一昨日
ザ・プレミアム 井浦新 アジアハイウェイを行く「東アジア“隣人たち”の素顔」
を見た。
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/3523/2552295/index.html
そこで「知日」を知った。
中国の雑誌で、日本の事を知りたいと発売している雑誌の事だ。
「反日」ではなく「親日」でもなく「知日」
先ずは相手の事を知ること。
これは何に対しても言えることでなないか。
この番組で
田舎の暮らすお年寄りの姿があった。
その人をサポートする若者の行動が印象的だった。
「知日」
日本の中高年は、マラニック
こんな遊びをしている人もいる。
日本一の山「富士山」を自分の足でぐるっと廻る。
いくつになっても夢とロマンの求める人の多い国。
超高齢者社会、日本。
中国は、日本のこれからを見つめているのだろう。
日本の田舎
ふるさと創生
お金を渡して、何とかセイ。
そんな感じではオカシイ。
定年後には田舎に暮らそう。
先生方。
自分が生まれれる前からの
駅伝大会。
北遠駅伝大会に行ってきた。
64年前というと
1952年(昭和27年)
戦争が終わって7年後に行われた駅伝大会だ。
飯田線が水窪に通るようになったのが30年11月と書いてあるから
http://yamaiga.com/rail/iida_sakuma/main.html
飯田線もない時代に
この「北遠駅伝」は始まったのだ。
今回は、このメンバーでの「北遠駅伝」参加になった。
チーム名は「さくまRC」だが、寄せ集めのメンバーだ。
職場の仲間や佐久間駅伝ではライバルチームだった人に助っ人を頼んだ。
昔、水窪で勤めていた会社「フジユニバンス」の仲間も一緒に走った。
私は当初、2区を走るはずの予定でいたが、朝、マボーから電話で
「俺が二区を走るので三区と変えてほしい」
と連絡を受け
急遽、三区を走るようになった。
三区は
城西の向皆戸(むかいがいと)が中継地点だ
走る前のウォーミングアップで走っていたら遠くに城西小学校が見えた。
この小学校は、私の母校。
横吹から飯田線で通った学校だ。
しかし、この城西小学校も再来年で閉校するという。
浜松市に合併し、人々はより便利な都会へと離れていく、住む人が少なくなり子供たちも少なくなり
学校が閉校していくのは、いざ仕方ない事なのだろうか。
私の走る区間三区は
城西の商店街を駆け抜ける。
知り合いも多く、私を知る人は、声をかけてくれる。
このゼッケンをつけ
第三区
城西向皆戸橋~小畑平澤文具店前までの4.1㎞
を、身持ち良く走ることができた。
27年前
ここ佐久間に帰ってきて
フジユニバンス水窪事業所で働くようになって
職場の仲間に駅伝を走らないか?
と誘われ、走るのが趣味となった。
その頃、山口ゆきに~という人がいて
自分は
「こんな年寄りでも走ることができるのだ」
そんな風に思った。
今はそんな山口ゆきに~よりも年寄りになった。
年のよりより、無理出ずに、それなりに、走っていこう(^O^)/
byしんしん
走ることを趣味としている私は
ここ北遠の至る所を走ったことがある。
その中で
北遠がまだ旧町村として頑張っているころに建てた観光トイレが
浜松市に合併してからというもの壊されていく現実に直面している。
水窪の向市場から山住神社に行く途中の観光トイレも壊された。
佐久間町から佐久間ダムまでの平沢にある観光トイレも壊された。
JR飯田線の相月駅の下の観光トイレも、いずれ壊していくという話だ。
その中で、龍山村いや、今は龍山町の瀬尻の山の上「寺尾」そこの観光トイレ
そこは建物は残っていた。
ところが張り紙があった。
「電気が来ていないため使用できません」
噂では聞いてはいるが
観光トイレは、浜松市としては
地域で管理してほしいと言っているそうだ。
電気代、これからのトイレの維持管理を、地域の区費その他で管理しなさいと言っているそうだ。
今、返上すれば浜松市で解体作業を行うと言われたそうだ。
そこで、前者の三件は
これから人も増えることは無いだろうと苦渋の選択で、浜松市に壊してもらったのだと思う。
ところが寺尾の観光トイレは残った。
寺尾の観光トイレは、寺尾で毎年6月に行うぶか凧のときに使用するために残した。
それぞれ地域の人たちの考えで、その後の観光トイレの運命は分かれた。
その観光トイレ
今、聞いているのは、
浦川駅の観光トイレ。
先日のブログ
けんに~
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8/%E3%81%91%E3%82%93%E3%81%AB%EF%BD%9E
このけんに~に聞いたのだが。
浦川駅に行きトイレによろうとしたら
使用禁止となっていて、入れないようになっていたそうだ。
浦川駅の観光トイレも壊されていくのだろうか?
