってくれた監督がいない?
他の人に聴いたら
「今日は用事が出来、休みだゾ~」
と、言われた(ToT)
折角来たので、みんなの練習に混ぜてもらい走ったが、これがいい練習になった。
一人で走っているのとは大違い。
今までいかにスローペースで走っていたのかがよくわかる。
練習が終わり、何食わぬ顔で、他チームの集まりの中でビールを飲んでいたら、何やら作戦会議が始まった。
前回の優勝チームは違うな~。
・・・・俺・・・スパイ。
イェヾ(´∀`*))((*´∀`)ノイェ
ちゃいます。
山香チームは、町の集会所に集まり個々人が練習した後は、みんなで作戦会議&飲み会だそうだ。
走らない年配者も一緒になって場を盛り上げている(走らない人の方が楽しんでるかも)
今地元で生活している人も、分けあって地元を出た人も、走れる人は集まって飲んでいた。
これも、数年前に佐久間駅伝の規約を改定して、地元在住在勤の部に故郷選手を入れてもいいと言うルールにしたことが幸いしたのかもしれない。
お酒を飲んだので、帰りは家に電話して息子に迎えに来てもらった。
次の日、佐久間から走って山香まで車を取りに行った。
走る事が趣味なので、こんなことができるのだ(^^)/
佐久間町が私たちが住む北遠が浜松市になり、、、、数年がたった。
合併の時に「新浜松市誕生記念マラニック」だったけな~。
数人の人が国道152号線をリックを背負って走ってた。
それも見て、私もと思い「ほくえん旅ラン」を立ち上げ、自分の住む北遠でマラニックを勝手にやるようになったのだ。
その中の一つが〝たつやま凸凹マラニック〟
コースは
龍山やすらぎの湯→峰之澤橋→青谷→不動滝→寺尾→瀬尻橋→上平山→下平山(農村学校)→龍山やすらぎの湯
(約38㎞)
このコースは、龍山やすらぎの湯の駐車場近くに植えてある「荘川桜」前がスタートだ。
始め天竜川沿いの県道を北上し峰之澤橋を渡り国道152号線を少し北に走ると山に上る道路がある、ここを行くと「青谷」という斜面集落があるのだ。
そこから山の斜面を北に行くと「不動滝」がある、このマラニックの見どころだ、去年は滝がすべて凍り付いていて幻想的な風景だった。
次は、ここ瀬尻で一番高いところにある斜面集落だ「寺尾」ここでは、毎年6月に凧揚げをやるそうだ↓
http://www.hamamatsu-inaka.com/event-sejiribukadakoage.html
私も、ここより上流、水窪川の南側の斜面集落(横吹)に住んでいた。
親に「お前の小さいころも凧を揚げた」と言われたのを覚えている。
ここの集落を下っていくと国道152号線、そこの瀬尻橋を渡り、県道を北上、5㎞位行くと上平山の上る道路がある。
上平山は「青谷」や「寺尾」と違って比較的平だ、そこを南に向けて走ると「下平山」へ。
ここの下平山小学校跡地が今「農村学校」となっている。
ここ「下平山」から林道沿い(ダート)を、走り「龍山やすらぎの湯」に帰るコースだ。
コース図は↓
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=af7b0a12041373f5d3317dd5a6a4a05e
最大標高差(394m)
下の図を見てほしい。
「たつやま凸凹マラニック」との名前は、この図を見て決めたのだ。
マラニックとはマラソン&ピクニック
ピクニック気分で走ったり歩いたりしながら一日遊ぶ・・・そんな感じなのだ。
いろいろ考えたのだが・・・・自分の担当のところは、この様にした。
1月26日第41回佐久間駅伝が行われた。
NPOとしては後方支援ということでいろいろおてつだいをさせていただきました。
今回、予算が足りなかったのか豚汁のサービスは中止になり、毎年この豚汁を楽しみにしていたのにとの声も聞こえました。
1位 | 山香B50代 |
2位 | 佐久間高校教員 |
3位 | 川上鶴ヶ会 |
4位 | 山香Aヤング |
5位 | ハッチ&花の舞 |
6位 | 佐久間病院 |
7位 | さくまの里 |
8位 | JPハイテック電気 |
9位 | JPハイテック土建α |
(町内在住在勤の部順位を予想してみた) |
みんなの記事が集まって、一つの広報誌が完成する。
みんな、地元のためにと頑張っているのだ。p(*^-^*)q ガンバル♪
