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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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29歳で横吹に帰って来て、フジユニバンス水窪事業所に通うようになった。
次の年、半場に家を建て暮らすようになった。
 
半場での生活は快適だった。
仕事から帰って来て冷蔵庫にビールが無い時など
近くの酒屋(塩沢商店)に買いに行った。

横吹では家に無い物は、ただただ我慢するしかなかった(≧▽≦)

 

幼少の頃、何時もジャガイモやゴボウなど畑でとれたものしか食卓にないことに腹を立て
「もっとうまいものを食べたい(怒)」
そんな事を母親に言ったことがある
母親は逆切れして、相月駅にある「ふせ」に買いに行って来い!!
と、千円札を投げ渡した。。。

はるか下に見える、相月駅を見て、あそこまで買い物には行けないと思い諦めた。。。

半場での生活は快適だった。
横吹の生活と比べると快適だった。

父親も母親も同じように感じただろう。
何より、車が家の前に来るようになったことは感激した。


半場に引っ越し、フジユニバンス水窪事業所に通うには遠くなった。
片道約21㎞

湖西のフジユニバンスから21㎞離れたところなら随分田舎に行ける。
仕事も慣れた仕事を続けられる。
そんなことも思った。


田舎に帰って来て
父親と同じ仕事をするようになり、同じ車で帰って来る時もあった。
夜勤での仕事はきつかった。
定年まじかの父親の夜勤は、俺よりもっときつかっただろうと思う。
そんな父親が帰りの車の中で
「家に帰って孫の顔を見ると疲れが吹っ飛ぶゾ~」
と、呟いた。


佐久間に帰ってきた選択は、間違いでなかったかと思た。。。
瞬間だった。

byしんしん

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10年前
私の父親が
私の家の前にできた公園で
オジ~達の井戸端会議で何を聴いてきたかわ知らないが、私たち家族に言った言葉だ。

「こんだ~引っ越すなら浜北だゾ~」
 

その15年前、私たち家族は、今住んでいるもっと山奥の飯田線で言うと
中部天竜駅→佐久間駅→相月駅
ここの相月駅の向かいの山に張り付くような村
「横吹」(よこぶき)
に暮らしていた。

私がまだ小学校高学年の頃、その村に道路を造ろう、そんな話がやってきた。
父親は、その話で、村の会合で夜遅く帰って来ることが多かった。
当時、子供は夜の九時には寝なさい!!
そんな時代、
「宿題をやる」
そんな嘘をついて夜更かしをすることもあった。
当時の夜中の少しHな番組11PM
そんなのをコッソリ見ていると、親父は帰ってきた。
酒を飲めない父親は、村の衆の酒の付き合いで大変だったのではないかと、、、今思う。
 


父親は車の免許を取得。
車はサニーを買った。
その車は山の中腹まで来ている道路に車庫を建て保管するようになった。

自分の家まで道路が来るのは我が家の願いなのだ。

あれから25年たって
私が結婚をする頃、そんな人を連れて「横吹」に上った。

あれから25年たっても
道路は横吹の中腹の家までしか開通していなかった。

それでも、相月駅までの道程を考えると
約半分の距離の短縮。
村道の終点には、
移動販売車もやってくる。
久しぶりに横吹の家に帰ってきた私に母親は
移動販売車から買ってきた刺身を振る舞った。。。。

感激したナ~。
横吹で刺身を食べることが出来るなんて。。。。

父親は25年たっても家までは来ない道路を諦め、横吹を出る決心をした。
横吹に生まれ横吹で育った父親の一大決心。
  

そんな話を湖西で働いている私に電話で話した。

私27歳の頃
私「どうせ引っ越すなら湖西に来いョ」
そういうと
父「少ないけど先祖の残してもらったものもあるし、佐久間を出たくない」
私「・・・・・」

平成1年3月
そんな話から、今の暮らしている半場に住むことが決まった。

 

それから15年たって、佐久間町は浜松市に吸収合併することになった。
そんな半場を出ていく事を考えている人もいる。
そんな父親は、
そんな人と話をして
先に書いた
「こんだ~引っ越すなら浜北だゾ~」
と言ったのだろう。


親父、今生きているなら
81歳だ。
親父、そりゃないよ~。
親父が言った
「少ないけど先祖の残してもらったものもあるし、佐久間を出たくない」
親父が言った、この言葉に絆されたのだ。

今の世の中
親も親戚も義理も人情もない、暗い世の中になりつつあるよな気がする。
 


そんなことは無い。

俺は、こらからも
親父や子供たちの思い出が詰まった、ココで暮らしていくつもりだ。。。

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マラニックの大切な相棒(Canon IXY)だったデジカメが昨日、、、壊れた。
カタログからは2006年からの販売と書いてある。
その中の一台が、私の手に渡り、昨日、、、壊れた。


