9月2日から「ゆるキャラグランプリ」の投票が始まった。
私が暮らす佐久間町では地元観光協会の「さくまるくん」が参加している。
投票が始まった時には、「ゆるキャラグランプリ」のオフィシャルフェイブサイトにつないで"ポチ"していたが、
10日もたつと、だんだん億劫になってきた。
フルマラソンを走っているときに例えると、前半ペースに乗ってきたころだろうか。
マラソンの場合、このころにエイドが現れ、焦る気持ちを抑え給水をしてペースを維持して前に進む。
ボランティアの声援に励まされ長い道のりに挑んでいくのだ。
「ゆるキャラグランプリ」の場合、ただ1日一回、「ゆるキャラグランプリ」のオフィシャルフェイブサイトにつないで"ポチ"
誰もが与えられている1日24時間ある中で、ほんの数秒をその時間に使う。
でも、そんな気持ちを抑えて、
10月20まで頑張ろう。
自分なりに、やることをやって行けば・・・きっと気持ちは晴々とするだろう。
「ゆるキャラグランプリ」と「マラソン」
どちらも、自分がやろうと決めたこと、誰に勧められたわけではない。
今年もこの日が・・・来る。
この大会は、私は第一回目から参加している。
八年前、水窪で行われた「北遠駅伝」の待合室でヒロボーから、
「遠山郷という所でマラニックが開催される」
そんな話を聞いたのだ。
遠山と言えば、水窪の奥。。。。
ココも山奥だが、、、もっともっと山奥のところである。
そんな山奥の里で行われた第一回「チャレンジマラニックin遠山郷」は、
神奈川県の釣りが大好きな人が、遠山郷に渓流釣りにやってきて、遠山郷の人にふれあって、ここで何か・・・・・。
そんなことを考えているとき、、、。
神奈川県で友達がマラニックをやっている人が居て、
その人も、街でのマラニックに疑問を感じていた。
そう、
「チャレンジマラニックin遠山郷」
は、釣り人「とどさん」と
マラニックの企画者、白のBMWを乗っていた人が、始めたマラニックだ。
いろいろあった、いろいろ変わった、それでも遠山の郷は魅力を感じる。
今年も行こう。
遠山の郷へ。
最初の頃の、参加賞のシャツに、
飯田市出身の作家「椋鳩十」の詩がプリントしてあった。
遠山郷は人の心が美しい里である。
ホントその通りの郷を実感している。
PS
私の勝手にマラニックで、10月に遠山に行きます。
遠山郷、山奥、そんな所に魅力を感じるのです。
朝起きて、ゆるキャラグランプリのHPに入り、さくまるくんに”ポチ”する。
私が「ゆるキャラグランプリ」のことを知ったのは、去年の今頃。
地元佐久間町でも「さくまるくん」がゆるキャラグランプリに出ていることを知ったからだ。
佐久間町の隣町、東栄町では「オニスター」で参加している。
去年の九月初め、初めて「ゆるキャラグランプリ」のHPを見て、投票結果が「さくまるくん」が数百票に対して「オニスター」が数票しか入っていなかったのを覚えている。
私は、人生で初めて「ゆるキャラグランプリ」に投票したのが、その「オニスター」だった。
佐久間町の裏切者(^^;
今年の夏、佐久間町が浜松市に合併した時から始まった、昭和50年佐久間中学校を卒業した人の同窓会が浜松市のホテルコンコルドであった。
45歳から始まり5年ごとに開催しようと話し合い、50歳の同窓会までを佐久間町浦川の「清流荘」で行ったのだが、地元の同級生が町場でやりたいとの意見が多く、55歳の同窓会は浜松市内での開催となった。
自分としては、5年に一回ぐらいは地元に同級生が集まって楽しくやりたいと思っていたけれど、皆さんの意見には反対できなかった。
そこで、今回の浜松市内での同窓会には、私は佐久間から「さくまるくん」と一緒に参加した。
9月に入り「ゆるキャラグランプリ」が始まり、私の朝の日課は、その「さくまるくん」に”ポチ”!!から始まるようになってきた。
そして、スマホに入っている同級生にも応援をメールで依頼した。
返信があった人だけでメーリングリストを作り、毎朝自分が”ポチ”したら送るようにした。
佐久間町でも朝の散歩をしている人は数人いる、何時もなら挨拶だけ交わして終わりなのだが、今日からは会う人に投票を啓発してみた。
同じ山間部の町、隣の東栄町では今年も「オニスター」が出ている。
私は勝手にライバルだと思っている。
9月9日現在
「さくまるくん」495位 454pt
「オニスター」 200位1741pt
今年は、こらからどのようになるのだろうか?
