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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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先日の静岡骨髄バンクを推進する会の総会
第二部
1、会員同士の懇親会
この時に、久しぶりにこの会に参加したAさんからの話。
「昔はもっと多くの会員が集まっていたけど・・・・」

10年前は白血病になっても、病気にとっての知識や患者同士の繋がりがなく唯一、この会が集まる場だった。
今は、パソコン・インターネットの発展で、病気にとっての知識、患者同士の繋がりも家に居ながらできるようになってきたのだ。

しかし、こんな時代だからこそ、人が集まって直に話し合うことが大切な時だと。


お酒を飲んで。

私が住む佐久間町は浜松市に合併し、当時の役場の職員に
「この町は、浜松市に合併すれば静岡市に合併した井川地区の様に公共施設の管理は出来なくなってしまう」
そんなことを言われた。
合併から10年がたとうとしている。
その間、地域のトップに立つ人がコミュニティの大切さを唱た人が居るのだが・・・なかなか進まない。
それぞれが、勝手に進んでいる・・・そんな感じだ。

 

合併の後、1970年の佐久間中学校卒業アルバムを引っ張り出し、このアルバムに写っている人の同窓会をやろうと決めたのだ。
中部のお祭りに集まっている人に相談し、色々なことを決めた。

佐久間中学校同窓会DE.com
http://run2.ina-ka.com/sakuma75.htm
同窓会DE.com掲示板
http://320.teacup.com/tsutomu/bbs

パソコン・SNSなどで交流。
たまに集まってお酒を飲んで交流。

コミュニティ=共同体
今の時代、こんな感じのコミュニティが良いと思う。

PS
NHK学園の社会福祉学科で専攻した学科
現代コミュニティ論(奥田道大 著)
読み直して見ようと思う。

byしんしん

 

 

 


 

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この総会は、静岡市の駿府公園近くの「静岡県総合福祉会館」”シズウエル”行われる。
今年は、その会館まで走って行こうと思っていて計画していたのだった。


去年、私のラン友数人が、日本縦断走り旅に参加した人が居た。
http://konoedas.at.webry.info/201307/article_24.html

私も東海道を走ってみたい。
そんな思いから、今回は掛川から走ることに決めた。

私が住んでいる佐久間町から静岡市に行くには、ふつう飯田線に乗り豊橋で東海道線に乗り換え掛川に行くのだが、
http://railway.jr-central.co.jp/cgi-bin/timetable/tokainr.cgi#route-1
2270円

今回は別のルートにした。

私の家を朝5時45分ごろ走り始め、7キロ先の西渡バス停に行き、ここから二俣の城下駅までバス、この間650円
ここから天竜浜名湖鉄道の「二股本町」を8時24分の二股線
「掛川駅」に9時26分到着、この間700円
計1350円。

こちらの方が断然安い。

掛川駅を出発し、東海道走り旅が始まった。


小雨降る中の走りとなったが、山がお茶が雨で洗われとても景色が綺麗に見えた。
掛川駅から藤枝駅まで4時間かけての走り旅は楽しかった。
途中、お昼にと島田のバイパスにあった"すき屋"の牛丼が美味しかった。

藤枝駅から静岡駅まで410円

「静岡県総合福祉会館」”シズウエル”に着いた時にはもう総会の第一部が始まっていた。

第二部の会員同士の親睦会。
元患者さんや家族の人、ドナーさんなどがテーブルに集まり話し合いをした。
色々な経験をした人が居る。
ここで前から聞きたかった質問をした。
質問1
「マラソン大会などでタスキを掛けて走っていると、反応は様々、元気な高齢者もいる、そんな人が骨髄バンクに登録しようか問われたとき、55歳までと決まっているのが忍びないといった」
「年齢に制限を掛けるより、その人の気持ちで登録できないものか」・・・と。

答えは
「以前は50歳までだった。今は55歳までになった。やはりドナー登録をしていて高齢になってくると健康診断の段階で提供するまでに行かない確率が増えてくるそうだ」
「そういう方には、献血を進めてください。今では69歳まで健康なら献血は可能です」・・・と。

そんな話が終わり。
よいよ・・・懇親会。

生中3杯飲んで、ハイボール。
清酒の熱燗を飲み始めてから・・・・記憶が定かで無くなっていく。

後からデジカメを見たら・・・こんな写真があった。




ジャンジャン!!