何回も何回も私の手から滑り落ち、地面にたたきつけられたが、なんとか写真は写すことができた。
壊れかけの時は、セルフタイマーがダメだったが写真を撮りブログでアップするだけなので何ら問題はなかった。
自分としては。
マラニックの時、集合写真
他の人に、そのデジカメで自分を写してもらうときもあった。
壊れかけたデジカメ
もうそろそろ代えたら?」
そんな言葉もあったが、ただ笑っていた。。。


そんな、デジカメが、
昨日の駅伝の開会式終了後、三区の選手バスに乗り込む途中・・・・。
またデジカメを落としてしまった。
ズームが飛び出したままになった。
キュインキュイン
と、悲しいような音がしていた。。。

このデジカメは
2010年平成22年の春
私の父親が肝臓がんで亡くなった時の遺品の中の一つなのだ。
メモリーの中には生前父親の趣味であるシャクナゲの写真がいっぱいあった。
そんなデジカメ私の手に渡り、
息子である私の趣味(マラニック)の相棒になった。
思い出いっぱいの写真。。。
   

マラニックの大切な相棒(Canon IXY)
生産開始から20年間。
本当にありがとうございました(^O^)/

byしんしん

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前日からの雪。
それでも佐久間駅伝は開催された。
  

土曜日の午後から雪は降り始めた。
天気予報でも猛烈な寒波が日本列島を直撃との報道。。。
知り合いからの
「明日の駅伝はどうなるのか」
そんな電話が来た。

事務局から
「明日はセンターに6時に来てください」
「そのとき皆さんで判断したいと思います」
そんな連絡が来た。

大会当日
支部長以下みんなの英断で
第43回佐久間駅伝は開催の決定がされた。

雪が舞う。
佐久間路に
女子の部        9チーム
中学生男子の部     1チーム
一般の部        79チーム
佐久間地域在住在勤の部 11チーム
がエントリー
7チームが当日棄権
 2016年は93チームが、
城西地区城西幼稚園下をスタートした。

私のチームは
佐久間地域在住在勤の部
の中の
「ハッチ&花の舞」
佐久間地域在住在勤の部の中で4位だった。

動画です

記録より記憶
思い出深い佐久間駅伝だった(#^.^#)

byしんしん

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明日は、
第43回佐久間駅伝大会の日だ。
昨日、明日の駅伝大会に向けての打合せをしたばかりだ。

多くの佐久間町のボランティアに集まってい頂き、
当日の佐久間駅伝大会の話し合いをやった。

去年の様子
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E9%A7%85%E4%BC%9D/%E7%AC%AC42%E5%9B%9E%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93%E9%A7%85%E4%BC%9D%E5%A4%A7%E4%BC%9A

今、外は雪が降っている。

日曜日の天気預は
一部曇りの晴れ模様。。。

明日の朝六時までに判断して連絡が来るだろう。。。。

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第一回目の時は、
不動滝が凍っていた(≧▽≦)

そんな「たつやま凸凹マラニック(冬)」

今回
第四回は、私を入れて9名のランナーが参加してくれた。

ありがたいことです。

ココ浜松市天竜区龍山町は、浜松市に合併する前は龍山村だった。
当時は小学校が秋葉ダム近くに
龍山第一小学校
瀬尻に
龍山北小学校
が、あった。
そして中学校は二つの小学校の真ん中に位置するとこのにあったのだ。
龍山中学校

今は龍山には学校は何も無くなった。

私が暮らす、佐久間町も、子供たちの声は少なくなってきた。
忍び寄る、、、小学校の統廃合、幼稚園の廃校、子供を持つ世帯の引っ越しの話、、、、。
が~ん(≧▽≦)

そんな事を憂い悲しんでもしょうがない・・・。
と始めたのが
「ほくえん旅ラン」
私の勝手にマラニックです。

このマラニックが、10年20年と続けることができることを信じて、これからも頑張っていきたいと思っています。

文字が水色の所はリンクするようになっています。
良かったらクリックしてください(^O^)/

byしんしん

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本日月曜日、仕事だと思っていたら
休日だった(#^.^#)

つづきを書きます。

このマラニックに参加するため
浜松市の山奥の町「佐久間町」から出かけた。
スタート地点は愛知県の二川。。。
 豊橋駅から東に一つ目の駅「二川駅」近くの「豊橋市岩屋町岩屋緑地公園」だ。

車で行く、そんな手段もあるが、このマラニックは走る仲間の新年会も兼ねている。
 電車での参加が必要だ。幸い佐久間町には飯田線がある。。。

中部天竜駅を5時25分の始発の電車に乗り込み、佐久間町を後にした。
 乗客は私一人、車掌さんから二川駅までの切符を買う。
1320円
参考までに。
中部天竜~豊橋1140円豊橋~二川200円
中部天竜~浜松は1940円
浜松~豊橋670円
670円+1140円=1810円
しつこい様だがJRの料金、、、なんかヘン(^O^)/
以前のブログ
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E7%94%B0%E8%88%8E%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97/jr%E3%81%AE%E9%81%8B%E8%B3%83%E3%81%AE%E3%83%8A%E3%82%BE%E3%80%82

