椋鳩十の遠山郷に残した言葉の碑がある。
遠山郷は、星のきれいな里、河のきれいな里、人の心の美しい里である
この碑がある遠山郷のお寺は
龍淵寺(りゅうえんじ)
ここの和尚様は
龍渕寺・青龍寺だより
なるものを書いている。
今回
8月号no911
お盆はご先祖からいただいた
いのちの感謝デー
ブログに残しておこうと思う。
私たちはひとりひとりでは生きていけません。
人と人、人と社会、人と物とが関わって生きています。
とりわけ人は、人を必要としています。
今、ここに生きている「あなた」や「私」のいのちは作られたものではありません。
ご先祖のいのちのバトンタッチによって授けていただいたいのちです。
かけがえのない二度とない人生の尊いいのちです。
このいのちをいただいたあなた、そして私ですから、お互いがお互いを必要としていることを理解し合って生きていかねばなりません。
そう考えると、お盆はご先祖からいただいた”いのち”の感謝デーなのです。
そしてお盆は「人は人を必要としている」ということを改めて考えるひとときでもあります。
「供養」という字を分解すると、人と共に養うと読むことができます。つまり私たちは一人ではなく、いつも誰かに関わっているのですから、私とあなた、或いは亡き人と今を生きている私が、共に心の力を養う日々こそが、お盆なのです。
過去無量の
いのちのバトンを受けついで
いまここに
自分の番を生きている
それが
あなたのいのちです
それが
わたしのいのちです
原文まま。
アリガトウの反対語はアタリマエだという。
アリガトウ(有難し)
あることは難しい、まれである。
まれでないこと
あって当然、「アタリマエ」
アタリマエの事なぞ何もない。
ご先祖からいただいた大切な命
これからどのように生きようか。
byしんしん
何時もはマラニックで、お世話になっている
遠山郷へ、今回は観光で、、、行ってみた。
水窪にも用事があったので、、、。
佐久間から水窪まで約1時間
本町で用事を済まし、ココから兵越峠を越え、遠山郷に、、、、。
国道152号線
ここの峠越えは、国道とは思えないほどの狭さ。
対向車が来ると大変(≧▽≦)
峠を越え、このたの集落、ココの目の前にある山の絶壁は秋になると紅葉が素晴らしい所だ。
集落を下り、遠山郷のバイパスに出る。
遠山郷の集落
和田地区と木沢地区を結ぶバイパス
小道木バイパス、
橋梁2橋、トンネル2箇所を整備することにより、両地区間の距離を半分になったそうだ。
目指すは
下栗の里、日本のチロル、日本の田舎の原風景。
それと、、、。
2年前、ここ下栗の里を
チャレンジマラニックin遠山郷
で、走った時に、写真を撮ったお食事処「いっ福」のオバサン(お姉さん)に会いに行こうと思ったからだ(^O^)/
そのときの動画↓↓↓↓
店に入り、うどんを注文
そんな話をしながら、昼食タイム。
店を出て、半場亭に向かい、ココに車を置いて、下栗の里ビユーポイントに向かう。
そこで、下栗の里全風景を、、、。
引越しのサカイ
コマーシャルでの場面を思い出す。。。
車の置いてある半場亭に戻り、しらびそ高原に行こうか如何しようか?
