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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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佐久間町が合併したとき、ヒロボーさんに出会いマラニックを知った。


その夏、自分も浜松駅から自分の暮らしている半場まで一人で走った。
60km


次の年、何人か集めてその60㎞を走った。
中部のお祭りの日。

 

2010年6月第一回「夢街道90㎞」
浜松駅から遠山郷まで走った。

浜松・浜北・天竜・龍山・佐久間・水窪 青崩峠を越え遠山郷まで90㎞


今年8回目、城西の書道に先生に書いてもらった看板。


来年は地元ではない人に、ココのエイドをお願いしようと思っている。


故郷である山間部を去った人がいる。
そんな人が笑って帰って来ることができる郷になればいい。
むかしまだダムがなかったときには佐久間にも天然のアユが遡上してきたという。
 
過疎で疲弊している山間部にも多くの人が上って来ること不可能ではないと思う。
わたしの夢。

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「分かれ道」「岐路」という意味らしい。


人生の岐路

 
横吹に生れて小さなときには
まっすぐ前を向いて必死に頑張っていたと思う。
(記憶には無いけど)
多くの人生の岐路に出会い、そのたびに悩み苦しみ行く道を選択し今の自分になっている。
それは、この前
水窪から大津峠を越え、天龍村の平岡駅まで37㎞を一緒に走った。
ウッチャントモゾウさんも同じである。

その夜、水窪の中村館で酒を飲んだ人たちも同様である。


みなソレゾレの人生を生きているのである。

むかし水窪にあったフジユニバンス水窪事業所で働いた仲間である。

その中の一人に信州平岡の鶯巣から飯田線に乗って水窪のフジユニバンスまで通っていた人が、今回の飲み会に参加してくれた。
その人はカラオケで松山千春の『大空と大地の中で』を歌った。
キイの高いところが出てとても上手だ。

果てしない大空と広い大地のその中で♪

みなソレゾレ人生の岐路にたち、ソレゾレの判断できめ今の自分を生きている。

に育つ花ならば力の限り生きてやる♪ぞ~♪

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浜松市の北遠、山々が晩秋に向けて色合いを変えてくそんな大地の変化を感じて走る
HOKUENジオ・マラニック

一日目は
山住峠
二日目は
大津峠

山が好き。
そんな貴方のマラニック

HOKUENジオ・マラニック
http://hokuen.web.fc2.com/pdf/zio.pdf

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真夜中の〇時、浜名湖の弁天島海浜公園をスタートする。


ただただ目標に向かって走る。ホホホッホ。


先を行く仲間のチカチカのライトを追いかけて走る。ホホホッホ。


顔見知りの人と話す。


ホノルルマラソンを走りたくて走りはじめた。そんなことを言っていた。


何回走ったと聞いたら。 「七回走ったョ」と言った。


隣で走っている人が驚いた。七回も(驚愕)


そんな人と離れて、驚愕した人と一緒に走って、聞いてみた。


「海外のマラソン走ったことあります?」
そしたらなんと。
「アラスカマラソン走ったことがある」
「アラスカに住んでいたから」と答えた
ひぇ~~。。。


海外マラソンか~。。。。。


海外か~。。。。。。


ホノルルマラソンか~。。。。


ハワイか~。。。。


今、知り合いがハワイアイアンマンを走るためにハワイに行っている。

友達が、その応援にハワイに行っている。

浜名湖一周100㎞を走り終えて、今朝久しぶりに走った。
空に星が瞬いていた。


ゴールの向こうには普段の日々が続いている。

 

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まだまだ昼の仕事は熱い。
仕事で疲れて帰って来て、晩酌が楽しみだ(^O^)/


いつも食事前に飲むのは「のどごし生」発泡酒。
 
でも我が家では、これをビールと言う。


冷蔵庫を開け、ビールを探す。(ホントは発泡酒だが)


