森信三先生の本
日本の覚者 森信三
覚者とは、人生の真理を悟り、自らの人格を完成させ、世に大きな感化を及ぼす人のこと。
人には迷いがあります。
森信三の若い時代も迷いの連続でした。
しかし、真摯な取組みで人生の真理の解明にあたり、独自の人間哲学、教育哲学の道を切り拓いてきました。
膨大な著作、中でも「修身教授録」は大ベストセラーとして信三の名を高め、半世紀以上経た今でも広く読み継がれていますが 、信三は著作以上に実践のひとでした。
学校での講義の合間に全国津々浦々に脚を延ばして人間教育の土台づくりを図りました。
精力的な教育行脚は晩年を迎えて更に拍車がかかりました。
信三に接した人々は皆、信三の一言で迷いが消え、新たな気持ちで職務にあたれたと語っています・・・・・
森信三の世界HPから引用
自分には迷いがあった。
道州制や平成の大合併と時代の変化に着いていくべきではないかと。
12市町村の合併で浜松市になると、佐久間町の役場の人が地域の区民センターに説明に来た事が、先に大合併をした静岡市の井川地区を例にとって説明したことを。
主要の人で井川地区を視察に行ったことを。主要な人の説明で「佐久間町も、静岡市に合併した井川地区みたいになるでしょう」との無責任な言動も。
また、浜松市都市部の人の「こんなとこ浜松市ではないよ~♡」 などの言葉も。
笑って跳ね返すことができるようになった。
それも、この勉強会のおかげ。修身教授録(森信三)の本に出会ったおかげ。
修身教授録
第16講 一道を開く(Ⅰ)
10年後20年後を考えて生きる。
漠然と生きていたのではダメだということ。
人間とはパソコンだ。
パソコンはキーボードから指令を出し様々なことをやってくれる。
人間にとってのキーボードは目であり鼻であり口である。
目鼻は感じることだけだが、口は声に出して発することができる。
これからなりたい自分の姿を口に出して何回も何回も発し続けていけば願いは必ず叶うものだ。
それは、自分で声に出すことにより、自分の耳でその言葉を認識し自分がそのようになるように行動するようになるからだ。
佐久間町も「ここは良いとこだぞ~」と言い続けていけばいい所になる。
「こんなとこ何やってもダメだぞ~」と言ってばかりだとダメになる。
今回も一つ利口になった(^O^)/
しんしん
サイバーカスケード(集団極性化)
集団極性化とは?
集団での決定が個人の決定に比べて、決定内容がより極端な方向へ移動する現象を集団極性化、または集団極化現象と呼ぶ。極性化は、よりリスクの高い危険な決定になるリスキーシフトと、より安全な決定になるコーシャスシフトがある。
HP「科学辞典」から引用
http://kagaku-jiten.com/social-psychology/group/group-polarization.html
強い誇り高いドイツを信じ、ヒットラーに着いるナチスドイツに高揚し戦争に突入した歴史がある。
繁栄の陰には暗い真実が隠れている。
新・映像の世紀「第6集 あなたのワンカットが世界を変える」を観た。
暗い歴史があり、今がある。
今日は森町、三倉の山の中に行く予定だ。
相月のお寺で借りてきた本
相田みつおのおかげさん
その中の一つ。
「傍聴者」
「一億総評論家」なんていうことがよくいわれます。だれでも自由に意見をいえること、それ自体はいいことですが、批判するだけなららくなんですねえ・・・・・・。
人の批判をする時は、自分はいつでも傍聴者。具体的には少しも動かない。自分では手を汚さず、何一つっしない。要するに、自分のことは棚上げなんですね。
いま、ここ を
この自分が、具体的に、どう動くか ━
無責任な傍聴者になってはいけない。
わが師、武井哲応老師から、長年にわたって徹底的に叩き込まれた教えのひとつです。
(原文まま)
佐久間町が浜松市に合併して、わたしにショックを与えた出来事があります。
「相月の和尚さんが浜松にマンション買った!」
人の噂だったので、相月や向外戸の同世代の人たちに、本当の話を聴きに行った。
相月にいってそんな事を酒を飲みなが話し合った。
集まった人は私を入れて四人。
人それぞれ考え方は違う。
その中の一人、相月の後輩が言った言葉が今でも私の頭の中で渦巻いている。
