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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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走ることを趣味としている私は
ここ北遠の至る所を走ったことがある。

その中で
北遠がまだ旧町村として頑張っているころに建てた観光トイレ
浜松市に合併してからというもの壊されていく現実に直面している。

水窪の向市場から山住神社に行く途中の観光トイレも壊された。

佐久間町から佐久間ダムまでの平沢にある観光トイレも壊された。

JR飯田線の相月駅の下の観光トイレも、いずれ壊していくという話だ。

その中で、龍山村いや、今は龍山町の瀬尻の山の上「寺尾」そこの観光トイレ
そこは建物は残っていた。
ところが張り紙があった。
「電気が来ていないため使用できません」

噂では聞いてはいるが
観光トイレは、浜松市としては
地域で管理してほしいと言っているそうだ。
電気代、これからのトイレの維持管理を、地域の区費その他で管理しなさいと言っているそうだ。
今、返上すれば浜松市で解体作業を行うと言われたそうだ。

そこで、前者の三件は
これから人も増えることは無いだろうと苦渋の選択で、浜松市に壊してもらったのだと思う。

ところが寺尾の観光トイレは残った。
寺尾の観光トイレは、寺尾で毎年6月に行うぶか凧のときに使用するために残した。

それぞれ地域の人たちの考えで、その後の観光トイレの運命は分かれた。


その観光トイレ
今、聞いているのは、
浦川駅の観光トイレ。
先日のブログ
けんに~
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8/%E3%81%91%E3%82%93%E3%81%AB%EF%BD%9E
このけんに~に聞いたのだが。
浦川駅に行きトイレによろうとしたら
使用禁止となっていて、入れないようになっていたそうだ。

浦川駅の観光トイレも壊されていくのだろうか?

この問題は、佐久間地域、山間地域だけの問題ではないと思う。

街に暮らしている人も考えてほしい。

観光トイレ
その地域の人々だけが負担を背負わなければならないのですか?
っと。

byしんしん

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水窪情報サイト
http://www.misakubo.net/%E8%A6%B3%E5%85%89%E6%83%85%E5%A0%B1/%E5%90%8D%E6%89%80-%E8%A1%8C%E6%A5%BD/%E6%B1%A0%E3%81%AE%E5%B9%B3/

私の職場に水窪の人が仕事に来ているので聞いてみた。

「最近、池の平の話は聞かないけど、、、そろそろ沸くころではないか」

そしたら。

私有地のスギ林の中に、忽然と沸く幻の池。
池の平。

何年か前に沸いたとき。
多くの人が訪れ、中にはマナーの悪い人が多く地主に怒られたという話をしていた。
水窪の方言で
「山がらんごくなかった」

だから、水が沸いた情報は出さなくなった・・・・・と。

一部のマナーの悪い人で山は荒らされる。

多くの人が来るようになると。

マナーの悪い人も来る。
 
山が泣いている。

山に入る場合、ゴミは持ち帰ってください。

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政治の事は、よく分らないが、こんな本を読み始めた。


安倍晋三の「晋」は松下村塾で吉田松陰に学び、明治維新を成功に導く導火線になった高杉晋作の「晋」をとっている。
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」明治維新のために、日本の夜明けのために生きた人々の話。

日本はどうなっていくのだろうか。

田舎は切り捨てられるのだろうか。

いや
自分の思いを貫いて生きよう。

byしんしん

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今日は、夕方
浜松市から
我が家に訪問者が来た。

浜松市と言っても、ココも浜松市だが(#^.^#)

正確には
浜松市中区住吉から浜松市天竜区佐久間町まで。。。。

その人は、若き日、佐久間にはアユ釣りで何回か来ていたそうだ。

その人は
こうも言っていた。
「水窪ではガンモさんを知っている」
そうか~。
佐久間でも、そのガンモさんは有名だ。
フェスタ佐久間でも見かけたのと噂を聞いた。

そのガンモさんとは、私のフェースブックの友達にいる。
 
写真はガンモさんとは異なります

ガンモさん・・・・誰だかわかりますか?

ガンモさん知っている人、コメントください。
ガンモさん本人でもいいです。
コメントください(^.^)/~~~

byしんしん

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知り合いが
山での生活に憧れている人がいます(^O^)/

如何して何だろう(-_-;)?????