悩んだ末、
今日の観光は遠山郷、向かうところを木沢小学校と決めた(*^^)v
旧木沢小学校(昭和を感じる木造校舎)
http://tohyamago.com/kankou/kizawa/index.php
10年前、
チャレンジマラニックin遠山郷
は、ココのグランドからスタートした。
思い出の小学校だ。
玄関には猫校長タカネちゃんがお昼寝をしていた(^O^)/
ぐるっと校舎内を見学し、つぎはスイーツを食したい。と思い
遠山郷土館 和田城内にある「カフェ和田城」でシフォンケーキとコヒー。
しばし歓談
イップク(^。^)y-.。o○
次は
隣のお寺「龍淵寺」(りゅうえんじ)へ
ココにある
椋鳩十の遠山郷に残した言葉の碑がある。
遠山郷は、星のきれいな里、河のきれいな里、人の心の美しい里である
マラニックの第二回のときだっけ、Tシャツにプリントされていたっけな~。。。。
「龍淵寺」には観音冷水という水が湧き出ている。
そこでイッパイ、水を飲む。
そこに置いてある
「龍淵寺」の和尚様の書いた広報を頂く。
車に戻り、よいよ神楽の湯に、、、、。
どぼ~ん。。。あ~いい湯だ。
宴会場では何やら歌手が来て大騒ぎだ。
私が佐久間に帰ってきた28年前
家族で遠山郷に初めて来たときには、そのとき思った印象は。
「こんなところにも人が暮らしているのだナ~」
正直、そんな感じだった。
それが、10年前、遠山郷でマラニックが始まり。
今まで10年間、遠山郷に通い、遠山郷に人に知り合い、話をして酒を飲んで、遠山郷の移り変わりをこの目で見てきた。
そして自分なりに感じたことがある。
自分なりに何かを感じ、これからの生き方を決め、今の自分がある。
今年
2016年
チャレンジマラニックin遠山郷
は、第10回記念大会。
おもっきり楽しまなければ(^O^)/
byしんしん
佐久間の希望
その前で写真を撮り
飯田線の歩道を通り
B型鉄橋を渡り
中部の商店街を走り
酒屋「辰美屋」にゴール。。。
今回は、上島キャンプ場に宿泊
バンガローを3棟
天竜川に泳ぎに行くも良し。
バンガローで横になるも良し。
宴会前にビールを飲むもよし。
着替えを済まし、みなさんそろったところで、カンパ―イ~。
今宵もはじまりました(^.^)/~~~
夜、雨脚が強くなるも、遠く佐久間では花火の音が鳴り響いていた。
ヒロボーさんのオカリナの音
365日紙飛行機
朝の空を見上げて
今日という一日が
笑顔でいられるように
そっとお願いした
時には雨も降って
涙も溢れるけど
思い通りにならない日は
明日 頑張ろう
晴天のとき、雨模様のとき、身体に吹く風にホットし
やっとたどり着いた私の暮らしている佐久間。
ようこそ。。。
welcome(^O^)/
お酒もホドホドに。就寝
翌朝は、昨夜の雨が止み、秋模様の涼しさだった。
上島キャンプ場前を
スタート。
それも、朝方だけ、日差しが出てきて、暑い60㎞になった。
道の駅「花桃の里」
天気はピーカン
途中
ランナー仲間がエイドを
冷たい飲み物、果物
ごちそうさまでした(^O^)/
その後
コンビニと思ったが、今回は遠鉄ストアーで昼食とした。
そこで、氷をゲット。
タオルに巻いて火照った首筋を冷やしながら走ることに。。。
クロバード通り
の、浅野洋品店で、冷たい御絞りと冷水を頂く。
感謝・感謝。。。
天竜を抜け、浜北に突入。。。
ここからが、単調な真っ直ぐな道程。。。20㎞
アクトタワーが小さく見える。
コンビニでガリガリ君を買う。
ホテル・コンコルド。
を過ぎるともうすぐだ。
ザザの所を左折し、浜松駅へ。
繁華街を走り。駅のコンコースを歩き。
着いたぞ~。
浜松駅南口。。。
17時42分
そこには、ヒロボーさんとノブさんが待っていてくれた。。。
記録↓
http://hokuen.web.fc2.com/pdf/hamamatu2016.pdf
本当にありがとうございました(^O^)/
感謝・感謝・感謝の
浜松縦断マラニック往復120㎞でした。。。
終わり。
思い起こせば
12市町村が合併して浜松市が誕生したときに
家族で浜松市内に買い物に行こうとする
そんな時に
ウルトラマラソンを走る人に出会ったことが切っ掛けで
自分も、、、
フルマラソン以上の距離を走ってみようかナ~
そんな気持ちで
2005年の夏に
浜松駅南口から自分の暮らす佐久間町半場までの60㎞を走ったのが
浜松縦断マラニックの原点なのです(^O^)/
次の年
走る仲間を誘って
走った。
この年は、佐久間町中部で行われる
お祭りの日に合わせて走った。
中部に着き
お祭りで奉納される花火が天高く上がりドーンっと鳴り響いたときには
胸が熱くなった。
そして第三回からは、往復するのもいいかも?
