明日は「富士山の日」だ。
静岡県公式ホームページ記載されていた、「富士山の日」の趣旨を載せてみた。
国民の財産であり、日本のシンボルである富士山は、その類まれなる美しい自然景観により、人の心を打ち、芸術や信仰を生み出してきました。
こうした偉大なる富士山を抱く静岡県において、すべての県民が富士山について学び、考え、想いを寄せ、富士山憲章の理念に基づき、後世に引き継ぐことを期する日として、2月23日を「富士山の日」とする条例を制定しました。
今後は、「富士山の日」の制定を契機として、富士山環境保全活動や富士山世界文化遺産登録等の取組に対する県民の理解を深めることなどにより、富士山を後世に引き継ぐための県民運動の促進に努めます。
と書いてあった。
「富士は日本一の山~」 日本には3000m級の山は沢山あるが、その中でも静岡県と山梨県の県境にある富士山が3776mと日本一の高い山なのである。
この、「富士山の日」の制定によって、山の環境保全活動が、富士山だけではなく私が住んでいる北遠地方の山々にも関心が向けられ、町に住む人が山の事を考えるようになったらいいなと思うのです・・・・が(^^)
ps
それにしても同じ静岡県なのに、ここ北遠地方では富士山は竜頭山の山頂くらいしか見えないのは残念でならない(TT)
ハリガネムシを知っていますか?
今日、職場でのこと。道路に針金のようなものが落ちていたので、車が踏んでパンクでもしたらよくないと思い拾ったら・・・・なんと、動くではないか。
変わった生き物だな~っと思い、誰かに見せようと思って探していた。
スネ~ク鈴木(仮名)がいたので聞いてみた、「それはハリガネムシ、寄生虫だ。子供のころカマキリを飼っていて見たことがある、カマキリのおなかの中に寄生して、カマキリをコントロールして河原に行かせ其処で生きていく変わった生き物、まれに人間の脳に入ることがある、殺してから捨てて!!」
流石、スネ~ク鈴木 よく知っている。
蛇や亀だけではないんだな~、まさかこの変な生き物の名前を即答するとは思わなかった。
早速、外に行って、ハリガネムシを殺すことにした。
コンクリの上において、脚でグニュグニュやったけど、まるでゴムを踏むようだ、固まるだけで、すぐ元に戻ってしまう、そしてまた動き出す。
鉄のスコップを持ってきて、ゴキゴキやって二つに切断、グニュグニュやって側溝に捨てた。
そのあと、お昼になり、お弁当を開けたらスパゲティーが入っていた( ̄□ ̄;)ガ~ン
ハリガネムシとは↓
http://musi.s6.xrea.com/nikki2.htm
お正月番組「メイドイン・ジャパン」を見た。
日本で作った物が、世界各国のどんな国で広がっているのかを、日本に来ている外国人たちを招いての番組だった。
面白かったのが、25年前NHKの朝の連続ドラマで上映していた「おしん」の話である。
外国人の人には「国で”おしん”のドラマを見て日本に来たくなった」と言っている人もいた。
「おしん」とは
山形県の小作農の三女に生まれたおしんは、学校に行けずに奉公へ。上京して髪結いをし、魚の行商などを経て、やがてスーパーマーケットの経営に乗り出す。
そんな話だ。
私が”おしん”を見たのは20歳のころ、会社の昼休み、食堂のオバちゃんと一緒に見て感動したっけ。
テレビでは、日本の若い人が”おしん”を見たことがないっといっていた。
”おしん”知らない世代があるんだ、是非もう一度 日本でも再放送をやってほしいものだ。
50歳にになり、また”おしん”を見て感動したいものだ。
PS
職場には、シンガポールとジャマイカから来た外国人の方がいる。
”おしん”のことを聞いてみよう。
佐久間のヘルストピヤに選挙に行った。
帰りに、佐久間病院で昨日の指怪我を見てもらいに行った。
思った以上に血が出ていたのか、ガーゼは血液で固まっていた。
傷の所に張っていたソフランが傷口にくっ付いていたので、消毒液を着けながら静かに剥がしてくれた。
一部、縫っていた部分の間が張り付いていないので、そこを触ると少し痛かった。
先生が言うには「うまくくっ付いてくれれば、治りも早いですが、くっ付かないと皮膚の再生を待つので治りが遅くなります」そうか~(+o+)
今は安静にしていて、くっ付いてくれるのを祈るばかり。
明日の午後、佐久間病院に外科の先生が来るので、後はその外科の先生に判断をしてもらう。
今日もお酒は我慢しよう(+o+)
去年の、4月末にブログを始めた。
最初は、Googleでのブログ投稿をやってみた。
金時山へのマラニックの写真等を貼りつけてみた。
Googleは英語での説明が多く、使いかってが良くわからない、そんな時。
7月に今お世話になっている「忍者ブログ」に乗り換えた。
ここにきてから、そろそろ一年、ブログ投稿をなんとなく続けている。
人には見られたくないな~。
とは思っているけど、少しは見られたいな~。
とも思っている。
そこで、忍者ブログの「拍手設定 履歴」を昨日、貼りつけてみた。
今朝、ブログを見てら。「2回」と出ていた。
二人なのか、同じ人が二回押したのか。
一人でも見て読んでくれる人が居るのだ。
明日からも、なんとなくブログ投稿を行っていこう。
「継続は力なり」
「さとうきび畑」に出会った。
第二次大戦 日本で唯一住民を巻き込んだ沖縄の地上戦の悲惨さ
多くの人に愛されている名曲「さとうきび畑」
「ざわわ、ざわわ」と風が通り抜けるたびに、さとうきび畑は、私たちに訴えかけるようです。あの戦争を、決して忘れてはならないと……。
この唄は、沖縄戦で父親を失った、一人の子供の唄でもあります。
戦争が終わった日、生まれたその子はとうとう―
父の顔を見ることも、声を聞くことも、抱かれることも、
そして――
「お父さん」と呼ぶことも出来なかったのです。
「感動 さとうきび畑の唄」 http://www.youtube.com/watch?v=NYZrb8AjVI8&feature=related
「さとうきび畑の唄」 http://www.tbs.co.jp/zawawa/
先日の「多国籍軍マラニック」「ほうじ峠 ウォーキング」6月の「佐久間・水窪スーパーマラニック」
アメリカの人、カナダの人、イギリスの人、日本人、老若男女、みんな みんな・・・。
一日、里山を歩き、駆けまわれる喜び、平和の世の中への感謝、そんなことを少しでも感じてほしい。
「浜松縦断 夢街道」90km
も いろんな人が、楽しめる ウォーキング&マラニックになったらいいな~。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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