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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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荘川桜の話「さくら道」の話。
御母衣ダム建設の時に、ダムの湖底に沈むはずだった二本の桜の木を、
「このまま湖底に沈めるには忍びない」っと。
ダムの湖岸に移植した男たちの話。

日本が戦後、高度成長した。
そして、この国は豊かになった。

しかし、戦後70年たった今、忘れてしまった日本の心が
今の現代人には多くある。
 
私が生まれた佐久間町
ココは、佐久間ダム完成後、
佐久間村・山香村・城西村・浦川町と合併をした。
私は城西地区で生まれ育った。
湖西市に就職し、結婚をして佐久間町に帰り、城西地区から佐久間地区に越してきた。

さくらの木が多い地区だと思った。

今回、佐藤良二さんのさくらの道を走ってみたいと思ったのは
名古屋という大都会から、岐阜県の山奥の村々を視察したいと思ったからだ。

佐久間は不便だと多くの人が、この土地を去っていく。
何故だろうか?

その答えを探しに行くマラニックでもあるのだ。

 

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佐藤良二さんの夢は
太平洋と日本海を桜で結ぶ」という夢だった。
しかし、志半ばの47歳の若さで、病に倒れてその一生を終えた。

その佐藤良二さんの思いを職場の仲間が、受け継ぎ、
名金急行線の道路沿いは「さくら道」になった。
そして、今
その道は、
さくら道国際ネイチャーラン
として、全国のウルトラランナーが走っている。
http://shirotori-gujo.com/sakuramichi/2015meibo.pdf

私は、そんな走力はないので、
自分勝手に、この道を走ろうと思っている。

御母衣ダムの湖畔にある「荘川桜」を見に行こうと思っている。

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知っている人は知っていると思う。
知らない人は知らない、、、かな。

知らない人はこの動画を観てもらいたい。

佐藤良二さんが最後に残した言葉
「この地球の上に、天の川のような美しい花の星座をつくりたい。
 花を見る心がひとつになって、人々が仲よく暮らせるように」

「さくら道」は佐藤良二さんの生涯を描いた本だ。

バブルが崩壊して、「清貧」という言葉が人々の心をとらえてるといいます。金持ちではないけれど、すがすがしく清らかな心。
つつましいけれど、心は豊かな生き方。思えば、それは、私達日本人が美徳としてきた心のありようだったはずです。
そうした大切な心を時代遅れとして私たちは異常なまでの物質的氾濫の中に見失っていたのでしょう。
五十年ほど前、日本は世界を相手に無謀な戦争に挑み、はかり知れない大きな代償を支払って敗戦を迎えました。
「国破れて山河あり」- 傷つきながらも残されていた美しい山河の自然に心を癒されながら、日本人は、廃墟の中で平和への決意を誓い、独善的ではない真に清らかな精神の高まりを胸に、戦後の歩みを進めてきました。
しかし、日本人が実際にたどった道のりは、世界の各地で再生産される戦争や貧困、飢えを踏み台にして日本人のみの繁栄を追い求める道でした。
国の中では、野山の四季を麗しく彩っていた緑が急速に失われ、掌にすくい上げて口にすることのできた清流は、どんよりとよどんだ不健康な水路と化し、野生動物たちも追いやられてきました。
・・・・・。
太平洋と日本海を桜で結ぼう
「さくら道」中村儀朋
前文から。

荘川桜の移植工事で感動した、佐藤良二さんが
荘川桜を植え続けた、そして47歳という若さでこの世を去った。
その志を、佐藤さんの友が引き継いで、残りの桜を植え太平洋と日本海を桜で結ぶ「さくら道」を完成させた。
そして、今、その道を「さくら道国際ネイチァーラン」という、マラソン大会が続いている。


2013年3月12日の私のブログ
名古屋ウィメンズマラソンの応援ランに行ってきた(荘川桜)

思いは繋がっている。
「さくら道」
これから、この本を少しづつ読んでいこう。

byしんしん

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人生初・・・カプセルホテルに宿泊してみた!!