「あんただって横吹、出てったじゃんかいヤ~」
いろいろあったけど、今は和尚さん帰って来て相月のお寺を守っている。
元の鞘に収まる
佐久間町も水窪町も、そうなるといいな~。
出ていった人が帰って来る。
おかげさん
そんな思いがあるならば、過疎でも楽しく暮らせるのに。
しんしん
フリーハグ
基はこんな時、はじまったのか。
フリーハグ
2014年06月20日ブログで書いた
地域の人々も、世界も人々もこの地球の仲間。
こんな時に知った。
ジェイミー君の出来事、も。
レディー・ガガのジェイミ―君に捧げる歌のことも。
自分も
映像で動画で残していこう。
ほくえんの素晴らしさ。
しんしん
国道152号線、浜松市から北上すると秋葉ダムがある。
そのダム湖、東側と西側には山の斜面に点在する集落がある。
その集落を巡るマラニック(マラソン&ピクニック)約37㎞
今回は私を入れ9名で走ることになった。
龍山のお風呂
やすらぎの湯を9時にスタート。
秋葉ダム湖東岸道路を北へ。吊り橋(宮の沢橋)を渡り、青谷ポケットパークでトイレ休憩。
ココから、青谷の集落へ上っていく、天空の滝(不動滝)、ぶか凧で有名な寺尾集落、ココの集会所でトイレ休憩、日向でお昼ごはん。
ココから国道152号線まで下る。
瀬尻橋を渡る。
秋葉ダム湖東岸を約4㎞。大輪出前で上平山を目指しマタマタ上り坂。
まさに凸凹。。。。
上平山では茶園が綺麗だ。
下平山に向けて走る走る、しかし疲れた身体、足腰に悲鳴が、それでも負けずに。
下平山農村学校
眼下には天竜川が見える。
雄大な景色に少し休憩。雲行きが怪しく、小雨だろうか雪だろうかチラホラ落ちてきた。
走り始めた「やすらぎの湯」に到着。
疲れた身体、寒さで凍えた身体 お風呂に入ってサッパリしよう。
すると
なんと、お風呂には、いけちゃんがサッパリ笑顔入浴中だった
休憩室で反省会。
車に乗らなければいけないのでお酒はNG
本日の参加者10名。
ノブちゃん
クニさん
てっちゃん
よっぴー
うっちゃん
ナオミちゃん
すずき君
山草人
呼びかけ人
しんしん
おまけ
いけちゃん
何事もなく皆さん笑顔で帰ってきました。
ありがとうございました。
動画です↓
たつやま凸凹マラニック(春)は、3月25日(土)です(^O^)/
良かったら走りに来てください(^O^)/
しんしん
毎年、年の初めに行う湖西連峰トレイルラン
今年で九回目。
私は、この大会に2009年からず~っと参加している、思いで多き萩田さんの大会だ。
先ずは動画↓を
湖西連峰トレイルラン
今までず~っと、佐久間町にある中部天竜駅から始発の電車に乗って参加している。
豊橋駅に着くと、大会に参加する人だろうか? リックにトレールシューズの人が数人いる。
二川駅から集合場所である岩屋緑地公園まで歩く。
この大会が始まった当時は、ほとんど知っている人がばかりだったが、ここ4・5年前くらいだろうか若いランナーが増えてきた。
参加者も増えてきた。
今年の参加者は、なんと200人超の参加者。。。
スタートもゼッケン番号の50番刻みにスタート。
今年の参加者には、最高齢者82歳の石川さんが居る。
私はその石川さんの後ろを走った。
距離にして約23㎞、それも山を走るトレイル。
このレースは山を走ることはキツイ大変、自分もよく分っている。
そんなことに挑戦する82歳。
巷では高齢者、後期高齢者などと人を区別しようとする。
もう年だから、若くはないのだから。
しかし、走ること夢を追い続けることに年齢は関係ない。
そんなことを背中で教えてくれているようだ。
先輩ランナーの背中を追いかけ。
二川から湖西連峰のハイキングコースに入っていく。
山に道に入り、石川さんに挨拶をして、先に行く。
天気は、今にも泣きだしそうだが、尾根沿いに出ると湖西市の浜名湖の景色が一望できた。
今年も来たぞ~。
湖西連峰。。。
ココから尾根沿いを走るのだ、先ずは第一エイドを目指すのだ。
ココにはカレーがある。
今回、空模様が怪しいので、次のエイド(本坂エイド)にはお汁粉は無いと、佳江さんが言っていた。
「ここで水分補給給食を十分してネ~」
そんな言葉につれられて私は、カレーを2杯食べた。お汁粉も頂いた(^O^)/
ココから本坂まで、なにを目指せばいいのだろう?
