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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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総コレステロール値で注意を受けた。

今回
250
前回
190
前々回
266

今回と前々回が、高いと言っていた。

11月に再検査、

酒をビールから焼酎に変えてtryだ。

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昨日は我が町佐久間へ、
植田芳樹&TOMOKOがやって来た。

数か月前から、チケットをゲットし、その日を待ち望んでいたら、
な・なななんと台風が接近しているではないか、このような日に開催できるのであろうか・・・・・心配をしていたが、
幕は上がった。
ベンチャーズギターリストのTOMOKOが佐久間町の民話の郷会館のステージに立っていた。

ピンクのギターを持って、浜松ベンチャーズをバックにベンチャーズメロディーをカッコよく弾いていた。

彼女は北海道出身で、かずかずの出会いがあり、上京しこのステージに立っているそうだ。
ノーキー・エドワーズとの出会い、そして今がある。

地下鉄の電車のドアーが空いたとき、乗ろうか乗るのを辞めようか迷っている暇はない。
そんな語りが印象的だった。

ベンチャーズはそんなには知らない私なのだが最後の「パイプライン」「ダイヤモンド・ヘッド」は聴いたことがある。
エレキの音も凄いのだが、民話の郷会館の音響の良さにも驚いた。
この様な、立派な施設、ただ眠らせておくには勿体ない、と本当に思った。

次は、
ザ・ワイルドワンズの植田芳樹さんの登場だ。

昔懐かしい曲が流れ、若き日の思い出が甦った。

流石、芸歴が長いだけあって話し方も客席のみんなを相手に巻き込んでの口調だった。
途中、前列の子供の相手をしたり会場中が笑いの渦となった。
まるで寄席に来ているみたい、いや、LIVEと漫談の二度おいしい会場だった。

古い曲ばかりで、子供には退屈と、、、。
アナと雪の女王「Letitgo」を三回もやってくれたのには子供も楽しんでくれたのではないだろうか?

LIVEももうそろそろ最後かなと思っているときに、こーちゃんの不審な手・・・。
舞台の袖にストップのような手。

もしかしたら・・・・さくまる???

と思っていたら。
次の曲がスパイダーズの「バンバンバン」
出てきた、、、さくまるくん。
登場。。。。

詳しくは↓の頁で。
https://www.facebook.com/mitsuo.murase.73?fref=photo

LIVEはあまり興味がなかった私だが、何かの縁で、このLIVEの事を知り。
自分の分のチケットを佐久間観光協会から購入した。
それから、家内の分、長男のを購入した。

主催する人から、このようなLIVEを計画しているのだが、
浜松市文化サポート事業として行っているLIVE、佐久間や奥の人、過疎地域の人に知ってもらいたい、もっと多く来てもらいたいとの話を聞き、
私なりにFBで宣伝してみた。
何人かの温かいコメントを受け、ここ来るはずだった人も、、、あいにくの台風。
残念な人もいた。

色々あったけれど。

なんとか無事に終わった.

ありがとう。
植田芳樹&TOMOKO
感謝です~

PS
TOMOKOの今後の目標は、世界に向けた女性ギターリストだそうだ。。。。
その前に、日本で、そう紅白歌合戦に出るのが目標だそうだ。
夢は・・・きっと叶う。

私の目標は、
さくら道を走ること。
名古屋から金沢までの桜の道を行くこと。
荘川桜に会いに行くことが目標です。
byしんしん

 

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静岡県の浜松市、
そこは政令指定都市になり大きな、日本で二番目に大きな市になった。

その
浜松市の北側にある地域を”ほくえん”という。
 南側のところは遠州、北側は北遠

この時は、北遠の佐久間町中部(なかべ)のお祭りの日、そのお祭りで奉納される花火「地割れ花火」を見に行こうと、始まったマラニック
遠鉄電車の西鹿島駅から佐久間町中部までの約42㎞をマラニックするのだ。

 

6人のランナーが集まってくれた。
(6人のうち4人は夜用事があるようで途中までのラン)
有難いことです。

朝9時
6人のランナーがユックリほくえんに向かって出発した。


鹿島橋を渡り、天竜高校の前を走り、山東のファミリーマートで休憩。

船明ダムの運動公園で女性のランナーとお別れ、
彼女はダムの堰堤を渡り走って自宅に帰って行くそう。

船明ダム湖畔を走り、今回は月の方に走って行く。

船明漕艇場では大会の真っ最中、若いエネルギーがみなぎっていた。

竜川に着き、
トンネルを二つ越えると龍山だ。
秋葉ダムをバックに写真。


そこにある、龍山のオバちゃんたち(ドラゴンママ)がやっている店。
「よらんかね」でお昼。

 

暑いこの時に私は熱いうどんを注文。

ビールを頼んだが、置いてなかった。
残念!!