佐久間町(中部天竜駅)から飯田線に揺られ
豊橋駅から金山駅まで東海道線
金山駅から大曽根駅まで中央線
歩いて名古屋ドームへ
名古屋シティマラソンの受付を済まし、
大曽根駅から金山駅へ

駅前の交番で
「カプセルイン名古屋はどこですか?」
と尋ねる(^O^)/

「直ぐそこ、あそこの交差点を左に行くと
パチンコ屋があるので、そのビルの上だョ」
と、教えてくれた。

歩くこと10分
あったあった。

初めてのカプセル
なんかドキドキ。

チェックインはPM3時~
まだ早かったので、フロントに行くもそこは真っ暗だった。
近くの喫茶店で時間をつぶし、
3時ちょうどにフロントに向かいチェックイン

手荷物はロッカーに、
おおきな休憩室があり、その奥に、寝るところがあるようだ。
のぞいてみると、
二段になったカプセルがズラーっとある。
その数、数千個。
私のナンバーは7000番

楽しみは後
その前に、岡崎で"こうりゅう"との待ち合わせがある。
金山駅へ、、、GOー
電車で岡崎駅へ

久しぶりに出会った佐久間中学校の同級生と(酒)
いろいろあったけど、ココは割愛する(^O^)

酔いよいで金山駅に帰ってきて
千鳥足でカプセルホテルへ。

フロントでカギを貰い
下の階のサウナへ。
明日のマラソンのために身体のケアー。

サウナから出て、よいよカプセルへ。
中は、こんなふうだった。

狭い部屋だけど、テレビもあるし音楽を聴ける。
イヤホンだけど(^O^)
Hなビデオも・・・あった(^O^)
イヤホンだけど(≧▽≦)

明日は名古屋シティマラソン、ハーフを走る。
そんなものあまり観ていられなあい。
早く寝なければ。。。

入口のシャッターを閉め、就寝(^O^)

まるで、ミツバチの幼虫になったような夜でした(^O^)/

ジャンジャン

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私の母親の在所は水窪だ。
その家の長女として生まれた母親は、そこで暮らした頃の話をしてくれた。
水窪では名の知れた家だと、母親なりに自慢だったのかもしれない。
親父はそんな母親が嫌だったみたいだ。

そんな母親の在所の跡継ぎは、その家の長男(母親にとって弟・私にとっては叔父さん)夫婦が暮らしていた。
立派な家だったが、その叔父さんは仕事を退職後、浜北に家を建て息子夫婦と一緒に暮らすようになった。
自分の病気の事、息子夫婦の事、水窪はこれからはダメになってい行く、いろいろな理由なあったと思う。

話すことが大好きな人だった。

その叔父さんが亡くなり、葬儀は知り合いの多い水窪の在所で行った。

隣近所の人が集まり、水窪の仕来りで葬式は執り行われた。

その他の親戚でも、浜北に新築の家を構えている人はまだいる。
叔父さんの葬儀を済ませ、親戚が集まった席で、
当時私が希望を持って参加していた
NPOがんばらまいか佐久間で聞いた話をした。
「理事の人が、このお金もワシらが生きているうち何とかなれば良い。そんなことを言う人がいる」
そんなことを言うのはオカシイ・・と。

少しの沈黙の後、、、親戚の人が
「ま・・・たいがいの人が、そう思っているゾ~」
そう言った。

また
その年のお盆、
水窪でのお盆は初めてだった。
長々続く念仏。
村の初盆の家々が村の中央に集まってくる。
私の親せきの一人は
浜北に新築の家がある。
その人が
太鼓をたたき、
村の行事、昔からの習慣。ならわし。を守っていた。

親戚の家に帰り、親戚の人と話をするとき
「あの人も浜北に行くのかな~」
と私が呟くと

「あたりまえだワイ」
「こんなとこ住むところではないから」
と、そんな声が聞こえてきた。


今の浜松市の山間部への政策を観ていると
とても、こんなところに暮らしていく事は出来ない
そんな風に思っても仕方のないことかもしれない。

ybしんしん

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合併前、佐久間町の役場職員は
役場同士で結婚すると、どちらか一人は役場を退職しなければならない。
そんなルールがあったそうだ。

そんなルールを
私は25年前、この街に帰ってきて働いていて工場での噂話しで聞いた。


時代は坂の上り、私が就職活動をしていた時代
1970年~
田舎では、長男は家に帰るものとして
佐久間町という地元での就職先を探した。
親もそんな子供を応援していた。
ある者は、地元に根差した企業に
ある者は、学校の先生を目指したり。
その中でも安定した職業、役場の職は当時の学生みんなの憧れだった。