そんなことを思い、豊橋駅へ。
東海道線で二川駅へ。
二川駅から集合場所である「豊橋市岩屋町岩屋緑地公園」へ歩いていく途中。
パチンコ屋があった。
まだ八時前だというのに、もう数人の人が開店を待ち望んで並んでいる。
かなりヘンな集まりだと思うが、朝5時からトレイルを走るためにここまで来た自分は、この人たちにとっては、、、もっとヘンに思われるかもしれない(*'▽')

「豊橋市岩屋町岩屋緑地公園」に行き、知り合いに出会い、新年のあいさつをし、まだまだ時間があるので、公園内を散策しようと数人でトレラン前のアップ。。。
公園の山頂方面に行ってきた。
そこには観音様があった。

岩屋観音と岩屋緑地
天平2年(730)、行基がこの地に赴いたとき、その風景に見せられて千手観音像を刻んで岩窟に安置したのが起源とされています。以来、東海道を往来する旅人たちの信仰を集めました。岩屋山頂の聖観音立像は明和2年(1765)に建立されましたが太平洋戦争中に供出されてしまい、現在のものは昭和25年(1950)に再建されたものです。岩屋山の南側にある観音堂の天井板には、恩田石峰をはじめ当時の吉田(豊橋の旧名)画人による絵が描かれています。 また、岩屋観音周辺は公園として整備され、春はさくらまつりが開催されにぎわいます。
豊橋観光コンペンション協会から引用

遠い昔、湖西市に暮らしていた私は、豊橋のスポーツセンターに行く時、この公園の存在は知ってはいたが、この観音様の事は知らなかった。
観音様は豊橋や二川の街を見下ろすように立っていた。
遠い昔から今までの移り変わりを見ているのだろう。
前世の人々の思い、それは平和な世の中が続くようにと、、、。

時間も押し迫ってきた。
スタート会場に行かなければ、集合写真に写れなければ。

このマラニック
今回で8度目になる。
私は、もう何回も参加したことがある。
2016 年の動画

 

遠い過去、でも、その過去があったからこそ現在がある。

萩田さんのマラニックに参加して、多くの人との出会いがあった。
その中でも、今回の最高齢者の存在は私たち走る仲間に元気を頂いた。


今回、申し込みの早かった人からウエーブスタート。
私はゼッケンナンバー28。
第一ウェーブでのスタートになった。


湖西連峰を上り、稜線に着くと目の前に湖西市の浜名湖の美しい景色が目の前に見えてくる。

ココからは右に浜名湖、左に豊橋、の景色を見ながらアップダウンの交わしていく。

多米峠エイドで、カレーにありつき。

 

本坂峠エイドで、お汁粉に舌鼓。。。

やっとの思いで、ゴールである石巻山に。


いつの日か、ゴール後は、石巻山山頂に行くことになっている。
新春、このマラニックを走り。

最後に、石巻山山頂。
ココでも様々な出会いが過去、合ったな~あ。
奥三河の元気の良い中高年登山仲間の会のメンバー
今回は、このような人たちと集合写真

見知らぬ人に写真を撮ってもらい、その人の子供も一緒に笑顔。

静岡から来たという女子ランナーの背後には
私の暮らす佐久間町の山々が見える。

石巻山を下山したら、「ナツメ別館」でお風呂に入って、よいよ新年会の始まりである。

萩田さんのマラニックでの宴会は、この出会いをただの出会いでなく、次に繋がる出会いとして多くの人の自己紹介を宴会の一部に取り入れてくれている。
私も、過疎で疲弊した我が地域「佐久間町」なんとかならないかと日々考えている。
そんな思いが、通じたのか、司会である下さんから
「次は新間さん、お願します」との声がかかった。

何処から来たか?
「浜松市です」
「この名簿には佐久間町となっていますが、浜松市です」
今年の抱負?
「夢街道(浜松駅から遠山郷)90㎞をやっています」
「夢街道走ったことある人、手をあげて」
数名の方が手をあげてくれた。
「浜松市になった佐久間町ですが、誰が見たって浜松市には見えない、佐久間町は山の中」
「その佐久間町、浜松市の山間部、ココに多くのランナーに来てほしいと頑張っています」
「来年は、もっと多くの方に手を上げてもらうべく頑張っていきます」
と挨拶した。


今年に入って
フェースブックの投稿である人から
 何だかんだ言って、地方は切り捨てられていきます。寂しいことです。
との意見があった。
私は、その人の投稿に
投稿ありがとうございます。