自分なりにやれることをやっていこうと思っている。
byしんしん
2007年、佐久間町が浜松市に合併するとの話が進み、これから自分が暮らしている佐久間町はどうなるのだろうか????
そんな時に、ウルトラマラソンを走る人と出会い。
フルマラソン以上を走ることを知った自分は、大きくなった浜松市を自分の足で体験してみようと、街の中心地(浜松駅南口)から自分が暮らす佐久間町まで走ってみた。
それが、「浜松縦断マラニック」の始まりなのだ。
今年は8名の走る仲間が参加してくれた。
メンバー紹介
しんしん(往復)玄明(往復)よっぴー(復路)チップ(往復)いちご大福(往復)いけちゃん(往復)くにさん(往復)ひでとし(復路)
集合場所は浜松駅南口
スタート時間は朝の7時。
自前のゼッケンを配った。
初参加の人にはコースマップを配てから簡単なコース説明をした。
初対面の人が居るので自己紹介もやった。
そして、萩田さんから頂いた横断幕を広げて記念撮影。
自転車を輪行バックから出している人に頼み込み撮影してもらった。
9年前、自分が一人で走ったように、浜松駅南口からコンコースを抜けて北口に行き、左折をしてザザシティの方にユックリ走って行った。
多くのが集まる都会の雑踏の中をかき分け、ランナー8名はゴールである佐久間町を目指して走り出した。
ザザまで行くと国道152号線にぶっつかる、ここからはこの国道を北上するのだ。
浜北の遠鉄電車の高架まで約16㎞
ただただ真っすぐの道だ。
歩道があっていいのだが、この歩道の作り。
車優先の作りになっている。
国道から道路わきの建物に入るには車が入りやすいように傾斜が付けてある。
この傾斜、歩く人・走る人・車椅子の方には厄介ではないだろうか?
とてもバリアフリーとは言い難い。
浜北の遠鉄電車の高架まで来たら、左折をして西鹿島方面へ。
ここからは歩道も無いところあり。
バリアフリーとは言い難い歩道でもやっぱり歩道があった方が安全だ。
第二東名の下を抜け、天浜線の下を走り、鹿島橋を渡り、鳥羽山公園下の歩行者専用のトンネルを抜けた。
二俣の町のクローバー通りを走った。
ここの商店街もだいぶ淋しくなっている。
船明ダムで、天竜市の走る仲間がエイドの用意をして待っていくれた。
コーラが美味しかったな~。
道の駅「花桃の里」でちょうど半分、足は豆ができて大変な状態。
横山トンネル・秋葉トンネルを抜け、秋葉ダム手前の「ドラゴンママ」で昼ご飯を食べようとしたら・・・・閉店!!!
残念!!