この問題は、佐久間地域、山間地域だけの問題ではないと思う。
街に暮らしている人も考えてほしい。
観光トイレは
その地域の人々だけが負担を背負わなければならないのですか?
っと。
byしんしん
私の職場に水窪の人が仕事に来ているので聞いてみた。
「最近、池の平の話は聞かないけど、、、そろそろ沸くころではないか」
と
そしたら。
私有地のスギ林の中に、忽然と沸く幻の池。
池の平。
何年か前に沸いたとき。
多くの人が訪れ、中にはマナーの悪い人が多く地主に怒られたという話をしていた。
水窪の方言で
「山がらんごくなかった」
だから、水が沸いた情報は出さなくなった・・・・・と。
一部のマナーの悪い人で山は荒らされる。
多くの人が来るようになると。
マナーの悪い人も来る。
山が泣いている。
山に入る場合、ゴミは持ち帰ってください。
今日は、夕方
浜松市から
我が家に訪問者が来た。
浜松市と言っても、ココも浜松市だが(#^.^#)
正確には
浜松市中区住吉から浜松市天竜区佐久間町まで。。。。
その人は、若き日、佐久間にはアユ釣りで何回か来ていたそうだ。
その人は
こうも言っていた。
「水窪ではガンモさんを知っている」
そうか~。
佐久間でも、そのガンモさんは有名だ。
フェスタ佐久間でも見かけたのと噂を聞いた。
そのガンモさんとは、私のフェースブックの友達にいる。
写真はガンモさんとは異なります。
ガンモさん・・・・誰だかわかりますか?
ガンモさん知っている人、コメントください。
ガンモさん本人でもいいです。
コメントください(^.^)/~~~
byしんしん
知り合いが
山での生活に憧れている人がいます(^O^)/
如何して何だろう(-_-;)?????
アユ釣りが好き。
ソンナ人だ。。。。
そんなわけで
昨日
イズミヤの売家の張り紙を見た
アタシは、その知り合いに連絡してみた(^O^)/
ところが、やっぱしというかヤッパシ。
中部では田舎の雰囲気が沸かないし・・・・。
そんな話だった。
その知り合いが言うには
少し山の高い所にあって、イッソノコト土地だけあれば新築しようかな(#^.^#)
そんなことを言っていた。
何を考えているのだろう(-_-;)?
佐久間に暮らしている人は、多くの人がお金があれば、こんなとこ出ていきたい。
そんな人が多いのに。
まあ、世の中にはいろいろな考えの人がいる。
より便利を求める人
少々の不便を楽しむ人
どなたか、いい物件ありませんでしょうか(^O^)/
byしんしん
仕事から帰る途中
なかっぺ橋を渡っていたら。
前から走ってくる人がいた。。。。。
けんに~
だ。
けんに~
とは、中部のスポーツ店(イズミヤ)の店主だ。
いや、今は店を閉めたので
店主だった。
私より一回り以上年上の
けんに~
「家によってコーヒーでも飲んでけ」
そんな言葉にエンリョをしないで、ノコノコと着いていった(^O^)/
多くの話をした。
中部の事、佐久間町が佐久間ダムで賑わっていたころの話。
けんに~
を、初めて知ったのは
私が半場で暮らし始めて、父親ソフトの付き合いをしているころ。
ユニホームを新しいデザインに変えようとしているとき。
けんに~
は、半場にユニホームを売り来ていた。
そのとき
私は
球技が得意ではないので。
「父親ソフトは辞めたい」
「走るの一本で行く」
そんな事を半場の父親ソフトのメンバーの前で言った。
あれからうんじゅうねん!!