月曜日「さくまっぷ」の時に、NPOの女性活動委員会の人がいたので、聞いてみた。
「今年の佐久間駅伝、トン汁がないそうだね~」
「それがよ~。今年はトン汁の話がないので、こっちの方から協働センターに聞いてみただがよ~。今年は予算がないので止めにしたそうだわいね」
私は体協の方も顔を出しているので、だいぶ予算をカットされているのは知っていた。
また、その女性活動委員会の人は、こうも言っていた。
「駅伝の時のトン汁も、毎年走る人が喜んでくれるので、女性活動委員会で何か出そうか? との話にもなったんだいね~」
「でも、協働センターでは止めにしているのを、こっちで勝手にやるのもよくないということで・・・止めることになったんだいね~」
とも言っていた。
今日、また違う女性活動委員の人と話す機会があったのでまたまた聞いてみた。
やはり同じように答えていた。
がんばらまいかのトン汁担当のスタッフとして、何とかならないかと考えたのだが何とかならなかった。
トン汁のサービスは、今年は出来なくなったそうだ。
たかがトン汁だが、それに携わる人は一生懸命にやっているのだ。
また、協働センターの担当の人も限られた予算の中、苦渋の選択でのトン汁をカットしたのだと思う。
しかし、体協の会議でも言っていた、来年になればさらに予算は削られる・・・・と。
佐久間駅伝、いったい何のために行っているのか?
伝統を守るため?
先人たちが、三村一町が合併してでき佐久間町を北から南まで走り町をまとめようとした。
今、その佐久間町は浜松市に合併し、その佐久間駅伝の存続が危ぶまれている。
予算がないのなら、その予算の中で行える新しいイベントを考えるべきだ。
何時までも、昔の様な地域ではないのだから。
佐久間町は山の中の小さな町です。
去年の暮れから、何かの縁で、私は佐久間病院の人たちが行っている「さくまっぷ」作り。そんなのに参加している。
12月7日に佐久間地区を散策、12月23日に半場地区を歩いてきた。
昨日、平成26年1月13日は中部地区を歩いたのだ。
写真はクリックすると大きくなります。
中部のお寺(宥泉寺)永代供養のお墓。
私が住む地区(半場地区10班)での私が班長をやっているときに、一人の老人がいた。
年齢は、94歳、妻に先立たれ一人きりの生活だった。
やがてその老人は地区の民生委員の紹介で佐久間の里(特別養護老人ホーム)に入所し、そこで亡くなった。
身寄りがないので、その民生委員がすべてをお世話した。
私も、お寺(宥泉寺)に行き手を合わせた。
その時、御仏前の話をしたら、
民生委員の人が、
「生前に永代供養として、お寺に納めてある」と言っていた。
今回の、さくまっぷ(中部編)
お寺や、神社、を巡り、手を合わせる日本人の習慣を甦させる中部地区の散策だった。
私の田舎でもそうだったが、村の色々なところに神様がいて、年末になると子供たちは村の神々に御供え物を配るのに大変だった。
それでもそれが、当たり前の時代だった。
私の田舎は「塩の道」の街道沿いにあったこともあり、名も知らない人の亡骸を弔った墓もあったという。
そんなところに、わけもわからず手を合わせて帰ってきた記憶がある。
忘れかけた昔の記憶。
が、なぜか甦った。
そんなことを思い巡らせる。
今は、時代が変わった・・・と言ったも・・・忘れてはならないものがある。
きっとある。
田舎だからこそ、忘れてはならないこと。
・・・・・・・・今、生きていることは・・・・・ただ偶然のことではないのだ。
意味があって、今の時代を生きているのだ。
今日の酒はやけに旨かった。
ジャンジャン^^;
今年で第6回目になるこの大会。
去年、100人の人が集まり、たくさんの人が来たな~と思っていたのだが、今年はその倍の人数のランナーが集まった。
(名簿上では213名)
出発地点の「岩屋緑地公園」で集合写真。
スタート前に、アカネちゃんとサダさんの持つ横断幕のところで記念写真。
この横断幕、ヒロボーさんの手作り、デザイナーだけあってセンスがいい。
サトシさん、うっちゃん、ヒロコさん。
みんな楽しそう。
私は第一集団。
9時30分にスタート。
走り始めて、、、なんだ~。
いつもと雰囲気がだいぶ違う。
ペースが速い。
まっ・・・・最初の信号機を通り越すまで頑張ろう。