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3月1日(土)に書いたブログ「天龍梅花駅伝中止に伴う参加の返金について
3月2日(日)に参加料を寄付してはどうかと、佐久間RCの部長に連絡し、話をし、、、承諾してもらった。

3月3日(月)に天龍村の役場に電話したら、担当者が不在だった、、、。
      携帯番号を伝えて受話器を切った。

3月4日(火)仕事に出勤してすぐに携帯の着信があり、梅花駅伝の担当者という人と話ができた。

担当者は「ありがたいお話です」
と、承諾してくれた。
来年は「さくまRC」を優先的に参加できます、、とも。
お礼に、ささやかですが温泉入浴券をチームのメンバー分を送ります、、、とも言って下さった。

そして、そのことを天龍村ホームページに書いてくれた。
◎御礼◎
 この度、第46回天龍梅花駅伝大会に出場予定でした、ゼッケンナンバー45の「さくまRC」様より参加負担金の寄附を頂きました。この場をお借りして御礼申し上げます。
  なお、「さくまRC」様より頂きました寄附金は来年度以降の運営に有効に利用させていただきます。
と。

天龍村ホームページ

私は、お昼休みに、梅花駅伝に参加するはずだったメンバー(私を除く)5人にメールで、そのことを伝えた。

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拝啓 梅花の候、皆様におかれましてはますますご健勝のこととお喜びを申し上げます。
この度2月16日(日)に開催を予定していました第46回天龍梅花駅伝大会ですが、記録的な大雪等により延期も含め検討いたしましたが、道路状況や選手の安全面を考慮した結果やむを得ず中止といたしましことを心からお詫び申し上げます。

なお、表記参加負担金につきましては、全額を返金させていただくことにします。
つきましては、お手数ですが、同封の「第26回天龍梅花駅伝中止に伴う参加負担金返金先調査票」にご記入の上、3月10日(月)までにご返送下さいますようお願いいたします。

本年はこのような残念な結果となりましたが、来年こそは、実施できるよう計画いたしますので、是非ご参加いただけますようよろしくお願いいたします。

先日、このような手紙が来た。
返金ができるのなら、、、と、我がグラブ「佐久間RC」の会計の人に連絡をして、梅花駅伝の振り込み用紙のコピーを届けてもらうようにメールをしたのだった。

そんな時に、私、、、少し疑問に思った。
参加申込書に参加料の事前払い戻しについての誓約書がなかっただろうか?

例えば、今手元にある「野辺山100㎞ウルトラマラソン」の申込書の場合。
参加料は規定のキャンセル以外の場合は返金できませんのでご了承ください。
荒天・天災・事故・疫病などの理由によりやむを得ずコース変更、または大会の中止をする場合があります。
なお、その際の参加料はご返金できませんのでご了承ください。
と書いてある。

そういえば、東北の震災があった年、3月11日以降の浜松市のイベントはすべてやらなくなった。
その中の「天竜区秋葉ダム桜マラソン」4月の初めに行うはずだった大会は中止になり、参加料3千円は現金封筒で帰ってきたのだった。

今年の「天竜区秋葉ダム桜マラソン」の申し込み規約を見てみよう。
A4見開きの内側のページに小さい字で、
2.地震・風水害・降雪・事件・事故・疫病等による・開催縮小・中止・参加料返金の有無・額、通知方法についてはその都度主催者が判断し決定いたします。
と書いてあった。


因みに、同じ月に開催予定だった「長野マラソン」は参加費が東日本大震災の寄付にまわったそうだ。

東京マラソンでも、
 ブログ「ほくえんの風」

開催ができなかったので返金、、、ではなく。
チャリティとか寄付という考え方もあるのではないかと思うのである。

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7年前・・・かな?
朝ランをしていて、ラン友にすれ違った時に
「○木さんが白血病になったそうだ!」
そんな話を聞かされた。

白血病・・・・?
当時の私は、夏目雅子の本田美奈子の白血病でしかその病名は分からなかった。

今、自分がやらなければならないことは、考え
浜松の献血ルーム「みゅうず」に行き骨髄登録をしようと尋ねてみた。

しかし、私は「ドナー登録できないケース」の一つに入っていたのだ。

その夜、ネットで検索したどり着いたHP「静岡県骨髄バンクを推進する会
そこで、
骨髄バンクにご協力をお願いします
のタスキをかけて走るボランティアを知った。

また、「静岡県骨髄バンクを推進する会」に入会して、色々な人と知り合いになり様々なことを知った。
骨髄を提供した人、された人。

そして、そこで知った「命のアサガオ
小児がんでこの世を去った小さな命。

骨髄バンクの登録数が多くあれば、命を繋ぐ可能性は多くある。
できることなら・・・・。
「骨髄バンクにご協力をお願いします」
 
                                                    byしんしん

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佐久間町は山の中の小さな町です。

去年の暮れから、何かの縁で、私は佐久間病院の人たちが行っている「さくまっぷ」作り。そんなのに参加している。
12月7日に佐久間地区を散策、12月23日に半場地区を歩いてきた。