この後、東海自然歩道のルートになっている吊り橋を渡り。

秋葉ダムへ。
1時30分くらいだっただろうか?

ここで、イケちゃんは浜松へ帰って行く。

ここからは、秋葉ダム桜マラソンのコース沿い。
秋葉ダム湖畔沿い走る。

池ノ谷さん夫妻は、途中から遅れてきたので電話で連絡、
後からユックリ行くので、との話だった。

ここからは、よっぴーさんと二人旅。

大輪にて少し休憩、雨が降ってきたので、リックにレインカバーを掛ける。

西渡(にしど)の林商店のベンチに座る。
ここからは残り7㎞位だ。
あと少し。雨も降る。風も強くなる。
花火が心配。

豆こんぼしトンネルを越えたところで、浜松市の同報無線が聞こえる。
「こちらは広報浜松です♪」
「台風の接近で非難場所の・・・・・」

国道を旧佐久間町学校の方に曲がり、すぐのコープでビールとツマミを買い、
レジの人に
「中部の花火は?」
と聞いたら。
「中止になりましたよ」
えWWWWW。

レジで走っているよっぴーさんをみつけ、
店から出て、よっぴーさんを、
前を行く、よっぴーさんを追いかけ、事情を話す。
よっぴーさんも
え・・・・・WWWW。

しょうがないので、中部天竜の駅で帰ろうと決意。

中部天竜の駅で一時間待ちの電車で帰ろうと着替えをする前に、
私は、今日の中部の花火を上げる、山下さんに電話した。
「今日は中止だって?」
「え・・・やるよ。あとはスイッチを押すだけ」

どこでどう、中止の話になったのだろうか?

とりあえず、中部の佐久間観光協会の会所に向かった。
さくまるくんビールはまだあった。

やった~~。

雨の中、地割れ花火も開催された。

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富士山頂での、お迎え隊にお礼を言って、
よいよ下山だ。

この時間なら、ゴールは見えている、が何が起こるかわからない。
頂上浅間大社奥の院に別れを告げ、いざ下山。
今回は御殿場口登山道、宝永山周りで下山することにした。

やはり、富士宮口登山道より空いていて走りやすい、眼下に素晴らしい眺望だ。


途中「わらじ館」で写真

地下足袋での登山は足の裏が痛い!!
しかし、砂走りでは靴の中に砂が入らないのでGOO!!

御殿場口登山道から宝永山への分岐を間違えない様に、

ここからは宝永山、二年前走った時より多くの宝永山に行く人が居た。

六合目の「雲海荘」でカップヌードル(500円也)を買って朝飯。

五合目まで歩みを進めていると、後ろから名倉さんの声。
彼は富士宮口登山道から下山してきたのに、大分混んでいたのだろうか?

第7チェックポイント(富士山新五合目)
9:50
履いていた地下足袋をシューズに変えて道路を走って下って行く。
名倉さんは快調に走って行くのだが、私は着いていくことができない、自分のペースでユックリ進む。

一人で着いた、
第8チェックポイント(標高2000㍍)
10:30
第9チェックポイント(料金所)
11:30

西臼塚駐車場で命のエイドがあった。
有難いことです。

第10チェックポイント(標高1000㍍)
1:20
ただただ単調な道を走ってきた。

第10チェックポイント(浅間大社)
3:18
地元の人だろうか、アイスや水、梅干を差し入れてくれる人が居た。

ここからは田子の浦港のゴールまでは15㎞。

今回の「富士山頂往復マラニック」は多数参加のため色々な人の出会いがあり楽しめた、最後の道も迷うことなくゴールへと向かうことができた。

最後の田子の浦港へ向かう直線で、知り合いの方が乗合で家路に帰って行く人が居た。

田子の浦みなと公園の手前でビール好きなランナー永○さんの奥さんが居た。
車の助手席で本人は缶ビールを片手に持っていた^^;

公園内には着替えを済ました俊足ランナーの人たちが居た。

多くのサポートの人に迎えて2014年私の「富士山頂往復マラニック」のゴールとなった。

ゴール(田子の浦港白灯台)
5:44

スタート6時10分→ゴール5時44分
総合時間
23時間34分

ありがとうございました。
感謝!!