半場の父親ソフトは存続できなくなった。
私のマラソンは続いている。
そんな昔の思い出をけんに~と話していたら、何時の間にか外は暗闇に包まれたいた(^O^)/
ヤバイ!!
帰り
けんに~
から、もたったシャツ
そういえば、水窪の家の平
最近、水がたまったとの話、聞かないナ~。
今年あたり、、、もしかしたら(^O^)/
byしんしん
獅子ヶ鼻
知ってますか?
詳細は
磐田観光協会(獅子ヶ鼻公園)
http://kanko-iwata.jp/tanoshimu/tanoshimu-427/
走る知り合いが、ココのトレイル&ランを企画してくれたので参加してきた。
佐久間を朝の6時半、車で出発。
ゴールになる、周智郡森町の「もりの湯」に8時到着。
そこから、スタート位置点である天浜線「敷地駅」まで約8.5km、次は自分の足で走っていった。
天気は最高に青空が広がっていた(^O^)/
敷地駅には、もう多数のランナーが集合していた。
メンバー表を見ると40名の参加者がいるそうだ。
2016年1月31日日曜日
第一回「獅子ヶ鼻トレイル&ラン」
がスタートした。
パチパチパチ(^.^)/~~~
このトレイルの楽しいところ
動画で感じてください(^O^)/
走り終わって
森町のお風呂「もりの湯」で風呂に入って宴会の始まり。
私は車での参加なので、今回はアルコールは我慢。
男も女も若い人も、そうでない人も。
みんな楽しく走って笑って酒飲んでワイワイやるのが私たちのマラニックです(^O^)/
次の日曜日は「北遠駅伝」だ。
色々あったけど、走り続けてこれて本当によかった(^O^)/
佐久間町が浜松市に合併して
佐久間町は
NPO「がんばらまいか佐久間」
を立ち上げた。
そのNPOの最初の活動は
「ふるさとの森」だった。
宮脇博士の方式の植樹の方法を学ぶため
私は
半場のコイジのみに~に誘われて、浜松駅前に行ったのであった。
浦川の島中峠に、その「ふるさとの森」は始まった。
旧佐久間町の、元おえらさんだった方が、スーツ姿だった人が
鎌や鍬を手に持って汗をかいていた。
そんなNPO「がんばらまいか佐久間」の活動に合併当時から9年間お付き合いしていた。
しかし、もうやめた。この活動はつまんない、と思うようになった、から。
2014/12/07
に私が書いたブログ
山に生きる会in水窪町
水窪「山に生きる会」の人と付き合い始めて、はや二年が経つ。
昨日の新年会の時には
私の熱い気持ちを話したつもりだ。
そのときプロジェクターで流した動画
「進歩の名のもとに、古き姿は次第に失われていく。だが、人の力で救えるものは、なんとか残してゆきたい。古きものは古きがゆえに尊いのである。」
この話を知って
佐藤良二さんの事を知って
この本を読んだ。
そして、この言葉を知った。
「この地球の上に、天の川のような美しい花の星座を つくりたい。 花を見る心がひとつになって、人々が仲よく暮らせるように」.
そして去年の春、本物の荘川桜を見に行った。
2016年は始まったばかり。
今年もマラニックの計画がたくさんだ(^O^)/
byしんしん
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
06 | 2025/07 | 08 |
S | M | T | W | T | F | S |
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