そんな話が出て、往復になった。
あれから11年
いろいろな事があった。
ゴールも
上島キャンプ場から かぢや旅館・伊藤さんの別宅・と変わって今回、また上島キャンプ場になった。
今回のメンバー
往復
ナオミ君・ヤスヒコ君・イノウエ君・シゲル君・シゲミツ君・ヤスイチ君・ヒロシ君・サダイツ君・シンマ君
カヅエさん・ヨウコさん・ヨシエさん・カツヨさん
往路だけ
ヤマナカ君・ワダ君
こんな人たちで政令指定都市になった北遠の佐久間町を目指し走った。
そんな浜松縦断マラニックの動画です。
↓↓↓↓↓
人それぞれ、見えてくる景色は同じでも
感じることは、また違って感じるもの。
あれから11年たったのか~。
感慨深いものがある。。。
政令指定都市浜松市になった佐久間町は
これを機会に、ココを引っ越して行った人が多くいる。
また、最近も、そんな人を見送った。
まるで、大きな地域に吸収された山間部の町は夢も希望も無いような所になってきつつあるような雰囲気だ。
でも、こんなところでも、希望はある(^◇^)
そんな希望の前で
記念写真(*^^)v
つづく
昔 話題になって、ベストセラーになった、藤原正彦「国家の品格」を読んだ。
あらすじは
↓↓↓↓
http://www5b.biglobe.ne.jp/~michimar/hon3/053.html
この本は2005年11月20日に発売、多くの人に読まれベストセラーになった。
また最近の日本の情勢に不安を持った一般の人たちが、一人で何冊も買い知人に配ったという話も聞く。
その後、
「女性の品格」坂東眞理子
が2006年9月16日に発売される。
いまや女性の社会進出、活躍が当たり前となった現代の日本。学校や職場でも、優秀で元気なのは女性ばかりである。
女性の価値観、果たすべき役割が大きく変化しているのだ。
では、古い型の「女らしさ」はもはや求められないのだろうか?
いや、女性の時代であるからこそ、従来の男性とは異なる価値観、よき女性らしさを、
職場や家庭に持ち込んでほしい、と著者は語っている。
「礼状が書ける」「約束をきちんと守る」「型どおりの挨拶ができる」
「姿勢を正しく保つ」「贅肉をつけない」「人に擦り寄らない」「よいことは隠れてする」
「得意料理をもつ」「恋をすぐに打ち明けない」
??本書は、ビジネスから装い、話し方、恋愛にいたるまで、女性としての振舞い方を具体的にアドバイス。
何げない日常の立居振舞いに、女性の生き方と品位はおのずと表われるものである。
楽天ブックスから引用
この時、品格という言葉がもてはやされた。
国家の品格
昔、日本人は武士道精神で品格ある生き方をしていた民族だったが、
戦後、急激に廃れてしまった。
そう、自分もそのように思っていた。
戦後、GHQの占領政策で骨抜きになった、そう思っていた。
武士道精神、廃れる
武士道精神は戦後、急激に廃れてしまったが、実はすでに昭和の初期の頃から少しずつ失われつつありました。
と、書いてあり。
中国侵略という卑怯な行為に走るようになった。
と。
日露戦争および日米戦争は、あの期に及んでは独立と生存のため致し方なかったと思っております。あのような、戦争の他に為す術のない状況を作ったのがいけなかったのです。
しかし、日中戦争は別です。まったく無意味な「弱い者いじめ」でした。武士道精神に照らし合わせれば、これはもっとも恥ずかしい、卑怯なことです。江戸時代は遠くなり、明治も終わり、武士道精神は衰えていました。
このような弱い者いじめをしたというのは、日本の歴史の汚点です。明治以来、欧米の列強が例外なく弱いものいじめという卑怯に走っていったとはいえ、この日本までがそれにならったということは、武士道精神が廃れつつあったことの証拠です。
そして、日本は、戦後は崖から転げ落ちるように、武士道精神はなくなってしまったと。
そして
武士道精神を見直さなければいけない、悪いものは悪い。卑怯なことはやってはいけないと、、、、。
警鐘を鳴らしている。
俺は、日本人だ。。。
横吹(よこぶき)で育った。
如何して、先祖は、こんな山の中腹の斜面集落に住み着いたのだろうか?