 

そして今
佐久間町が浜松市と合併し、佐久間町というタガがゆるんだ感じだ。
「たが」とは、竹などを裂いて編んだ輪のこと

タガがゆるみ自由になり忘れてしまったものがある。
それは、
地元を愛する心、地域を盛り上げる気持ち。

今、世界は交通網が発達し狭くなった。
一時間半もあれば、新幹線・旅客機でどこまでも遠くに行ける。
世の中はより便利な世界を求め進んでいく。
日本は自由な国だと全世界にアピールしている。

世の中が、いくら便利になろうとも
佐久間町は佐久間町であって、何も変わらない。
もう、佐久間町に暮していた○○さんが浜北に家を建った、、、、。
そんな噂話は聞きたくはない!!!
 
佐久間町という桶は、今タガが緩みダーダーにこコボレている状態だ。
これ以上人々がココを離れないように早くタガを締めなければいけない!!

byしんしん

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名古屋シティマラソンを走ってきた。

名古屋には名古屋国際女子マラソンがあり、
そのマラソンが、今は名古屋ウイメンズマラソンと名前を変え女性だけのフルマラソンが開催されている。

15000人もの女性のランナーが名古屋の町を走るマラソン大会だ。
本当はフルを走りたい、でも男だから名古屋シティマラソンしか参加できない。
私、2013年には応援で、2014年は名古屋シティマラソンを走った。

2013年のブログ「ほくえんの風」
名古屋ウィメンズマラソンの応援ランに行ってきた(応援編) 
名古屋ウィメンズマラソンの応援ランに行ってきた(荘川桜)
名古屋ウィメンズマラソンの応援ランに行ってきた(懇親会)
2014年のブログ「ほくえんの風」
名古屋ウィメンズマラソン2014 (其の一)
 
名古屋ウィメンズマラソン2014 (其の二)
 名古屋ウィメンズマラソン2014 (其の三)
名古屋ウィメンズマラソン2014 (飲み会)

前日受付のこの大会は、やはり地域の活性化が目的の一つ。
私は、金山駅の近くのホテルをネットで予約した。

せっかく、名古屋まで行ったのだから、
佐久間中学校時代の同級生に連絡し、チョット酒でも飲もうか??
連絡、
岡崎駅前の居酒屋で一杯(^O^)/

明日のマラソンがあるので、お酒もホドホドにして帰ってきた。

ホテルに帰ってお風呂に入り、睡眠。
よくねくれなかった(;_;)

マラソン当日。
FB「ラン友」の集合場所へ。




みんな気合が入っている。

名古屋ウィメンズマラソンに参加の女性たちを見送り、私たちは名古屋シティマラソンへ。




名古屋シティマラソン
スタート
動画↓


走り終わり、応援し終わり、
名古屋駅前の居酒屋で飲み会。

 

名古屋の町を後にして帰ってきた。

名古屋は活気に満ちていた。

飯田線で帰ってきて、中部天竜駅で下車すると、
佐久間の お花の先生
新○さんと○倉先生も同じ電車に乗っていたみたいだった。
その人たちも名古屋に行ってきたそうだ。
新○先生は
改札口に向かう階段が下りれなく苦労していた。
バリアフリー
そんな考え方もあるが、
佐久間は浜松市に合併して、若い人は街に出ていき、国道の架かる原田橋さえ経費が掛かると言われるようになった。

バリアフリー
公共施設にある点字ブロックが大切なのか、エレベータが大切なのか、
過疎だら経費が掛かるから必要ないのか
住民目線で、、、少し考えさせられた。

男も女も老いも若きも過疎地域も大都会も
楽しく暮らせる日本が良いと思う。

byしんしん

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去年、東栄町にはコンビニができた。
サークルK北設楽東栄町店
http://north-gr.com/70433/

そんな時に、私は佐久間観光協会に行き、事務局長と話をしたことがある。
「佐久間にもコンビニが・・・ほしい」と。

コンビニ経営は、運送経費の問題で同業者のコンビニの距離がある程度近くないといけないと聞いたことがある。
佐久間町は、三遠南信道の川合インターができる。
サークルK名号店から近くなるので、
「川合インター付近にできればいいな~と」
言ったことがある。
三遠南信道、川合までの完成は平成30年。。。。