冷えているビールを飲むと旨い。
疲れが吹っ飛ぶ。


如何して「のどごし生」
それは旨いから。最近「新」のマークがついているのは、またまた旨くなったように感じる。
サラリーマンの至福の時だ。仕事から帰って来てのイッパイの発泡酒。いやビール。

2014年12月17日
発泡酒 増税? ただならぬ事件んと調べてみた(^O^)/

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夜中の0時出発の浜名湖一周、 28.9㎞地点にあるエイドでミサンガを付けてもらう。


去年から始まった浜名湖一周の第一エイドでのサービスだ。


オマジナイのおかげか一回もコケることはなかった。


このミサンガ去年のより太い。そしてわたしの足には二本ついている。何故?


風呂に入ると、ミサンガが水分を吸ってチョット絞ってもふいても、布団が濡れる。


うっとおしい。そう思うこともあるが、しばらくはつけておこう。ミサンガ


しばらくは、このミサンガとともに朝ラン頑張ろう(≧▽≦)


写真と文章とは関係ありません。
ジョウダン パパになりました。

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10月8日(日)
弁天島海浜公園深夜0時スタート
僕の7回目の浜名湖100㎞が始まった。
弁天橋を渡り舞阪西を左折国1を横断し東海道の松並木を走り舞阪駅へ左折する。
東海道線を潜り宇布見橋を渡り左折。
雄踏公園前を左折
雄踏大橋を渡り、浜名湖大橋方面に、折り返してきて、また雄踏公園前、ココを左折。
浜名湖ロイヤルホテルを左にみて、赤いアーチの橋を渡り、第一の注意コース砂利道に入る。
突き当り、左折して道なりに行くと10㎞地点があるはずだが見失った。
はまゆう大橋高架下を抜け右折、はまゆう大橋東交差点を左折、道なりコースマップNO2へ。
 ホテル777を右にみて坂道を下り、すじかい橋交差点のコンビニで飲物とアイス(チョコ最中ジャンボ)を買う。
今まで足を止めることなく走ってきた、前後を走ってきた人は歩きはじめる。自分も歩きはじめる。
20㎞地点を過ぎ、コースマップNO1に戻る。
はまゆう大橋の西側にでる。
庄内湖を一周してきたわけだ。
そこを右折して約一キロの交差点を左折、左側の公園に飛行機の使い古しがおいてある。
突き当りを左折して「元祖手焼き・かたぱん」の店がある、真夜中なので開いてはいない。
突き当りを右折、100mくらいのところ28.9㎞地点「エイド」そこに今回は
3時40分に到着した。

杏仁豆腐・ウドン・飲み物各種、果物いろいろ。
左足にミサンガを付けてもらう。
約20分休憩し、重い腰を上げ、舘山寺を目指すことにする。
しかし、これからの浜名湖自転車道は先日の台風の影響で道路の破損があるとのスタート前に注意勧告があった。
一人では不安なので一緒に行く人を探した。
30㎞地点をクリアーし、舘山寺のコンビニでトイレ休憩、あったかいココアを購入。

舘山寺の街を抜け、気賀方面へ
大草山へ上り始め、三叉路が間違えやすいと思う。
わたし達は知っているので、右側の坂道を上るのだが、わかるかな~。初めての人。
東名高速道路の高架を潜り、「ぐるっと浜名湖ゆーりん」第1回目は、ココにもエイドがあったナ~。。。。

40㎞地点
ココにはわたしの右足も写っている。
辺りは夜明けで浜名湖の景色だ見える、遠く対岸には「ラブチャート・寸座ビラ」が見える。
コース前方にはみおつくし橋が遠くに見える。
 
やっと着いた「気賀の関所」
もと来た道をみおつくし橋まで、橋は渡らづに自転車道を真っ直ぐに行く。
ヤシの木並木をユックリ進み「プリンス岬」へ。
天皇御一家(当時皇太子)が半島にある別荘で静養されたことからプリンス岬と呼ばれている。プリンス岬出口付近に、50㎞地点