南向きの斜面集落、横吹は、作物が良く取れたと聞いている。
しんしん若き頃、髪の毛フサフサ(≧▽≦)
そんな子供の頃を経験した、今の自分は、次の土曜日に60㎞を走ろうとしている。
男性10人女性4人
私が、超長距離を走るようになって、出会った女性の仲間は
「女性の品格」坂東眞理子
が書いてある。
女性としての品格のある方が多いように感じる。
俺も俺なりに
田舎で暮らす者として品格を持って、これからも楽しく暮らそうと思っている。
byしんしん
浜松市の
山の奥
天竜区佐久間町中部
には
地割れ花火という
世にも珍しい花火があるという。。。。。
そんな花火を知り合いのラン友に紹介したく始めた
地割れ花火を見に行こうラン約40㎞
もともとは
佐久間町が合併した10年前、一人で浜松駅から自分が暮らす佐久間町半場まで走ったのが第一歩なのであった。
フルマラソン(42.195km)までしか走ったことが無い自分が、
フルマラソン以上を走る仲間と出会って、一人で挑戦した60㎞だった。
まだそのときにはサンストリートの前は歩道が工事中で走りにくかったのを覚えている。
秋葉トンネルを抜け、やっと来た山奥の町に龍山に新緑の眩しさを感じた。。。
次の年
ヒロボーさんに相談し
走る仲間で同じコースを走った。
私を入れて8名
真夏の日。
その中の二人は
あまりにも早く中部天竜駅に到着し電車で豊橋に帰った。
残る6名で、ゆっくりマラニック。
その日は
中部のお祭りの日。
走り終わってビールを飲み、仲間を連れて花火を見に行った。
一発目の花火が上り轟音とともに夜空に広がった大輪を見上げていると、胸が熱くなった。
泊りは
上島キャンプ場。
次の日の帰りは飯田線で帰るようにと言ったけど、浜松市に暮らす浜松市の町の方に暮らす人には飯田線で豊橋駅まで行って、また浜松まで行くことに理解できなかったようだ。
昨日来た道を歩いて帰っていった。。。
初めて自分が企画したマラニック「浜松縦断マラニック」の話。。。
ただ走るだけの疲労ではない、その他の疲労で、走る仲間が帰る後ろ姿を見送ったら家に帰って寝てしまったZZZzzz。
その日の午後。
うっちゃんが、「佐久間まで走ってきたョ」
と携帯に連絡が入った。
ビックリ仰天
着替えて駅に行ったら、少しの差でうっちゃんは車中の人となっていた(;_;)/~~~
そんな思い出の「浜松縦断マラニック」
次の年には往復にしよう。と話が大きくなり。宿泊場所も中部のかぢや旅館になった。
その後、旅館の女将さんが高齢のため宿泊できなくなり、川合の伊藤さんの別宅がゴールになった。
ゴールが中部でなくなったので花火の話も無くなった。
また、中部自治会の行事であるお祭りの開催の日も、まちまちである。
田舎の行事は多忙で、お盆にも行事が多い。
お祭りの日程が決まるのは年度初めの頃。
浜松縦断に花火は無くなった。
だけど
地割れ花火は素晴らしい。多くの人に見てほしい。
そんな思いから
中部のお祭りが決まった時に参加者を集っている。
地割れ花火を見に行こうラン約40㎞
今回二回目
その様子は動画で↓
前回の動画↓
なんとか無事に終了した。
花火を見ながら美味しいビールを飲むことができた(^O^)/
次は、
浜松縦断マラニックだ。。。
昨日は
ムーハウスでの勉強会
第12回 修身教授録 を学ぶ
「捨欲即大欲」シャヨクソクタイヨク
捨欲
欲を捨てる事
即ち
それが
大欲
自分なりの大きな目標に進む。
人生、謳歌型 シニア
謳歌する
コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E8%AC%B3%E6%AD%8C-448760
③恵まれた幸せを、みんなで大いに楽しみ喜び合うこと。「青春を謳歌する」「平和を謳歌する」
自分の欲
腹減ったな~ポリポリポリ
欲のまま目の前のお菓子に手が出る。
また
佐久間なんか、これからもっと不便になるから、大きなお金が入ったら、便利な町に引っ越そうか?