廃寺でショートカット。。。そんなことも脳裏をよぎったが、向かった本坂峠。
心配していた雨も、降ってきた。
冷たい雨だ。
本坂峠には、何もないと思っていたが、スタッフが傘をさして待っていてくれた。
旧本坂トンネル。
若い時、湖西市に暮らしていた私は、旧本坂トンネルの心霊スポットの事は知っている。
昔、新居の関所では女性の通過をするのを厳しい検査で取り締まったという話。
それを嫌って「姫街道」を選び、本坂峠で命を失った女性の話。
今、時代が変わって、そこが心霊スポット。
わたし達ランナーは、心霊スポットの旧本坂トンネルではなく、歴史的に重要なトンネルだと主張したい。
浜松市も豊橋市にも考えてほしい(^O^)/
まっ、そんな話は置いといて、もと来た道を帰る。ゴールである石巻山を目指す。
冷たい雨で、身体は冷え冷え、早く石巻山にたどり着いて風呂に入りたい。
湖西連峰のハイキングコースを下り石巻山まで向かう林道、ココがケッコウ長い。
そこを走る。頭の中にはゴール後のお風呂とビールの楽しみをイメージしながらのランニング。
ココから先がゴールだ。。。。
え、ゴールが無い。ゴールテープが無い。
急遽。ゴール場所を変更したらしい。
ゴールは石巻神社前だったのが、ナツメ別館玄関前に変わっていた。
やっとのゴール。時間は自分の時計で1時49分。自分の時計は10分くらい進んでいるので、1時40分ゴールとしよう(^O^)/
雨にも負けず 風にも負けず 冬の寒さにも耐え、丈夫なからだをもち、慾はなく・・・・・。
4時間10分の長い長いトレイルランだった。終わってみると短くもかんずる。。。
さーて。
風呂だ酒だ・・・・。
byしんしん
昔の書物ではないが(作者はまだ生きている)優れた地域おこしだと思う。
今日、職場の仲間に紹介された本
「ローマ法王に米を食べさせた男」
を、途中まで読んだ。
この本は、2015年7月19日から9月20日まで毎週日曜日21:00~21:54TBS系の「日曜劇場」のテレビドラマ
「ナポレオンの村」の原案となった本だ。
過疎の村を救ったスーパー公務員(高野誠鮮)の話なのだ。
今日は第二章まで読んだ。
最後まで読んでからと思ったが、内容が素晴らしい、のでココで一部 紹介させてもらう。
高野誠鮮(たかの じょうせん)とは
氷見市地方創生アドバイザーで、科学ジャーナリスト、日蓮宗僧侶、立正大学客員教授、1994年から2006年3月31日まで金沢大学理学部大学院等の講師も務めた。
羽咋市役所勤務時代に限界集落を蘇らせ、『スーパー公務員』と言われた。元・羽咋市教育委員会文化財室(歴史民俗資料館)室長(館長)。
ウィキペディアから
~はじめに~
最近の会社員、特に大企業に勤めている人は、公務員化しているようです。いざ新しいプロジェクトを始めようとすると、失敗を恐れてはじめの一歩が踏み出せず、前例ばかりに縛られて・・・・・。会議は何回も何十回も開き、企画書を作りたがる・・・・。
けれど私は聞きたいのです。実際に動き出すのは何時ですか?誰ですか?
たとえば天井の電球が切れていたとする。それをみんなで下から見て、あーだこーだ騒いでいたところで灯りはつきますか?誰かが電球を取り替えないと明るくはならないのです。
(本文から一部抜粋)
第一章
否定する。ーーーそして限界集落の惨状の本質を見抜く
第二章
人を動かす。---たった60万円で限界集落から脱却させる
第三章
伝え、広める。ーーー空前絶後。神子原米のブランド化PR作戦
第四章
人を巻き込む。ーーー「UFOで町おこし」を本当に実現!
第五章
くつがえす。ーーー腐らない米 を武器にTTPに勝つ!
第六章
最後も、やらかす。---定年前に、世界を相手に真剣勝負!
