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「マヤの一生」作者
椋 鳩十(むく はとじゅう、1905年1月22日 - 1987年12月27日)は、日本の小説家、児童文学作家。本名は久保田彦穂(くぼた ひこほ)。長野県下伊那郡喬木村阿島出身。
「ごんぎつね」の作者
新美南吉(にいみ なんきち、1913年7月30日 - 1943年3月22日)は、日本の児童文学作家。本名は新美正八(旧姓:渡辺)。愛知県半田市出身。
ウィキペディアから引用
椋鳩十のことは、遠山郷の第一回マラニック「チャレンジマラニックin遠山郷」のTシャツの後ろに椋鳩十の遠山郷に残した詩「遠山郷は星の美しい里 河の美しい里 人の心の美しい里 である」プリントしてあり知り合った。
「マヤの一生」が有名である。
戦争の悲惨さを訴えることを、飼っていたマヤ(熊野犬)の一生に表している代表的な作品だ。
マヤはマヤを可愛がっていた次男の匂いのする下駄を見つけ、その上で息を引き取った。
「マヤの一生」読んで思うこと。
権力の力で威張る人、その陰で泣く人、、、、。
そんな時代があったことを忘れてはいけない。
かたや新美南吉の「ごんぎつね」
ゴンは、兵十の鉄砲で撃たれて死んだ。
「ごんぎつね」を読んで思うこと。
いたずらばかりしていたゴンの、罪滅ぼしのための兵十への贈り物。
最後の
「ごん、お前まいだったのか。いつも栗をくれたのは」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
そんなシーンに涙が出た。
二人の作家は、現代に生きる私たちに何を問いかけているのだろう。
鳩十は晩年を鹿児島市で過ごした。
故郷である信州に飯田線を使いよく帰ってきたと聞く。
この山深い渓谷の地を愛していた人なのだ。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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