便利に暮らしたい、
そんな欲がある。
これ捨欲、、、かな?
佐久間町が浜松市に合併した10年前
「何年か先のことを考えて悩んでいるより、今この時を楽しもう」
と始めたマラニック
ほくえん旅ラン
自分が育ったとこを、大切にしていきたい。
そんな気持ちもあるけど、今まで続けてきたけど、過疎化には歯止めが無い。
「捨欲即大欲」シャヨクソクタイヨク
Yさんが
「欲は大切な事、欲があるから多くの事を成し遂げてきた」
そんな感じのようなことを言っていた。
欲、欲があるから人類は発展してきた。
先進国 日本。
人工衛星から見た日本、キラキラ輝いている。
しかし、その欲が、様々な争いになってきたことも事実だ。
先進国日本。
科学技術の発展で、車の中、建物の中では快適に過ごせる。
先日
佐久間町から西鹿島に行くバスの中の電光版で
総務省消防署
の案内があった。
こちらは消防署です。7月は熱中症予防強化月間です。熱中症の予防には、「水分補給」が大切です!喉の乾きを感じる前に、こまめな水分補給を行いましょう!特に、高齢者の方は、暑さを感じにくく、室内でも熱中症になることもあるので十分注意しましょう!
高齢者→シニア
人生、謳歌型 シニア
どちらもシニア。。。
私の大欲、わ
「ダイバーシティ」→「多様性」
そんな世界を望んでいる。
同じシニアでも様々な人がいる。
田舎でも都会でもそこに暮らしている人がいる。
乙武洋匡さんが言うような みんな違ってそれでいい そんな世界。
欲・欲・欲・・・。
どんな人にも欲がある。
私も56歳だが、それなりの欲がある。
捨てなければならない欲が多いかも。。。
byしんしん
池の平・白神街道
今年から8月11日が山の日
山に関する団体が山の事を知ってもらいたくて
できた
国民の祝日山の日。
この祝日についてもっと詳しく知りたい人は日本山岳会HPへ
「山の日」特別プロジェクト
また、如何して8月11日にちなったのか?、8月12日が候補に挙がっていたそうだが、その日は昭和60年にジャンボジェット機が墜落した大きな事故があった日、だから次の日になったとの話もあるという。
遠い昔の話を思い出した。その日私は青森県の兄夫婦が暮らす八戸のヤマハの社宅に父母とお邪魔している時だった。
その年は東北でも熱い暑い時だった。
話を元に戻し。
水窪山に生きる会「池の平」と「白神街道」ウォーキング
昔、水窪にまだ飯田線が通ってなかったころ、水窪に暮らす人たちは、この「白神街道」を通って天竜川沿いに通る三信鉄道「白神駅」に通った道のウォーキング。
途中、あの「幻の池」池の平がある。
ウォーキング、白垣街道
大嵐駅までは、夏焼隧道がある。
水窪総合体育館(8時集合)→池の平登山道入口→池の平峠→池の平→十四曲り→白神→夏焼隧道→JR大嵐駅(16時04分)ー飯田線ー向市場駅(16時14分)
この様な予定での道程である。
会長の挨拶から始まり、体操をして、参加者の皆さんとともに白神街道に向けて出発。
池の平登山口で、登山計画書を出した。
ここから白神街道、みんなユックリ登山を開始、、、、これからの厳しい道のりがあるとも知らず(#^.^#)
私も知らなかった。。。
途中、の振り返り坂
遠くむこうに、高根条が見える。
池の平峠に到着。
○宮さん
浜松から来たそうだ。
話してみると、私が横吹で暮らしているころの隣のオジサンが浜松に住んでいる、今、間○さんは、その人と知り合いだそうだ。
友達の友達は皆友達だ(^O^)/
池の平に到着
集合写真
ここに、7年に一回周期で水が沸く、なんと不思議なところだろうか。
水が無い時は、本当にただのスギ林。
知っている人でないと分らないところだ。