昨日、平成26年1月13日は中部地区を歩いたのだ。



写真はクリックすると大きくなります。




中部のお寺(宥泉寺)永代供養のお墓。

私が住む地区(半場地区10班)での私が班長をやっているときに、一人の老人がいた。
年齢は、94歳、妻に先立たれ一人きりの生活だった。
やがてその老人は地区の民生委員の紹介で佐久間の里(特別養護老人ホーム)に入所し、そこで亡くなった。

身寄りがないので、その民生委員がすべてをお世話した。
私も、お寺(宥泉寺)に行き手を合わせた。

その時、御仏前の話をしたら、
民生委員の人が、
「生前に永代供養として、お寺に納めてある」と言っていた。

今回の、さくまっぷ(中部編)
お寺や、神社、を巡り、手を合わせる日本人の習慣を甦させる中部地区の散策だった。

私の田舎でもそうだったが、村の色々なところに神様がいて、年末になると子供たちは村の神々に御供え物を配るのに大変だった。
それでもそれが、当たり前の時代だった。
私の田舎は「塩の道」の街道沿いにあったこともあり、名も知らない人の亡骸を弔った墓もあったという。
そんなところに、わけもわからず手を合わせて帰ってきた記憶がある。
忘れかけた昔の記憶。
 が、なぜか甦った。
 
そんなことを思い巡らせる。

今は、時代が変わった・・・と言ったも・・・忘れてはならないものがある。
きっとある。
田舎だからこそ、忘れてはならないこと。
・・・・・・・・今、生きていることは・・・・・ただ偶然のことではないのだ。
意味があって、今の時代を生きているのだ。

今日の酒はやけに旨かった。
ジャンジャン^^;

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さくマップ・・・なんだろう?

そのように思って、12月7日(土)に、初めて参加した、さくマップ。

その日は、佐久間協働センターに集まって佐久間地区を歩いた。
さくマップ(佐久間編)

今回は、佐久間病院の会議室に集まってから、話し合いの後に半場地区を歩くのだった。

なかっぺ橋を渡り、半場に。

半場は、私の住んでいる地区だ、半場のお祭りやその他の行事で見慣れている景色、何がいいんだろう?

半場のいいとこ・・・・・。

今日のさくマップで歩いているときに撮った写真を動画にしてみた。


平成元年に、ここに越してきて、この景色を見続けてきた。

何も変わらない、この景色・・・・・。

変わらない・・・・それが・・・またいいのかもしれない。

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さくまっぷ
何だろう?

佐久間病院のホームページかな?
佐久間ネットワーク「あんじゃないネ
このHPで調べると、さくまっぷとは。
 ふるさと佐久間の
★あなたの思いを落とし込んだ自分だけの地図
★佐久間の良さをみんなに伝える地図
★さくまを訪れる人へのおもてなし地図
 だそうです。

今回は第二回目。
佐久間地区の散策だったのだ。

佐久間協働センターに集合し。
佐久間地区の講師を先頭に晴天の下、佐久間の散策に出発。

佐久間協働センター前の国道を横切り「ごんげん」へ、佐久間に生まれて53年、この地区に越してきて23年。
初めて上る ごんげん の坂。
そんなごんげんからの佐久間協働センター
 

子安神社を見学後、急な坂道を下り道路に出て、たる沢を渡ると、ここからはやじまになる。
飯田線の鉄橋をくぐり、佐久間の原田橋を渡り、佐久間商店街(大昔の商店街)に続く道路を一向は歩いていく。

途中、「別所稲荷大明神」へ寄り道。

忘れ物や落し物、探してほしい物があったら、ここの稲荷様に神頼みすれば・・・たちどころに探し物が見つかると言う、霊験新たかな稲荷様だと言うお話だった。


コースは、佐久間商店街(大昔の商店街)のほうには行かず、旧佐久間中学校の校門を登り、佐久間就業改善センター前をとおり、佐久間神社に行く。
 
佐久間神社前からは青空の下、佐久間協働センターが見えた。
ここからの佐久間のお祭りで上げる花火は真正面に見え綺麗だそうだ。

講師の人が持ってきたA4の写真、昔の「天竜川橋梁」、今は佐久間駅から峰トンネルを抜け水窪方面に行っている飯田線もこの写真は今の佐久間ダムの発電所のほうに架かっている。

発電所内に当時佐久間駅から信州に向かうトンネルがあるそうだが、今回は見る事ができなかった。
残念!!