新聞やテレビを上手に利用し、限界集落というネガティブなイメージを変えさせる、すごいスーパー公務員の話。
中でも、学生を村に宿泊させる企画を「旅館業法にひっかかります、食品衛生法にもひっかかります。なんの許可申請もしてませんよネ」との話に
「わたし達がやっているのは烏帽子親制度なんです。『平家物語』を読んだ・・・・・・仮であっても親子関係なのだから、不特定多数の人間を泊めているわけではない」
なんという屁理屈、しかし、このような公務員がいるのかと感心というか、呆れた。。。ビックリポンだった。痛快だった。。。
その他、目から鱗の話が満載。。。
多くの人に、多くの過疎地域に暮らす人に読んでもらいたい一冊だと思う。
まだ途中だけど、、、、、。
byしんしん
わたしにとって毎年恒例になっている新城強右衛門久楽部が企画する
田峰観音初詣ラン約42㎞
に参加してきた。
愛知県新城市の新城運動公園を朝の8時に出発
愛知県北設楽郡設楽町田峯にある田峰観音に初詣に行って帰って来る初詣ラン
地図
距離は約42㎞
新城強右衛門久楽部との付き合いは、20年くらい前になるだろうか、湯谷温泉にあるゆ~湯アリーナでトライアスロンの練習を一人でしたいた頃、新城強右衛門久楽部のメンバーの人と出会ったのが始まりだ。
新城強右衛門久楽部の練習会が新城運動公園であると言われ、参加したのがきっかけだ。
去年の写真
昨日メールで参加したいとの連絡をして、今 朝7時に佐久間の家を出発した。
新春、会う人に会う人に
「おめでとうございます」との新年の挨拶
今年は写真のランナーが田峯観音を目指す。
初心者もいるということで、スピードは控えめに遅いランナーが先頭で誘導しながら走る。
長楽エイド約6.5㎞
車が先回りをして飲食類を用意してくれていた。
その他、エイド車は新城サイクルターミナルなどで待っていてくれ私たちランナーに補給水食を提供してくれた。
感謝です。
豊川沿いを走っていると、変わった お店に出会った。
この旅館は営業しているだろうか?
チョット宿泊するには勇気がいりそうだ。
ココの分岐を豊川沿いにコースをとって国道257号を山の奥に進んでいく。
新段嶺トンネルを抜けると伊那街道との三差路を右折する。
直ぐ先から、田峯観音までの急登が約2㎞始まる。
11時半到着、去年よりだいぶ早い。
後続のランナーを駐車場で待つ。
全員集まったところで、観音様に礼拝。
今年も無事に走れることを祈願する。
去年の写真
そして、毎年恒例の 甘酒をいただきエネルギーを蓄える。
本堂前で集合で写真
帰りは、下っていくだけ。
皆さん足取りも軽くなる。
県道に出たら、右折。
伊那街道を新城方面に進む。
最初に出てきたのが
稲目トンネル1510m
これが長い。長く感じる。
トンネルを抜けるとユルイ下り坂が続く。
暫くすると海老という地域に。
エビモータースがあった(^O^)
最後のエイド
やまびこの丘
懐かしい、ココで昔マラソン大会があった。
愛知県の国体で山岳競技がありクライミングタワーがあったはずだが、今はどのようになったのだろうか?
やまびこの丘もサイクルターミナルも、新城に鳳来町が合併して不の財産と言われるようになった感じがした。
どちらもあまり使われて無いようだった。
ココから新城運郷公園まで約10㎞
先頭の人はペースが上がってきた。
それも、コースをよく分らない初めてこのコースを走る人ばかり。
なんとか食らいついてコースを教えようとするが、力及ばず、着いていけない(;_;)/~~~
新城運郷公園に入り、わんぱく広場の坂をヒーヒー言いながら登り。
ゴール地点に着いたときには2時30分だった。
今回、2017年の田峯観音初詣ランにはラン友のシャツで走った。
頭頂部が寂しかったので、ペイントソフトで黒く塗った(*^-^*)
ランナーのみなさん。
同級生のみなさん。
FBの友達
本年も宜しくお願いします。
byしんしん
ノンフィクションライター沢木耕太郎の本
深夜特急新潮社
第三便 飛光よ、飛光よ
を読んだ。
たまたま、出会った、この本
トルコ・ギリシャ・地中海からの手紙・南ヨーロッパⅠ・南ヨーロッパⅡ・終結「飛光よ、飛光よ」
飛光とは、日月の光
「飛光よ、飛光よ、汝に一杯の酒をすすめん 」
李賀(中国、唐の時代の詩人)の詩
去年の春。
一人で名古屋から金沢を目指した時を思い出す。
真夜中 月光に照らされひるがみ高原を進んだ路、満身創痍でたどり着いた荘川桜。
また、夢街道90㎞
まだ、多く人が走らないころ、ヒロボーさんがさくら道遠足の練習にと真冬走った月明かりの水窪の町。
私はヒロボーさんと城西から遠山郷まで付き合い、極寒の青崩れ峠を経験した。
この世界に足を踏み入れた第一歩だった。
右へ行くのも、左へ行くのも、自分次第。
旅は人生そのもの。
ノンフィクションライター沢木耕太郎の本
深夜特急新潮社
第三便 飛光よ、飛光よ
を読んだ。
第三便を読んだので、第一便 第二便も読みたくなった。
知りたくなった。
ネットに深夜特急動画があった。
深夜特急1
深夜特急2
深夜特急3
深夜特急4
深夜特急5
深夜特急6
世界は広い。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
06 | 2025/07 | 08 |
S | M | T | W | T | F | S |
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