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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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2001(平成13)年、私の所に佐久間町の役場の人が来た。その人はわたしより一学年先輩の角兄(カクに~)
佐久間中学校で一学年先輩だ。
その角兄が言うには「井辺君を県市町村駅伝に誘ってほしい」ということだった。
井辺君とは朝のジョギング時によく出会う。そんな時に角兄の話を伝えた。
佐久間中学校時代の二年先輩の太田マーボーも走っている、そんなマーボーの娘と私の娘も市町村駅伝の予選に参加した。
それからマーボーも私も市町村駅伝の練習に参加した。
2002(平成14)年、静岡県市町村駅伝の佐久間でのチームを選択する予選会があった。男性40歳以上の部、マーボーとデットヒートの末勝ち取った補欠の枠だった。
ま、補欠だから選手の付き添いだから、気は楽だ。った。
それでも静岡新聞に自分の名前と顔写真が記載されコメントも書いてある。それも見た知り合いから電話もあった。
2002年11月29日の金曜日、仕事を半日で終わり、役場の前で多くの職員に見送られマイクロバスに乗って佐久間町から静岡市に向かった。
静岡市のグランシップで市町村駅伝の開会式は行われた、佐久間町と書いたプラカードを先頭に選手の一人として私も行進した。
観覧席からは地元小学生の「佐久間~~」の声援が聞こえた。壇上には静岡県の市町村の首長が勢揃いしている。我が佐久間の町長 小原侃之輔さんは背が高く頭が光っていてひときは目立っていた。
 
平成12年~14年、NHK学園で学び卒業した。そして平成15年にNHK社会福祉学科に入学し、二か月に一回名古屋の愛知東邦大に通った。
NHK社会福祉学科を選択したのは、この学科を卒業すれば介護福祉士の免許を受けることができるからだ。
2004(平成16)年、この年、その介護福祉士の学科の試験が1月25日愛知県の大同工業大学であった。とても多くの人がいた、受験番号を頼りに教室を捜し、やっと見つけたその教室には自分の番号だけが無かった。おかしく思い会場の人に聞くと、チョットした手違いで間違ったそうだ。急遽違う棟に移り机に座った。はじまる前からやな感じがした。ところが数日後合格のハガキが届いた。
 
走る方も、それなりに頑張っていた。
介護福祉士の学科の試験の帰り名古屋からの帰りの途中で、新城運動公園によって5㎞軽くギョギングした。思いで多い新城運動公園だから近くに来たので寄ってみた。
その年の
2月2日森町ロードレース21㎞ 1時間33分43秒
2月23日天竜杉の里21㎞    1時間39分00秒
3月 7日、介護福祉士の実技試験の日、場所は愛知県の同朋大学、電車で行く名古屋では雪が舞っていた。
勝負服に2000年2月20日自分の40歳の誕生日に走った青梅マラソンのTシャツを着て臨んだ介護福祉士の実技試験、そのモデルは男性だった。噂によると女性のモデルの方が合格率が低い、とか。少し安心した。

3月21日 豊橋ハーフ     1時間40分01秒
貧血気味で、タイムも振るわない。
4月04日 秋葉ダム桜マラソン10㎞ 39分44秒
何もかも順調に進んでいると思っていた。次は、次のマラソン大会は4月27日の小笠・掛川マラソンが目標だった。
2004年4月13日火曜日、仕事を6時に終わり自転車で佐久間小学校に行き、私のもう一つの趣味「空手」の稽古をするために体育館に入り師範に「中学生を相手に組み手を」といわれ、その中学生を相手にしているときに、頭の遠くで不吉な痛さが、少し休憩すれば治ると思っていたが、だんだんその痛さが増してきた。携帯を貰い119に電話した。
佐久間病院は、仮設の病院だった。CTで撮った写真を見てドクターが「出血してます」と、外はもう日が暮れ真っ暗、ドクターヘリは飛ぶことは出来ない。
佐久間病院から三方原聖霊病院まで搬送が決まった。曲がりくねった国道を走る様子がなんだか記憶している、ような気がする。
記憶が無くなって五日、土曜日の昼、自分は病院のベッドの上だった。病室の洗面台に行き鏡で顔を見ると右の頭に大きな絆創膏を貼った無精ひげの自分が鏡に映っていた。

リスクとベネフィット
世の中のものには、プラス面とマイナス面があります。
プラスの面をベネフィット(便益)といい、マイナス面をリスクといいます。
リスクは日本語の「危険」とは違い量的な意味で使用され、望ましくない害が起こる可能性の程度(確率)を指します。
 実際に発生した時の害の大きさが異なる場合には、その大きさと発生する確率との組み合わせで定義されることもあります。
ベネフィットは大きければ大きいほど良く、リスクは小さければ小さいほど良いのです。
しかしながら、人がベネフィット得るために何らかのものを利用しようとする限り、いくらかのリスクは避けられず、それを完全に無くすことは決してできません。さらにいえば、リスクを完全に無くしてベネフィットだけを得ることは不可能です。

今日読んだ、ある冊子のコラムに書いてあった。

「リスク(危険性)とベネフィット(便益)」
世の中の全ての物には、必ず良い面と悪い面がある。
2012/04/12 (Thu)に書いた自分のブログ「ほくえんの風」から。
走ることにも、良いことも悪いことも、有るのかナ~。
 

FB(フェースブック)をやっていると、続けていると、何年か前の自分が投稿したことが帰って来る。
日記は、自分が読み返して初めて、あのときこんなことを思っていたのか、と回想するが、FBの場合自分の過去の投稿がスマホの画面に現れる。
また、FBの友達からの投稿も。続けていると仲間も増えてくる。自分の考え方趣味その他の繋がりで友達が増えてくる。
中には商売繁盛を願って、選挙運動での自分の考えを示すために、また自分の孫自慢、子供自慢の人もいる。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
59
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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