二川の町沿いの国道を数キロ走り、湖西連峰のトレイルに入っていく。
後は、何も言いません。
私が走りながら、途中休憩しながら撮った第6回湖西連峰トレイルランの写真です。
13時34分無事にゴール。
一緒に帰ってきた、てっちゃんと記念写真。
この大会は各自にチェックポイント表を持っていて、自分で書くのがルール。
今回の私のCP表
スタート | 岩屋緑地公園 | 0km | 9:30 |
CP-1 | NHK中継所建物 | 4.97㎞ | 10:15 |
CP-2 | 神石山 | 6.48km | 10:34 |
CP-3 | 多米峠第1 | 8.86km | 11:01 |
CP-4 | 赤石分岐 | 12.77km | 11:46 |
CP-5 | 廃寺跡(往路) | 13.97km | 11:59 |
CP-6 | 本坂峠第2 | 16.72km | 12:31 |
CP-7 | 廃寺跡(復路) | 19.40km | 13:11 |
ゴール | 石巻神社 | 22.42km | 13:34 |
走行時間 | 4時間4分 |
ゴール後、石巻山の山頂に登って・・・ここでも記念写真。
ともぞうさんと私、てっちゃん。
ともぞうさん曰く
「ここが湖西連峰トレイルランの本当のゴール地点!!」
そうだな~。
ここからだと、今日 走ったコースが一望できる。
あの山を越え、あの鉄塔の下を走ってきたのだ。
自分の足での走りは、時間がかかるかもしれない。
それでも、一歩一歩走ってきたのだ。
ここにきて、そんなことを振り返るにはとってもいいところだ。
また、私は思う。
豊橋市の街並みを見てから振り返ると、自分の住むところはあの山の向こうだと。
しかし、自分の住んでいるところ帰るところ。
さ~て、会場である「石山荘」に行き、風呂に入って走った仲間での懇親会だ。
お風呂に入っていると隣の人は小笠山の○目さん、
「私74歳だが、あの人は80歳・・・まだまだ頑張らなければ」
と言っていた。
知立から来た○川さんは、79歳、あと3カ月で80歳だそうだ。
裸で語る男同士の話しは心を打つ。
着替えをして、懇親会。
前の席の人(^^)
kazukawaさん、のぶさん、みのりさん。
懇親会はというと↓
女性のランナー大集合。
最後に残った人たちだけで集合写真。
ありがとうございました。
老若男女が楽しく走って一日を遊ぶ。
そんな大会だ
「湖西連峰トレイルラン」は。
去年から今年にかけて読んだ本「永遠の0」
私はこの本で、太平洋戦争のこと零戦「特攻隊」のこともそうだが、それよりも、そのことを知るようになって変わっていく現代を生きる若者姉弟の生き方が変わっていく様子に感動した。
姉ははじめ仕事の関係で知り会ったジャーナリスト高山に心を惹かれていた、
高山は「特攻はテロリストと同じ行為」だと言っていた。
その姉もまた、同じように思っていたのだが、
特攻とは、特攻の真実、祖父の生き方を知るにつれて考え方が変わってくる。
そして、若いときに好きだった、今は田舎で町工場をやっている藤木さんの元に行くことに行くことに決めた。
「大好きな人と結婚しないと、おじいしゃんに怒られちゃうわ」
との言葉が最後にあった。
そんな本「永遠の0」なので、ふつうに簡単に映画を観に行くのは嫌だったので、佐久間から浜北サンストまで自分の足で走って観に行くようにしたのだ。
原作を読み、映画を観て、これからの自分の生き方を考えていきたい・・・・・そのような思いがあるのだ。
映画の方は、ゼロ戦、空母、実にリアルによくできた映像だった。
日本人もアメリカ人も多くの犠牲を出した太平洋戦争、60年前に現実に起こった真実の出来事。
「特攻はテロリストと同じ行為」との話は、合コンで現代の若者が話す設定になっていた。
新聞記者の高山の話はなくなっていた。
多くの人に観てもらい、今の日本、これからの自分の住む国のことについて少しでも考えてほしいと思った映画であった。
「幸せになる一番の方法は「今」を幸せに思うこと」
走ることが自分の趣味と言える、今の世の中は平和な世の中。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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