ところが、ダムの下の町の「三角屋」がやっていた。
よかった。
秋葉ダムで、走る仲間、○木○○子さんが自転車に乗って来た。
ドラゴンママで買ったメロンパンを頂いた。
秋葉ダムからは県道を走る。
この前、崩れた国道が見える。
西渡(にしど)に着いた、
「夢街道」の時には、ここから八丁坂を登り、水窪方面に行く。
「浜松縦断マラニック」との時には佐久間側に行くのだ。
今日は、佐久間方面。
佐久間町の協働センターを横にみて、飯田線の鉄橋の歩道を渡り、中部の町を走り、工事中の原田橋を渡って川合に。
ここの山の上にある走る仲間の別荘がゴールだ。
到着したのが、5時50分だった。
浜松駅南口から佐久間町川合まで10時間50分。
お風呂に入り、疲れを癒し、酒盛りが始まる。
次の日、また来た道を走って帰れなければならない、酒もホドホドニして10時には床に就いた。
次の日、5時に起きる。
御飯を食べ、6時には出発。
昨日走った道を、佐久間から浜松へ。
山から町へ帰るのだ。
しかし、少し走っただけで、もう走ることは出来なかった。
ひたすら歩いた。
西鹿島駅に3時半。
浜松駅南口に到着したのは午後の4時だった。
浜松駅で写真を撮り、着替えをして近くのコンビニでビールを買い、一人で乾杯した。
今年も無事に「浜松縦断マラニック」は終了した。
走った仲間も、無事に帰ったとメールで知らせが来た。
良かったよかった。
いつもの年なら、浜松駅から電車で帰るのだが、今回は
先週、同窓会でお世話になった「ホテル・コンコルド」で、地元議員のパーティーがある。
今回は、そのパーティーに顔をだし、地元の人と家路に帰ることができるのだった。
「浜松縦断マラニック」町から山へ・山から町へ。
9年前、一人で走ったこのコース。
自分なりの思いがある。
帰りの車の中で、地元の人と話をしていて、一人 物思いにふける私であった。
ジャンジャン(^o^)
今年も多くの人たちに暑中お見舞いを頂いた。
その中の幾つかのハガキが富士山頂からの暑中お見舞いだった。
富士山頂には山頂郵便局があり、そこからの暑中お見舞いが我が家にも来たのだ。
そんなハガキを見て、残暑見舞は山頂郵便局から・・・と心に決めていた。
富士山頂郵便局 (ふじさんちょうゆうびんきょく)
http://map.japanpost.jp/pc/syousai.php?id=300123999000
同窓会が終わり、慰霊祭にも行ってきた。
家に帰って、息子と一緒に富士山に向かった。
富士山頂往復のコースを今回は、助手席の車窓から眺めた。
水ヶ塚公園に着いたのが夕方の6時。
シャトルバスの往復切符を買い富士山五合目に向かうバスの中で、先ほど頂いた案内を見ていると・・・・。
そのパンフの上の方に
山頂郵便局 開設時間6:00~14:00 7月12日~8月24日午後2時
今年度は御殿場口頂上での開設
え~・・・・。
今日は8月24日、、、時間は夕方6時。
山頂からの残暑お見舞いは、、、できない(泣)
気分を取り直して、今回は登山だけだ、曇り空の中、五合目で仮眠をとり。
富士山に登り始めたのは、八時半。
六合目から七合目までの登山の時には、空には星が見えていた。
それが、七合目から登り始めると霧雨が降ってきた。
もうすぐ八合目という所で雨が降り風も出てきた。
八合目の山小屋の前は深夜だというのに登山客が多くいた。
それにしても寒い。
そんな時に、萩田さんかメール。
「オーストラリアに来て20日になりました。ゴールのケアンズまで後150キロぐらいです。走行距離も一万キロになりそうです。体調もいいです。萩田」
私から震える指で返信した。
「今、富士山八合目、雨降りです(寒)」
隣の人で雨宿りをしている人は北海道から来たという、小雨になったとき山頂に行くと出て行った。
私たちは今回は諦めた、下山することにした。
五合目に着いたのは4時、シャトルバスは6時半だ。
6時には売店が開いた。
シャトルバスに乗り、水ヶ塚公園駐車場に戻り、
富士宮で朝食。
富士市の鷹の湯で疲れた身体を癒し、佐久間に帰ってきた。
下界は昨日までの寒さが、嘘のような暑さだった。
byしんしん
PS
昨日、富士山頂で送るはずだった残暑お見舞いのハガキ、
今朝、佐久間郵便局に行って出してきた。
局長に、
あれこれ、説明して佐久間郵便局の風景印を押してもらうことにした。
残暑お見舞い、、、。
涼しい富士山頂郵便局より、熱い暑い佐久間郵便局の方が残暑見舞いらしい・・・かも(^^;
今年の春、始めて行った城西地区の戦没者慰霊祭。