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 日本一の富士山を、海抜0メートルから山頂 3776メートルまで、24時間以内に往復する
まさに、標高差日本一の大会に挑戦してみませんか。

こんな案内に魅せられて今年で三回目になる。

受付を済まし、このマラニックを走るための装備のチェック。
夜走があるため、自分(ランナー)の存在を車に知れせるために蛍光板やライトなどの準備をしているかボランティアが参加者を点検するのだ。
自分は今回、工事作業用に売っていたタスキ型の反射帯を加工してベルト状にした物を用意した。

スタート30分前、好例の唱歌「富士山」を参加者とスタッフみんなで歌う。
伴奏は勿論、呼びかけ人である萩田さん。
今回はもう一人のオカリナ奏者も来ていた。

スタート前の緊張が一気に和むのであった。

スタート地点に移動、チョット前まで雲で見えなかった富士山も顔を出してきた。

今回の参加者は300人以上、スタートもゼッケン番号50番刻みでウエーブスタートになった。
私は127番。18時10分のスタート。

走り始め、暫くは富士山を眺めながらの走りになる。
嗚呼富士山、あの頂に、今回も行くことができるだろうか。

第一チェックポイント
浅間大社(8:04)
ここはお祭りの真っ最中。

ここでランナーは、今回の富士登山の安全を祈願し、長い過酷な富士登山が始まるのである。

第二チェックポイント
標高1000㍍(10:45)
もうこの辺では早足での歩きになる。
第三チェックポイント
料金所(12:28)
辺りは真っ暗闇、仲間を探し話しながら歩く歩く。
第四チェックポイント
標高2000㍍(2:25)
第五チェックポイント
富士山新五合目(3:32)

ここから私は持ってきた地下足袋に履き替え登山道へと入って行った。








 富士山頂の剣ヶ峰には7時35分
田子の浦の砂をそこにこぼす。
そして証拠の記念写真。
 

富士山頂お迎え隊の皆さん、ありがとうございました。
これからの下山もガンバリマス。

富士山頂往復マラニック(下山)篇につづく。

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図書館で借りたこの本は、多くの方の手に渡ったであろうか、大分傷んでいるところもあった。


この本は、第二次世界大戦の時に、大空のサムライ撃墜王と言われた人、坂井三郎氏の話しだ。

幼き頃、父を早くに亡くし、母親から信念の多くを学び、数々の激戦を生き抜いてきた男の話だった。

最後に、後書きにあった、この本の一部分を抜粋します。

「人は誰でも可能性を持ち、またそれに挑戦する権利を確保し、貧富老幼の差なく誰でも同じ持ち時間を与えられています。それを活用するかしないかは、人それぞれの自由ですが、限られた時間の中で可能性に挑戦し、己の生命を完全燃焼させて、悔いなき生涯を全うするためには、常に自分自身との約束を持ち、その約束事を、一つ一つ確実に果たしていくように心掛けるべきでありましょう。」

戦争という人間の愚かな不幸な体験をした氏だからこそ、人一倍に平和な世の中を愛する心を持っている。

戦争を知らない今を生きる私たちは、このような事があった事実を知り、二度と戦争のない世の中になるよう一人一人が考える様にしなければならない、
と、思った。

それと、今の自分の活かされているこの現実の中で、己の生命を完全燃焼させるべく、努力をしなければ・・・・と心新たに思うようになった。

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毎日暑い日が続き、、、、うんざり。

仕事から帰ってきて、今日は走るの・・・どうしようかと思いながらの帰宅。

ポストを見たら。

走友の高○さんからの
暑中見舞いのハガキがあった。

高○さんは、
2008年の夏、私が初めて「富士登山競争」に参加した時、
山頂コースで、八合目を過ぎ、もがいている時に、
自分は諦めかけていた時に。
後ろから来て
「まだ間に合うゾ!!」
と、励ましてくれた走友だ。

あれから6年。

高○さんは、まだ挑戦し続けている。

「富士登山競争」は
2008年に完走でき。
2009年には8合目で関門に引っ掛かり。
2010年は、悪天候で五合目までで打ち切りになった。
私は、この年で富士登山競争は行かなくなる。
my記録
http://run2.ina-ka.com/kiroku.htm