天浜線佐久米駅
古井さんがトイレに向かった。
疲労困憊の私は歩を進めた。
瀬戸方面へ左折、天浜線の踏切を渡り、古井さんに抜かれる。
次の自動販売機で飲み物を買う。
いつもなら、もうすぐエイドだと力もでるが、そのエイドは今回、まだ先の幸福の科学前になった。
三ケ日青年の家を越え、階段を下り、湖岸沿いの遊歩道を進む。
台風の影響で遊歩道は所々で粉々になっている。
61,95㎞地点
幸福の科学前のエイドに、やっとの思いで到着した。
身体は疲れていたが食欲はあった。
稲荷ずしは2つも食べた。
20分くらい休憩しただろうか、。
先を急いだ、次は猪鼻湖一周だ。
67㎞付近で山本さんが施設エイドを開設しているという。
なんとしてでも行かねばならぬ。
遠くに青い服の男女が見える。
施設エイドであろうか?

関係ないけどこんな写真を注入。。。何年前?

真夜中の0時から走りはじめて、ところどころにあるエイドを励みに目標に、ここまで走ってきた。
猪鼻湖ではハゼ釣りであろうか、釣り糸を垂れている人たちが多くいた。
人の生き方はいろいろだ、いまこうしている自分の姿は、過去から積み重ねてきた結果が現れている。ことだ。
自分は自分、他の誰とも違う自分。だと感じた。

これも過去の自分。名古屋ハーフにて

三ケ日中学校を右にみて。天浜線三ケ日駅を左にみて。次の交差点を左折してコンビニによって小豆バーを買った。
入河屋の「みかんソフトクリーム」をいつもは買うのだけど、今年はそんな余力はない。
ただ先を急いだ、歩いた。
前後には浜名湖100㎞の仲間は誰も見えない、ただただ先を急いだ。脳裏には電車でのワープを考えていた。
時間的には余裕があるのだが足が、走ることができない、知波田から鷲津まで、鷲津まで行き新居まで、、、。
78,85㎞「知波田のエイド」に到着
疲労困憊・満身創痍、知っている人がエイド ボランティアで働いている。
情けない状況の自分を見て克を入れてくれる。
とりあえず行こう。
歩いていても進んで行けばゴールは近づいてくる。

明神山の山頂。山登りは下山が肝要だ。

先を行った人を追いかけるように自分も立ち上がった。
その人は、80㎞地点への行く道で迷っていた。
その人に「こっちだよ」声をかけ、マリーナに向かって下り浜名湖の左側にみて進んだ。
ヤマハマリーナの船、大型クルザーのオーナー、そんな人の車だろうか高級外車が駐車場に並ぶ。
マリーナを横に、松見ヶ浦広場手前を右折(カナリ細い道)道沿いに行くと五叉路、そこを真っ直ぐにいって突き当りを右折、間違いやすいところ。
去年もここで難儀した。今年も誰かウロウロしていた人がいた。
コースマップNO4
前方にコースマップを片手に悩んでいる人が、まだまだ元気そうな人だ、此の道で大丈夫と伝え、まだ同じような直線があることを伝えた。
最後に施設エイドがあるかもしれないとも。
分りましたと、その人は走り始めた。直ぐに見えなくなった。
次にテっちゃんがきた。
軽快な走りだ、抜いていった。
とおく向こうにクーラーボックスが見える。
施設エイドだ。
テっちゃんが休憩していた。
わたしは椅子に腰を下ろし靴を脱いだ。
ふくらはぎが攣りそうだ、そうそんな時は塩分不足、梅干を食べたい。
梅干は無かった。みかん・ゼリーを頂いた。
脚を揉みしばらく休んだ。
もしかしたら、回復して走り出すことができるかも知れない。
上野さんにお礼をいって、最後のエイドを後にした。
日ノ岡の交差点、国道に出て歩いていると、平野さんの車が止まってくれた。
なにか食べますか?飲物ありますョ。
梅干を求めたがなかった。
塩分飴とバナナをもらった。
浅野ふとん店を左折、いままで歩きすづけてきたが立ち止まった。神社の階段に腰を下ろした。
鷲津駅から電車に乗ろうと決めた。
元汽船乗り場のところを鷲津駅に行くことにした。