その後、今は廃墟と化した我が母校「佐久間中学校」前を通り、私が卒業してから出来た、飯田線の降下のトンネルを抜け、佐久間図書館へ。

今日の10時から12時まで、
佐久間地区を歩いてみて思った。
世代の違うメンバーと、昔の思い出を語り気付いた事。

この景色を綺麗と感じるのは、その人の心。
つまらないと思うのも、その人の心。

何時までも、綺麗と感動できる心でいよう!!

さくまっぷ
次回は12月23日(月)だそうだ。

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昨日家に帰ってくるとポストの中にA4伴の封筒がに入っていた。私が登録している「静岡骨髄バンクを推進する会」からの手紙だ。

封筒を開いてみると、静岡県骨髄バンクを推進する会の平成24年度総会の資料がドッサリ入っていた。

その中の一つにアサガオの種が「親でさえ一致しなければ わが子に”骨髄液”をあげることはできない」のメッセージと共に入っていた。

このアサガオの種は、最愛の息子を白血病により7才で亡くした新潟県の「骨髄バンク命のアサガオにいがた」の会長 丹 後 まみこさんが一昨年「静岡骨髄バンクを推進する会」の総会に来て公演をし届けてくれたアサガオの種のなのだ。

命のアサガオとは↓
http://www.iplus.jp/~asagao/

平成5年に白血病のため7歳で亡くなった 新潟県の丹後光祐君が、約3ケ月間だけ通った小学校で大事に育てられた"アサガオ"

お母さんの"まみこさん"がそのアサガオを育て続け「アサガオが親善大使となって、命の尊さ、白血病に苦しむ人がいることを知って欲しい」という思いを込めて、多くの小中学校などにくばられました。
今では全国各地で花を咲かせています。
一人でも多くの患者さんに「命の贈り物」が届くことを願って今では「骨髄バンク命のアサガオにいがた」の会長となり運動を続けています。

そんな光祐君のアサガオが 丹後まみこさんの活動によって、静岡県の佐久間の私の家に送られてきたのだ。

大切に育てなければ。
 

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5年前 私が入会したボランティア団体「静岡骨髄バンクを推進する会」

年に何回か広報誌を送ってくる。

今日は、その広報誌に会の案内が乗っていたので、ここで紹介してみようと思う。

《会の案内》
 静岡骨髄バンクを推進する会は、公的骨髄バンクである(財)骨髄移植推進財団の活動を支援することを目的として、平成4年4月29日に設立したボランティア団体であり、会員は150名です。
 骨髄移植によらなければ命が助からない、血液難病の患者さんが一人でも多く、一日でも早く元気になっていただくためには、この骨髄バンクへの骨髄提供登録者(ドナー)を確保することが大切です。
 このため、私たちは県民の骨髄移植・骨髄バンクに対する理解の促進と、ドナーの拡大を目的として、静岡県内で活動しています。

《活動内容》
○(財)骨髄移植推進財団、日本赤十字社、地方自治体が行う骨髄バンク事業の普及、啓発、広報宣伝活動ならびに骨髄提供者の募集業務に対する支援協力
○機関誌、広報誌、パンフレット等の発行、送配布、学習会開催及び参加そのたの方法による普及啓発、広報宣伝活動
○ドナー、患者及びその家族に対する支援活動
○医療検査機関及び医療保険の充実、患者負担金の軽減を求める活動
○その他本会の目的達成のために必要な活動

《ボランティア募集》
☆骨髄ドナーを拡大するための普及啓発活動にはボランティアのご協力が是非とも必要です。
 ドナー登録受付、街頭や各地イベントでの広報活動、講演会や絵画展の会場設営や受付、等たくさんの力を必要とします。よろしくお願いします。

《お願い》
◎会員になって、私たちの活動を応援してください。
 当会は、公的骨髄バンクを支援するボランティア団体です。
 会費と寄付で運営しています。
 本会の活動をご理解いただき、是非とも入会をお願いいたします。
 本会の会員は、正会員・賛助会員の2種類になっており、年会費は下記のとおりです。
■一般会員    2000円(ただし、学生は1000円)
 賛助会員 一口 5000円
 入会してくださった会員の皆様には、会報「静岡骨髄バンクだより」や骨髄バンク関係団体の機関誌などを送ります。
 また、当会の総会への出席案内を通知します。
☆入会の申し込みは、静岡県骨髄バンクを推進する会 事務局 まで。

HP
http://www.marrow.or.jp/shizuoka/

私は、HPから申し込みをしました。


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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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