次の年、静岡県側で萩田さんが開催している
「富士山往復マラニック」
を走ろうと心に決めた。
2011年は参加申し込みをしたのだが、なんと半場のお祭りが終わってから喉の調子が悪くなり、タンが出て微熱が続き、、、肺炎になってしまった^^;
2012年は第10回記念大会ということだったのに、、、ゴールである田子の浦港に着いたのは、制限時間の24時間を過ぎた時だった、皆が撤収した一人ぼっちのゴールだった。
2013年は、ぎりぎりセーフ、17時51分のゴールだった。
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1%E9%A0%82%E5%BE%80%E5%BE%A9%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF/%E7%AC%AC%EF%BC%91%EF%BC%91%E5%9B%9E%E3%80%80%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1%E9%A0%82%E5%BE%80%E5%BE%A9%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF

もう一つの「暑中お見舞いは」このマラニックの呼びかけ人である萩田さんからだ。


また、もう一つの暑中お見舞い。
それは、私が初めてフルマラソンを挑戦した
「磐田大藤マラソン」1991年、4:51:04でゴール
この時、最後を一緒に走った人、一緒にゴールした人からの暑中お見舞いだ。
当時、会社を定年になり記念に走ったと言っていた。
今は83歳になるのか、、元気してるだろうか?

色々な走る友達に励まされ、今、自分は走っている走る続けようとしている。
多くの走友に・・・感謝!!

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 南京・真珠湾から終戦まで戦い抜いた最後の生き証人
原田 要

滞空時間8000時間、日本が世界に誇った「零戦」を
駆って戦い交戦国から畏れられた歴代のパイロット
南京攻略、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、
ガダルカナル島争奪、幾多の戦場をくぐり抜けた
著者のみが語り得る本当の戦争論!
国の誇りを守った男たちの記録
 

著者は戦後、自ら戦争の話をすることはなかったそうだ、
だが、1991年に起こった「湾岸戦争」をテレビで見ている若者が「花火のようで綺麗」「まるでテレビゲーム見たい」
そんな言葉を目の当たりにし「これはいけない!」と思ったそうだ。
また、戦争に行っただけで最前線の酷いところを知らない人たちが、口先だけの反戦を唱え、誤った戦争観を伝えていることにも違和感を覚えたそうだ。

お互いに何の恨みもない者同士が殺し合う、殺さなくては自分が殺されてしまう戦争というものを私は恨みます。戦争が金輪際なくなってほしいと切に願っています。

戦後、日本は豊かになる一方で、心は貧しくなり、人々は平和の有難さを忘れてしまいました。この平和は、ただ何もしないで転がり込んで来たものではありません。
日本のために戦った兵士たちと戦争とは関わりがない筈の女性や子供などの一般の人たちを合わせた三百万人以上ともいわれる人の犠牲の上に成り立っているのです。
とも書いて、この話は始まっていた。

戦争で戦い、敗戦で戻って来た時に、温かく迎えてくれた故郷への恩返ししようとしました。
地域のお宮さんを大切にし、村の公会堂に遊具を作ったりもした。
この故郷から、思いを伸ばし、日本も良い国になるのだと、大きな夢を見る。

今回、この本を読み、私も思った。
故郷を大切にしようと。

この平和の世の中に暮らしていれるのは、先人たちの思いがあったからなのだ。
いつか私も年を取り、走ることなどできなくなる時が来る。
そんな時に笑って入れるよう。
今は、自分のできる限りの挑戦を楽しもう。
ジャン・ジャン。
byしんしん

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毎年、7月の最後の土日に行われる、私が住む地域のお祭り。
半場のお祭り

二週間前から、祭りのお囃子、神楽の練習をしこの日を迎える。

浜松市の北遠地域、私が住む佐久間地区は夏祭りだ、熱い暑い・・・神楽での舞いも汗だくである。


何かの縁で、今地域に暮す。
そして、ここのお祭りに参加する。
大切な事。

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今日は浦川の街歩き(さくまっぷ)だった。

講師は
町区 伊東明書先生。

佐久間町でも、北の方、城西地区で産まれ、29歳で佐久間地区に越してきた私は浦川地区は、知らない所が多い。
 
浦川公民館に集合


一行は五社神社へ

山頂から浦川の街を眺める。



先生の達者な足取りに、着いていくのが大変だった、

今回のさくまっぷ浦川編だった。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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