○さんの
「地方は切り捨てられていきます」との意見
私はそうは思いません。
12市町村が合併して新浜松市になり今は浜松市の隅っこに暮らしています。
それでもそうは思っていません。
隅っこだから隅っこなりに頑張っていこうと思っています。

地方・過疎の村でも寂しくないョ。
多くの仲間がFBで励ましてくれるから(^O^)/

と言った。

しかし、石巻山から豊橋の夜景、豊橋駅でのイルミネーションを見ると、
田舎での暮らしを寂しく思う気持ちもあるにはある。

日本人の心
「足りるを知る」
今を満ち足りたものとし、現状に不満を持たない心

せっかく過疎の町、佐久間町に暮して居るのだから、そこで自分は何をやるか、やらなけらば行けないか。
今年は「夢街道」90㎞
参加してくれた人に感動を与える大会にしたいと今なお考えている。

byしんしん

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私の中で毎年、恒例になっている。
このマラニック。
去年のブログ
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF/%E7%AC%AC7%E5%9B%9E%20%E6%B9%96%E8%A5%BF%E9%80%A3%E9%82%A6%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%B32015

今年も動画を作ってみた(^O^)/
 
このマラニックに参加するため
浜松市の山奥の町「佐久間町」から出かけた。
スタート地点は愛知県の二川。。。
豊橋駅から東に一つ目の駅「二川駅」近くの「豊橋市岩屋町岩屋緑地公園」だ。

車で行く、そんな手段もあるが、このマラニックは走る仲間の新年会も兼ねている。
電車での参加が必要だ。幸い佐久間町には飯田線がある。。。

中部天竜駅を5時25分の始発の電車に乗り込み、佐久間町を後にした。
乗客は私一人、車掌さんから二川駅までの切符を買う。

あ、時間がない。。。
今日はこれまで。。。


そんな感じで
参加した。
「湖西連峰トレイルラン」2016

一年のはじめ、楽しく走ることができ本当によかった。

写真。


 


みなさん今年も宜しくお願いします(^O^)/

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私が勝手にブログでの師匠として追いかけている人は。。。
山草人さん
とっち―さん
どちらも萩田さんのマラニックが縁で知り合った人だ。

山草人さん
山草人のモノローグ
とっち―さん
とっちーの「終わりなき旅」
というブログを書いている。

この二人はもう何年も、毎日毎日書き続けている。

そんな大先輩に追いつこうと、今年は自分も頑張ろうと
自分も毎日書こうと密かに意気込んでいた、、、。
が、ガガガ
昨日、晩酌で日本酒三合飲んで爆睡してしまった(泣)

七日で挫折。

毎日続けることは、簡単なようで難しい。
日々の生活習慣を改善しないと、朝起て歯を磨くように、当たり前にしないとできないことだ。
お酒を毎日飲むのは簡単だけど、走りやブログを毎日続けることは難しい、、、。
   

こんな調子ですが、自分のペースで今年も書いていきますのでお付き合いしてくれる方、宜しくお願します(^O^)/
 
話は変わって
明日の
「湖西連邦トレイルラン」
ココで、私の走りでの大先輩に出会うことができる。
それは、石川さん
去年の
新「浜松市」誕生十周年記念水窪~浜松160㌔ウルトラマラニック
の時には79歳
第17回 ジュビロ磐田メモリアルマラソン
の時には80歳
と言っていた。
モチロンこの大会での最高齢者であると思う。

また、名簿を見て驚いたことに。
今回の最年少者は9歳ということ。
お父さんお母さんと一緒にエントリーしているそうだ。

山草人さん
とっち―さん
石川さん
9歳の少年
世の中には様々な人がいる。


2016年は始まったばかり。
年の初めから拗れせていた風邪もだいぶ良くなった。
今年も自分の人生、挫折と貫徹を繰り返しながらマイペースでユックリ行こうと思う。
ブログも走りも(^O^)/
byしんしん

拍手[8回]

次の日曜日は
「湖西連邦トレイルラン」
の日だ。
私にとって、毎年恒例になっている。

前回も書いたが、湖西市は私の第二の故郷。
第一エイドの多米峠は思い出がいっぱいだ。

第二エイドの本坂峠
ここのトンネルは、ここら辺では心霊スポットとして超有名なところだった。
私が昔居たころは。

そ・う・い・え・ば。
夜中に女の子を連れて行ったとがある。
お化けは出なかったけど、気味が悪かったナ~。

遠い昔、多くの悲しい出来事があり、この場所にその様な噂が出てきたのだろう。
そんな場所に、数十年たって、まさか今度は二川から湖西連邦を自分の足で走ってココに来るとは、誰が想像しただろうか。

人生って不思議だナ~。

去年の動画

今年もいい天気になるといいな~(^O^)/
自分探しのマラニック。。。

拍手[9回]

プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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