我が家には、叔父さん(父親の兄)が戦没していると聞いていた。
今回、沢山並ぶ中その位牌を見つけた。
昭和十七年十二月十八日午前六時十分
ニューギニア島ブナにて於て戦没
俗名 新間徳一
享年 二十四歳
8月24日(日)は、その時に話が合った、
慰霊祭を今年度で解散し、長く親しまれていた忠霊塔を取り壊し、祀ってあった位牌の魂を抜きを行った。
忠霊塔は無くなり、毎年行っていた慰霊祭も開催されなくなろうとも、69年前に日本が世界を相手に戦た事実は其々の心に刻まれている。
そして、この平和な世の中は、多くの先人たちの犠牲の上にあるのだ。
ということを新たに思った一日だった。
myしんしん
2014年8月23日(土)は佐久間中学校の同窓会だった。
2007年に佐久間町が浜松市に合併することになり、
様々なことが、その合併のことで進んでいった。
中高一貫・NPOがんばらまいか佐久間。。。など。
佐久間に暮す人たちも、それぞれに考えていたであろう・・・これからの生き方。
私はこの年の春、大きな病気をした。
死ぬか生きるか、そんな狭間を経験した。
浜松の聖隷病院を退院して、親に迎えに来てもらい、龍山のトンネルを抜けた時、
眩しい新緑に感動した、山に帰ってきたゾ~~っと。
家に帰り、居間に座り、そこにテレビがあること、この場所にこの本が置いてあること。。
当たり前のことに感謝すら覚えた。
その夜、いつもの自分が寝ている布団で寝て、朝を迎え、
倒れる前に、いつもの日課だったジョギングのコースを
散歩しようとした。
が、走ることはおろか、歩くことも、、、。
太腿の筋肉が落ち、ユックリしか歩けない、ふらふらだった。
その日は天竜川の堤防まで・・・。
数日がたち、働けるようになり、職場から帰ってくる途中。
中学校の同級生に出会った。
金○くんだ。
病気の事を心配してくれ、身体の調子を聞かれたときに、
「中学校同窓会をやらないか?」
そんな話が出した。そして中学校時代のアルバムを開き始めた。
佐久間町が浜松市に合併すると時、
佐久間中学校の同窓会は始まったのだ。
中部のお祭りのに同級生が集まり、30年ぶりの同窓会の開催に向けての話をした。
当時、私が思っていとことは、
合併で、この町(佐久間町)は益々過疎化が進むだろう。
5年に一回ぐらいは、この佐久間で楽しく集まろうと。
一回目と二回目は、45歳と50歳の時には浦川の清流荘で開催したのだが、、、。
地元でやるより、町に出て都会に出てやりたいという話が出てきた。
「佐久間でやっても旨いもんないし、二次会で面白いところもないし」
そんな話が聞こえてきた。
実際、二回目の時に、清流荘に泊まった。
ヤス・コウリュウ・ブーチュと私。
酒は余ったのがあったが、ツマミが無い。
ラーメンを食いに行こうかとヤスは言う。
佐久間には、そんなところは・・・・無い。
こんなことで、今回の「第三回佐久間中学校同窓会」はホテルコンコルドになったのだ。
開催場所は佐久間ではないけど、佐久間町の中学校を卒業した人の同窓会。
佐久間町の地で中学生時代を育った人たちの同窓会、私は佐久間観光協会のゆるキャラ「さくまるくん」と共に出席した。
今回、三回目。
初めて参加してくれた人が何人かいた。
懐かしかったな~(^^)
さくまるくん
と一緒に写真を撮った動画↓
次5年後、還暦の年だ。
まだ、参加していない人は是非、参加してほしい。
人生、色々なことがあるけど、それなりに楽しく生きて行こうではないか。
人生は一度きり。
byしんしん
平成14年3月14日
この様なブログを書いた覚えがある。
内容は↓
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8/%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93%E3%82%92%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E4%BE%8B%E3%81%88%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%80%82
話しは変わって、今日は佐久間中学校時代の同窓会の日だ。
当時、私は城西地区の「横吹」という村に暮していた。
山の中腹にあるその村は、小中学校に通うときには飯田線の相月駅からの山登りが毎日の日課だった。
佐久間町を日本に例えると、その村は東北の山形県あたりの最上川の上流の小さな集落なのか?