アユ釣りが好き。
ソンナ人だ。。。。

そんなわけで
昨日
イズミヤの売家の張り紙を見た
アタシは、その知り合いに連絡してみた(^O^)/


ところが、やっぱしというかヤッパシ

中部では田舎の雰囲気が沸かないし・・・・。
そんな話だった。

その知り合いが言うには
少し山の高い所にあって、イッソノコト土地だけあれば新築しようかな(#^.^#)
そんなことを言っていた。

何を考えているのだろう(-_-;)

佐久間に暮らしている人は、多くの人がお金があればこんなとこ出ていきたい
そんな人が多いのに。

まあ、世の中にはいろいろな考えの人がいる。
より便利を求める人
少々の不便を楽しむ人

どなたか、いい物件ありませんでしょうか(^O^)/

byしんしん

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仕事から帰る途中
なかっぺ橋を渡っていたら。
前から走ってくる人がいた。。。。。

けんに~
だ。

けんに~
とは、中部のスポーツ店(イズミヤ)の店主だ。
いや、今は店を閉めたので
店主だった。

私より一回り以上年上の
けんに~

「家によってコーヒーでも飲んでけ」
そんな言葉にエンリョをしないで、ノコノコと着いていった(^O^)/

多くの話をした。
中部の事、佐久間町が佐久間ダムで賑わっていたころの話。

けんに~
を、初めて知ったのは
私が半場で暮らし始めて、父親ソフトの付き合いをしているころ。
ユニホームを新しいデザインに変えようとしているとき。
けんに~
は、半場にユニホームを売り来ていた。
そのとき
私は
球技が得意ではないので。
「父親ソフトは辞めたい」
「走るの一本で行く」
そんな事を半場の父親ソフトのメンバーの前で言った。

あれからうんじゅうねん!!

半場の父親ソフトは存続できなくなった。

私のマラソンは続いている。

そんな昔の思い出をけんに~と話していたら、何時の間にか外は暗闇に包まれたいた(^O^)/
ヤバイ!!


帰り
けんに~
から、もたったシャツ

そういえば、水窪の家の平
最近、水がたまったとの話、聞かないナ~。

今年あたり、、、もしかしたら(^O^)/

byしんしん

 

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獅子ヶ鼻
知ってますか?

詳細は
磐田観光協会(獅子ヶ鼻公園)
http://kanko-iwata.jp/tanoshimu/tanoshimu-427/

走る知り合いが、ココのトレイル&ランを企画してくれたので参加してきた。

佐久間を朝の6時半、車で出発。
ゴールになる、周智郡森町の「もりの湯」に8時到着。

そこから、スタート位置点である天浜線「敷地駅」まで約8.5km、次は自分の足で走っていった。

天気は最高に青空が広がっていた(^O^)/

敷地駅には、もう多数のランナーが集合していた。
メンバー表を見ると40名の参加者がいるそうだ。
2016年1月31日日曜日
第一回「獅子ヶ鼻トレイル&ラン」
がスタートした。

パチパチパチ(^.^)/~~~

このトレイルの楽しいところ
動画で感じてください(^O^)/


走り終わって
森町のお風呂「もりの湯」で風呂に入って宴会の始まり。

私は車での参加なので、今回はアルコールは我慢。

男も女も若い人も、そうでない人も。
みんな楽しく走って笑って酒飲んでワイワイやるのが私たちのマラニックです(^O^)/
次の日曜日は「北遠駅伝」だ。
色々あったけど、走り続けてこれて本当によかった(^O^)/

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佐久間町が浜松市に合併して
佐久間町は
NPO「がんばらまいか佐久間」
を立ち上げた。

そのNPOの最初の活動は
「ふるさとの森」だった。


宮脇博士の方式の植樹の方法を学ぶため
私は
半場のコイジのみに~に誘われて、浜松駅前に行ったのであった。

浦川の島中峠に、その「ふるさとの森」は始まった。
旧佐久間町の、元おえらさんだった方が、スーツ姿だった人が
鎌や鍬を手に持って汗をかいていた。

そんなNPO「がんばらまいか佐久間」の活動に合併当時から9年間お付き合いしていた。
しかし、もうやめた。この活動はつまんない、と思うようになった、から


2014/12/07
に私が書いたブログ
山に生きる会in水窪町 

水窪「山に生きる会」の人と付き合い始めて、はや二年が経つ。

昨日の新年会の時には
私の熱い気持ちを話したつもりだ。


そのときプロジェクターで流した動画
「進歩の名のもとに、古き姿は次第に失われていく。だが、人の力で救えるものは、なんとか残してゆきたい。古きものは古きがゆえに尊いのである。」

この話を知って
佐藤良二さんの事を知って
この本を読んだ。
 
そして、この言葉を知った。
この地球上に、天の川のような美しい花の星座を つくりたい。 花を見る心がひとつになって、人々が仲よく暮らせるように」.