そのとき、佐久間観光協会の事務局長の話は、、こうだ!!
「コンビニが欲しいのは、、、今だ」
今、三遠南信の工事、原田橋の工事で、その関係者が仕事で多く佐久間に来ている。
そんな人から、店がないので困っているとの話が多い。
「コンビニを造るなら・・・今でしょ」

佐久間町の人と話をしていて、こんな肯定的な人と話したのな初めてだった。
たいがいの人は、こんなところに無理・無理・無理と言って笑われるだけだった。

佐久間町にコンビニが欲しい。
お金も問題・土地の問題・佐久間町のこれから人口が減っていくであろうという問題

様々な問題がある。

原田橋が崩壊して、TVで新聞で伝えられ、ネットで過疎地域がたたかれている。
(でもこういう奴らって橋作るから金出せっていっても出さねぇんだろ? )
(もう日本に過疎地を支える体力はないんだよ 、人が多い地域に住めよ )
(どうせどんどん過疎るんだから金掛けても無駄)
(70kmって東京~群馬だぞw きつすぎ)
(街の人一人一人が空飛べるようになれば この問題も解決するんだけどな)

こんな状況から考えた。
原田橋は国道だから、県に国に政令都市浜松市に早期の建設をお願いしたい。

しかし、コンビニは、地域の有志たちでお金を出し合って造るのはどうかと。。。。
そう思うのだ(^_-)-☆

byしんしん

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26年度も、そろそろ終わる。
今年度、私が年会費を払って活動してきた団体
それが↓

「静岡骨髄を推進する会」
http://www.marrow.or.jp/shizuoka/

「NPO法人 がんばらまいか佐久間」
http://www.npo-sakuma.net/

「佐久間観光協会」
http://sakuma-kanko.net/

「静岡骨髄を推進する会」では、骨髄バンクについての広報活動。

「佐久間観光協会」では、浜松で開催された、私たち佐久間中学校同窓会に
佐久間町のマスコット「さくまるくん」を連れていき、佐久間町の宣伝をかねて、同窓会の場を盛り上げた。



「NPO法人 がんばらまいか佐久間」・・・・・は。
やっていることが、自分として理解できなくなった。
そして2014/06/22 (Sun)私はこんなブログを書いている。
やめまいか・・・佐久間。 

理事のみなさん、天竜区の議員の人、
「NPO法人 がんばらまいか佐久間」は大切な団体だとは分かるけど、
佐久間町民、みんなのものなのだから、、、みんなの意見も取り入れて活動する団体にしてほしい、、、と、思っている。

27年度は、このNPOに顔を出そう。
「山に生きる会」
http://yamaniikiru.com/

佐久間のNPOでは感じることが出来ない絆を感じそうだ(^O^)/

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静岡新聞の一面に「消えてたまるか・新世紀しずおか」が連載されている。
その中で
佐久間町吉沢地区が紹介されていた。
そこは、佐久間町でも南側、熊村に近い所だ。
13世帯25人の村人は肩を寄り添って生活している様子を書いていた。

次の日は
静岡・井川の幼稚園、学校
の記事だ。

静岡市の中心市街地から車で約二時間。
のどかな景色が広がる南アルプスの麓、
葵区井川地区
市立井川幼稚園の園児3人が卒園すると園児ゼロになり、春から休園するという。
その地域は、井川ダムや大井川鉄道の建設当時は八千人までの人がいたという。
その人口は減少し2014年は578人
小中学校の児童生徒の減少も続き、井川中学校は15年度に全校生徒が二人、16年度には一人
小中学校に三人の子供を通わせている保護者のインタビューで
「将来は帰ってほしいけれど・・・」
と、書いてあった。


井川地区の今は
佐久間町の未来を見るようだ!!

佐久間町は平成の合併の時に、役場の職員が来て
静岡市に合併した井川地区の現状を説明し
「やがて佐久間町も、このようになるでしょう」
と話して帰っていった。

その職員は、
こんなとこ過疎がますます進むから、住み続けることが出来ないから
早く出て行った方がいいっと、心の中では思っていたのか?

お世話になった地域を去る。
本当は、お世話になったのだから、そこに残って地域のために生きる。
そんな人が、今の日本には必要だと思う。

山に生きる会
地域に生きる会
浜松に生きる会
日本に生きる会

地域を愛する心

そんなことが失われつつある、この国が心配だ!!

byしんしん

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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