池の平から少し行ったところで昼食。
30分くらい休憩して、後は白神駅を目指して下山。
下りだから楽なもんだ、そのように思っていたものの。
それが大変。
こんな感じ。
詳細は控えておく。
いろいろあって、やっと出た。
夏焼隧道
○宮さんとツーショット。。。
今まで暑かったが、隧道の中は涼しく快適だった。
JR大嵐駅に16時に到着。
なんとか無事に到着。
飯田線で向市場まで。
事務局の人は、
電車内に残っている人は居なっかと心配していた。
「アンジャないな~」
徒歩で、水窪総合体育館まで
全員無事に帰ってきた。
8月11日山の日
丸一日をかけて、自分なりに、山の事、自分が暮らしている北遠(ほくえん)のこと。
考えることができた。
水窪山に生きる会
ありがとうございました。。。
帰りに元禄のモツを買って、佐久間への家路を急いだ。
早く帰って今晩はモツを肴にビールだ。
byしんしん
私は第10回大会2012年から参加している。
息子が2011年の春、富士吉原駅前のアパートに引っ越し、そのアパートに泊まった朝、スタート・ゴールであった田子の浦港の白灯台に行ってみた。
ヒロボーさんの仲間はココから富士山頂を目指しているんだナ~。。。
2011年第9回大会に申し込むも、野暮なことがあり、参加できなかった(≧▽≦)
次の年から私の富士山頂往復マラニックが始まった。
2012年第10回 時間外完走
2013年第11回 完走
2014年第12回 完走
2015年第13回 完走
そして今回
2016年第14回
は、時間内にスタート・ゴールである富士川緑地公園に戻ってきた。
18時00分、まさにギリギリ。。。
ゴール後
ヒロボーさんに「ポーズをとって」と言われるも。
その顔に喜びは少なかった。それは富士宮駅から富士駅まで240円でワープしたから。。。。。
残念な結果に終わったけど。
しんしん
56歳の「富士山頂往復マラニック」
それなりに楽しんだ。
今回は、ランナーの給水に使ってもらおうと佐久間の名水
消防署横の湧水を持って行った。
スタートは8月5日(金)18時00分から5分ごとに6組み分けての出発。
私はゼッケン88番、第2、18時05分出発。
蒸し暑い公園内を富士山を目指し走り始めた。
富士宮、浅間神社に20時12分
マックスバリューで夕ご飯
オニギリを買いたかったけど、すべて売り切れ。
270人ものランナーが全て買ってしまったのだろうか????
パンとコーヒー牛乳で夕食とした。
これからは上り、全て歩くことにする。
標高1000mは
23時15分
料金所跡
1時07分
睡魔が襲ってくる。
標高2000m
2時53分
新五合目
4時17分
ここから、登山口、一気に登るぞ!!
いつものように6合目「雲海荘」で500円のカップヌゥードルを買おうと思ったが、今回営業していなかった。
宿泊客が多かったのかナ~。入り口付近にもたくさんの人が寝ていた。
「雲海荘」横で、どこの国の人だろう。
一緒に写真。
富士宮口新七合目「御来光山荘」
まだまだ元気
ダンダン疲れてきて、お腹がすいて、マックスバリューで買ったソーセージを食する(^O^)/
表口「元祖七合目」
をパスし
八合目に到着すると
クニさんが居た(^O^)/
山頂から
タイガーマスクが下りてきた。
やっと到着、富士山表口九合目「万年雪山荘」
あと少し、ガンバルぞ~。。。
表口九合5尺「胸突山荘」
まだ山小屋がある。
何回登っても、山小屋、よっく分かっていない。
「雲海荘」→「御来光山荘」→「元祖七合目」→「池田館」→「万年雪山荘」→「胸突山荘」→「山頂」
よいよ頂上まで、あと少し。
イケさん発見!!