そして去年の春、本物の荘川桜を見に行った。

2016年は始まったばかり。

今年もマラニックの計画がたくさんだ(^O^)/

byしんしん

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「横吹」から引っ越しをし「半場」での生活が始まった。
「横吹」では村道に車を置いて、歩いて15分くらいかけて家まで山を登っていったが「半場」では家の直ぐ前まで車が来る。
快適な生活が始まった。

半場には佐久間小学校が直ぐ近くにあった。
佐久間中学校は佐久間地区、佐久間高校は中部地区にある。
子育てにも恵まれた環境の土地だった。

しかし「ダムの町」佐久間町、
「ダムで栄えた町はない」そのような言葉も聞いたことがあり、心配事もあった(^O^)


半場に越してからの、ある日の日曜日、
家族で信州の方に当時の私の愛車「キャラバン」でドライブに行った。
佐久間~本郷~新野峠~天竜峡~遠山郷~水窪~佐久間

天竜峡から遠山郷までの道は狭かった。
浜松から水窪までの国道152号線も狭いけど、それ以上に凄い国道だった。
まさに酷道(#^.^#)

そんな国道いや酷道を車で走っていると。
突然、巨大なコンクリートの物体が・・・・・。
矢筈トンネルだった。
突然山に現れた立派なトンネル。
それを抜けたら、また今までと同じ酷道になった(≧▽≦)

そんな道を走って車は遠山郷に着いた。
そこには、お城があった。
和田城というらしい。

遠山郷を後にして、車で水窪に向かった。
やはり酷道。。。。
兵越峠を越えるには大変な道程。。。。
そこにまたコンクリートの物体。。。。
草木トンネルだ。
この存在は水窪で働いていたので知っていた(^O^)/

25年くらい前の話かな?
遠山郷に初めて行ったときの話。

自分は思った。
大変な場所にあるナ~。
遠山郷
自分は感じた。
まだ佐久間の方がましだ!と。

それから数年たち、遠山郷に温泉「かぐらの湯」が出来たと知った。

佐久間町は温泉を掘り当てようと頑張っていたそうだが、温泉が出ることは無かったそうだ。
そんな噂が町にはあった。

それから数年が経ち、佐久間町は浜松市に遠山郷は飯田市になった。
世の中は市町村合併の渦に巻き込まれていった。
市町村変遷パラパラ地図

そんな時にできたのが
「東京マラソン」
第一回目に申し込むも抽選漏れ。
次の年の北遠駅伝の待合室で知り合いから
「遠山郷でマラニックが始まるョ」
との話を聴き。
その年に、
第一回「チャレンジマラニックin遠山郷」に参加
そのマラニックは参加し続け、今年参加すれば10回連続参加となる。

あの時
まだ佐久間の方がましだ!と。
感じた遠山郷

今は佐久間より食べ物屋もスーパーも、その他の店もいっぱいある。

 

ヤッパリ
上見て暮らすな下見て暮らせ。
ではなく

「みんなちがって、みんないい」
http://www.jinken-net.com/close-up/0609.html
世界が望ましい。。。

佐久間はダムの街だけど、それはそれでいいのだ(≧▽≦)

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山に張り付くような村「横吹」
移動手段を電車に頼っている学生時代、相月駅から見上げて毎日毎日登っていった。

幼少の頃、母親の実家「上村」には早々と道路がついていた。
そこからの帰り、向市場駅から飯田線に乗って相月駅で下車。
向市場駅には何故か女性の駅員さんばかりだったような覚えがある。
相月駅は無人駅だった。
見上げる「横吹」の村、母親に励まされて山道を歩いては行くが、子供の足では覚束ない。

「如何して、こんな山の上に家があるのだ」
そんな疑問を母親に言う
「先祖様が暮らしていたのでションナイワイナ~」
また
そんな子供を戒めるように言った言葉が

「上見て暮らすな下見て暮らせ」
小さなころ、親から言われたこの言葉、脳裏に焼き付いている。

人は誰でも、そのような考えが心にあるのかもしれない。
自分より誰かを比べて、自分の今の幸せを感じる。

昭和35年生まれの私、
母親は大正15年生まれ。

20歳で終戦を経験し、横吹に嫁いできて、激動の時代を生きてきた女性。
今の生活の貧乏など考えもつかない時代を生き抜いてきた女性。
そんな時代背景と、そこの暮らしぶりからつくられた言葉。
「上見て暮らすな下見て暮らせ」

あれから幾年かが経ち、今は「平成」の時代。
金子みすゞの詩が心を打つ。
「みんなちがって、みんないい」
http://www.jinken-net.com/close-up/0609.html

佐久間町または北遠(浜松市の北部)のいいところを探す旅。
「ほくえん旅ラン」
多くの皆さんにココの良いところを探す旅に参加してほしいと願っています(^O^)/

byしんしん

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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