むかし懐かしい鷲津駅、駅前にはむかしあったパチンコ屋はなくなっている。初めて来た鷲津でかつ丼を食べた食堂もない。
「駒忠」のビルはあった。しかし、こんな場所だったけナ~。
鷲津駅の前の階段を上がろうとしたとき、左ふくらはぎが攣った。
その場でしゃがんでふくらはぎがを揉んだ。
なんとか落ち着いて、歩けるようになって、キップの販売機で鷲津駅から新居駅まで190円のキップを買った。
浜松駅行のホームは階段を上って反対側に行く、脚を刺激しないように一歩一歩階段を上り、そして下った。
新居駅に着き、ここも階段を上って反対側のホーム行かねばならない。エレベーターを使用した。
新居の駅に着くと、同じ浜名湖100㎞の仲間だろうか、弁天島まで電車でワープする人がいた。
「時間はあるし、ゴールでのビールは走ってからの方が美味しいョ」
と言ったけれど、電車でのワープをすると言っていた。

ここでも昔の写真。いつのときかナ~。

新居駅からゴールまで国道一号線を真っ直ぐ、距離にして2㎞強か。
歩いていってもまにあう。
駅前をテっちゃんが歩いていた。
テっちゃんを追いかけた。
一所に歩いたり走ったり。した。
前に同じTシャツを着た二人組が、田中さんたちだ。
三番の橋を渡り。テっちゃんが4時までにゴールしましょうと走り出した。
後を着いて自分も走り出した。
残り一キロの看板をパスし、地下道を降りるときはユックリ慎重に階段を下り上りした。
二番の橋は歩いた。
国道一号線の信号機が黄色に変わり歩行者の信号に間に合うように走った。
テっちゃんは先に渡って弁天島海浜公園に入って行った。
わたしも最後の力を振り絞ってゴールに向かった。
ボランティアのオレンジ色のヤッケが迎えてくれる。
内藤さんだ、駐車場をところどころ曲り最後の直線の前に「ぐるっと浜名湖一周100㎞ウルトラ・マラニック」の横断幕がある。
レッドカーペットを踏みしめゴールした。
 

ボランティアの岡本さん・伊藤さんが迎えてくれた。

やっと終わった。
わたしの浜名湖100㎞2018、一回目から参加して今回初めてのワープ。
何回走っても同じコースなのに同じ景色なのに自分に試練を与えてくれる。浜名湖100㎞。
到知11月号特集「自己を丹誠する」
自己丹誠、自分という人間をまごころを込めて仕上げていく、ということである。
若い時には若さゆえに突き進むことができる。
年齢を重なて尚、自分自身の魂を輝かせるためには自己を丹誠する。こと、心を込めて自分をつくっていく。ことだ。
10月だというのにまだまだ暑い日が続く、今日も暑い日だった。

忘年ラン、浜名湖の思い出。

日陰で一人ユックリしていたら、左ふくらはぎに痙攣が。少し落ち着くと、また違うところに痙攣が、筋肉が勝手に固まっていく。
あ~。。。。
これが、これか。
僕は僕であって、そして僕ではない。
感じ。か。
タスケテくれ~。。。
その後、僕はオットッとにヘルプした。
筋肉の攣り、こむらがえりには
芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)
これランナーの常識、だか自分はそんなことなかったし関係ないと思っていた。
転ばぬ先の杖、買って常備していくことだナ~と感じた。

デイモン閣下楽しい時ばかりではないのだ。

こむら返りとは
筋肉の意識しない持続的な強直性収縮である筋の攣縮を示し、有痛性である。こむら返りを生じている筋は硬く収縮しており、局所の筋が硬く膨隆しているのがわかる。筋攣縮の持続は数秒から数分であることが多く、特に激しい運動の後や、水泳後、睡眠中に見られることが多い。特に睡眠中は眠気が吹き飛ぶほどの激痛が襲うものの、寝起きで早急に対処ができない為、起床後にふくらはぎの筋肉痛や寝不足が残ることがある。
ウィキペディアから。

森町三倉にて。

到知11月号特集「自己を丹誠する」
自己丹誠、自分という人間をまごころを込めて仕上げていくことは、時に痛みを伴うことだと知った一日だった。
ジャンじゃん。

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佐久間町の竜のモニュメントを知っているだろうか?