横吹は縦に長い村だ。
村では下組と上組に分かれていた。
そんな村に村道を造ろうとの話が出たのだが、一部の人の反対意見で村道の話は夢と消えた。
そして、家族での話し合いがあり、引っ越しの話になって行った。
当時、湖西市に住んでいた私のところに父親から電話書が来て
「少ないけど、先祖が残していった物もあるし・・・佐久間に居たい」
その言葉から、佐久間町半場に引っ越しが始まった。
ここに越してきて24年。
今は、佐久間町も浜松市。
それも政令指定都市。
ここは磐田郡だったのが、天竜区になった。
人の流れは、都会へと流れていく。
先日、テレビで、定年を迎えようとする人が
「定年後は、東南アジアで暮らしたい。物価も安いし、日本と変わらない生活ができるし」
そんなことを言っていた。
「年金も、日本から自分の通帳に振り込んでくれるのョ」・・・と。
時代は変わった。
日本は平和な国、自由の国になった。
グローバルの時代どこの国に住もうが、その人の自由なのだ。
分かっているのだが、、、、。
9年前、佐久間町が浜松市になった時から知り合った。
萩田さんからAir Mailが届いた。
去年の年末、オーストラリアを仲間でレンタカーを借りて旅をする計画を立てていると聞いていた。
今回、その計画を実行していて旅先からのAir Mailである。
「オーストラリアに来て一週間になりました。今日はエデンという小さな町に宿泊です。走行距離3372㎞オーストラリアは広い」
私より10歳年上、私より行動力あり考え方も若い。
まさに、私の好きな詩
サムエルウルマンの「青春の詩」のような人だ。
http://members3.jcom.home.ne.jp/fuyou3/profi/samueru%20uruman.htm
8月28日にオーストラリア約8000㌔の旅を終え日本に帰ってく予定だ。
「浜松縦断マラニック」にも参加してくれる予定なので、お土産話を楽しみに待っている。
毎年、お盆にお寺に集まる施餓鬼の案内が来たのだが、今年は14日、、、その日は私「人間ドック」の日だった。
8月5日(火)に一人で墓参り、お施餓鬼の先祖供養の浄財をを納めて来た。
その時に、お寺の住職との話の時に
「家の片付けしていたて古い本が出てきたので、読みたい本があったら持って行かないかネ~♪」
と言われ
多くの難しい本の中から、私が手にした本は「人生生涯小僧のこころ」だった。
この本の著者は、大峰山年日回峰行者 阿闍梨 慈眼寺住職・塩沼亮潤さんのお話だ。
小学校のころから、お寺に仕えたいとの思いがあり、或る日テレビで
比叡山千日回峰行者 酒井雄哉 阿闍梨
の姿を見てから、
「千日回峰行者になりたい」
との思いが深くなったと書いてあった。
塩沼亮潤さんは昭和43年の生まれで、平成4年に奈良県吉野の大峰山系を巡る千日回峰行を始め7年間の行を満行して31歳で阿闍梨の称号をもらわれました。
回峰行では比叡山が有名ですが塩沼さんは奈良県吉野の大峰山系で一日に48㎞の峰々を回る大峰山千日回峰行を達成されたのです。
千日回峰行を万行した行者であれば、本山に残るのが通例なのですが、塩沼亮潤さんは郷里の仙台に帰って自給自足の生活をしているという。
千日回峰行など数々の目標を立て、一心不乱に目標に向かって来た、塩沼亮潤さんの話であった。
また、そんな塩沼亮潤さんのお寺に中学生の時から奉公に行っている尼さんお動画にも出会った。
平成元年生まれの女性。
私の長男と同じ世代だ。
塩沼亮潤さんは、大峯山の道を行く千日回峰行者へと向かった。
お寺で頂いた一冊の本との出会い。
そして、ネット検索をして
動画との出会い。
人から人へ、道は遥かなり。
私も、来年・再来年と「富士山頂往復マラニック」に参加したい。
そして、自分なりの目標を立て、頑張って行くようにしたいと、心新たに誓った のであった。
「自分が与えられた環境をに感謝して生きていく」
大切なことだと思う!!
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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