後ろに輝く、太陽で、なんか眩しい
イケさん。
しんしん
山頂に到着。。。
8時00分
剣ヶ峰に富士川から拾ってきた砂をまく。
山頂御迎え隊に、接待される。
本当にありがとネ~。
来た道を帰ろうと思ったが、持ってきた暑中見舞いのハガキを投函する富士山頂郵便局が御殿場ルート降り口の近くだったので、
帰りは
御殿場ルート、宝永山回りで帰ることにした。
5合目に着いたのは
9時50分
標高2000m
10時35分
料金所跡
11時55分
何と、ココでバイキンマンに出会う。
ジュビロ磐田の仮装マラソンではお馴染みの人だ(^O^)/
佐久間中学校時代の同級生(飛脚)もシッカリ知っていた。
標高1000m
13時13分
浅間神社
15時40分
もう諦めよう。
富士宮駅から電車に乗ろう。
そんな気持ちでフラフラ歩いていると。
何時もアイスを提供してくれるボランティアの女性が手招きを。。。。。
まさに地獄で仏、女神さま。。。
冷たい麦茶・ガリガリ君・きゅうり。。。
上手かった、勇気100倍。
よ~し
一度はあきらめたが、もう一度。
と走り始めた。
が、やはり、足が痛い。
もう無理。
富士宮駅の改札に向かった。
240円の切符を買った。
富士駅に下り。
地図を頼りに富士川直地公園を目指す。
18時、ギリギリにゴールした。
しんしん
56歳の
「富士山頂往復マラニック」が終わった。
ヒロボーさん
スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。
動画です↓
今、平和で、こんなことを自分の趣味と言えるこの国に暮らしていることに
感謝です。
byしんしん
受賞者に聞いてみた。
7月30日静岡新聞・中日新聞、に記載されていた高齢者叙勲
私が暮らす佐久間町の人がいたので様々なことを聞いてみたのだ。
その人は今、私が働いているところの隣「上島キャンプ場」で管理人をしている。
Q・どうしてこの勲章を頂くことになったのか?
A・上島キャンプ場の管理をする前、佐久間町の町会議員をやっていた、そのときの働きが認められたのだろう。
上島キャンプ場
それは、キャンプ場としてゴルフ場として、今、佐久間町のゴルフ好きグランドゴルフ好きの人が集まる社交の場となっている。
その、キャンプ場、みんなが集まって楽しむ場所は、そこを管理している○山さんの様々な尽力があったこそ今佐久間にあるのだ。
その事を何も知らない人は
天竜川の河川を不法利用しているのでは?
と、そのように見ている人が多くいる、それが現実である。
私も昔はそのように思ったときもある。が今は違う。
河川利用許可書もシッカリ管理等に掲示してある。
高齢者叙勲
さまざまな事情で叙勲されずに高齢になってしまった人を対象にした叙勲
米寿のお祝いも兼ねている勲章
その○山さん88歳は戦争のときは東京で大学の寮にいたそうだ。
16歳で終戦を迎え、佐久間に帰ってきた。
佐久間町中部は終戦後、王子製紙本社があり紙を製造していた海外の人が数人いたそうだ。
昭和29年佐久間ダム建設が始まり、この時も外国人の技師が多く佐久間に来て働いていた、○山さんはその人たちに肉を売るために肉屋の仕事を始めたそうだ。
佐久間は全盛期26000人の人がいた。中部の街には青い目の人が多く歩いていたのだ。
そんな海外の人の暮らし繰りを目の当たりに見ていた○山さんは中部の人たちは
これからの子供たちには学力を付けさせること、そのように思ったらしい。
そして今、○山さん88歳は、健康で働けることに感謝し、夫婦で上島キャンプ場の除草に悪戦苦闘している。
昭和一けた生まれ。
小学校のときには修身の授業を受けた人だ。
誇りを持って生きている。
誇り→プライド
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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