写真の竜は、ジョギングコースにあり、毎日見ている。

先日、むかし佐久間町役場で働いていた年配の人と話す機会があり、聞いた話だ。

竜のモニュメント、竜を支えているトコロ。何本ある?
と聞かれた。

答えは四本だ。

それは佐久間地区・浦川地区・城西地区・山香地区を表しているという。

人は(自分もそうだが)目立つものばかりに目線が注目される。

竜のモニュメントでは竜ばかりにだ。

写真では棒は三本に見えるけど、見えない後ろにしっかりと、もう一本の棒の支えがある。

過去→現在→明るい未来

一枚の写真から、自分の脳裏に映るもの、様々な角度からとらえる感性を磨きたいものだ。

拍手[6回]

FBから、
「過去の思い出を振り替えてみましょう」
と、お知らせが来る。
なんか若く感じる四年前の自分。
たった四年だけど、着実に老化している。
 

老化、悪いこと?
いや
カッコよく齢を重ねればいい。

ヒロボーさんのように山草人さんのように。人生の先輩の生き方に触発されての今の自分の生き方。
自分なりの生き方。
過去 → 現在 → 明るい未来。
明るい未来をつくるために、今何をするか?
ぐるっと浜名湖一周100km エンジョイ・マラニック
走り終わってから、その答えが待っている。

過去の自分に誇れる、今の自分の生き方。
少しずつ、着実に。

拍手[4回]

村上春樹がサロマ湖100㌔ウルトラマラソンを走りゴールまじかで感じたことを綴っている。
非日常の、11時間42分。やっとのおもいでゴールにたどり着いた。
僕の無口な心臓は一定の速度で膨張と縮小を繰り返している。僕の肺は働きもものふいごのように律儀に、新しい酸素を体内に送り込んでいく。
僕は僕であって、そして僕ではない。

自分という魂が、自分という身体に溶け込み100㎞のゴールに導いた。
心臓・肺・脚・筋肉・その他身体の各パーツが協力して自分という魂を100㎞という過酷な道程を走り最後のゴールまで連れて行ってくれた。
僕は僕であって、そして僕ではない。

自分もそうだった。
チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン100㎞の部に参加して、フルマラソンの42,195㎞のラインを越え未知の距離へと足を踏み入れ疲労困憊の走りの中さまざまな妄想が心に現れた。
今までの自分、今の自分、何をやってきたんだ。何をやっているのだ。
そして、これからの自分を考えた。
僕は僕であって、そして僕ではない。

自分は自分であって、そして自分ではない。
鏡に映った自分の姿を見て、自分が自分を見る。
おまえは誰だ?
このオサンは誰なんだ?

身体は借り物、魂がその借り物の身体に入り込み現世界を生きている。
魂がウルトラマラソンを走りたいと借り物の身体を鍛え100㎞の道程を魂とともに旅をする。
100㎞の道程を経験したからこそ感じる身体への感謝の気持ち。

100㎞を走って
僕は僕であって、そして僕ではない。そんな気がした。
100㎞を走ってゴールしてやっとたどり着いたと安堵してしていた時の表現を こう書いている。
身体の中で堅く閉まっていた結び目のようなものが、だんだんほどけていくのが感じられる。そんなものが自分の中に存在したことすら気付かなかったのだが。

10時間以上のレースを終えての感覚、自分も同じような感覚だった。

拍手[3回]

プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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